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戸惑いの朝(2)

「ふう、ここまで来ればいっか」


 育生の自宅からかなりの距離を進んだところでネフティスが歩を止める。自身より長身の育生を引きずっても彼女は息一つ乱れていない。それに対し、育生は息も絶え絶えになっていた。


「ちょ……ちょっと、ネフティスさん」


 育生が声をかけると、ネフティスはおどけた顔をこちらに向ける。


「ネフィ。そう呼んでくんなきゃ、質問は一切受け付けないよ?」


 果たして女神を愛称で呼んでいいかなどわからなかったが、育生はとりあえず彼女の言うとおりにすることにした。


「……ネフィ。君は一体何がしたいんだ? 無理矢理オレを連れ出したりして」


 その問いに、ネフティスは人差し指を頬に当て小首を傾げる。


「うーんとね、イクオちんにはちょっち聞きたいことがあってさ」

「き、聞きたいこと?」


 不意に真顔をネフティスに向けられ、育生は内心たじろいだ。そんな彼を追い込むかのように、小さな女神がある質問を投げかけてくる。


「じゃ、ズバリ聞いちゃおっかな。イクオちん、イシス姉様のことどう思ってる?」

「ど、どうって……」


 育生は自然と口ごもってしまった。なぜなら、イシスを一体どう思っているのか、そのことを一晩中考えて寝不足になったほどだからだ。そんな育生を前にして、ネフティスが訳知り顔でうんうんとうなずく。


「ボクには、キミがイシス姉様に好意を持ってるのが見え見えの丸見えなんだけどー」

「な、なんで、昨日会ったばっかでそんなことわかるんだよ!?」


 狼狽する育生の前に、魔術で出現させたのか、ネフティスがある本を差し出した。


「これ。このMANGAってのに人間界の恋模様が描かれててさ。その登場人物の行動パターンと、昨日のイクオちんの行動がばっちんこ! と一致してたってワケ」


 ちなみにネフティスが差し出してきた本のタイトルは、「恋の方程式を解いて」というものだ。


「少女マンガ……?」


 ネフティスに見せられたものを前にし、育生は呆気にとられる。そんな彼をそっちのけにして彼女は一気にまくし立てた。


「もうこの話、すっごく奥が深くってさあ! 特に最後の二人の別れのシーンなんて、涙なしには見られなかったよ。ボク、いろいろな国のMANGAを読んできたけど、やっぱ話、絵の質共にこの日本が文句なしのナンバーワンだよ! あ、そうそう、アニメもおすすめのヤツがあってえ……」

「……ちょっとストップ」


 頭痛がし始めた育生は右手をネフティスに向け、制止のポーズをとる。


「その話はまだまだ続く? だったら悪いけど、オレあまりそういうの興味ないから……」

「えーっ! 日本人なのに、このステキ過ぎる文化を解さないなんて、信じらんない! あ、もしかしてイクオちん、そういう文化に嫌悪を感じるクチ?」

「い、いや、別にそういうわけじゃないけど……」

「じゃあさ、もっと語り合おうよ! 冥界にはボクと話合う人いなくってさあ」


 依然としてネフティスは自身の趣味について語る気満々といった様子。育生はそれを察し、この前イシスが男は胸の大きい女性が好きとの情報をテレビから得ていたことを思い出す。どうやらこのエジプト神話の女神姉妹は、すっかり日本文化に染まり切ってしまっているらしい。


 育生は嘆息すると、あまり話題にしたくないことを仕方なく自ら切り出すことにした。


「ネフィ、君はオレがイシスに好意を持ってるかどうか気になってるみたいだけど、そんなことに関心持っても無駄だよ」

「え? 何で? 相手が女神だからとか? そんなの関係ないよ! MANGAにも異種族間の恋愛ってのがいっぱいあってさ……」

「そうじゃなくて!」


 育生は不意に声を荒げる。その様子を目にし、さすがのネフティスも驚いたのか、緑の瞳を真ん丸くさせた。


「それ以前の問題だろ。第一、オレ人のものとる趣味ないし……」


 渋面で育生が言ったとき、ある人物がこの場に現れる。


「あ、沖野くん、おはよう!」


 その元気な声が誰のものか一瞬わからなかったが、半瞬後に育生はある人物のものだということに気づいた。声のした方を向くと、明るい笑顔を浮かべた春野奈ずなが大きく手を振っている。なぜ彼女と出くわすことになったのか、と育生は周囲に視線を巡らせた。すると、いつのまにか最寄り駅の近くまで来ていたことに気づく。


「最寄り駅同じなのに、こうやって一緒になるの初めてだね」


 そう言いながら奈ずながこちらに歩み寄ってきた。彼女はこの間公園で会ったときと同じく、眼鏡なし、くせっ毛をリボンで結わえた姿だった。奈ずなはネフティスの存在に気づくと、育生に「誰?」といった問いかけの視線を寄越してくる。


「あ、えっと、この間春野も会った、イシスの妹さんで……」


 育生が全部紹介し終える前に、ネフティスが彼と奈ずなの間に強引に割って入った。


「はいはーい! ボク、ネフティスっていいます! どうぞ『ネフィ』って呼んでね!」

「あ、はあ……」


 飛び抜けて元気なネフティスを前に、奈ずなは少しの間呆気にとられた様子を見せる。だが、気を取り直したように育生に向き直った。


「あ、あの沖野くん、よかったら一緒に学校行きませんか?」

「あ、ああ。別にいいけど……」


 育生の返答を聞いた奈ずなが顔を輝かせる。彼女には少し悪いと思ったが、早くこの場から、ネフティスから離れるきっかけになってもらうことにする。育生は奈ずなからネフティスに視線を移した。


「そういうわけ。オレ、彼女と一緒に学校行くから、悪いけどここで……」

「あ、うん」


 さすがに学校に行くことまで邪魔しようとはしないのか、ネフティスがコクンとうなずく。そして、彼女をその場に残し、育生は奈ずなと連れだって登校することになった。並んで歩く育生たちの後ろ姿を見送りつつ、ネフティスがポツリと呟く。


「うむむ、これは波乱の予感ですぞ……」

今日からまた更新を再開します。今週もどうぞよろしくお願いします!

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