女神さまのお使い(4)
「……それでイクオ、今のお嬢さんはどなた?」
「お嬢さん? ああ、春野のことか。同じクラスの子だよ」
「そうですか、学友ということですわね……」
一旦は納得したかと思われたイシスだが、未だ怪訝そうな顔を浮かべていた。そのことを育生も訝しむ。
「どうかした?」
「いえ、少し気になったことがありまして」
「気になったこと……?」
育生は思わずゴクリと唾を飲み込んだ。神であるイシスが気になるということは、ただならぬ事象なのかもしれない。だが――。
「あのお嬢さん、随分とお胸が大きくていらっしゃると思ったのですわ」
そのイシスの言葉を聞き、育生は大きく脱力する。
「なんで、そこなんだよ!?」
「あら、イクオは気になりませんの?」
真顔でイシスに問われ、育生は思わず言葉を詰まらせる。なぜなら、イシスが指摘したことは、育生自身も密かに思っていたことだからだ。
学校ではすぐ隣の席だからわかってしまうが、確かに奈ずなの胸は大きい。それはもう、制服のブラウスがはちきれんばかりなのだ。顔はどこかあどけない感じがするのに、アンバランスな感じのする子だとは育生も常々思っていた。そのことを思い出してしまい、育生は自身の頬が自然と赤くなっていくのを感じる。
「あら、図星ですの?」
顔を紅潮させている育生に気づいたのか、イシスが悪戯っぽい笑顔を向けてきた。
「ま、まさか、そんなこと、気にしたことねえけど?」
そうは言ったが、言葉の最後は声が裏返ってしまう。これでは、内心を白状したも同然だった。その姿を目にしたイシスが嘆息する。
「やはり、イクオも年頃の男の子なのですわね……。あたくし、何だか複雑ですわ」
「な、何だよ、複雑って」
「だって、この世界の殿方は皆、お胸の大きい女性が好みなのでしょう?」
「ど、どこ情報だよ? それ……」
「テレビですわ」
あっけらかんと答えるイシス。どうやらこの女神様は俗世に染まりきっているらしい。そのことを感じ、育生は大きく嘆息した。
「いや、別に男みんなが胸の大きい子が好みってわけじゃないと思うぞ」
「あらイクオ、あなたは違いますの?」
「う、うーん……、どうなんだろな」
問われてみれば、自身の女性の好みなど育生は深く考えたことがない。何せ浮世離れした美女と一つ屋根の下に暮らしているからだ。彼女を基準にしてしまうと、並大抵の女性は敵わないのだろう。
だが、それは外見においての話だ。いくら容姿が優れていようと、その中身が醜ければ何の意味もなさない。そう思い、育生はすぐ傍のイシスに目をやった。困ったことに、彼女は決して内面が醜いわけではない。気位は高いし、魔術の修行のつけ方は厳しいが、それはすべて育生のためであるのだ。
そして、彼女は多くを犠牲にし、幼かった自身をここまで育て上げてくれた。そんなイシスに育生の頭が上がらないのは当然といえば、当然だった。
――そういえば、オレってイシスのこと、一体どう思ってるんだろ?
育生は思う。イシスは自らを育生の養い親だと自称しているが、育生の認識は少し違った。いくら幼いときから育ててもらったからといって、イシスは本当の親ではない。今は亡くなってしまったが、育生には実の家族がいたのだ。
確かに幼い頃はイシスに甘え、いつか彼女が言ったように添い寝をしてもらったこともあるが、それは昔の話だ。今は高校生の男子である育生にとって、イシスとは一体どういう存在なのだろうか。思わず深く思索に耽りそうになるのをイシスの声が遮った。
「どうしましたの? イクオ」
「え?」
「何やら、随分と思い悩んでいるお顔ですけれども」
イシスに指摘され、育生は思わず自身の顔に両手で触れる。そうしている最中、育生は思った。そもそも自身を思い悩ませているのは、ほかでもないイシスなのだ。そう言いたかったが、そのことはなぜか口にしてはならないような気がした。だが、イシスは思い悩む育生をどこか厳しいまなざしで見つめてくる。
「何だよ?」
「いえ、ひょっとして、あなた……」
不意に真顔で言われ、育生はドキリとした。だが次の瞬間、イシスは想定外の問いかけをしてくる。
「イクオ、あなた、先程のお嬢さんとあたくしを比較していたのではないでしょうね?」
「ひ、比較って何を……?」
困惑する育生がイシスに視線を送ると、彼女は自身の胸のあたりを見下ろしていた。
「先程のお嬢さんに比して、あたくしのお胸が慎ましいと思っていたのかどうかですわ」
「な、何でそうなるんだよ!? そんなこと思ってるわけ……」
育生は即座に否定しようとするが、その途中ついイシスの胸元に視線を送ってしまう。確かにイシスが言ったとおり、彼女の胸は何というか――。
「……確かに」
育生の口から、思わず本音が飛び出してしまった。イシスは絶世の美人ではあるが、あえて一つ欠点を上げるとすれば、体型にどこか幼さが残るところだ。それは胸も例外ではなかった。
「やっぱり、そう思ってましたのね?」
不意にイシスの声音が怒気をはらむ。そのことに気づき、育生は慌てて自身の口を押さえるが、口に出してしまった言葉は決して元に戻らない。
「あなた、常日頃からあたくしのことをそういう目で見ていましたのね?」
「み、見てない見てない、胸なんか見てない!」
育生は必死に否定しようとするが、それは逆効果になってしまった。
「……ふうん。あたくしのお胸など、見る価値すらないということですか」
「だから、違うんだって!」
まったく機嫌が直る様子のないイシスを前にし、育生の額に脂汗が浮かぶ。その姿を見たイシスが大きく嘆息する。
「……まあ、いいですわ」
「あ、やっとわかってくれた?」
「そんな些末な話は置いておいて、今日はお夕食が終わったら狩りに出かけますわよ」
「狩り?」
育生が思わずおうむ返しに呟くと、イシスは大きく首肯する。その姿を見て育生は納得し、自身が両手に持っている買い物袋に視線を移した。
「……どおりで、いつもよりスタミナがつくような食材ばかりだと思った」
「腹が減っては戦ができぬと申しますでしょ。戦いの前には腹ごしらえをいたしませんと」
「まあ、それはそうかもだけど……」
育生は少しげんなりする。買い込んだ食材は相当な量で、それらを使い尽くすとしたら、それはもう豪勢な夕食になるだろう。
イシスが「狩り」と言ったら、それは禍物を退治することを意味する。この世界の陰では禍物たちが身を潜めていて、いつ人間に悪さをするかわからない。それを未然に防ぐため、イシスと育生は定期的に夜回りをしているのだった。
「喜びなさい、今日はあなたの好きなメニューばかりこしらえますから」
イシスがこれ以上ないほど尊大に言う。その姿を見た育生は嘆息してしまう。
「あんまり食い過ぎても、逆に動きが鈍くなると思うけどなあ……」
「それはあなたが未熟な証拠ですわ。一流の魔術師ならどんな状況であれ、万全の体勢で動くものですもの」
イシスの言葉に、いつものように「オレは魔術師になるつもりはない」と返そうとする育生だったが、機先を制するようにイシスが彼の持つ買い物袋の片方を手に取った。
「さあ、帰りますわよ」
イシスは短く言うと、身を翻し、さっさと自宅へ向かおうとする。イシスが持っている買い物袋の重量は相当なものだが、そんなことは苦にせぬ様子で彼女は家路を急ぐ。恐らく何らかの魔術を用い、重量を無効にでもしているのだろう。そんなことを考えつつ、育生はイシスの後を追った。
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