其の五
「ラロウ、いるか?」
町外れにある煤けた工房の入り口に立ち、マオが大声で叫ぶ。
「おるぞ」
工房の奥から返事の声が響く。
真っ直ぐに歩いて行くと火の灯っていない炉のそばで半裸の老人が一人、酒を煽りぐだを巻いていた。
「掃除くらいするといい。入り口の方まで煤けておったし、商品は埃を被っておったではないか」
「ああ?うるさいのぉ。あんなもの汚しておけばいいんじゃ。どうせ価値もわからない者共が安く買っていってしまうからな。商品組合の奴らめ…小難しい理屈を並べてからに」
そういって再び酒を煽るラロウ翁。大丈夫なのだろうか。
「まったく、それはお主が今の時代の事を知らなさすぎるからだろう。大方、新規商業公正法あたりで言いくるめられたのだろう?あれは同一規格の武器の価格を街あたりの店で最も安い店の価格に揃えろ、とか言う悪法だ。街の鍛冶屋全員で一度集まり値段について協議するがいい。もしくはそれぞれの店でまったく異なる形の武器を作るとかな。同一規格の物にしか適応されないから衛兵などの依頼は断るようにすれば問題あるまい。お主の腕ならば冒険者相手だけでも十分にやっていける。それに、衛兵の武器がなければ国も自身らの過ちに気付くだろう」
そういって自慢気に笑うマオ。素人目に見ても、いや聞いてもその新規商業公正法というのは悪法だ。素材が異なっていても形が同じなら同じ値段だなんて明らかにおかしいだろう。
だがラロウ翁は首を横に振り……
「そんなことはもう考えた。だがな、商業組合がやっている鍛冶屋が儂らの作る武器を形だけ真似た粗悪品を出しやがる。何度新しい型を作ってもだ。そのせいでこっちは大損だ」
「ほう、商業組合が……。わざわざ信用を落とすような真似をしてまでか?それはそれは…後で調べさせて貰おう」
「そうしてくれ」
どうやら話は終わったようだ。それでは本題に入ろう。
「名前の刻印を頼めるか?」
「刻印?あんたそんななりで冒険者に成り立てだってのかい」
「……ああ、そうだ。この槍と鎧は恩師に貰った物だ。今は亡き、な」
正しくは三千年前から冒険者だったのだが。まああの組織は今の組合と大きく異なるから名前が同じだけの別の仕事だ。
「そうか……それは失礼した。訊かれたくないこともあるだろうに配慮が欠けていた」
「いや、いい。私もこの目ではっきりと死ぬところを見たわけではないし、死んでも死ななさそうな奴だった。案外どこかで生き延びているのかもしれん」
死んだところを見たわけでもないのは本当だ。何せ師匠が生きている間に旅立ったわけのだから。
それにマオの例もある。完全に信じたわけでもないが疑う理由もない。
考えてみればむしろ、何らかの方法で三千年を生きている可能性の方が高い気さえしてきた。
「刻印だな。あんた名前は?」
「シアトだ」
「シアトか。……本名じゃあないだろう?この仕事を長くやってるとそういうのが解ってくんだ。まあ、あんまし詮索するつもりはないんだがな。シアトの名前は多いから隠すにはうってつけだな」
お見通し、というわけか。なぜ名乗っただけで嘘かどうか分かるのだろうな。歳を経れば私も出来るようになるのかな。
「今はただのシアトだ」
「解ってるさ。無礼の詫びだ。料金は払わなくていい」
「いや、それは……」
「いいのさ。それに、来る途中に掃除してくれたんだろ?床にへばりついてた埃だのが掃かれてたからな」
掃除…?私はしていないが……
振り返れば確かに通って来たところの床が箒で掃かれたかのように埃や煤等が脇によけられていた。きっと汚れに耐えかねたマオがしたのだろう。
「いや、私はしていないが」
「はは、そんなに金払いたいのか?だが儂は一度決めたことは絶対曲げねえからな」
「ああ、そやつは一度決めたことは絶対曲げない。昔から変わらん奴だ」
「あんたにだけは言われたくねえな。五〇年前から……いや親父のそのまた親父の更に親父の代から一切変化がねえらしいじゃねえか」
「くく、この街の前身だった村が出来る前からだがな」
そんなことを話ながらも冒険者証に名前を刻み込んで行くラロウ翁。黒い札の表にはシアトの文字が、裏にはミーンの文字が刻まれていく。
「ほれ、完成だ。ミーンの街のシアト。これであんたは冒険者の仲間入りってわけだ。もし二つ名が着いたらまた彫り込んでやるから持ってこい」
「ああ、わかった。その時はまた頼もう。では」
「ああ、じゃあな」
手を振り工房を後にする。
「では、大図書館に戻るとするか。日も暮れてきたことだしな。何かやり残したことは?」
「ないな。ただ帰ったら地図を見せてくれ」
行かねばならないところがある。
*
再び最初に通された部屋に戻ってきた。大きな地図を三枚もったマオも後を追って入ってくる。
「地図だ。この街のものと周辺のもの、そして世界地図の三つを持ってきてやったぞ」
「ああ、ありがとう。周辺とはどのくらいの距離だ?」
「おおよそ大図書館を中心として直径17ヴァイン程だな」
「足りないな。世界地図の方を見せてくれ」
マオは頷くと一番大きな地図を広げ、大陸部のちょうど中心地を指して言った。
「ほれ、ここがミーンの街だ。大陸の中心にあるということはすなわち世界の中心にあるも同義よ」
まあ、一つしかない地上の中心にあるというなら世界の中心といっても過言ではないだろう。実際に世界を回しているのはグローリア皇家だが。
「縮尺は?」
「1セインで0.9ヴァインだな。1マイン定規だ。使うといい」
「すまない」
……目的地まで60セインなので54ヴァインか。途中で補給したり山越えをすることを考えると…
「五日…いや歩きづめで四日はかかるな。往復で八日…マオ、次の勇者を目覚めさせるのは二週間後なんだな?」
「正確には今日を入れてあと十二日だな」
あと十二日か。
「では九日くれ。所用がある」
「内容次第だ」
「………墓を作るくらいはいいだろう。必ず九日以内に戻ってくる」
マオは少し考え込むような仕草を見せた。
「……わかった。必ず九日以内に帰ってこい」
「ああ」
「準備は出来ているのか?」
「いや、まだだ。道中にある街を経由するとして二日分の水と食料、それから鍋と火種、それらが入る鞄がいるな。………このくらいで足りるか?」
そういって腰に仕込まれた金貨を三枚マオに渡す。
「……これ、アーデリス金貨ではないか!!」
「足りないのか?」
「あ、ああ、足りない。今は流通していない金貨だからな。店で出しても受け取って貰えぬだろう。だが歴史的価値が高い。売りに出せば一枚で今流通しているメトル金貨六百枚程度にはなろう」
そう言われてもメトル金貨の価値がわからないからな。どのくらいの価値か推し量れない。
「どのくらいの価値があるんだそのメトル金貨というのは」
「一枚あれば庶民の暮らしが一月続き、十枚あれば貴族の暮らしが一週間は出来る。もっとも、貴族の連中が使い過ぎなだけだが。歴史的価値のあるものだ。図書館に資料として置くためにあるだけ買い取ろう。何枚ある?」
三千年前の貨幣というだけでそんなに価値が付くのか。
「全部で二十六枚仕込んである」
「ええと……75600メトル金貨か。まあ金ならあるからな。払えなくはない。しかしそんなに持てないだろう?言えば必要な分だけ渡そう。とりあえずセル銀貨30枚あればそれらは買える。ああ、98セル銀貨で1メトル金貨だな」
「そうか。助かる」
「とりあえず今日はもう遅い。買い物は明日にして出発は明日の午後からでいいだろう。最初の街テルノアまでは半日で着く」
*
買い物を終え、支度をする。革袋の中に沸騰させ冷ました水を入れ、干し肉を油紙で包み鍋の中に入れて鞄にしまう。
ちょうど昼時。今から出れば日が沈む頃にはテルノアに着くだろう。
さあ、出発しようか。
「「生きてるよ!!!」」
「いや~僕たち息ピッタリだね。結婚しようか?」
「気持ち悪っ」
「お、どストレートだねぇ」
「だいたい今の法律だと女同士じゃ結婚できないし。それに貴女男性と付き合ったこともないでしょう?女性の誘い方なんてわかるの?」
「あるよ」
「え?」
「………あるよ、付き合ってたこと。といっても3日で終わってしまったけどね。世界が」
「は?何それ」
「君が知らなくてもいいことさ。
ああ、男女のあれそれと言えばシアトの性別ってまだ決まってないらしいよ。どっちでもいいように全身鎧なんて着せて一人称私にしてるみたい」
「主人公の性別くらい決めときなさいよ………」