遺された使命
午前六時四十七分
小型戦闘艇『フランセス・オーロラ』、操舵室
「天城船長、我々は出発します。レオくんと琴音ちゃんは確保しました。お二人とも無事ですよ」
ロブの声が、銃撃音が響く操舵室に緊張感をもたらした。中央スクリーンには、激しい閃光と爆音が途切れることなく届く船内から、通信を送る天城譲一郎の姿が映し出されている。
「感謝します、ロブ副委員長。静音も、きっと天国で安堵していることでしょう」
天城譲一郎の瞳に、深い悲しみの色が宿っていた。
「ひとつ、確認させてください。天城船長、あなたはこの事態を予見されていたのですか?」
「……はい」
「……あなたのプランがなければ、我々は宇宙の塵となり、キューブも敵の手に落ちていたでしょう」
ロブは手に握られていた銀色の小さな立方体を見つめた。
「副委員長。このプランを立案したのは、私ではありません。千五百年前に策定されたものなのです。策定したのは、あなたが今、手にしているキューブ〈ノア〉。天城家は代々、そのキューブを守護してきたのです」
「キューブが千五百年前に、ですか? 移民船団の名であり、オーロラ・センチネルの一柱『ノア』。このキューブには、神の力が宿っているとでも言うのですか?」
「残念ながらそこまでは、わかりません。ただ、長きに渡り、キューブの示す導きに従ってきたまでです」
「なるほど……約束通り、お子さんたちが十六歳になるまで、このキューブは私が責任を持って預かりましょう」
「お願いします」
「……天城船長。最後に……レオくんと琴音ちゃんに、なにか伝えておきたいことはありませんか?」
「すでに伝えました。あとは、なすべきことを為すのみです。私はここに踏みとどまって、最後まで抗い続けてみせますよ」
「あなたがたを置いて、我々だけが逃げる。これが、最善とは……」
「副委員長、あなたはまだ若い。これは逃走などではありません。未来へつなぐための、重要な一歩なのです。私見ではありますが、それこそが生きるということだと考えます」
「……私も、まだまだですね。天城船長、あなたの言葉を聞けて、本当によかった。微かな光が見えた気がします」
ロブはマリアンヌのタブレットに触れた。
「それでは、私は任務に戻ります」
スクリーンがブラックアウトすると、前方の窓に無人の駐機場が広がった。
感慨にふけっているときではない。
「船長。全機に命令を」
隣のキャプテンシートに座るフランセス・オーロラの船長カシュパルは、その言葉に重々しくうなずいた。顔の大半を覆う灰色の髭は、幾多の航海を物語る風格を漂わせ、堂々とした体躯は老練な船乗りの証だ。カシュパルは、待機するクルーたちに力強く指示を下した。
「ゲートを開けろ!」
重厚な金属音が響き渡り、隔壁の一部がゆっくりと開きはじめる。その先には漆黒の海が広がっていた。
カシュパルはゆっくりと髭を撫でながら、その奥深い眼差しでロブを見つめ、低い声で尋ねた。
「ロブ副委員長、天球儀船に行く覚悟はできているのですかい?」
ロブは真剣な眼差しで応じた。
「もちろんです。天城船長はあれを天球儀船だと言っていましたが、千五百年前に消失したはずのものが、なぜ、いまも存在し得るのか——我々の目で、その真実を確かめる必要があります」
「ふむ、同感ですわ」
カシュパルは渋い顔つきでうなずいた。
「これまでの多くの犠牲を、決して無駄にはできん。ヤツらの正体をあばく。それが、我々の使命だ。そうでなきゃ、死んだ仲間や船民の魂が浮かばれないってもんだ」
「ええ、そうです。だからこそ、我々は決して死ぬわけにも、捕まるわけにもいきません」
「ああ、任せときな」
カシュパルは自信に満ちあふれた、豪快な笑みを浮かべた。
「フランセス・オーロラはトップクラスを誇るスピードを持っているんだ。どんな船にも負けはしねえってもんよ!」
ロブが静かにうなずくと、カシュパルは右腕を力強く前方に突き出し、豪快なしゃがれ声を放った。
「フランセス・オーロラ、発進!」
カシュパルの号令を受け、船団随一の性能を誇るエンジン〈ラプラスドライブ〉が咆哮を上げた。
高密度の青白いエネルギー粒子が噴射口から放出され、フランセス・オーロラは漆黒の宇宙へと飛び出した。その後を三機の中型戦闘艇が必死に追随する。
突如、前方に巨大な艦影が飛び込んできた。巨大な三叉槍を思わせる威圧的な姿の戦艦だ。その周囲宙域には、無数の小型戦闘機が蜂の群れのごとく舞い、脱出を試みる移民船のカーゴシップに襲いかかっていた。
「回避!」
カシュパルの血管が浮き出た鋭い叫びが、操舵室に突き刺さる。
フランセス・オーロラはX字型の小型戦闘機の群れを縫うように急旋回。後続の二機の戦闘艇が轟音とともに爆発し、残る一機も被弾して遠ざかっていく。
三叉戦艦から放たれた艦砲の閃光が、漆黒の虚空を紅く焦がし、移民船ノア・サン号を真っ二つに引き裂いた。破断した船体各部で誘爆が連続的に発生し、無数の破片が四方八方へと拡散していく。
「ちくしょう! 奴ら、徹底的にワシらを叩き潰すつもりか!」
カシュパルが歯ぎしりする。
「ここで撃墜されるわけにはいきません」
ロブが冷静に応じる。
「彼らの犠牲を無駄にはできない」
直後、二機のX型戦闘機がフランセス・オーロラの尾部にぴたりと張り付いた。
ロブの額に冷や汗が滲む。
カシュパルは声を張り上げた。
「ああ、わかってますぜ。いいかお前ら、逃げることだけに集中しろ! 全速力で天球議船を目指せ!」
戦闘機から放たれた赤い光弾が無音の宇宙を裂き、閃光が奔った。
激しい衝撃がフランセス・オーロラを襲い、乗員たちの視界が大きく揺れた。
「左後部スラスター、損傷!」
オペレータが叫ぶ。
「くそっ!」
カシュパルは歯を食いしばり、怒りを吐き捨てた。直後、警報音が鳴り響き、ホログラム・スクリーンにロックオンされた旨の警告メッセージが浮かび上がる。
ロブは苦い笑みを浮かべ、目を閉じる。
「ここまでか……」
しかし、予期した衝撃は訪れず、警報もすぐに止んだ。
「副委員長……、奴ら引き上げていくぞ」
カシュパルの言ったとおり、追跡してきた二機の戦闘機はみるみる遠ざかり、スクリーンから消えてしまった。
「なぜだ?」
ロブは顔を強張らせた。
「奴らの戦術パターンが変わった……攻撃圏内から意図的に離脱……」
額の汗を拭い、握っていた拳を緩める。
「何か別の目的があるはず……」
ロブは思考を巡らせながら、手のひらのキューブを見つめた。
危機一髪で窮地を脱したものの、行き先は敵にも察知されているだろう。逃げ場は天球儀船しかない。
天球儀船と黒マントの集団との関係は不明だが、あの広大な大陸に降り立てば、捕捉される可能性は格段に下がるはずだ。
ロブは深く息を吐き、キューブを握りしめた。
「どんな真実が待ち受けていようと、必ずレオくんと琴音ちゃんを守ってみせます——天城船長との約束だ」