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プトレマイオスの天球儀船  作者: 星見 航
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日常:移民船団

 見渡す限りの宇宙。


 濃藍こあいと漆黒の闇のなか、砕け散った宝石のように星々がきらめいていた。


 いつもの部屋の窓から見える暗くつまらない景色とは打って変わって、視界を遮るものは何ひとつない。さまざまな色彩と形状からなる銀河が、星海のキャンバスに豊かな彩りを添えていた。


 不思議と、足元に地面があるような感覚があった。


「うわあ!」


「すごい……」


 その場にいた全員が、息を呑むような驚きの声を上げる。


 天城レオも、その中の一人だった。黒髪に青紫色の瞳を持つ十歳の少年は、日常にはない開放感に胸を躍らせていた。


 しかし、中には圧倒的な光景に足をすくませ、その場に座り込む者もいた。


「手、ぜったい放さないでね――」


 天城琴音(ことね)が懇願するように、レオをじっと見つめた。


 黒髪の少女はぺたんと座り込み、レオの右手を両手で必死に握りしめている。


「大丈夫だよ。見えないだけで床はちゃんとあるし、空気も普通にあるだろ」


 優しく諭すように握り返す。姉を守る役目は、小さい頃から自然とレオの中にあった。


「わ、わかってるけど、それでも怖いものはこわいの!」


 琴音の母親譲りの青紫色の瞳に涙が滲み、恨めしそうな表情を浮かべた。


 リアルスティック・ホログラムが室内に作り出す宇宙空間は、現実と見分けがつかないほど精緻で圧倒的だった。


「あらあら、琴音ことねちゃん大丈夫かしら? 先生の説明が終わるまで頑張れる?」


 シンディ先生がライトグリーンのジャンプスーツに身を包み、心配そうに尋ねた。下は八歳から上は十五歳まで、二十五人の生徒を担当して二年になる若い教師だ。その優しい声に、レオはいつも安心感を覚えていた。


「は……はわ……」


 はい、と言いたかったのだろう。答えようとするも目をつむってしまった琴音に代わり、レオが応じた。


「大丈夫です、シンディ先生。続けてください」


「そう? もし気分が悪くなったらいつでも言ってね。それでは始めましょう――」


 宇宙全体が螺旋を描くように、ぐるりと回り始めると、レオは平衡感覚を失った。慌てて引き止める琴音――もちろん、母親譲りの青紫色の瞳は閉じたままだ。


 その間にシンディは右腕を伸ばし、人差し指である一点を示した。


「眼下に見える青い星が今、私たちの目的地である地球です。この地球に到達するまで、私たち移民船団〈ノア〉は千五百年の旅を続けてきました。ではここで問題です。リントさん」


「はい!」


 レオの背後から元気な声が響いた。


 先日、十二歳の誕生日を迎えたばかりのリントは、琴音よりふたつ年上の女の子で、最近髪型をセミロングからツインテールに変えていた。


「私たちが暮らす移民船『オーロラ・センチネル=サン』号の人口は現在、何人でしょうか?」


「えぇっと……、三万人です」


「正解です。では次の問題。フィリッツくん」


「はい」と、レオの斜め後ろに立つ少年が応じた。


 フィリッツはクラスのリーダー的な存在で、レオにとって面倒見のいい頼れるお兄さんだ。彼は、シャツとズボンがいったいとなったジャンプスーツを着ていた。


 このジャンプスーツは、〈船民〉――移民船の全住民に支給される数少ない服飾品のひとつで、船内での役割や年齢によって色分けされていた。十六歳未満の一般船民はライトブルー。先生であるシンディは十六歳以上のライトグリーンを着用している。


 さらにシンディは、ジャンプスーツの上に袖のないロングジャケットを羽織っていた。このロングジャケットは、十六歳になると成人になった証として与えられるものだった。


「それじゃフィリッツくんには、移民船の説明をお願いしようかな」


「先生、それはもう問題とは言えませんよ」


「いいでしょ? ここらでひとつ、年長組の威厳を見せないと。ね?」


「はあ……分かりました」


 フィリッツが返事する間に、シンディは左手首に付けた腕時計型端末を操作し、宇宙空間に巨大なスクリーンを映し出した。


 スクリーンには、巨大な移民船コロニーシップが隊列を成す姿が映っていたが、すべての船を確認することはできなかった。


 フィリッツの説明によると、コロニーシップの全長は三八〇〇メートルあり、距離を置いて航行しているため後列の船は視認できないという。


 移民船団ノアを形成するコロニーシップは全十二隻。そのうち二隻は食料プラントと工業プラントに特化しており、千五百年という長旅を支えている。


 船団を統括するのは、〈オーロラ・センチネル移民船団統轄委員会〉と呼ばれる組織だ。委員会のメンバーには〈エージェント〉と呼ばれるAIも数体含まれている。


 寿命のないAIを委員会に加えることには大きな利点があった。過去の失敗を繰り返さないためだ。医療制度や社会制度など、あらゆる分野において、彼らは歴史的な観点から的確なアドバイスを提供する。


 フィリッツの説明が終わると、今度は地球についての授業が始まった。


 何もない空間に複数のスクリーンが浮かび上がった。


「うわぁ」


 レオは目を輝かせた。


 スクリーンに映っていたのは、いずれも本や動画でしか見たことのない大自然だった。透きとおるような蒼穹に山海が満ちている。室内や公共スペースにあるものとは比べものにならないほど大きな木々や草花が、数え切れないほど大地を埋め尽くしていた。


 そして、見たこともない生き物たち。


「みんな準備はいい? 少し地球に降りてみましょう――」


 次の瞬間、レオたちは草原に立っていた。どこまでも緑が続く大地。見上げれば青空に白くてふわふわしたものが浮いている。


 あれは鳥という生き物だ。


 あれは雲だ。


 空と大地が切れているけど、あれはなんで?


 皆、興奮した様子だった。


「琴音、見てみなよ」


「ん? 終わったの?」


「ちがうって、ほら。見ればわかるよ――」


「こわくない……よね?」


 琴音はおそるおそる目を開けた。


「すごい……」


「だろ?」


「うん……きれい……」


「先生。地球にはあとどれくらいで着くんですか?」フィリッツが尋ねた。


「委員会の報告では、あと十年ほどだそうです」


「あと十年か――」


 フィリッツが感慨深げに言うと、同い年の女の子が「待ちきれないね」と笑った。


「それじゃみんな。今日はここで青空教室といきましょう」


「やったー」と声を上げる生徒たち。皆、地面に座り込んだ。


 レオは何気なく、そばに咲いている小さな花に手を伸ばした。蜜蜂が飛び去っていく。


 感触はなかったが、花はレオの手に合わせて、ゆらゆらと揺れた。


 そのときだった――。


 サーッと窓のカーテンを閉めたかのように、あたりが薄暗くなった。


 鮮やかな黄色い花びらのうえで、ぽつりと水滴がはじけた。


 レオの腕にも水滴がぽつぽつと落ちてきた。感触はないのに、なぜか肌が冷たくなるような錯覚がある。


「レオ、空が……」


 琴音の声に導かれるまま空を仰ぐと、上空から水滴が次々と降り注いでいた。宇宙船ではありえない光景に、レオは息を呑んだ。


 水滴は琴音の黒い髪に当たって消えるが、濡れた様子はない。ホログラムなのだと頭では理解していても、心は騙されていた。


「雨だ……」


 レオは畏敬の念を込めてつぶやいた。


 歓声を上げる生徒たち。


 雨は本格的に降り出し、ザーッという音があたりを包み込んだ。


 空に向かって、レオより年下の男の子がふざけて口を開ける。それを見て女の子たちが笑っている。


「あはっ。おもしろ~い。なんか不思議」


「うん」


 興味津々の琴音に、レオがうなずいてみせた矢先――、


 雨はますます強くなり、周囲の世界をぼんやりとした霞で包み込んでいった。レオは琴音の隣に座り、青空が次第に灰色に変わっていく様子を見上げていた。宇宙船の中では決して見られない光景に、クラスメイトたちの歓声が草原に響いていた。

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