京の香りと郷の花1
──桜川郷花
白昼。路地裏で目が覚める。“木陰”でもないのに魔術を使った反動だろうか。少し気絶していたらしい。幸い、人通りはなく、眠っている間に盗られたものはない。ぬかるんだ地面に倒れたため泥まみれになった服が結果としてホームレスみたいな格好に見えたのも原因だろうか。
魔術証書の複製は残り三枚。少し心許ない枚数だ。どこかで補充出来ればいいのだが、生憎魔力を込めたインクが切れてしまっている。一か月は補充するのが難しいだろう。
しかし…
「貴重な一枚を使っただけのことはあるね。見たくないものが見えちゃったよ」
翡翠の髪。透き通るような肌。作り物らしさを隠そうともしない能面のような、それでいて見惚れるほど美しい顔。
「やっぱり工場をもうひとつ隠してた。名前は…そうだね。複製代替母機構工場とでもしようか。……即興で付けたからいまいちかな。まあ、後で考えればいっか」
しかし何回見ても趣味の悪い。人造とはいえ……いや、だからこそ女の子を兵器として扱うという発想には反吐が出る。
ああ、なぜ。なぜ私はあの時にあんな話をしてしまったのだろうか。神話なんて私がもっとも憎むべき者だろうに。
やはりいまだにあの頃に縋っているのだろうか。
「弱みを見せるだけで掬われる、なんてよく学んだはずなのに」
ポツリ、と漏れた言葉。その意味を拾うよりも早く音が聞こえた。風を切る、飛行機の音にも似た音。今、この世界であんな音を出せるのは一つだけ。
「ヤバッ」
ぼろ切れの毛布を被り、浮浪者の振りをする。真上を駆け抜けて行く複数の緑の閃光。そのうちの一人と目があったような気がした。
「とりあえず逃げよっと。明らかに誰か探してるっぽいし、たぶんそれは僕だろうし」
一旦宿に戻って荷物取りに行かないと。制服と杖だけはなんとしてでも確保する。絶対に。
*
宿屋に置いておいた荷物を回収して路地裏を伝い、こっそりと南門に近づく。
「やはりここもダメ」
この分だと北と西もいるだろうな。三人一組の小隊、それが四組の計十二人。おそらくそのうち四人が東西南北の出口を見張り、残りの八人が網を張るように散開し北側から町民のことなどお構い無しに包囲を狭めて来ているのだろう。
「どうしよっか」
『とりあえずどこか隠れられるところを探してみては?貴女様なら死の危険があるところでも隠れられるでしょう』
宿屋から回収した杖が声を発する。名案だね。
「そうだねぇ。でも死ねないからって痛いのも辛いのも平気なわけじゃないんだ」
『奇遇ですね、私もです』
ハハハこやつめ。
「仕方ない、あそこを使うか」
選んだのは、ついこの間街の子供たちから聞いた隠れ場所。危険なので誰も使わないらしいが、子供たちの間に脈々と語り継がれてきた場所らしい。
「あ、落としたらごめんね?」
『その時は溺れてでも拾ってもらいます』
子供たちから聞いた良い隠れ場、それは古い井戸の中。秋も終わりに差し掛かりすっかり気温は下がってしまい風も水も冷たく体を凍えさせる中、井戸の縁から1メートル程下に空いた窪みにすっぽりとはまり、上空からの視界から身を隠す。
そうして二時間程経っただろうか。すっかり四肢は冷え、常人であれば体の一つや二つは大きく崩して、最悪死に至るだろう。
ここからでは外の様子はわからないがもう行っただろう。足を掛け立ち上がり、そっと井戸の外を覗き見る。
「ぐぅう、結構キツイなこれ」
先程まで隠れていた窪みの真ん中あたりからつま先立ちで顔を覗かせた体勢。かなり辛い。
『常日頃から鍛えてないからでは』
「ちゃんと動いてるし」
『歩くだけで鍛えられたら誰も苦労しません』
ひそひそと軽口を叩きながら辺りを見回すと井戸から少し離れたところに頭を垂れて膝をつき、しゃがみこむ緑髪の少女が一人。
他に影は見えないどころか、どうやら目の前の少女は長時間その姿勢で居たらしい。
罠の可能性もなくはないがどのみちバレているのだ。
勢いを付けて井戸から這い上がりそのまま縁に腰かける。
「随分物々しい人探しだったね。誰をお探しで?」
自衛手段のない私に出来る精一杯の虚勢。アキナちゃんも空気を読んで黙ってくれているようだ。
一見、体勢こそこちらが上位だが物理的な力が違う。捕まったらろくに抵抗できない上に暴力には完全に無力だ。この階層のものでは魔女は害せないが痛覚は残っている。痛いものは出来るだけ避けたい。
内心冷や汗をかく私にかけられた言葉は予想外のものだった。
「………助けてください。貴女にしか…あの……彼を止められないのです」
……ああ、その昔にこんな光景を見たっけ。まさか自分がされる側に回るとは思わなかったけど。
彼……というのはあの子のことだろう。あの子を止める…?彼女らにとって主たるあの子の存在は絶対だったはずだ。だからこそ有機性機械乙女工場なんて名付けたわけだし。
彼女らはその昔、忌むべきものとしてあの子に語り聞かせた神話のうちの一つ、北欧神話の表面だけなぞったものだろうから。
「なんで?」
「……我々はおそらく使い潰されます。まだ副工場の方は作動再開したばかりで我々は数が足りていません。そんな状態であの……彼はグローリア帝国に対して宣戦布告をし、世界を自分のものにするつもりなのです」
「ふーん。やっぱりバカは死んだ程度じゃ治らなかったか」
三千年の覇者、この世唯一の国にして世界の支配者であるグローリア皇家に宣戦布告なんて。それに、それは私が散々してはいけないと言い聞かせたはずなのに。
「でも残念ながら僕が行っても無駄だろうね。今は敵対してるようなものだし」
「で、では我々はどうすれば…」
「さあね。でも君を匿うくらいはしてあげる。目の前で会話した人間を取り零すようなこと、あまりしたくないからね」
私が救えなかった彼らも。私が殺してしまった彼も。三回目は絶対に取り零さない。いや、全く。我ながらチョロいなぁ。そんな理由で受け入れてしまうのだから。
「ところでお仲間は?」
「遠方からの攻撃を受け墜落したふりをして離脱しました。おそらく、今頃は誰もいない山を警戒しているでしょう」
その言い訳は無理があると思う。
おそらく数時間としないうちに戻ってくるだろう。
「じゃあ早めにお仕事終わらせて逃げるとしようか」
「仕事……ですか」
*
暗い部屋の中。昨日まで降っていた雨で湿気た部屋を乾かすために開け放たれた窓の外へ、痩せこけた男の甲高い声が響いていく。
「くそ、なんで俺がこんな目に!俺こそ選ばれた人間なはずだ!俺こそが!」
狂気の目。震える手。揺らぐ瞳孔。
なぜ、なぜ、なぜ!
意味のない、言いがかりの自己肯定ばかりが木霊する。
「俺こそが!この世界を統べるにふさわしいのに!奴ら何も聞かないばかりか俺の頭がおかしいだって!?ふざけるな!俺はいずれ人間すら超越す……」
「うん。頭おかしいと思うよ、君」
閃光。乾いた音が鳴り響く。立ち上る煙と、爆ぜた火薬の匂いが薄暗い部屋を駆け巡り、開け放たれた窓から逃げ出して行く。倒れる男の頭に空けたその穴とは無関係だと言わんがばかりに。
「上位存在を二度と定義しないで貰えるかな。君みたいな木っ端の名前でも、与えると面倒なんだよ。信仰するなら体のいい偶像か都合のいい統一者でお願いね。まあ、その様子じゃ無理だった様だけど」
*
「……今のは?」
「見てわかんなかった?新規神格を定義しようとした愚か者」
「いえ、そちらではなくその武器の方です」
その白く細い指が指す先、私の手の中にある未だ熱を持つ取っ手の付いた短い筒。言ってしまえば拳銃擬き。
「失敗作さ。まあ魔法が使えない僕は重宝してるけどね」
「威力に関しては申し分無いように思えるのですが…」
「この距離ならね。でもこれは失敗作なんだ。弾は真っ直ぐ飛ばないし距離による威力の減衰が大きすぎる。君のおかげで窓から侵入できたけどほんとはもっと手間取っていたよ」
「そうですか……その武器は量産は可能なのですか?」
「うーん、無理かな。現状試作段階で完成には程遠いし、僕の技術は安定してこの形を作ることすら難しい」
メンテナンスも簡単じゃないし弾も自分で作らなきゃならない。補給するのに一旦研究室にまで帰らないと行けないのはかなり面倒。私も剣が振れたり魔法が使えたりしたら良かったんだけど……出来ないから、だから人を殺さなきゃいけなくなった時のための武器って考えたら銃しか出てこなかった。
「そうですか…。私も持てたら便利だと思ったのですが」
「…ああ、飛んで上から撃つってことね。どうだろうねぇ。この形じゃ下向きの射撃はちょっと厳しいかな。それより早く行こうか。そろそろ人が来そうだ。それに、君のお仲間が戻って来る前に街を出たい」
「了解しました」
とりあえず次の目的地はミーンの街に……いや先にキヌス城下町か。……身を隠しながらだと多分間に合わないかな。
「よし、とりあえず次はイカルテの街に行こっか。そこでしばらく休憩してから川を下ってシパニエに行こう。……あ、抱っこして。ちょっと腕が痺れてうまくしがみ着けないんだ」
『全く、情けない……報告です。イカルテに行く前に一仕事入りそうです』
「わかった。場所は」
『スリンギーの街です。思想分類第四級区分上の人物が観測されました。現在は不安定でありますが上がる可能性が高いです』
「ん、了解。……もっと普通に喋ればいいのに」
『始祖様相手にできませんね』
「そんなこと思ってないくせに」
どうせ新入りの前で格好つけたいとかそんなところだろう。しかしスリンギーか。ちょっと遠回りになるけどルート変えて……半年で間に合うかなぁ。
「ねえ、マオちゃん。僕たちが知るケチャップって赤いよね?」
「赤いですね」
「で、その原料のトマトも赤いよね?」
「赤いですね」
「うん。赤いよね。……それで、さっき誕生日に貰った再現ケチャップ、赤いよね」
「赤いですね」
「じゃあ原料も赤いはずなんだよ。これなに?」
「トマトです」
「いや、僕の知っているトマトはこんな紫色してないし目玉っぽいコブもついてなかった」
「二百年かけて魔素に馴染んだんです。本体が形容し難い黒色になるまで煮込めばケチャップっぽい煮汁が取れます」
「待って、形容し難いって食べ物に使うかな!?」
「そうとしか言い様がないので」
「それ食べても大丈夫?僕、君たちと違って毒は苦しいんだからね?死なないだけで」
「大丈夫です。美味しく食べれます」
「答えになってない!!!」
───こんなこともあったっけ。




