死の影
タラップ周辺は、地獄そのものだった。
狭い乗船口に人々が我先にと殺到し、押し合いへし合いの末に次々と転倒する。
皮肉にも、その混乱が誰も船に乗れない状況を生み出していた。
現場を制圧しているのは、全身黒づくめのマントを纏った八人の兵士、その中心に立つリーダー格の人物。
さらに、六本の銃身をもつ機関銃を搭載した八輪駆動の走行型ドローンが二台。
そして、何よりも圧倒的な威圧感を放っていたのは、一体の大型人型ドローンだった。
身長は優に二メートルを超え、艶のない漆黒の装甲に覆われたその巨体は、まるで悪夢から抜け出してきた処刑者のよう。
両腕に装備された巨大なミニバスター砲は、成人男性ほどのサイズがあり、滑らかで正確な動きは、移民船が所有する、どのドローンよりも性能が高いことを思わせた。
黒い集団の近くにいた者たちは、例外なく、次々と撃ち抜かれ、命を奪われていった。
わずかに逃げ出すことに成功した数名の男女が、レオたちの方へ必死の形相で駆けてきた。
その動きを捉えた走行型ドローンの一台が、獲物を追う捕食者のように向きを変え、彼らを追う――六本の銃身がゆっくりと回り始めた。
数メートル進んだところでドローンは停止。キュキュイッと不気味な音を立てながら標的を補足。銃身が猛烈な速さで回転を始めた。
カートの周囲では、警察防衛隊の兵士たちが懸命に応戦していた。数人が一斉にドローンへ向けて銃撃を加える。
「二人とも伏せて!」
マリアンヌの叫びに、レオと琴音はとっさに身をかがめ、シートの背もたれに身を隠した。
「急いで発進しなさい!」
命令を受け、ヒューマノイドが即座に反応。だが同時に、走行型ドローンの機関銃が火を噴いた。
ヴーンという低い唸り声が、レオの耳に届いた。高速回転する機関銃の音が、死の旋律を奏でる。
ドローンの複数のセンサーとカメラが冷酷にターゲットを捕捉し、容赦なく標的を仕留めていった。
弾丸がカートのリアを貫通する衝撃音。
銃撃の轟音がレオの脳内で乱反射し、聴覚を狂わせた。
破砕音。悲鳴。四方八方から押し寄せる痛ましい叫び声が、逃げ場のない檻の中で、すべてが崩壊していく光景をレオの脳裏に焼き付けた。
琴音は恐怖に顔を歪め、両手で頭を覆い、震えながら小さく体を丸めていた。
カートはようやく動き出したが、ボンッという爆音とともに、急停止した。
機関銃の轟音がぴたりと止んだ。
世界からすべての音が消え去ったかのようだった。
レオはおそるおそる片目を開け、座面に頬をつけたまま運転席を覗き込んだ。そこで目にした光景に、彼の血の気が引いた。
ヒューマノイドの頸から上が、まるで巨人の手で引きちぎられたかのように消失し、むき出しの配線だけが残っていた。
助手席にいたはずのマリアンヌの姿も見当たらない。
生暖かい空気が流れ込み、レオの鼻腔を刺激した。
それは鉄を噛んだような生々しい《《味》》がした。喉の奥がむせ返るような錯覚に襲われる。
その正体はすぐにわかった。
助手席から地面に崩れ落ちたマリアンヌの姿が目に入った。
大きく見開かれた瞳は虚ろで、生前の知性や威厳が抜け落ちていた。
顔は真っ赤な血に覆われ、腹部には大きな穴が開き、内臓の一部がカートにこびりついていた。
ついさっきまで話していた人が、まさかこんなことに——。
レオの胃が激しく収縮し、思わず吐瀉した。口の中に広がる酸味と、目の前の鮮血の匂いが混ざり合い、さらなる吐き気を誘った。
「レオ……」
青ざめた顔で、琴音が心配そうに声をかけてきた。
「顔を上げるな!」
レオは咄嗟に叫んだ――だが、その瞬間、しまったと思った。
言葉はすでに、空気を震わせていた。
音を察知した走行型ドローンが、再び不気味な唸りを上げて動き出す。
「いや……いやだ……」
琴音は目に涙を滲ませ、レオの手を握りしめる。怯えるように、すがるように。
レオも強く握り返した。視線が交差する。揺れる姉の瞳に、やつれた少年の顔が映っていた。
彼女の小さな手の温もりが、この地獄のような状況で唯一の慰めだった。
ドローンの駆動音が徐々に大きくなり、無数の屍を踏み越えながら、こちらに近づいてくる。
頭の中が、おぞましい金属質の駆動音で満たされていく。
そして――突然、世界からすべての音が消えた。残されたのは、自分と琴音の荒い息遣いだけ。
おそらく、二メートルも離れていないだろう。
死の気配が、二人を包み込んだ。
走行型ドローンは、獲物の匂いを嗅ぎ回る獣のように、グォングォンと低く不気味な唸りを繰り返す。
それはセンサーカメラが神経コプロセッサと連動し、推論しながら標的を捜索する音――だが、状況を確認できない二人にとっては、恐怖以外の何物でもなかった。
急激に高まる動悸。全身が心臓と化したかのようだった。
緊張が極限に達し、呼吸が乱れる。
ほんの数分のはずなのに、永遠にも思える時が流れていた。
死にたくない。
(どうしてこんなことに……どうして……)
フィリッツたちは、無事に逃げられただろうか?
他の移民船はどうなったんだろう?
父さん、母さん……。
(オーロラ・センチネルの神さまたち……どうか、どうか僕たちを――)
レオの頭の中で祈りの声が反響する。
その時、遠くから新たな音が耳を打った。
フィーン――空間を裂くような、鋭くも軽やかなエンジン音。
双発ベクターエンジンを搭載したカーゴシップMCS-8の離陸音だった。
宇宙船が飛び立つ音——命の希望が羽ばたく音。
直後、ドローンの駆動音が反応するように重なり、再び動き出した。
レオは思わず息を止め、琴音の小さな手を強く握りしめた。
(や、やった……)
胸の奥に、小さな希望の光が灯る。
願いは届いたのだ。
宇宙船の離陸音に気を取られたドローンが、彼らの存在を見落としたのか。
少なくとも今この時だけは、そう信じたかった。
だが胸が痛んだ。安堵の裏側に、鋭い罪悪感が突き刺さる。
(あいつは、これからみんなを……ちっくしょう!)
駆動音が徐々に遠ざかっていく。
鋭く冷たい死の気配が、少しずつ二人から遠のいていく。
だがレオの身体は、いまだ緊張を解かず、筋肉は強張ったままだ。
これは終わりではない。ただの猶予にすぎない。
汗で湿った琴音の手から、ようやく力が抜けた。
二人は互いのかすれた呼吸を感じながら、奇跡のような生存の実感に身を震わせた。
それでも、彼らを取り巻く闇は変わらずそこにあった。
見えない脅威は、いまだすぐ近くに潜んでいる。