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偽りの名  作者: 天空瞳
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5 後編

後半です。

「刑事さん、ここ掃除してもいいですか?」


 三田村がモップを持って竹宮に話しかける。竹宮は床にできた水溜りを見つめた。


「いいえ、このまま置いておいてください。一応、自殺未遂現場なので」


「わかりました。校長室にいるのでなにかあれば声をかけてください」


「はい。感謝します」


 三田村はお辞儀をして図書室を出て行った。竹宮は鑑識に連絡をして、数人の警官に現場を任せて図書室

を後にした。階段を下りたところで、三田村と和馬が話しているのを見つけた。


「三田村さん、一つお願いが…」


 声をかけると、二人は同時に振り返った。和馬は片手を挙げて竹宮に笑顔を向ける。


「なんでしょう?」


「屋上に行きたいのですが…」


「あぁ、それじゃあ一緒に行きますか?オレも今行こうと思って三田村さんに聞いていたところです」


 和馬が三田村を見て竹宮を見た。三田村は頷いて二人を促した。


「こちらです、どうぞ」


 歩きながら、竹宮は和馬に問いかけた。


「どうして屋上へ?」


「いえ、ちょっと見てみようと思いまして」


 その言葉に竹宮は驚いた。先ほど、いおりに推測といいながら推理を披露していたのに、実際に行ったことがないとは思えなかった。


「行ったことなかったんですか?」


「ないですね。さっきのは推測だって言ったじゃないですか」


 苦笑して和馬は肩を竦めた。開いた口が塞がらないとはこのことかと竹宮は唖然として思った。


「だから確認しに行くんです。推理があっていたのかどうか」


「そうだったんですか…」


「それに彼女は、あっていようが間違っていようが死を選んだでしょうから」


「え?」


 本棟の階段を上りながら、ぼそりと和馬は呟いた。


「彼女が回復しないと、竹宮さんも事情聴取できませんね」


「また立ち合わせろと?」


「よくわかっていますね」


 にっこりと微笑んで和馬は隣で階段を上る竹宮を見た。竹宮はため息を吐いて、頷いた。


「わかりました。善処しましょう」


「ありがとうございます」


 笑顔を崩さずに和馬は軽く頭を下げた。階段を四階まで上り、さらに一階上ると目の前に鉄製の扉が見え

た。


 三田村はベルトにつけていたキーチェーンから鍵をはずして、ドアノブについている鍵穴に差して回す。


 開錠音がして鍵を引き抜きドアノブを回すと、錆びた音を響かせてドアが開いた。一歩屋上に踏み入れると、そこは広い空間だった。端にフェンスはなく、縁石があるだけだった。


 確かに背中を押されたら真っ逆さまに落ちそうだと竹宮は思った。


「じゃあ、私は校長室に居るので」


 鍵を竹宮に渡し、三田村は階段を降りていった。


「問題は、どうやって彼女は岳澄(たけすみ)さんをこの(はし)に導いたかですね」


 和馬は腕を組んで首をひねる。金を強請(ゆす)られていたか、それとも他の何かを要求されていたのか…


 和馬はぶつぶつ言いながら屋上を歩き回った。


 ふと、入り口から二メートルほど離れたところで立ち止まり、しゃがんで何かを凝視(ぎょうし)していた。


 竹宮は、和馬の(そば)まで歩いて行く。


 突如、しゃがんでいた和馬が立ち上がり伸びをする。


「なにか見つかりましたか?」


「いいえ、おそらく雨で全て流されてしまったのでしょう」


 和馬はお手上げだと肩を(すく)めた。数日前の雨のことを言っているのだろう。豪雨(ごうう)ではなく軽く降っただけだったが、証拠を洗い流すのには最適だったのだろう。


 しかし事件当日に屋上は鑑識によって調べられているはずだ。一体、なにが出てくるというのか、竹宮は和馬の横顔を見つめた。


「やはり、河嶋いおりが回復するのを待つしかないですねぇー。竹宮さんは高林の事情聴取、お願いしますよ」


「立ち会うって言わないんですか?」


「んー。他にやることあるんで今回は止めときます」


 苦笑して和馬は屋上を後にする。竹宮もそれに続き、ドアを施錠する。


 じゃあ、といって和馬は先に階段を下りていった。


 その後ろ姿を見送って、竹宮は階段をゆっくりと下りる。


 竹宮は、一階まで降りて校長室を目指す。


 扉をノックして返事を聞いてからドアを開けた。


「失礼します。鍵を返しに来ました」


「あぁ。ありがとうございます。何か収穫はありましたか?」


「いいえ、なにもありませんでした。私は署に戻ります。図書室は二、三日封鎖をお願いします。うちのものが出入りすると思いますが、生徒には配慮しますのでよろしくお願いします」


 三十度の角度で腰からお辞儀をする。三田村は椅子から立ち上がりお辞儀を返す。


「よろしくお願いします」


 頭を上げて竹宮は一度頷き校長室を出て行く。


 ドアを閉める手前でもう一度お辞儀をしてドアを閉めた。そして竹宮は竹田署へ戻るために駐車場へ向かった。


  ☆ ☆ ☆


 学校を後にした和馬は、電車に揺られていた。


 ポケットで何度か携帯電話が震えたが、無視をして走り去る風景をただボーっと眺めていた。


 目的の駅に到着して、大きく伸びをした。


 ポケットから携帯を出して着信を確認すると、美月からの着信が十件ほど入っていた。


 改札を抜け、発信ボタンを押す。しばらくして、美月の声が受話口から聞こえた。


「どこ行っているんだ?」


「ちょっと野暮用(やぼよう)


「香山の面会謝絶が解かれた。まだ動けないけどな。河嶋が潰した三人も意識が戻ったらしいぞ。みかさはもう退院したいってごねてるけど…」


「そうか。河嶋の叔母さんが搬送されたはずだけど」


「あぁ、救急車で運ばれてきたな。手術は終わってる。意識も、もう戻っているんじゃないか?河嶋がずっと付き添っている」


 歩きながら和馬は美月の声に耳を澄ませた。目の前には外観(がいかん)が新しいショッピングモールがある。その横を通り過ぎ、住宅街に入った。


 しばらく歩いて、閉院(へいいん)した産婦人科の前で立ち止まる。


「美月、頼みがある。竹宮さんに連絡して高林(たかばやし)深山(みやま)を彼女の病室に連れてきてくれないか?」


「おまえ、またそんな無茶を…。――……わかったよ」


 ため息を吐いて美月が了承した。その声音は若干笑っていた。和馬も口元に笑みを浮かべる。


 通話を切って、目の前のインターホンを押した。ドアを開けて現れたのは若い女性だった。

    

    ☆        ☆        ☆


 目を覚ましたとき、ここはどこだろうと考えた。白い天井、薄ピンクのカーテンはベッドを囲むようにレールに引っ掛けられて天井からぶら下がっている。


 ゆっくりと腕を持ち上げると、点滴がつながれていた。ため息を吐くと食道が胸焼けを起こしたときのような痛みを感じて、生きていることを改めて教えられる。


 目じりに涙が溜まった。生きている。そう思うだけで涙が出るほど嬉しくなった。


 死のうとしたのに、生きていることに嬉しさを感じた。相反する気持ちが心に渦巻いて、涙が止まらなくなる。生きていて嬉しくもあり、そして悲しくもあった。


 ふいにドアが開く音が聞こえ、涙を拭う。現れたのは、花瓶を手に持った(あおい)だった。

 

「叔母さん…っよかった…」


 いおりはゆっくりと手を持ち上げて、葵の頬を流れる涙を拭う。葵はその手を胸に抱き寄せて、ぎゅっと握った。


「ごめんね…葵…」


 掠れた声で謝るいおりに葵は首を横に振った。そして涙を流しながら笑顔を向ける。いおりも笑顔を向ける。握っていた手を離して、葵は立ち上がる。


「俺、先生呼んでくる。待ってて」


 病室を出て行く葵を見送り、いおりは身体を起こした。部屋を見渡すと個室だった。


 あの男を殺した証拠なんて何もない。だけどきっと彼は探し出して突きつけるのだろう。


 真実を知ったとき葵はどう思うだろうか。それでもなお慕ってくれるだろうか。そればかりが気がかりでならない。


 心優しいあの子は、きっと自分の出生を呪うのだろう。そんなことはさせたくなかった。だから暴かれる前に命を()とうとしたのに、させてもらえなかった。それどころか、()やんでいるなら生きろとまで言われた。


 天井を見上げて、またベッドに横になった。悔やんでいるというのなら、そうなのだろう。


 あの男への復讐のためだけに関係のない人を殺した。殺すつもりなどなかったと言っても今さら誰も信じないだろう。ただあの男が、血の繋がらない息子が犯した罪で苦しめばいいと思っていた。経歴に傷がつけばいいと思っていた。だけどあの男は隠蔽(いんぺい)をして、のうのうと定年まで職を全うした。


 許せなかった。昔、自分が犯した罪を隠して幸せに笑っているあの男が、憎くてしょうがなかった。反対に、あの男に似たあの子を育てていると幸せを感じていたのも事実だ。だから、憎しみは忘れようと思っていた。あの子を育てる幸せだけで生きていこうと思っていた。だけど…。


 ふと、廊下を早歩きで歩いてくる音を聞き思考は中断される。ほどなくしてドアが開かれ、医師と看護師、そして葵が病室に入ってきた。


「河嶋さん、具合はいかがですか?」


 医師が聴診器(ちょうしんき)を胸に当てながら聞いてきた。いおりはちょうど気管の上辺りを指で押さえて掠れた声で言った。


「この辺りがまだ…」


「洗浄はしましたが、薬品で(ただ)れたところは回復に時間がかかります。痛むようなら鎮痛剤を出しますが?」


「いえ、大丈夫です」


「それ以外に気分が悪いなどありませんか?」


「ありません」


「そうですか。わかりました。まだ安静にしてくださいね。栄養は点滴で採ってもらいます。食事は食道の爛れが治ってからです。毎日朝、昼、夜と検温しますので。気分が悪くなったらすぐに仰ってください。おそらく三週間くらいの入院になります。手続きの用紙はあとで持ってくるので記入をお願いします」


 それだけ言って医師と看護師は病室を出て行った。葵は心配そうな顔で、いおりを見つめた。いおりは手招きをして葵を呼ぶとその頭を撫でた。子供の頃と変わらない、葵の笑顔を見つめて目を細める。


「葵、お願いがあるの。あたしの着替え持ってきてくれない?」


 葵はこくりと頷いた。


「他にいるものある?」


「そうね、時計とコップ、ボールペンくらいかな今は」


「わかった」


「置いてある場所わかる?」


「うん。大丈夫」


「そう。お願いね」


 またこくりと頷いて葵は病室を出た。出たところで葵は息を呑んだ。目の前に美月が立っていたのだ。


 腕を組んで壁に背を預けて立っていた美月は、葵に声はかけず、(あご)でついて来いと示す。葵も異論(いろん)なくドアを静かに閉めてついていった。


 駐車場までついていって、美月の背中に向かって声をかけた。


「よく病室がわかったな」


「ナースセンターで身内だといったら教えてくれたよ」


 美月は振り向かずに答えた。守秘義務はどうしたと葵は思ったが、言わずに違うことを言う。


「そう。それで?何か用?」


「着替えとか取りに帰るんだろう?送ろうか?」


 葵は考えた。この病院から家に帰ろうと思うとバスと電車を使って一時間はかかる。車だと二十分ほどだ。荷物だってある。美月の申し出は正直有難(ありがた)かったが、なにか裏がありそうで怖かった。


「どうして?」


「何が。ただの厚意(こうい)だ。それ以外何もない」


 車を背にして振り向いた美月の目に嘘はなかった。葵はホッと息を吐き出し、申し出を受けることにした。


「ありがとう。じゃあお願いするよ」


 美月は車のロックをはずし、運転席に座った。葵は助手席に乗り込みシートベルトをする。エンジンをかけて美月の運転する車は、病院の駐車場から発進した。


 それを見つめる人物がいたことも、気づかずに。


   ☆   ☆   ☆


 美月と葵が車で出て行ったのを見て、竹宮は腰紐にくくられた深山と高林を促して、いおりのいる病室へ向かった。他の患者に見つかっても、ただの見舞い患者を装うために花束と果物かごを持たせて。


 竹宮は、美月からかかってきた電話を思い出した。


『竹宮です。どちらさまですか?』


 美月は竹宮の携帯電話に掛けてきた。登録していない番号に警戒しながら通話ボタンを押したのだ。


『京本と申します。いつぞやはどうも』


 いつぞやとは、りょうの誘拐事件を指しているのだろう。深山に会わせろと電話を掛けてきた相手だと思い出して、名刺を渡したことを思い出した。


『どうも。今回はどのような用件でしょうか?』


 半ば呆れて竹宮は答えた。電話の向こうの相手も察したのか苦笑した。


『毎度すみません。実は、深山と高林を河嶋いおりの病室に連れてきて欲しいと』


『…は?』


『無茶なことは承知しています。ですが、高林の取調べ、進んでいないのでは?』


 美月の言った通りで、高林はずっと黙秘(もくひ)していた。手詰まりだったのを見透かされて、竹宮はため息を吐いた。


『分かりました。善処します』


『俺が河嶋葵を病室から連れ出すので、そのあとで病室に行ってもらえますか?』


『どうしてですか?』


 怪訝(けげん)な声で聞いた。どうして彼を遠ざけなければいけないのか、竹宮はわからなかった。


『彼には、聞かせたくないらしいので』


 らしいということは、指示を出しているのは美月ではなく、和馬だとはっきり分かった。ため息を吐いて、竹宮は頷いた。


『わかりました』


 美月はよろしくと言って電話を切った。竹宮も通話を切って携帯を眺めた。


『私は十三年前の事故は、担当外なんですがね…』


 ため息を吐いて、手続きのために上司の許可をとりにいった。


「あの、刑事さんどこ行くんですか?」


 深山の言葉で竹宮は現実に戻る。ちらりと後ろを振り返り、また前を向いて歩き出す。


 後ろの二人は顔を見合わせて首をかしげた。階段を上り、目的の病室の前についた。ドアの横にある名前を確認して、軽くノックをした。


 反応はなかったが、ドアを開けて部屋に入った。息を呑んだのは深山のほうだった。いおりは呆れた顔をして病室に入ってきた人物を見た。


「また大勢でいらっしゃいましたね。くるだろうとは思っていましたけど」


「思っていらしたのなら話は早いですね。警察病院に移ってからと思っていたのですが、早い方がいいかと思いましたのでお邪魔しました」


 竹宮は腰からお辞儀した。いおりはため息を吐いて後ろの二人を指差した。


「それで?彼らはどうして連れてきたのですか?」


「それは、私にも分かりかねます」


「…はあ?」


 いおりは、胡乱(うろん)な目で竹宮を見た。向けられた竹宮は涼しい顔で、いおりを見ていた。


 にらめっこをしていても|(らち)が明かないので、いおりはひとまず二人のことは気にしないことにした。


「それで?こんなところにまできて取り調べですか。ご苦労様です」


「私もそう思います」


 いおりのベッドの近くまできて、竹宮は手帳を開いた。


「それでは、香山りょうさんを拉致(らち)した件ですが、十五年前をやり直そうとした、ということでよろしいですか?」


「ええ。その通りです」


「彼女を殺そうとしたわけではないのですね?」


「ええ。彼女はあたしの姉の子供ですよ。殺すはずないじゃないですか」


 深山がうろたえた。いおりはそんなことを気にせず、竹宮を見る。


「そういえば、あなたは彼とは面識ありますか?」


 いおりと高林を交互に見て、竹宮はいおりに聞いた。いおりは一瞬高林を見て、竹宮を見た。


「同じ学校にいたんです。顔ぐらいは合わせるでしょう。話したことはありませんけど」


「そうですか、あなたは驚かないんですね。私と彼と顔が同じなのに」


 いおりは高林と竹宮を見て、窓の外を見た。


「そうですね。気づきませんでした。人の顔を憶えるの、苦手なんです」


「そうですか?香山啓子の顔はしっかり憶えていたようですが?」


 突然入り口から違う声が聞こえて、竹宮は慌てて振り返った。


 そこには和馬が立っていた。竹宮は額に手を当てて、ため息を床に向かって吐き出した。


「あなたは、また突然現れますね」


「すみません。お話の途中で割り込んで」


 和馬はニコニコ笑いながら竹宮の隣に並んだ。いおりは和馬の顔を見てため息を吐いた。


「あなたに聞きたいことがあったの」


「なんでしょうか?」


「どうしてあたしが死のうとしていたのがわかったの?」


 (かす)かに高林の眉が動いた気がした。深山は目に見えて慌てていた。


「そんな…いおりさんっ」


「深山さんの聴取(ちょうしゅ)のときに言われまして。あなたがもうどうしていいのかわからなくなっていると。復讐を果たして生き方のわからなくなった人間が向かうのは、死だけです」


「ふん。知った風な口を…」


 和馬は笑顔を()やさず、いおりを見つめていた。その視線に居心地の悪くなったいおりは視線をはずして窓の外を見た。


「それで?証拠でも持ってきたのかしら?あたしが深山さんの父親を殺したという証拠」


「そうですね、あれからかなりの日が経っていますし、正直困難ですよ」


 肩を(すく)めて和馬は笑った。竹宮は横目で和馬を見た。屋上で探し物をしていたことが頭に浮かんだ。


 和馬は上着の内ポケットから、小さな袋に入ったタバコの吸殻(すいがら)を取り出した。


「これのDNAが照合(しょうごう)できればいいんですがね。ねぇ?高林センセ?」


 和馬は高林を振り返って見た。高林は無表情で和馬を見返していた。


「何を言っているの?」


 いおりは額に汗を浮かべた。和馬は高林の前まで行き、吸殻を目線まで持って行き、目の前で揺らした。


「なんの話だ?俺は屋上でもタバコを吸っていた。そのときのものだろう」


「ほう?あなたのだと認めるわけですか?」


 高林は言葉に詰まった。いおりは布団を握り締めて和馬を睨んだ。


「あなた、なにか勘違いしているんじゃないかしら?」


「勘違いですか?」


「そうよ。そこの彼がどうして見ず知らずの男を殺すの?あなたはわたしが殺した証拠を探していたんじゃないの?」


「どうしてあなた、彼らの面識がないことを知っているんですか?」


 いおりは焦っていた。焦った頭は空回りする。


「オレは勘違いをしていたようです、いおりさん。あなたが深山岳澄(みやまたけすみ)を殺したのだと、復讐をしたのだと思っていました。だけど考えを整理していくうちに、おかしなことがいくつかあったんですよ」


「おかしなこと?」


「そうです。あなたの復讐は深山岳澄を苦しめることだった。それがいつから殺すことに移行したのか、深山岳澄にどうしてそこまでの恨みを抱いたのか、彼はどうして死の間際に香山啓子(かやまけいこ)に電話をしたのか、それが気になりました。それと、香山りょうに出生を探らせ、一緒にいた女性を銃で撃たせて重症にし、ここにいる深山亨慈(みやまきょうじ)(さら)わせた。だけどそれは全て深山岳澄が死亡した後で起きている。復讐は深山岳澄を殺害したことで果たされているはず。十五年前をやり直すためなら香山りょうを深山亨慈に攫わせる必要はない。彼女が死んでしまってはやり直せませんからね。では何故、あなたがこんなことをしたのか、それは深山岳澄を転落死させた人物があなたではなく別の人物だったから。そしてそれはあなたの計画ではなかった。この一連の出来事は深山岳澄を転落死させた人物を(かば)うために行われたのではないかと推察(すいさつ)しました」


「でたらめよ!何を根拠に…」


「根拠の一つは屋上に落ちていたこの煙草(たばこ)の吸殻です。いおりさん、あなたは煙草を吸わない。そして深山岳澄は喫煙者(きつえんしゃ)でしたが、この吸殻の銘柄(めいがら)ではなかった。もちろん、違う銘柄を吸う場合もあるでしょう。事実、彼が亡くなったときに所持していた煙草のケースは空でした。新しいケースもなかったので、屋上で一緒になった誰かから貰ったのか奪ったのかしたのだと思います。そして今、高林先生はこれが自分のものであると証言された。ということは高林先生はこの煙草の銘柄を吸っているということです」


 いおりは奥歯をかみ締めた。高林は和馬を無感動の目で見つめていた。


「二つ目の根拠は深山岳澄の携帯電話の発信記録です」


 竹宮が首を傾げて和馬に聞いた。


「それがどうして根拠になるのですか?」


「そもそも、どうして彼は香山啓子の電話番号を知っていたのでしょう?」


 質問を質問で返されて竹宮は首を(ひね)った。


「答えは簡単です。高林先生、あなた香山りょうの担任でしたね。もちろん連絡のための電話番号ご存知ですよね」


 竹宮がなるほど、と頷いた。


「高林先生、あなたは最初、職員室に深山岳澄を招いたのではないですか?そのとき、なんらかの理由であなたは席を外してしまった。深山岳澄も退職前は高校教師でした。その辺りの事情は把握していたでしょう。彼は名簿を探し出し、自分の携帯に電話番号を登録したのです」


「何らかの理由とはなんでしょうか?」


 手帳にペンを走らせながら竹宮が聞いた。和馬は肩を(すく)めた。


「そこはその場に居合わせた人物に聞かないとわかりません。番号を発信した本人は亡くなってしまって話せませんからね」


 そして高林を見つめ、首を傾げた。


「どうでしょう高林先生。話していただけませんか?」


 見つめられた高林は一瞬、窓の外を見て、また和馬に視線を戻した。


「あの男を突き落としたのはあたしよ!彼は関係ない!彼はそこの男を手伝っただけよ!何もしていない!指示を出したのは全部あたしなんだから!っげほ!げほっ!」


 咳き込み、肩で息をしながらいおりは訴えた。だけど和馬はそんな声など聞こえていないかのように高林だけを無言で見つめていた。


「もういいよ、いおり。悪かったな」


 高林はため息を吐いていおりを見つめた。いおりはゆるく首を横に振って、涙を流した。


「いやよ…違う…あたしが殺したのよ。全部、あたしが…」


「いおり、ごめんな…」


「うっ…ぅぅう…ぅっ」


 いおりは両手で顔を覆って、泣いた。


「それでは、話していただけますか?」


 高林は頷くと、床を見ながらぽつりと話し出した。


「俺といおりは、大学で知り合った。お互い気があってすぐに付き合いだした。卒業と同時に自分のやりたいことに一杯になっていた俺は、いおりが離れていくのを引き止められなかった。別れてからは幸せになってくれたら、それだけを祈っていた。何年かして、偶然町で出会ったいおりは幸せそうに笑っていた。姉が妊娠して、実家に戻ってくるんだって喜んで話してくれた。義兄も優しい人だって、それなのに…っ」


 高林は床を睨みつけて奥歯をかみ締めた。いおりは嗚咽(おえつ)(こら)えていた。


「悲劇が、起こったんですね」


 和馬は静かな声で言った。高林が(はじ)かれたように顔を上げた。


「いおりさん、あなたは葵くんに、父親は女癖が悪くて、お姉さんはそのことで悩んでいたって言っていたそうですね」


 こくりと、いおりは頷いた。高林は()えるように眉間にシワを刻んだ。


「数日後に会ったいおりは、憔悴(しょうすい)していた。何かあったのは間違いなかった。俺はいおりを説得して理由を聞きだした。いおりは、泣きながら話してくれた」


 高林は天井を見上げて目を(つむ)った。


『何があったんだ?いおり…』


『…あたし、どうしていいのかわからない…っ』


『一体何が…』


『…姉さんが病院に行っている間に、お義兄さんが…っ無理やり…』


『そんなっ、お姉さんに言った方が…』


『そんなこと言えない!そんなこと、言えないよぅっ…』


 目の前で泣き崩れるいおりをどうすることもできないまま、高林は(こぶし)を握り締めた。


 (まぶた)を上げて、天井を睨んだ。


「だけどそんなことすぐにバレる。案の定、お姉さんにバレていおりは家を追い出された。お姉さんもショックが大きかったのかそれが原因で流産。だけどすぐにいおりが妊娠したことを知った」


「だからお姉さん、さおりさんの子供として産むことを条件に、あなたは家に戻してもらえたんですね」


 いおりは頷いた。目じりの涙を手の甲で(ぬぐ)う。


「姉さんはまだ母子手帳を役所に貰いに行っていなかった。だから代わりにあたしが貰いに行った。河嶋さおりとして。姉さんが通っていた病院だと怪しまれるからそっちは正直に流産ってことになった。あたしは別の街に行ってなるべく目立たない産院を探して、子供を産んだ」


「それが、葵くん…」


 深山は絶句していた。竹宮は手帳にペンを走らせていた。


「出産にあの男は立ち会った。産まれたときはそりゃ喜んだわ。自分の息子ですものね。だけどすぐに姉と離婚して他の女の下へ行った」


 いおりは深山を睨んだ。深山はおろおろ焦っていたが、思い切り頭を下げた。


「ごめん!きっとうちの母親が脅したんだ。別れないと子供を殺すとか言われて…」


 いおりは苦笑した。


「だけど、守ろうと思えば守れたはずよ。だけどそれをしないで離れたということは、それだけの愛情しかなかったってことね」


 うな()れる深山を横目で見て、和馬は話を(うなが)した。


「それで、どうして復讐をしようと思ったのですか?」


「姉さんが死んで、葵を育てる喜びを感じてこのまま幸せに暮らそうと思っていた。だけど姉さんの墓参りに昔の町を訪れたとき偶然出会ってしまったの。そのときに、あいつが笑いながら言ってきた」


 いおりは布団を握り締めた。


『女房がもう一人子供が欲しいと言っていてな。お前との間にできたガキがいただろう。アレを返してくれないか。お前だってガキがいないほうが新しい男と子作りに励めるだろうし丁度いいだろう?』


「まるで葵のことを物みたいに言うあいつが許せなかった。憎くなった。苦しめてやろうと思ったの。そこの男が姉さんに好意を寄せていたのは知っていたから、犯罪に手を染めたら少しは苦しんでくれるかと思った。だけど、彼らを殺すつもりなんてなかった。ちょっと事故でも起こしてやろうと思っただけ。葵も乗っていたしすぐに救急車も呼んだし、助かると思っていた。だけど浅はかだった。結局関係のない人が死んでしまった。本当に申し訳ないと思った。だけどあの男は、そこの男を海外に逃がし自分はのうのうと幸せに定年まで勤め上げた。それなのにあの男うちの近くに塾を開校して、嫌がらせみたいに毎日十三年前のことを…」


 ため息を吐いていおりは天井を見上げる。竹宮が手帳に何かを書き込みながら聞いた。


「どうやって深山岳澄を屋上に呼び出したのですか?」


「それは俺から話そう。そもそもあの男を殺したのは俺の独断だ。いおりは関係ない。偶然見てしまったんだ。あの男がいおりに詰め寄っているのを。『十三年前の事故はお前が亨慈に命じてやらせたんじゃないのか。これ以上家族をめちゃくちゃにするのはやめてくれ』って。それを聞いて、俺は怒りがこみ上げてきた。だからいおりの計画に加わったんだ。わざと見つかるように中庭で煙草吸って、それを深山先生に見せて仲間に誘われるようにした。全ては深山先生に罪を擦り付けるように。だけどそれをあの男に感づかれて、あいつはいおりを警戒していたから、俺が屋上に呼び出した」


 高林は思いを馳せるように窓の外を見つめた。


『お前は誰だ?ワシはいおりに用があるんだが』


『俺はいおりの同僚だ。あんたを呼び出したのは俺だ』


 屋上に上がってきた岳澄は、高林を見て怪訝な顔をした。高林は岳澄と対峙する。だけど岳澄は屋上の端に立っていた高林の近くまで来て煙草を要求してきた。


『悪いが煙草をもらえんか?ワシのはなくなってしまってな』


 内ポケットから煙草を出す拍子に一緒に入れていた手帳が床に落ちた。高林が拾うより先に岳澄が拾い、パラパラと手帳をめくる。


『返してくれ!大事なものなんだ』


 煙草を差し出して手帳を取ろうと手を伸ばすが、煙草だけ取られた。


『まあいいじゃないか。ワシも元教師だ。』


 煙草に火をつけながら岳澄はニヤニヤと笑った。高林は手帳を取り返すのを諦めて本題に入った。


『あんた、もう、いおりの周りをうろうろするのやめてくれないか』


 岳澄は高林に背を向けて煙を吐き出した。岳澄の手の動きは高林には見えなかった。


『何を言うか。先にワシの家族をめちゃくちゃにしたのはあいつのほうじゃないか。あいつのせいで女房は心を病んでしまった。責任を取らせるのは当たり前だろう』


『そっちこそ何を言っているんだ!いおりの家族をめちゃくちゃにしたのはあんたのほうだろう!』


『さおりのことを言っているのか?さおりにしても、いおりにしても男と交わる喜びをワシが教えてやったんだ。ガキを産む経験だってさせてやった。むしろ感謝して欲しいくらいだ』


『なん、だと…!』


『おぉそうだ。この香山とかいうのは亨慈があいつに唆されて事故死させた男の家族じゃないのか?この家に電話して真犯人を教えてやろう。そうすればあいつも終わりだな』


『やめろぉ!』


 ぎりっと高林は奥歯をかみ締めた。深山は俯いて目を瞑った。いおりは俯いて布団を握り締めた。


「気がついたら突き落としていた。電話をかけていたことも気づかなかったよ。我に返ってあいつの携帯が発信していることに気づいて慌てて電源を切った。そして手帳を拾ってドアノブの指紋をふき取って帰ったよ」


「京本みかさを銃撃した理由は?」


 静かな声が、病室の入り口から聞こえた。みんな一斉に振り返ると、そこには買い物袋を提げた美月が立っていた。その後ろに、葵もいた。


「どこから聞いていた?」


 和馬は葵を苦い思いで見つめた。葵は俯いて、首を横に振った。握り締めた指が白くなっていた。


「全部、聞いていたのか…」


 いおりも高林も深山も、俯いて眉間にシワを寄せた。何かを耐えるように。


「叔母さんが、俺の母親…?じゃあ写真に写っていたのは叔母さんってこと?」


 葵は俯いていたが、声が震えていた。いおりは布団を握る手に力を入れた。


「あの人はやっぱり俺のこと愛していなかったんだね…」


 唇を噛んで、葵は涙を堪えた。


「そもそも俺は…愛し合って産まれてきたわけではなかったんだね…」


 いおりは勢いよく顔を上げて葵を見つめた。しかし何を言っていいのかわからなくて口を噤んでしまった。


「みかさを撃ったのはどうしてですか?」


 美月は高林に詰め寄った。高林は美月を見て、視線を窓の外へ向けた。


「いおりから香山にガードがついたことを知らされて、深山先生に攫わせられないから離れてもらおうと…」


「どうして深山岳澄を殺してもなお計画を実行したのですか?」


 竹宮が高林を冷たい目で見つめた。高林はその視線から逃れるために俯いた。


「彼から連絡をもらって、慌てました。とにかく彼から目を逸らそうと計画を実行したんです。全ての罪を深山に被ってもらうつもりで」


 いおりが搾り出すような声で言った。竹宮はため息を吐いて手帳とペンを内ポケットにしまった。


「どうしてそこまで深山に罪を擦りつけようとしたんですか?」


「さあ、どうしてでしょうね…」


 高林は自嘲気味に笑って、いおりを見つめた。


「続きは署の方で伺いましょう。河嶋いおりさん、あなたは医師の許可が下り次第、警察病院に移ってもらいますので、そのつもりで」


「分かりました」


 竹宮は和馬と美月にお辞儀をして、高林と深山を連れて病室を出て行った。静かにドアが閉まる音を聞いて和馬はため息を吐いた。重い沈黙が病室に落ちる。


「叔母さん、雪彦さんたちを殺すつもりなかったの?」


 葵が沈黙を破るように声を出した。


「ええ。本当は、りょうちゃんだってあんなに傷つけるつもりじゃなかった。ただ、彼から目を逸らせたかっただけ。彼女には本当に申し訳ないことをしてしまったわ」


「じゃあ謝ってください」


 美月が病室のドアを開ける。するとそこに車椅子に乗ったりょうと、介助するみかさが立っていた。ゆっくりと車椅子を押してみかさが病室に入っていおりのベッドの横まで来た。


 じっと見詰め合っていたが、いおりが身体を起こしてりょうに頭を下げる。みかさは車椅子から離れ、美月の横に立った。


「あなたの家族を死なせて、そればかりか手荒なことばかりして申し訳ありませんでした」


「…。悪いと思うなら償ってください。生きて、償ってください」


 真っ直ぐ目を合わせるりょうに、いおりの目から涙が流れる。りょうは、いおりの手を握った。強く、離さないように。


「そうね、生きて…償わないとね…」


「そうだよ。生きてよ。俺を、もう一人にしないでよ。母さん…っ」


 葵は堪えきれず涙を流す。そしてりょうが握っている手の上に手を重ねた。沈む夕日が三人を包んでいた。

        ☆        ☆        ☆


 一ヶ月後、みかさと一緒に退院した。いおりさんも医師の許可が下り警察病院へと移っていった。深山先生と高林先生の取り調べも順調らしく、ときどき生徒三人の襲撃の件で河嶋も竹田署に呼ばれていた。そしてそれから数日が過ぎた。


「はぁー。やっと動ける」


 みかさは大きく伸びをして青い空を見上げた。制服姿の胸元にはバラを模したコサージュがついている。ため息を吐いて隣を歩く美月と奈知に追いつくように松葉杖をついて歩く。


 ギプスは取れたがまだ普段どおりには歩けないので松葉杖をついている。制服には同じように胸元にコサージュを付けて手には黒い筒を握っている。


「でも無事に終わってよかったね」


 微笑むと奈知が複雑な顔をした。どうしたのかと首をかしげると、立ち止まってこっちを、頭から足の先まで見て、ため息を吐いた。


「なんだよ…」


「どうして制服、女の子なの?」


 指摘されて、顔が赤くなった。美月は無表情だが、みかさはニヤニヤしていた。


「だって、お母さんが、本当の名前で卒業させたいって伯父さんに…」


 そう。きょうは卒業式だ。そして女子の制服、つまりスカートを穿いて出席した。周りの生徒が驚くのも無理もないが、教師が驚いていたのはびっくりした。そして一番驚いたのは…。


「まさか竹宮さん、最後まで高林先生やるとは思わなかったよ…」


 全く違和感がなく溶け込んでいた。そして卒業証書の名前も『香山りょう』だった。呼ばれたときは緊張したが、壇上に上がって伯父に証書を手渡されたとき、ホッとした。伯父が本当に嬉しそうに笑っていたからだろう。残念だったのは、河嶋が出席できなかったことだ。


 暴行事件を起こしたので、謹慎処分になった。だけど追試を受けると卒業できるそうなので、少し安心した。できれば一緒に卒業式を迎えたかったと空を見上げる。


 美月と奈知は少し離れたところで談笑していた。みかさが、内緒話をするように顔を寄せてきて(ささや)いた。


「和馬君のこと、好きにならないようにって言ったのに、無駄だったみたいね」


 驚いて転びそうになったのを、みかさが支えてくれた。礼を言って体勢を整える。どうしてわかったのかと視線で問うと、みかさは微笑んだ。


「女の勘、かな?でも応援するよ」


「どうして、好きになるなって言っていたのに…」


 不思議に思って聞いてみると、みかさは笑顔を崩さずに、奈知と美月のほうを向いて言った。


「私の心配は杞憂(きゆう)に終わったからかな」


 訳が解らなくて首を傾げていると奈知に名前を呼ばれた。本当の名前を。


 ふと、奈知が名前で呼んで欲しいと言っていたことを思い出した。いつか、名前を呼べるようになるといいなと思う。そしてその『いつか』はそう遠くない未来だといいなと、どこまでも続く青い空を見上げた…



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