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奈ずなのお誘い(1)

 最寄り駅まで行き、電車に乗り一息ついたところで奈ずなが感心したように言った。


「はあ……、沖野くんの周りって、きれいな人ばっかりなんだねえ」

「え?」


 走る電車のドアにもたれかかった育生は、奈ずなの言葉に反応し彼女に向き直る。


「この間のイシスさんもそうだけど、今のネフティスさん? もきれいっていうか、すっごくかわいかったよね。なんか、あたし自信なくしちゃう……」


 奈ずなはしおれたように俯きがちになった。その様子を目にし、育生はフォローするように慌てて両手を横に振ってみせる。


「いや、春野は春野でかわいいと思うぞ? この前、公園で会ったとき、なんかいつもと雰囲気違って別人かと思ったぐらいだし」


 すると、奈ずなが顔を上げ、育生にまっすぐ視線を合わせた。


「……本当?」

「ああ、もちろん」


 本心だとわかってもらうため、育生は真摯な表情をつくるべく努めた。その様子を見て納得したのか、奈ずながこれ以上ないほど嬉しそうに笑う。そうした後、小さく呟いた。


「……やっぱりあたしには、沖野くんだけなんだ」


 今、奈ずなが言ったことがよく聞き取れなかった育生が小首を傾げると、彼女は笑顔のまま首を横に振った。


「ううん、ごめんね。何でもないの」


 このとき、育生は気づきもしなかった。奈ずなの中で大きな変化が起こっていることに。


「はあ……、いきなりかわいくなったよなあ、春野」


 昼休憩の時間、学食で田島がポツリと言った。


「へ? 何だよ、いきなり」


 育生はイシスにつくってもらった弁当をつつきながら友人に問う。


「だって、眼鏡外したら美少女でした! なんて展開、マンガの中だけの話だと思ってたよ、俺」

「ああ、まあ、確かに……」


 確かにここ数日の春野奈ずなの変貌ぶりには目を見張るものがあった。コンタクトレンズに代えたのか、以前の野暮ったい黒縁眼鏡を外し、その奥から黒くて大きな瞳が現れる。そして、暗かった雰囲気が消え明るさが出てきたからか、それが表情にまで表れ、奈ずなの姿は周囲の目にはとても魅力的に映っていた。


 少し前までは、クラスメートの女子生徒の自殺、そして不登校だった笹井夕子の一件があり暗かったクラス全体の注目が奈ずなに移り、わずかに色めき立っているのだ。


「まったく男ってヤツは現金だねえ。ちょっとかわいくなったくらいで、前は見向きもしなかった春野に群がってるんだから」


 田島が呆れたように言いつつ、天ぷらうどんをすすった。それに育生がすかさず突っ込む。


「田島もそのクチじゃないのか? たった今、春野のことかわいいとか言っただろ」

「えー、俺そんなこと言ったっけ?」


 田島はあらぬ方向に顔を向けた。すると、その途中で何かを発見したかのように一点を見つめる。そして育生に視線を戻し、小さな声で言った。


「ほら、噂をすれば何とやら、だぞ」


 育生はわけがわからず、田島が見つめていた方向に視線を向けてみる。その先には、たった今話題に上っていた少女の姿があった。彼女、春野奈ずなは育生の姿を見つけると、こちらに元気よく駆け寄ってくる。


「沖野くん! あ、それに田島くん。あたしも一緒に食べてもいい?」


 そう問いかけてきた奈ずなの手にはお弁当を入れた布袋があった。田島は一瞬喜色満面になるが、たった今彼女が言った言葉を思い出しポツリと呟く。


「『それに田島くん』、か……。俺はオマケなわけね」


 そんな田島の独り言など聞こえていないのか、奈ずなは育生の返答を待っているようにこちらを真剣な表情で見つめていた。特に断る理由もないので、育生は快く了承する。


「いいよ。こっち空いてるから、どうぞ」


 育生は隣の空いた椅子を引いた。その様子を見た奈ずながパチクリと瞳を瞬かせる。


「すごい、沖野くん。まるで外国の紳士みたい……」


 奈ずなから尊敬のまなざしを向けられ、育生は苦笑した。


「まあ、礼儀にうるさい師匠がすぐ傍にいるからな」


 不思議そうに奈ずなが小首を傾げる様子を目にし、育生は慌てて両手を横に振った。


「それより早く座れば? 早くしないと、昼休み終わっちまうよ」

「あ、うん。ありがと!」


 育生に引いてもらった椅子に座ると、奈ずなは急いで弁当箱を開く。その中身は、いかにもこの年頃の女の子が好みそうなおかずばかりだった。そして、見た目も華やかだ。それを見て育生はあることを思い出した。


「あ、その弁当も春野のお手製だったりする?」

「うん。お父さんとお母さんのお弁当もあたしがつくってるの。だから、朝は少し早起きなんだ」

「へえ。ご両親の分もつくってるなんて、えらいなあ」


 不意に育生に褒められ、奈ずなが恥ずかしそうに頬を赤らめる。二人のやりとりを見ていた田島が少し羨ましげに言う。


「席がお隣同士だからか、仲がよろしいですなあ、ご両人」


 奈ずなはますます顔を上気させた。だが、すぐに少し不安げな表情を浮かべる。


「でも、沖野くんはイヤじゃない? あたしなんかと仲がいいって思われたら……」

「え? 別にそんなことないけど」


 育生は答えるが、あることに思い至った。自分と仲がよくなることで奈ずなが一部の女子から疎まれていたことを。


「春野の方こそ、大丈夫なのか? その……オレと仲いいって思われて」

「まさか! 全然平気だよ、この頃はあたしにつっかかってくる人もいないし」


 育生は思い出す。不登校になっていた笹井夕子が学校に戻ってから、彼女をイジメていた女子生徒たちはすっかりなりを潜め、奈ずなに構っている場合ではなくなったことを。


 笹井をイジメていた女子生徒が自殺したおかげで奈ずなが彼女たちに目をつけられなくなったというのなら、何とも皮肉な話だ。


「あ、あの、それでね、沖野くん」


 思索に耽っていた育生を奈ずなのおずおずとした声が現実に引き戻す。


「あたしのお父さん、マスコミ関係の仕事してて、余ってるからってこれくれたんだ」


 奈ずなはあるものをテーブルの上に置いた。それは映画鑑賞券だった。


「一人で行くのもなんだし……よかったら、一緒に行ってくれないかなあって」


 思いもよらない誘いに、育生は今一度テーブルの上の鑑賞券に視線を送る。それは今はやりのミステリー映画だった。


「でも、この券二枚しかないぞ。オレなんかと行くより、ほかの誰か誘った方が……」

「ううん、沖野くんがいいの!」


 奈ずなにしては珍しく強い調子の声音だった。それを聞きつけたのか、学食にいた生徒たちの視線が皆こちらに向けられる。それは同じテーブルについていた田島も同様なのか、呆気にとられたような顔を浮かべていた。そして、おもむろに育生の肩をポンと叩く。


「……オッキー。女の子にここまで言わせておいて、まさか断ったりしないよな?」


 想像もしていなかった展開に育生は狼狽してしまう。そんな彼を急かすかのように、この学食にいた生徒たちが「男ならしっかりしろー!」「早くOKしちゃえ!」とはやし立てた。そして、とどめが奈ずなの少し潤んだ瞳だった。


「ご、ごめんね。あたしとなんかじゃ、やっぱりイヤ、だよね……?」


 今はすっかり変貌を遂げ、男子の注目の的になっている奈ずなにこうまで言われては、もう返事はただ一つしかなかった。育生はまだ決心がつかぬまま返答をしてしまう。


「……わかったよ。オレでよければ」


 その言葉を聞いた学食にいた皆が一斉に喝采を上げた。その中で一番喜んでいるのは、ほかならぬ奈ずな本人だ。


「よかったあ。断られたらどうしようかと思って、昨日からずっとドキドキしてたんだ」


 奈ずなは心から安堵した表情を浮かべている。そんな彼女を見ていると、育生は罪悪感を覚えてしまう。なぜなら半ば周囲に押され、奈ずなとの約束を取り付ける形になってしまったからだ。


 女の子からお誘いを受けたのに、どこか手放しで喜べない自分がいるのを育生は感じていた。なぜなら、彼の胸の中には既にある一人の女性が棲みついてしまっていたからだ。

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