非日常な日常(1)
沖野育生は、生まれつきの日本人離れした明るい茶髪を除けば、どこにでもいるような高校二年生の少年だ。そんな彼は目覚まし時計の騒がしい音に起こされ、自室で目を覚ます。
「ふああ……」
大あくびをし、ベッドから起き上がろうとすると、ある人物の声が聞こえてきた。
「うう……ん、もう朝ですの?」
眠そうな、それでいてどこか優美さを残す少女の声音。それを聞くと、育生は呆れたようにため息をついた。
「また、オレのベッドで寝てたの? イシス……」
イシス、と育生に呼ばれた少女は育生のすぐ隣で眠っていたのか、薄いネグリジェ姿でベッドに横たわっている。その寝姿は、初めて目にする人間なら、まさに絵画に描かれた女神のようだと賞賛するほど麗しいものだ。だが、毎日彼女と過ごしている育生はその寝姿も見慣れてしまい、いちいち驚くこともなくなっていた。
イシスはけだるそうにベッドから身を起こすと、眠い目を擦る。
「あら、だって、昨夜はひどく冷え込んでいましたのよ。二人で寝た方が暖かいでしょう? それに独り寝は寂しいだろうと思って、わざわざ来てあげましたのに」
「あのさ、オレのこと、いくつだと思ってんの? もう高二だよ、高二。ガキじゃねえんだぞ」
育生が抗議の声を上げると、イシスは真顔で答えた。
「十七歳など、悠久を生きるあたくしにとっては、まだ生まれたての赤子同然ですわ。それにあなた、幼いときはよくあたくしに添い寝をねだっていたではないですか。あの頃のあなたは、それはそれは愛らしかったですのに」
「いつの話だ、いつの!」
幼い頃の恥ずかしい話を持ち出され、育生は思わず慌てふためく。その様子をおもしろおかしそうにイシスが見つめている。
「うふふ。あたくしなら、いつでも添い寝ぐらいしてさしあげますわよ?」
「だから、いいっての!」
そうは言うが、育生は時折ベッドに侵入してくるイシスを追い出したりはしない。もう慣れてしまったことだ、今さら無理に変える必要もないだろう。それほど彼らは親しい間柄と言ってよかった。ただ、普通の男女の関係ではないことを除けば、の話だが。
イシスは寝乱れた長い黒髪をさっと手櫛で整えると、ベッドから立ち上がった。
「あたくしは朝食の支度をしますわ。あなたは、さっさと学舎へ向かう支度でもなさい」
育生の部屋の扉へ向かう途中、イシスが短く呪文を唱える。すると、瞬時に彼女の服装がネグリジェから華美なワンピース姿へと変化した。その様子を見た育生はポツリと言う。
「便利だよなあ、呪文唱えるだけで着替えられるなんて」
その言葉に反応し、イシスが育生を振り向いた。
「まあ、鍛錬すれば、あなたにもできるようになるのではないかしら? 最低でも、あと二百年ほどかかるでしょうけれども」
「……その頃、オレもうこの世にいない」
「あら、あたくしが手ほどきして魔術師になれば、数百年生きることも可能ですわよ?」
「オレ、別に人並みな人生でいいよ。魔術師なんて、なるつもりないし」
イシスが少し落胆したように息をつく。
「せっかくあなたには凡人にはない素質がありますのに」
「オレは凡人でいいの」
「……そうですか、残念」
イシスは短く言うと再び部屋の扉へ向かい、廊下へと出ていった。その後ろ姿を見送りつつ、育生は思う。本当は今でもどこか実感が湧かない。自分が世界的に有名な女神と一つ屋根の下で暮らしているなど。
イシス――エジプト神話の神々のうち、豊穣の女神とされる一柱。世界で様々な逸話を持ち、様々な異名で語られる彼女だが、育生のすぐ傍で暮らしている彼女は強力な魔術師である側面を持っていた。
今この世では、禍物と呼ばれる災禍を招く存在が日の当たらぬ場所にはびこっている。その禍物は時折人に害をなすのだ。
ある事情から、育生は禍物を退治する役目を背負うことになった。近頃、ようやく己で顕現させた宝剣を用い、禍物を倒せる程度の修行の成果は出た。
だが、育生の師匠であり育ての親とも言えるイシスは武器など一切用いず、言の葉一つで軽く禍物を消滅させてしまうのだ。それは彼女が真の女神である証左と言えよう。
イシスは育生に魔術師の素質があると言ったが、そこまでの域に到達する努力などできない。自分は平凡な人間として一生を終えたいのだから。
大体、魔術師などという非現実的な職業に就いて、食い扶持を稼げるとは思えない。育生は見かけによらず、理知的なリアリストであった。
「ん? 待てよ、錬金術でも使えるようになりゃあ、金塊とか創り放題なのかね?」
そんな愚にもつかぬことを考えつつ、育生は朝の支度を終え、今いる自室のある二階から一階へと下りる。すると、食欲を誘ういい匂いが漂ってきた。それを辿るように育生はある場所へと向かう。
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