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プトレマイオスの天球儀船  作者: 星見 航
11/25

死の影

 タラップ周辺は、地獄そのものだった。


 狭い乗船口に人々が我先にと殺到し、押し合いへし合いの末に次々と転倒する。


 皮肉にも、その混乱が誰も船に乗れない状況を生み出していた。


 現場を制圧しているのは、全身黒づくめのマントを纏った八人の兵士、その中心に立つリーダー格の人物。


 さらに、六本の銃身をもつ機関銃を搭載した八輪駆動の走行型ドローンが二台。


 そして、何よりも圧倒的な威圧感を放っていたのは、一体の大型人型ドローンだった。


 身長は優に二メートルを超え、艶のない漆黒の装甲に覆われたその巨体は、まるで悪夢から抜け出してきた処刑者のよう。


 両腕に装備された巨大なミニバスター砲は、成人男性ほどのサイズがあり、滑らかで正確な動きは、移民船が所有する、どのドローンよりも性能が高いことを思わせた。


 黒い集団の近くにいた者たちは、例外なく、次々と撃ち抜かれ、命を奪われていった。


 わずかに逃げ出すことに成功した数名の男女が、レオたちの方へ必死の形相で駆けてきた。


 その動きを捉えた走行型ドローンの一台が、獲物を追う捕食者のように向きを変え、彼らを追う――六本の銃身がゆっくりと回り始めた。


 数メートル進んだところでドローンは停止。キュキュイッと不気味な音を立てながら標的を補足。銃身が猛烈な速さで回転を始めた。


 カートの周囲では、警察防衛隊の兵士たちが懸命に応戦していた。数人が一斉にドローンへ向けて銃撃を加える。


「二人とも伏せて!」


 マリアンヌの叫びに、レオと琴音はとっさに身をかがめ、シートの背もたれに身を隠した。


「急いで発進しなさい!」


 命令を受け、ヒューマノイドが即座に反応。だが同時に、走行型ドローンの機関銃が火を噴いた。


 ヴーンという低い唸り声が、レオの耳に届いた。高速回転する機関銃の音が、死の旋律を奏でる。


 ドローンの複数のセンサーとカメラが冷酷にターゲットを捕捉し、容赦なく標的を仕留めていった。


 弾丸がカートのリアを貫通する衝撃音。


 銃撃の轟音がレオの脳内で乱反射し、聴覚を狂わせた。


 破砕音。悲鳴。四方八方から押し寄せる痛ましい叫び声が、逃げ場のない檻の中で、すべてが崩壊していく光景をレオの脳裏に焼き付けた。


 琴音は恐怖に顔を歪め、両手で頭を覆い、震えながら小さく体を丸めていた。


 カートはようやく動き出したが、ボンッという爆音とともに、急停止した。


 機関銃の轟音がぴたりと止んだ。

 世界からすべての音が消え去ったかのようだった。


 レオはおそるおそる片目を開け、座面に頬をつけたまま運転席を覗き込んだ。そこで目にした光景に、彼の血の気が引いた。


 ヒューマノイドの(くび)から上が、まるで巨人の手で引きちぎられたかのように消失し、むき出しの配線だけが残っていた。


 助手席にいたはずのマリアンヌの姿も見当たらない。


 生暖かい空気が流れ込み、レオの鼻腔を刺激した。

 それは鉄を噛んだような生々しい《《味》》がした。喉の奥がむせ返るような錯覚に襲われる。


 その正体はすぐにわかった。


 助手席から地面に崩れ落ちたマリアンヌの姿が目に入った。


 大きく見開かれた瞳は虚ろで、生前の知性や威厳が抜け落ちていた。

 顔は真っ赤な血に覆われ、腹部には大きな穴が開き、内臓の一部がカートにこびりついていた。


 ついさっきまで話していた人が、まさかこんなことに——。


 レオの胃が激しく収縮し、思わず吐瀉としゃした。口の中に広がる酸味と、目の前の鮮血の匂いが混ざり合い、さらなる吐き気を誘った。


「レオ……」


 青ざめた顔で、琴音が心配そうに声をかけてきた。


「顔を上げるな!」


 レオは咄嗟に叫んだ――だが、その瞬間、しまったと思った。


 言葉はすでに、空気を震わせていた。


 音を察知した走行型ドローンが、再び不気味な唸りを上げて動き出す。


「いや……いやだ……」


 琴音は目に涙を滲ませ、レオの手を握りしめる。怯えるように、すがるように。


 レオも強く握り返した。視線が交差する。揺れる姉の瞳に、やつれた少年の顔が映っていた。


 彼女の小さな手の温もりが、この地獄のような状況で唯一の慰めだった。


 ドローンの駆動音が徐々に大きくなり、無数の屍を踏み越えながら、こちらに近づいてくる。


 頭の中が、おぞましい金属質の駆動音で満たされていく。


 そして――突然、世界からすべての音が消えた。残されたのは、自分と琴音の荒い息遣いだけ。


 おそらく、二メートルも離れていないだろう。

 死の気配が、二人を包み込んだ。


 走行型ドローンは、獲物の匂いを嗅ぎ回る獣のように、グォングォンと低く不気味な唸りを繰り返す。


 それはセンサーカメラが神経コプロセッサと連動し、推論しながら標的を捜索する音――だが、状況を確認できない二人にとっては、恐怖以外の何物でもなかった。


 急激に高まる動悸。全身が心臓と化したかのようだった。


 緊張が極限に達し、呼吸が乱れる。


 ほんの数分のはずなのに、永遠にも思える時が流れていた。


 死にたくない。


(どうしてこんなことに……どうして……)


 フィリッツたちは、無事に逃げられただろうか?


 他の移民船はどうなったんだろう?


 父さん、母さん……。


(オーロラ・センチネルの神さまたち……どうか、どうか僕たちを――)


 レオの頭の中で祈りの声が反響する。


 その時、遠くから新たな音が耳を打った。


 フィーン――空間を裂くような、鋭くも軽やかなエンジン音。


 双発ベクターエンジンを搭載したカーゴシップMCS-8の離陸音だった。


 宇宙船が飛び立つ音——命の希望が羽ばたく音。


 直後、ドローンの駆動音が反応するように重なり、再び動き出した。


 レオは思わず息を止め、琴音の小さな手を強く握りしめた。


(や、やった……)


 胸の奥に、小さな希望の光が灯る。


 願いは届いたのだ。


 宇宙船の離陸音に気を取られたドローンが、彼らの存在を見落としたのか。

 少なくとも今この時だけは、そう信じたかった。


 だが胸が痛んだ。安堵の裏側に、鋭い罪悪感が突き刺さる。


(あいつは、これからみんなを……ちっくしょう!)


 駆動音が徐々に遠ざかっていく。


 鋭く冷たい死の気配が、少しずつ二人から遠のいていく。


 だがレオの身体は、いまだ緊張を解かず、筋肉は強張ったままだ。

 これは終わりではない。ただの猶予にすぎない。


 汗で湿った琴音の手から、ようやく力が抜けた。

 二人は互いのかすれた呼吸を感じながら、奇跡のような生存の実感に身を震わせた。


 それでも、彼らを取り巻く闇は変わらずそこにあった。

 見えない脅威は、いまだすぐ近くに潜んでいる。

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