其の五
体感で一時間経った頃だろうか。荒々しい羽ばたきと木々を巻き上げ大地を揺らす咆哮が聞こえてきた。
二人を無事に送り届け……あの様子では荒っぽい運送だったな。まあ、二人を送り届けられたのだろう。シャーレが戻ってきた。
「いや、なんだこれは」
遠巻きに見えていた時にはあまりはっきりとは感じなかったが、こうして近付いて来ると感じていた違和感がより強く、明瞭なものとなる。
具体的にはシャーレの姿が変化していた。
前足は翼と一体化し、竜というよりも鳥に近いものに。その翼はより鋭く、より薄く、風を切り空を翔るものへ。その顎は少し丸みを帯びた流線型へと変貌を遂げていた。
ストン、とその巨体に見合わぬ軽い音を立て魔王城へと続く丘の上に着地する。
「シャーレ、その姿は?」
『わかんない。急がなきゃって思ったらピカーって光ってお手々がくっついたの』
光って……何?まあ、考えてもわからないだろう。後でマオにでも聞いてみるか。
『それでご主人、帰るの?』
「いや、やることがあると言っただろう。行くぞ」
『どこへ?』
「森に戻る。人型の方が動きやすいだろう。戻っておけ」
さて、最近はあまり出来ていなかった魔獣狩りだ。腕が鈍っていなければいいが。
*
干し肉を小刀で切り分け、齧る。先が欠けているがあまり気にならないな。
「うぇぇ、しょっぱい」
「我慢してくれ。街に帰ったら何でも食べていいから」
半日ほど歩いただろうか。日はすでに最高点に達し、ゆっくりと傾いている。
鬱蒼と茂る木々の合間をくぐり抜け、地上に降り注ぐ光は草葉を輝かせ、また天井から抜けていく。恵みの光が降り注ぐ中でも、その重く冷たい暗闇の一切を払わない森はある種の幻想ですら抱いてしまえる。
そんな少し感傷的になってしまう光景は唐突に終わりを迎えた。
森の深部、中央の辺りでぽっかりと木々が消え、倒木で円が作られている。自らの巣を示すためか、あるいは挑戦者を迎え入れるための闘技場か。その輪の中央には己に敵う敵などいないとでも言うように昨日の巨体が丸まっていた。周囲には狼だったと思わしき残骸が転がっている。
「ねてるねー」
「いや、魔獣に睡眠は必要ない。大方、こちらの油断を誘っているのだろう」
「シャーレがやろうか?すぐだよ?」
「大丈夫だ」
最近負け続けで自信がなくなってきたからな。今の自分がどれだけ出来るか知っておきたい。
戦の場において、一騎討ちを行う際は名乗るのが礼儀らしい。もっとも、一騎討ちなんてが出来るのは高名な貴族や王族だけだが。
今も一騎討ちと言えなくはない状況な訳だが……魔獣との間に言葉は要るまい。名乗りの代わりに足音を立てながら闘技場の中へと入っていく。
眠ったように丸まりながらこちらの様子を伺っているだろう魔獣の正面に立ち、槍を構える。
「起きろ。私はお前が嫌う様な臆病者じゃない」
その言葉を聞いてか否か、ゆっくりと、しかし堂々と立ち上がる魔獣。二足で威嚇した後四足で臨戦態勢に入る。
「昨日ぶりだな。あの狼は美味かったか?」
それは結構。満足したなら大人しく殺されろ。
「………」
「───」
しばらく互いに睨みあう。
だが戦いの前の静かな緊張はたった一瞬で崩れ去った。
「──っ!!」
速い!!
突進を紙一重で避けつつ、槍で左に流れて行った魔獣の右後足を打つ。
「硬いな。槍で抜けるだろうか」
そんな独り言を呟く口を余所に、致死の一撃を前になぜか冷静な頭で状況を整理する。
まず一つ、速い。これは何より厄介な点だ。何せあの巨体が馬の様な速さで突っ込んで来るのだ。正面衝突は勿論、掠めただけで体勢を崩しかねない。そうなった時、こちらが復帰するよりあちらの攻撃の方が速いのだから確実に当たるだろう。
……どうやら集中させてはくれないようだ。二回目の突進が来る。
「くっ!」
身を捩ってかわす。少しきついか…いや、今何か……。
その何かを掴むために状況整理を続けよう。
二つ目。硬い。しなる様な筋肉ではなく、ただ力を振るうための筋肉。柔軟性こそないがその分鎧の様に硬く……っ、もう三回目か!!
「ちっ」
少し掠めた。幸い鎧の端の端で軽く引っ張られるだけで済んだが隙は隙。逃すまいと容赦なく襲って来る。
急制動をかけ、降り向いた勢いのままあの剛腕が鋭く腕が振りかぶられた。暴風の様な音と共に振り下ろされるその腕をなんとか槍で受け止める。
予想はしていたがやはり重い!
腕が砕け、膝をつきそうになる程の重圧が全身にかかる。
「ぐっ、ああ!!」
なんとか槍を反らし腕をはらって距離を取ることに成功した。
未だに腕が微かに震え、痺れから握る拳に力が入らない。次は受け止めるられないだろう。
だが、見えた。奴の隙。
一つ目と二つ目の特徴が合わさり、岩が襲い来るかのような突進も、それ故の弱点がある。
四度目の突進が来る。
坂道を転がる車輪の様に、あの巨体が硬く跳ねながら爆発的に加速していく。が、もう見えている。
奴の腕が届くところまで惹き付け、右側……闘技場の中央へと周り、避ける。鎧と毛皮までの距離は指の先程しかないが、今度は紙一重ではなく確かに動いて。
「熊ではなく猪だったか。小回りが効いていないぞ」
そう、奴はその速さと硬さ故に細かい制御が利かない。その速さ故に逃がす前に獲物に食らいつき、その硬さ故に木々を突き破って獲物を追えたのだろう。この速度と硬度であれば敵はなく、また獲物を逃すこともない。
だが、単純なだけに強力だ。あの突進の弱点が見えたからといって簡単に突破できるような硬さでもなければ、気を抜けば殺られてしまうだけの速さを持つ。
結局のところ事態は膠着…いや、不利が微不利になっただけで好転はしていない。
しばしのにらみ合い。奴もこれまでのやり方が通用しないことがわかってきたのかこちらを窺うばかりで仕掛けて来なくなった。
このままでは埒が明かない。しかしこちらから打てる手はない。
いや、痺れを切らした。
それしか知らないのか、それだけで十分だったのか、五度目の突進の体勢に入る。
いまだ痺れる腕では確実な狙いをつけることはできないけれど、それは相手が合わせてくれる。
「我らを見下ろすその息吹」
《■■■■:■■■■60%■■タ■テイ■ス》
ゆったりと、こちらを窺うように巨体が加速していく。
「眠れる時を告げ、密やかに隠るる朧月」
《■■■■:■■ナ■■■■■■ス/■■■■■シ■■マス》
避けられるという確証がないことは解っている。この一撃では止まらないことも。
「報いるは目覚めを告げる春麗」
《■■■■:■■》
巨体が迫る。だが焦りはなく、頭は冷静のまま。
「雲に陰るも陽はそこにあり」
《■■:■■■■■》
穂先から放たれる、森に降り注いだあの光に負けない程強い光がこの闘技場を照らす。
《準備完了》
今までの行動から攻撃手段を変えたのか、左前足を伸ばす変則行動。射程を伸ばすことで避けられる前に仕留めるつもりのようだ。
だがもう遅い。
「貫け、“テンテラの威光”!!!」
目を眩ます極光を放つ槍は、白く燃え、眼前に迫ったその爪を、牙を、瞳を、頭を貫き空へと縫い付ける。
あちらは左腕と頭部を失った。
こちらは槍を封じられた。
さあ、ここからが本番だ。
失った左腕の代わりに、杖を突くように頭を貫く槍を地面に突いて、距離を取る魔獣。
相対するように枝を切り払うために腰に差してあった小刀を抜く。刃は一部欠けてしまったが、切れ味に変わりはない。
しばらくにらみ合いを続けただろうか。何の合図もなく───今勢いよく通った風がそれか、互いに距離を詰めていく。
「杖を突いているのによく走る!!!」
ぎこちない動き。以前のような速さこそないが、それでも人を轢き潰せる巨体が確かに迫ってくる。
刃と巨体が交錯する───前に体を滑らせ、刃上向きに突き上げた体勢のまま奴の腹の下に潜り込む。互いに勢いをつけていたからか、鎧が滑りやすいのか、仰向けに寝転がった体勢のまま奴の首に刃を突き立て股へと滑り抜けていった。
厚い肉と、硬い骨に阻まれ魔石までは到達出来なかったが、傷は決して浅くない。これで終わるだろう。
与えた傷が修復出来なくなったのか体が青い光となって粉々に砕け散る。周囲に散った光の粒は、渦を巻きながら魔石へと吸い込まれていった。
「ひとまず討伐完了、か」
魔獣がいた所に転がる拳程の大きさの魔石と、魔獣が消えると共に落ち、地面に突き刺さっているテンテラの槍を回収する。
魔石はどうしたものか。このくらいの大きさならそれなりの値段になるだろう。冒険者組合の方で買い取って貰えるだろうか。
「しかし……」
三千年……正確には二七六〇年か。元いた時代よりも大分強い魔獣だった。森の主、的な存在だったのかもしれないが……それでも私が知っている中ではかなり強い方だ。いや、私が弱くなったのか。
どちらにせよマオに聞かねばならないことが増えたな。
「終わったー?」
「ああ、終わったぞ」
「ならみずあび行こー?」
水浴び……昨日マオと行ったところか。気に入ったのだろう。
「まあ、いいだろう」
*
かなり日も傾き出した頃、ようやく目的の泉へと到着した。
こんな森の中だと言うのに水は澄んでおり、風を受けて空が揺れている。傾く波と空の間には、柔らかな土と丸い石の水底が覗き空と大地が混ざりあったかのような姿を見せている。
「入らないのー?」
どうやら感傷にも浸らせてくれないらしい。すでに服を消し去り、足元から波紋を立てて泉の中に入って行くシャーレ。
「どんな獣が襲って来るかわからん」
「だいじょーぶ!昨日がおー、ってしたから!」
何が大丈夫なのだろうか。獣は本能的に上位者である竜を見分けるとかそういったものなのだろうか。
「それに、誰が来たってシャーレがやっつけちゃう!!」
……まあ、確かに私が戦うよりも早いだろう。人が槍や剣、火を振り回すよりも竜の咆哮の方が確かな脅威だ。
「ねー、入ろうよ」
「……仕方ない。すぐ出るからな」
「わーい!」
まあ昨日からかなり動いて汗もかいているし、何よりこの暑い中水辺の誘惑は抗い難い。
兜を外し、鎧を外し、下着は……着けたままにしておこうか。持って来ていた布を濡らして体を軽く拭うだけに留めておけばあまり濡れないだろう。
ふと、足元を打つ波に目を落とす。
シャーレが立てた波で鏡のようにとはいかないが自分の顔がぼんやりと、輪郭だけ浮かび上がる。
───私は、自分の顔が嫌いだ。
自分でも整っている方だとは思う。母は綺麗な人であったし、父も………まあ見た目は良かったのだろう。
だからこそ、目の前で死んでしまった母と、そうなってしまった原因である父を思い出す。
そう言えば最後に鎧ではない自分の姿を見たのはいつだろうか。師匠と別れた五年程前だっただろうか。
そう思いながら成長した自分の姿をまじまじと見つめる。揺れる水面ははっきりとは写してくれないけれど。
母譲りの少し切れ長な眼。左の瞳こそいつからか母と同じ色になったが、右の瞳は未だ忌まわしき父のもの。水面に揺れ、混ざりあっている。
髪は、父の金髪と母の髪が入り交じったような、茶色がかった金髪。魔王討伐に出てから一年くらい切っていなかったからか、大分伸びてしまっている。
「こうして伸ばしていると貴族連中みたいだな」
忌々しい。今切ってしまうか。いや、この綺麗な泉を汚したくはないな。帰ってからでいいか。
「こっちー!」
「ああ、今行く」
邪魔にならないように髪を一つに纏め、水がつかないように高い位置に紐で結び、泉の中心で泳ぐシャーレの元へと向かった。
「シアトは整ってるというか、百人いたら千人が振り返るくらい美しいよ」
「当然よ。男だろうが女だろうが落とせるわ」
「まあみんな瞳の色見て逃げていくのだけれど」
「それは……仕方ないでしょう」
「まあ爆弾二つ抱えてればね。そら逃げてくよ」
「今ここで貴女を殺せば片方は解除されるかしら」
「無理だね。だからその剣しまってくれないかな」




