吸血少女は男に戻りたい! ~ハロウィン特別篇~
それは私がまだクレアの屋敷に勤め始める前のこと。
突然、師匠に呼び出された私は彼女の研究室を訪れていた。
「それで? 今度は何の面倒事ですか?」
「おい、何でまだ何の説明もしてないのに面倒事って決め付けてんだよ」
いや、だって……ねえ?
師匠が絡むとろくなことにならないのは二年半前からすでに周知の事実。どうせ、今回だってろくな話じゃないに決まっている。
「おほん。今回、お前を呼び出したのは他でもない。実は天才の俺様はまた新しい魔術を開発してな。その稼動実験を手伝え」
ほらやっぱり。
「そこは天才じゃなくて天災でしょとか、なんでいきなり命令口調なのかとか、私に拒否権はないのかよ、とか色々と突っ込みたいことはありますが……何の魔術なんです?」
「俺もお前の教育方針について突っ込みたいところだが……お前、俺の専攻については知ってるか?」
「ええ、まあ。魔力の源について研究しているんでしたっけ?」
「大体そんな認識で合ってる。それでな、魔力の発生源の一つとして異世界の存在を俺は疑っている」
「……異世界、ですか?」
「ああ。こことは別の、どこかにある世界。今回はその存在を確かめるためにわざわざ新魔術まで開発したんだ。俺の苦労を無駄にしないためにも、お前、ちょっと観測してこい」
「えっ!?」
観測してこい!? つまり、異世界に行けってこと!?
「いやいやいや! そんなの自分でやってくださいよ! どんな危険があるか分かったもんじゃないですし!」
「心配するな。俺の計算上では何の問題ない」
「その計算が心配なんですよ!」
くそっ、これは歴代の無茶振りの中でも群を抜いてやべえぞ!
師匠はやると言ったらやる女だ。さっさと逃げないと……
「おっと、もう発動しちまったか」
「はっ!?」
気付けば私の足元に薄緑色に光る魔法陣が浮かび上がっていた。体の中からぐんぐん魔力が吸い取られていくのを感じる。というか、これ……まずい、意識が……
「悪いな。これはお前にしか頼めねえんだ。数時間もすれば自動的に戻って来れるはずだから……まあ、その。なんだ……」
薄れゆく意識の中、私が最後に見たもの。それは……
「たっぷり楽しんで来い」
殴り飛ばしたくなるような笑顔でサムズアップする師匠の姿だった。
(コイツ……いつか絶対、ぶっとばす……)
やりきれない気持ちに誓いを固めながら……そうして私はゆっくりと意識を闇に沈めていくのだった。
---
「……う……」
ゆっくりと瞼が開く。
気がつくと私はどこかの路地に横たわっていた。
空を見上げると両脇に高く聳え立つ建物の壁が見える。これほど巨大な建築物はあの世界にはなかったものだ。つまり……
「……どうやら本当に異世界に飛ばされてしまったみたいね」
薄暗い路地で事態を把握した私は、ひとまず落ち着くことにした。
なに、大丈夫。異世界に飛ばされるのは二度目だ。特に目新しい展開でもない。それに周囲の雰囲気にもどこか見覚えがあるし……ん?
「この看板の文字……"日本語"だ」
近くの建物にかけられていた看板、そこにははっきりとした書体で日本語の文字が書かれていた。本当に久しぶりとなる文字列。まさか……ここは日本なのか?
「……嘘でしょ」
まさか偶然飛ばされた先が日本だった? そんな偶然……いや、そもそも世界がここと向こう以外に存在する確証もないのか。日本から向こうに行ったように、今度は逆に向こうから日本に帰ってきた。そう考えればこの状況にも辛うじて説明がつく。
「はっ、まさかっ!?」
咄嗟に自分の体を見落とす。
やや足りない身長にぺたんこの胸。そして……白銀に輝く髪。どうやら私の体はルナ・レストンのもので間違いないようだ。もしかしたら元の体に戻れているかもなんて僅かに期待したが、そんなこともないらしい。
「くそっ! 男に戻れるかもって思ったのにっ!」
固いアスファルトの上で泣き崩れる私。期待させて落とすなんて酷いぜ神様。
しかし……この状況、どうする? 師匠は異世界の観測をしろとかのたまっていたが、それって要するにこっちで少しの間過ごせってことでしょ? 数時間で戻れると言っていたし、ここでじっとしていればいつかは向こうに帰れるのだろう。
つまり……
──それまでは完全に自由! 遊び放題ってことだ!
え? 大人しく待っておかないのかって? 馬鹿か! 折角、日本に帰ってきたんだから遊び倒すに決まってんだろ!
「おおっ!」
路地から大通りに出ると、そこにはスクランブル交差点が広がっていた。何百人という人間が何かに追われるように歩き回っているその光景は懐かしくもあり、私のテンションをいやがおうにも引き上げる景色だった。
(ここ……私が前に住んでたところの近くだ)
そして、同時に私はここが慣れ親しんだ東京の街だと気付いた。一部に装飾された店舗も見える街並みは一つの統一感を持って彩られている。即ち……
「ああ、そうか。こっちは今10月末……ハロウィンの季節なんだ」
通り過ぎる人々の楽しげに交わされる会話の端々からもそれは伺うことが出来た。とはいえ、ハロウィンだからって何かすることがあるわけでもないけど……む?
「や、やめてください!」
「いーじゃん、こんなに可愛い子めったにいないわー。お兄さん、君のことスッゲー可愛がってあげるからさ、ね?」
「いや! お願いだから離してください!」
私の視線の先で、私と同じくらいの年齢の可愛らしい女の子がチャラい男達に手を引かれている光景が目に映った。これは……ナンパか? 幾らハロウィンだからってはしゃぎすぎだろう。明らかに女の子の方は困っているみたいだし。
周囲の人々もちらちらと視線を向けるだけで女の子を助けようとはしない。誰も面倒事には係わり合いになりたくないのだろう。これだけ大勢の人がいるというのに、その女の子は酷く孤独だった。
「…………」
仕方ない、か。
困っている女の子を放っておくなんて、私に出来るわけもない。
私は人ごみをかきわけ、足早にその一段に近づいていき、そして……
「あの、その子嫌がってると思うんですけど」
男の前に立ち、その手を離すように促した。
「なになに、お嬢ちゃんのお友達? こっちもスッゲー美人さんなんですけどー!」
「やばっ、天使が二人もいるなんて、最高じゃん!」
「ねぇねぇ、そっちのお嬢ちゃんも俺らと遊ぼうよ!」
だが、男達は私の登場にむしろ喜んでいた。
くそっ、こういう時はこの見た目が嫌になる。仕方ない、ちょっと反則気味だけど強引にでも男達には退場してもらうことにしよう。
「いや、私たち修学旅行中で、もうすぐ集合時間なので先生に連絡しないと。でも、どーしてもお兄さん達が私たちと遊びたいって言うなら、先生にそう連絡しますけど?」
私はそう言って、男達ににっこりと含みのある笑みを向けてやる。
すると男達は女の子の手を離すと、目に見えて慌て始めた。
「い、いやぁ、俺たちも実は用事があるの今思い出したわ」
「そ、そーだな。俺ら忙しかったわ。じゃ、じゃーねー、お嬢ちゃんたち」
脱兎のごとくとはこのことか。あっという間に人ごみに消えて行く男達。
良し、これでミッションコンプリートだ。この場に残ったのは私と女の子だけ。
「ふぅ、危なかったね。大丈夫?」
私はアフターケアも兼ねて、女の子に声をかけるのだが……
「ご親切に助けていただきどうもありがとうございました、じゃ」
女の子は冷めた視線で私を一瞥すると、とっとと歩き去って行ってしまう。もしかしたら男達に向けていたものより、もっと冷たい視線だったかもしれない。
というか……え? あ、あれ?
「えぇっ!? ちょ、ちょっと待って!」
私が呼び止めると、女の子は「まだ何か?」的な視線でこっちを見た。
いや、特に用事と言う用事はないんだけど……え、ええ? 何かちょっと反応違くない? ここは颯爽と助けてくれた私を尊敬の眼差しで見つめてくれるところでしょう。間違っても生ゴミを見るような視線ではない。
「こんなところに女の子が一人でいるなんて危ないよ。途中までついていってあげるから。どこに行くつもりだったの?」
「あ、そういうの良いんで。じゃ」
何となく納得のいかなかった私は何とか追いすがるのだが、女の子は頑として私を受け入れはしなかった。こういっては何だけど、初対面の人にいきなりここまで嫌われたのは始めての経験だ。私にしてはレアなケースと言える。それだけに、女の子の反応がどうにも気になった。
「で、でもまださっきの奴らが戻ってくるかも。こんな大通りにいたら君みたいな子はまたすぐナンパされちゃうと思うけど?」
「じゃあ裏通りを歩きます、じゃ」
自分で言うのもなんだが、私は外見的に好意を受けやすい。だからこそどうして初対面の女の子にここまで避けられるのかが分からなかった。
(初対面……だよね。こんな可愛い子なら一度会えば忘れるはずないだろうし)
桃色の髪を靡かせ歩く女の子は私と同じくらい整った顔立ちをしていた。これなら私に嫉妬して避けているということもないだろう。
「まっ、まって!」
愛されたがりの私としてはどうしてここまで嫌われてしまったのか、その原因を解明したかった。だから、女の子に駆け寄ってその肩に手を伸ばすのだが……
「もう! 何なんですか……って、うわぁ!」
私が駆け寄ったタイミングで向こうが立ち止まったものだから、私達は真正面からお互いにぶつかってしまった。突然のことに女の子は大きくバランスを崩し、結果的に私は覆いかぶさるように女の子を押し倒してしまっていた。
「イッテテテ……」
目前に迫った女の子の顔。
鼻腔をくすぐる桃の花にも似た甘い香りに、思わず頬が熱くなる。
というかこの体勢……色々、まずいんじゃない?
「いってぇな! なにしやがr……」
押し倒した私に女の子は抗議の声を上げた。だけど、今の私はそれどころではなかった。なぜなら……
「はあ……はあ……くそっ、こんな時に……」
私の中にある『色欲』の発動。それを私は感じ取っていた。
薄暗い路地裏には人通りもない。何かをするなら絶好のポジションってわけだ。たった二人になった世界で、私は女の子を見つめる。
「お、おい、お前大丈夫かよ」
心配げに私を見る女の子は私が今まで見てきた中でも1、2を争うほどに可愛らしい顔立ちをしている。何と言うか、男の思う理想の女の子をそのまま形にしたかのような姿だ。男なら誰でも思うことだろう。こんな可愛い彼女が欲しい、と。
「ヒィッ!」
気付けば私は女の子に身を寄せ、その可愛らしい耳に口付けをしていた。
だ、駄目だ……これはもう、自制出来そうにない。
「君……すごく可愛いね。男たちが放っておかないはずだよ。でも、あんな野蛮な奴らに付き合うことはない。私が天国に連れて行ってあげるから」
私を拒絶する女の子に対して、私は妙なスイッチが入ってしまったらしい。男達に張り合うような台詞が口をついて出ると同時に、どうしてもこの可愛らしい女の子を屈服させて、私の支配下に置きたい欲求に駆られた。
どうやら私はなかなかどうして支配欲の強い性格だったらしい。新しい発見だね。この新鮮な気持ちを与えてくれた女の子には……私の最大の愛を捧げよう。
「ごめん。強引にってのは好きじゃないんだけど……もう我慢出来そうにない。キス、するね?」
衝動のままゆっくりと口を近づける私に、女の子は真っ赤な顔になって慌てふためいた。
「ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょーっと待ったぁ!」
「待たない」
その慌てる姿すら愛おしい。完全にスイッチの入った私を止めることなんで誰にも出来ない。この私自身にも。とうとう鼻と鼻が近づくほどに顔を近づけたところで……
「わ、私は男なんだァァァあああ!!!」
女の子は突然、妙なことを言い放った。
「え? ……え? いや、でもどうみても体は女の子だと思うけど……」
視線を下ろすと、小さいながらも確かにある膨らみが目に付いた。
というか……止まったな、スイッチ。あんまりにもびっくりしたものだから色欲さんも一歩引いてくれたらしい。あれは『異性』に対して発動するもの。もしもこの女の子が実は男の子だったとしたら、私はとんでもないお手つきをしたことになる。そりゃ冷静にもなるってものだ。
だが、どう見てもこの子は女の子。見れば分かる。
「いや、マジで私は男なんだ。だからレズのお前のオカズにされる筋合いは無い!」
しかし、続く言葉は私にとって到底許容出来るものではなかった。
「れ、レズ!? 私が!?」
男を自称する私にとって、レズ扱いはもっとも許せない扱いの一つ。私は男として女の子が好きなのだ。その点だけは譲れない。
「……他に誰がいるって言うんだよ」
「いやいやいやいや! 私はレズなんかじゃないから! 確かに今はこんななりしてるけど断じてレズなんかじゃないから!」
体は確かに女。だけど、心は男なんだ。それを説明できないのがどうにももどかしいけど……いや、ちょっと待てよ。
「ん? 君……その瞳……もしかして……」
女の子の桃色の瞳を覗きこんだ私はそこに……『魔力』の光を見た。かつてアリスの瞳を覗きこんだときにも感じたあの感じを私は女の子から感じ取っていた。
まさか……この子、魔術師なのか? だが、こっちの世界にそんな奴がいるとは思えないけど……
「いや、でもそんな偶然……」
女の子の姿から私は一つの推論が浮かんでいた。
私と同じ日本人離れした外見。体内にある魔力の輝き。そして、先ほどの男の子発言。もしかしたら……
──この子は私と同じ立場の人間なのかもしれない。
「あの、いきなり突拍子もないことを聞くようで悪いんだけど……君の外見、もしかして君はこの世界の住人じゃなかったりする?」
そう思ったら聞かずにはいられなかった。これがただの日本在住の外国人さんとかだったら私は赤っ恥もいいところだ。だけど、それでも私は踏み込んで聞きだしたかった。もしも……もしも、本当にそうだったなら……この子は私にとって特別な存在になる。
「……え?」
私の問いに女の子は驚いたような表情を浮かべた。
それは意味が分からない、って顔には見えなかった。つまり……
「ってことはお前も鬼死女神コレーに殺されて女にされちまった男か!?」
どうやら本当にこの女の子も私と同じく、妙な境遇にいるらしい。
「その鬼死女神ってのが誰なのかは分からないけど……そうだね。私も一度、死んで女になったんだ。ちなみに私はポンコツ女神のヘレナって奴に転生させられた」
私とは違う女神に転生させられたらしい女の子。
さっきとは打って変わって親しげなその雰囲気に、私も思わず頬が緩む。というか単純に嬉しい。まさか、私以外にも私みたいな目に遭っている人がいたなんて。
お互いの境遇を打ち上げた私達は、それから色々な話をした。
「そうなのか! いやぁ、どこの女神もダメダメなんだな。でもまさか、お前が男だったとは。けど、だからってさっきの襲撃は私が女に見えて、お前の中身が男だからってわけじゃねぇだろ?」
「さっきの? あー……あれはね。実は私、転生した時に色々厄介な体質をくっつけられちゃって。さっきのはその影響なんだ。『色欲』って言って、可愛い女の子と一緒にいると、どうしようもなくむらむr……いや、ちょっと感情が暴走しちゃうんだ」
恥ずかしすぎて言いたくはなかったけど、さっきの件について私は正直に話すことにした。この子相手なら良いだろう。お互い転生者であることまで語ったんだ。これ以上の秘密の共有はない。あと、どうせなら他の体質のこともついで伝えておこう。
「後はそうだね……見た目はこんなだけど、これでも一応私は吸血鬼なんだ。だけど、吸血衝動とかはないから安心して欲しい」
「まじかよ! 変な呪いをかける辺り、女神なんてみんな鬼だな。けど、吸血鬼ってのはちょっとかっこいいじゃんか。そこは素直に羨ましいぞ」
あ、やっぱりそこはちょっと憧れるよね。
私も最初は飛びあがって喜んだものだ。実際にその種族スキルを見るまではね。
「まあでも、吸血鬼としての呪縛は色々あるからね。今だってこうして私が日陰を選んで歩いているのもその一つ。吸血鬼は日光に弱いんだ」
「そうか。って、だったらその服、着替えた方がよくねぇか?」
「確かにそうだね。今がハロウィンだからそれほどでもないけど、今のままだとお互い目立つだろうし……一緒に服を揃えられる場所を探そう」
近くに良い店があれば良いんだけど……女物の店が分かるかなあ。
「あ、そういえば自己紹介がまだだったね。君、名前はなんていうの? ちなみに私はルナ・レストン。みんなルナって呼ぶからそう呼んで」
「わ、私は、その……リリス。ユリ・リリス」
「リリスね。改めてよろしく、リリス」
リリスかあ、可愛らしい名前だな。だけどやっぱり男としては恥ずかしいのか、とても言いにくそうだ。可愛い。男だけど。
「じゃあ、適当にそのへんの店に入ってみるとしますか。行こう、リリス」
リンと一緒に居たときの癖で、手を引こうと伸ばす私に……リリスはぱっと手を引いた。まるで目を開けたら目の前にGが居たみたいな反応速度で。
「?」
私、何かしたか? 吸血鬼って打ち明けちゃったから……ではないよね。そういえば出会ったときから避けられていたし。私に何かあるのか? リリスが嫌がるような何かが。
「は、走って行こうぜ。日光に当たる時間は短いほうがいいだろ?」
「え? ああ、まあそうだね」
「よし、レッツゴー!」
誤魔化すようにリリスはそう言って走り出した。
気になる反応だけど……まあ、いいか。無理に聞きだすこともないだろう。誰にだって苦手なものはある。もしかしたら私が可愛すぎて気後れしてるだけかもしれないし。
とりあえず疑問を棚上げにした私はリリスの後を追って、近くにあった服屋に辿り付いた。流石は日本。向こうとは比べ物にならない品揃えだ。
「ん? そーいやぁルナって金もってるか?」
「あ……しまった。そういえばそうだ。ああ、抜かったなあ。何か換金出来そうなものは……何もない、か」
いきなり師匠に呼び出された私は特に使えそうな持ち物は持っていなかった。あれだけ金に困る経験をしたというのに、うっかりしすぎだろう、私。
店の中で途方に暮れる私達。無一文の私達が服を手に入れようと思ったらもう、盗むくらいしか方法が……
「あの、お客様」
私が良からぬことを考え付いた瞬間に、私達の背後から女性の店員さんが何かを言いたそうな顔で近づいてきた。
「あ、あの、違うんです! お金が無いからって店の服をどうこうしようとしたわけじゃなくって、その、えっと……」
突然のことにしなくても良い弁明が口をついて出る。これぞまさしく墓穴。穴があったら入りたい。あ、ちょうどあるじゃん。自分で作った穴が。
「あ、違うんですお客様。実はうちの店長がお客様たちのことを大変可愛らしいと言っておりまして、ぜひ店の女性服モデルになってほしいと。ほんの一時間ほどで構いませんので、お願いできませんか? 引き受けてくださるのなら、当店のお洋服を一式とモデル代を出させていただきます」
だが、慌てる私とは裏腹にその女性店員さんはにこにこ笑顔でそう提案してきた。私達にとって救いとなる、その提案を。
「め……女神様!」
思わず手を取ってしまうほどに、今の私には彼女が救いの女神に見えた。捨てる神あれば拾う神あり。やっぱりこの見た目に生まれてきて良かった!
「もちろん、引き受けさせていただきます! いいよねっ、リリス!」
「へ?」
「まぁ! それは良かったです! てんちょ~、オーケー入りましたぁー!」
まだちょっと躊躇が残っているらしいリリスを押し切り、話を進めていく。リリスが嫌がるのも分からないではないけどここでこの話を逃せば私達はもう、二度とこんなチャンスには恵まれないだろう。
多少のことなら我慢するべきだ。
一人納得する私の前に、店長らしい人物が現れる。というか……この人、
「まぁ~、やったわね! それじゃあオネエさん、張り切って二人をとびっきり可愛くコーディネートしちゃうわね☆」
やたらキャラが濃い……オネエ系というのか、ゴリマッチョの店長さんは体をくねくねさせながら近づいてきた。うん。多少は……我慢……しないと、ね?
覚悟を決めた私は自ら体を差し出すように一歩を踏み出す。
リリスの悲鳴にも似た声が聞こえたような気がしたが、そんなこと関係なしにどんどん話が進んでいく。
「ささっ、試着室はこちらですよー」
「はい。よろしくお願いします」
「ル、ルナ!?」
「折角だからハロウィンカラーが良いわよね♡ ピンクちゃんにはオレンジワンピースなんてどうかしら? きゃっ♡ 絶対似合う~♡」
「店長、こっちの子は昨日入荷したフードパーカー出してあげましょうよ! アクセサリも付ければ完璧ですって!」
「あ、フード付きは嬉しいです」
「そうよねー♡ ささっ、二人とも、急ピッチで着替えさせてあげるわよー!」
「ぎゃぁぁぁあああ~~……!!!」
「いやーん、照れちゃって、可愛い~♡」
リリスの悲鳴にも似た声……というか悲鳴そのものが響き渡ってから数分後。私達はすっかり女の子女の子した可愛らしい服装に包まれていた。リリスはオレンジと黄色のワンピース、私はピンクワンピースに原宿系のフードパーカーという格好だ。
吸血鬼の私としてはフード付きなのは非常に助かる。ひらひらのスカートだけが若干違和感があるけど……それこそ我慢のしどころか。頑張ろう。強く心を保てよ、私。疑問に思うんじゃない。ちょっとでも違和感を持ったらその瞬間に何かが壊れるぞ。今は女の子になりきるんだ。
「囚人服……」
だけどリリスはどうしても嫌なのか、渋い顔でそう呟いていた。囚人服に比べれば随分マシだと思うけどな。普通に似合ってるし。
「何言ってるのさ、リリス。可愛いよ」
「てんめぇ、男のくせに馴染んでんじゃねぇよ……」
「無一文の状態から脱却出来るなら大抵のことは何でもやるさ。それに、このくらいなら特に嫌でもないしね。お、この服も可愛いな」
無の境地に達した私は、とにかく女の子として行動することにした。
そんな私を見てリリスがなんとも言えない表情をしていたが、とりあえず無視。今は他にやるべきことがある。
「ほら、リリスも早く諦めて、バイトに集中集中! あっ、いらっしゃいませー」
「きゃっ、何この子たち! 超ー天使なんですけど!」
「二人の写真撮ってもいいですか?」
「いいわけあr……」
「はいっ、もちろんです! さっ、リリス、もっとくっ付いて!」
「ぎゃぁぁぁ!!! 近い! やめろぉぉぉ!!!」
「こっちの子、超照れてるしぃ~♡ 可愛い~♡」
「はいっ、チーズ!」
色々な人に囲まれ、時には写真を取られながらバイトを続けていく。
途中から私も少しずつ楽しくなってきた。どうやら私はこういう人目につく仕事も嫌いではないらしい。この格好だからちやほやされるってのもあるけどね。
それから一時間。予想以上に早く感じる時間が過ぎ、私達のバイトは終了した。
「二人とも、お疲れ様! この一時間で服が飛ぶように売れて、大助かりだったわ! はいっ、これバイト代と、ボーナスよ☆」
オネエ系の店長さんはそう言って私たちに給料となるお金の入った封筒を渡した。触った感じだとそれなりに厚い。もしもこれが全て諭吉さんなら結構な額になるぞ。
「こんなに、いいんですか?」
「いいのよいいのよ。あと、落とすといけないから、このリュックにしっかり入れておきなさいね。ラブリーな愛のハート型リュックよぉ~♡」
無言でそのリュックを私に渡してくるリリス。はいはい。分かりましたよ。全く、シャイな奴だ。折角のイベントなだからコスプレだとでも思って楽しめば良いのに。
「何から何まで、ありがとうございます!」
「いいのよ、こちらこそ今日は突然の申し出に応えてくれてありがとね。それじゃあ、ハッピーハロウィン☆*」
「ハッピーハロウィン☆*」
いつの間にかすっかり仲良くなってしまった店長さんとウィンクを交わし、店を後にする。最初のキャラに押されたけど、なかなかどうして素晴らしい人だったな。やっぱり男は外見じゃない。中身だ中身。
「なぁ、折角こっちの世界に戻ってこられたんだ。ルナは何かしたいことあるか?」
ようやく金と服を手に入れ、街を歩いているとリリスがそう聞いてきた。したいこと、かあ。色々あるような気がするけど……何が一番だ?
「そうだなあ……あっ! 私、甘いものが食べたいかも!」
甘党の私としてはぜひともここで糖分を供給しておきたいところだ。久しぶりの日本なんだし、他にすることがあるだろと思わないでもないけどね。
「甘いもの? へえ、意外だな」
「向こうの世界だと甘味ってなかなかないから。そもそも砂糖からして超高級品だし」
「まぁ、そうだな。いいぜ、甘いもんな」
「あっ! あそこにクレープ屋さんがあるよ! ハロウィン限定品アリだって! リリス、あれ食べようよ!」
街を歩いていると、タイミング良くクレープ屋の屋台が目に入った。ちなみに私は季節限定商品という売り出しに弱かったりする。イベント限定アイテムとかも全力で狙うタチだ。
食べたい……私は今、とてもクレープが食べたい。
だけど……どうだろう。男としてはクレープを食べ歩くってのは結構ハードルが高かったりする。少なくとも一人でやるにはちょっと勇気がいるものだ。果たしてリリスが付き合ってくれるかだけど……
「おう、クレープか。前世でもあんまり食べたことないし、いいぜ。食べようか」
リリスはそう言って快諾してくれた。
今の格好になるにもあれだけ嫌がっていたのに……なかなか付き合いの良い男じゃないか。私が女だったら惚れてたぜ。
「話が分かるじゃんっ! さすがはリリスっ!」
「へ?」
テンションの上がった私は思わず背後からリリスに抱きついていた。
女の子相手ならちょっと躊躇うところだけど、男同士のスキンシップならまあ通常の範囲内だろう。今は両方女の子だけど……って、色々ややこしいな、これ。
「うぉおい!! やめっ、抱きつくな! はにゃれろぉぉぉ~~~!!!」
そして、やはりじゃれ合うのは恥ずかしいのか真っ赤な顔で慌てるリリス。ふふ、可愛いじゃないか。何と言うかもっと苛めてやりたい衝動に駆られるね。
「はは、なに照れてんのよ。よし、それじゃあクレープ屋へレッツゴー!」
「おい、待てって。そんなに走ったらフードが飛ぶぞ」
「だーいじょーぶ! それより、早く早く!」
時間は有限だ。それなりに並んでいる列に急いで並び、数分後。ようやく私達の番が回ってきた。
「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりですか?」
ふむ……相手は若い男性店員か。良し、ここは私の魅了(スキルではない方)を使うとしようか。
「えっと、ハロウィン限定のやつを一つずつください!」
上目遣いで店員の瞳を覗きこむように告げる。
「て、天使……? はっ!? か、かしこまりました、少々お待ちください!」
ふっ、これで良し。大急ぎで準備を始めてるし、多少の時間短縮にはなるだろう。後は、二種類あるクレープのどっちを選ぶかだけど……
一つは「ラブキャット・イン・ジャック」で、化け猫モチーフのクレープ。
もう一つは「マジックムーン・オブ・パンプキン」で、魔女モチーフのクレープだ。私としてはここは勿論……!
「ねぇ、リリス! 私、ネコがいい! ネコ可愛い!」
ネコしかないだろうっ! 自慢じゃないが、私はネコのことになると多少我を失う自信がある! うん! 全く自慢じゃないな!
「ん? ああ、私はどっちでもいいぜ。ってか、ルナはネコが好きなのか?」
「うん、大好き!」
必要以上に強く肯定する。
だってさあ、あのもふもふの毛並みとか自由すぎる生き方とかちょっとした尊敬対象ですらあるよ。時間があればネコカフェにも行きたいくらいだ。流石にリリスに悪いから提案はしないけど。
「お待たせいたしましたー! こちらが"ラブキャット・イン・ジャック"、こちらが"マジックムーン・オブ・パンプキン"でございまーす!」
おおっ、早いな。どうやらかなり急いで作ってくれたらしい。感謝感謝。
「はい、リリスのクレープ」
店員からクレープを受け取った私は片方をリリスに渡す。それから、落ち着ける場所を探した私達は近くの広場のベンチに座ってクレープを食べることにした。
「おおおおっ、このクリーム独特の甘さ! 懐かしいっ!」
「食いにくい……」
二人対極の感想を漏らしながらクレープを頂いていく。
しかし……うーん。リリスは甘いもの好きじゃなかったかな。それなら悪い事をしてしまった。ここは罪滅ぼしとして彼女のクレープを片付けるのを協力して上げるとしよう。
「ねぇ、リリス。そっちのひと口くれない? そっちのも食べてみたくなっちゃって」
これは決して私がもう一つの方も食べたくなってしまったからではない! 断じて!
「は? お前、どんだけ甘いもの好きなんだよ。つか嫌だ」
なっ……!? た、たったひと口だぞ!? どんだけ心が狭いんだコイツは!
少しぐらい食べさせてくれても良いだろうっ!
……あ、いや。人の善意をね? あんまり無碍にするのも良くないと思うわけですよ。私としては。そんなこと言うなら私にも考えがある。
「私のもひと口あげるからさ。だめ?」
等価交換なら文句もないだろう。さっきの店員にしたみたいに、上目遣いで見つめて言ってやる。男で私の上目遣いが効かない相手なんて存在しない。あのお父様ですら落とした私の秘技を見よ!
「……っ」
私に見つめられたリリスは言葉につまり、やがて……
「だーっ! 分かったから、そんな目で見るな! ほら、やるから食え。こぼすなよ?」
あっさりと陥落した。ふっ……やはり私こそ最強だな。
では戦利品を頂くとしようか。
「ありがとう、リリス! それじゃひと口……はむっ」
「ちょっ!!?」
特に意識せず、リリスの手から直接クレープを口に含むとリリスはなぜか慌てていた。
「んー、こっちも美味しいっ! ん? どうしたのリリス? 顔赤いけど?」
まさか男同士で恥ずかしいとか……いや、それはないだろう。流石に。女の子とやるには羞恥心との戦争が必要になるだろうけど、男同士で気にするようなことではないはずだ。
「な、なんでもねーよ! ってか、ちゃんと自分で持って食え!」
しかし……やっぱり照れてるリリスは反則的に可愛いな。男だと分かっててもなんだかにやにやしてしまいそうだ。
「えー、いいじゃん別にー。あ、次は私のあげる番だね。はい、あーん」
「い、いらねぇよ! クレープ食べたかったのはお前だろ? だったら全部残さず食えっ」
そう言って、ぐいっと自分のクレープを差し出してくるリリス。
これはちょっとからかい過ぎちゃったかな? どうも男の子との距離感が分からなくて困る。前世で男子を避けていた私の悪い癖だな、これは。
「あ、あれ急に機嫌が悪く……何か気に障ったならごめんね?」
とはいえ、からかっていたことをそのまま謝るわけにもいかない。
とぼけた調子で謝るしか私には出来なかった。
リリスとは良好な関係を保ちたいからね。彼ほど私と近い人間もいないだろうし。似たような境遇にありながら、考え方というか生き方が結構正反対なのが面白いところだけど。
男としての生き方を肯定し、女の子として振舞う私。
女としての生き方を否定し、男の子として振舞うリリス。
口調すらも憚らないリリスの生き方はある意味で男らしいと言えるだろう。私には出来なかったことだから、素直に羨ましい清々しさだ。
隣に座るリリスにちらりと視線を向け、思案に暮れる。
もしも……もしも、私が彼のように生きられたらなら、今とは違った関係を彼女たちと築けたのだろうか? 周囲の視線すら気にせず、好きな人に好きと私は言えることが出来たのだろうか?
分からない……分からないけど、何となくその光景を想像すると何とも言えない気持ちが私の胸中に広がっていった。一番近い言葉を探すなら、それは『憧憬』だろうか。私とは全く違う生き方をするリリスの隣で、私は何の意味もない仮定の今は夢想する。そんな私に……
「なぁ、ルナは男に戻りたいか?」
リリスは神妙な面持ちで、私にそう尋ねてきた。
それに対する私の答えは決まっていた。決まりきっていた。
「突然どうしたの? そんなの当たり前。はやく男には戻りたいに決まってる。けど……」
「けど?」
一瞬、脳裏に浮かんだのは彼女たちの姿だった。
それは私にとって、大切な人たちの顔。
そうだ……仮定に意味なんてない。私は私だ。他の誰にもなれないのだから、私は私らしく今を生きていればそれでいい。
「今はそれ以上に大切なことがある、かな。もちろん男に戻りたいって気持ちはあるし、当初の目的を忘れるつもりはないけど……今はあの子達と一緒にいてあげたい。大切な人たちなんだ。私にとって」
勝手にリリスを自分と重ねていたことを内心で恥じる。
これは比べるようなものじゃないんだ。どっちが正しいって話でもない。ただ、自分らしく生きているかどうかだけの問題なんだ。
姿かたちや、周囲の環境や境遇なんて何も関係ない。
私は私。リリスはリリス。
それぞれに定めた生き方があるのなら、それで十分なんだ。
「リリスは?」
「え?」
「リリスは男に戻りたい?」
だからこそ、私はリリスに聞いてみたかった。私と同じ境遇にある彼が出した、彼自身の答えを。だけどまあ……答えは想像できる気がするね。
だって私達は生き方こそ、鏡写しのように正反対だけど……
「当たり前だ。一刻も早く男に戻って、この呪われた体とオサラバしてやる!そんでもってあの鬼死女神を千発殴る! それが私の目標だ!」
全ての始まり。私達の原点は全く同一だから。
鏡写しだとしても、そこに写る像は全く同じもの。その核となる部分で私達はどうしようもないほどにそっくりだった。
「おおー、いいねいいね。目標があるってのは良い事だよ。でも、女の人をあんまり殴っちゃ駄目だよ?」
清々しいほどはっきりとした彼の答えに、自然と笑みが浮かんだ。
「いーや、あの鬼死女神には千発でも足りねえくらいだ」
まあ、確かに私もヘレナさんと再会できたら一発くらいは殴り飛ばしてやりたいから気持ちも分からないではないな。
「でも、この体になったからこそ分かるものってのもあるよね。女性特有の辛さとか、大変さとか。さっきみたいに街でナンパされるなんて男の時はなかったことだし」
「ああ、さっきのはなかなかレアな体験だった」
「そう考えると、この体になったのも悪くはないかなって。色々勉強になることもあるしね。戻れないのが問題なだけで」
「お前……なかなかポジティブだな。私にはとても良かったなんて思えないぞ」
私も良かったとまでは思えないけどね。
でも、女性の体で得をすることがあるのもまた事実。
「それに……この性別だとどうしても女と一緒に行動することになるってのがなあ……」
「ああ、それだそれ」
それがまさしく最高に最高なところだ。
可愛い女の子たちの中にいても不自然じゃない! むしろ自然!
こっちも女の子だから、向こうが全然警戒しないってのが良い。いや、別に警戒されてないからって何かするわけじゃないけどね?
「おお、お前も分かってくれるか! この気持ちを!」
「勿論。というかその気持ちを理解できるのはこの世界では私だけじゃないかな」
「はは、確かに」
リリスはそう言って笑みを浮かべた。
今までずっと仏頂面だったから心配だったのだけど……どうやらそれほど私と一緒にいることを苦に思っているわけではないらしい。良かった良かった。
「ここでルナと会えて良かったよ。こんなこと、他の奴に言っても分からねえだろうしな」
「私も始めて本心を曝け出したような気分だよ」
「やっぱり色々溜まるもんな。女の近くにいると」
溜まるって表現がなんだかアレだけど……まあ、その通りだ。特に私は『色欲』があるからなおさら気を使ってしまう。可愛い女の子達と一緒にいられるのは至上の喜びだけど、その点だけが難点なんだよなあ。
「はあ、ほんと女って……」
リリスが溜息交じりに呟く。
それに続く言葉を分かっていた私は頷き、
「「最低(最高)だよな(ね)」」
「ん?」
「ん?」
同意しようとして……首を捻った。
「んー? あれ? おっかしいな。聞き間違いかな? 今最低って……」
「え? いや、そうだろ? 女なんてろくなことしねえし。つうか、今お前、なんて……」
「「…………」」
聞き間違いじゃない?
となるとコイツは本気で……周囲の女の子を疎んでるのか?
「おい、お前それ本気で言ってんのか?」
思わず口調に力が入る。だが、それほど許せなかった。
「当たり前だ。というかお前こそ正気か? あんな歩く害悪生物と一緒にいて最高? ちょっと何言ってるのか分かんねーな」
こ、コイツ……っ!
「てめえ! 男のくせに女の子を歩く害悪生物だと!? 男としての尊厳はねえのかっ!?」
「ひらひらスカート履いて喜んでるような奴に男の尊厳どうこう言われる筋合いはねえ!」
「誰も喜んでねえよ!」
ただこっちの世界の服装は装飾も凝ってて良いなって思っただけだ!
ちょっとそれを着た自分を想像して、似合うかどうか考えてただけだ!
「やっと……やっとこの苦労を分かってくれる奴が現れたと思ったのに……っ」
そう言って手を震わせるリリス。それはこっちの台詞だっての。
というかどうしてそんな結論に達するんだよ。今はお前も女だろうが。つまり、自分自身を歩く害悪生物だと言ってるようなもんだぞ。これはもう、男としての在り方を叩きこむしかないな。
「近寄んなっ!」
歩み寄った私の手を払うリリス。
何と言うか反射的にやってしまったって感じだった。
「だ、大体お前だって可愛い服見て喜んだり、甘いもの好きだったり、男ならもっと男らしくしろよっ!」
「はあっ!? 別に好きでもいいだろ、それくらいっ!」
「紛らわしいんだよ! 見た目だって無駄にゲームの美少女キャラみたいな形しやがって!」
「好きでこんな見た目になったわけじゃないっての! つか、それはお前も一緒だ!」
最早、ただのブーメランの応酬となりつつある口喧嘩。
というかリリスが出会ったときからどこか余所余所しかった理由って……私の外見がこんなだったからか!?
「というか、なんでそんなに女嫌いなんだよ! 女の子は守ってあげるのが男の使命ってもんでしょうが!」
「知るか! なんで私がそんなことをしなくちゃなんねーんだよ! 女なんて放っておいてもしぶとく生き延びるわ!」
ぎゃーぎゃーと醜く言い争いを続ける私達。
だが、その意見はどこまでも平行線をたどり、決着なんてつきそうもなかった。
「はあ……はあ……くそっ。このまま言い争ってても仕方ない。おいリリス! これからどっちの意見が正しいか勝負をするぞ!」
「はあ? 勝負だって? それは良いがどうやって決着をつけるつもりだ?」
「お前は女の子は放っておいてもしぶとく生き残るって言ったよな。なら、女の子の世界がどれだけ危険なのかってことを教えてやる」
私が持ちかけた勝負。それに私は自信があった。
「これから私は大通りでナンパされるのを一人で待つ」
「……頭大丈夫か?」
「良いから聞け。いいか? 恐らくこの時期はイベント関連で女の子に声をかけようと狙ってる奴がいくらでもいるはずだ。さっきだってそうなったしな」
「ああ、そういえばあったな。そんなことも」
「そこでだ。私は普通の女の子を装い、ソイツらに敢えてナンパさせる。私ほどの美人なら奴らもそう簡単に逃がそうとはしないだろう」
「さらっと自画自賛したな、お前」
「そして、それからどれだけの危険が訪れるかで勝負を決する。私の予想なら、ちょっとR18でないと描写できないような事態になるはずだ。エ○同人みたいに」
「……やっぱり、頭大丈夫か? 色々と」
うるさいな。それぐらいしないとお前は分からないだろうが。
「良し、それなら……んっ、んんっ。早速始めましょう」
ちょっと熱くなっていた自覚がある私は一度、喉の調子を確かめて元の口調に戻すことにした。どうにもリリスと一緒にいると口調が引っ張られる。自分の本当の性別を知ってる相手を前に、女の口調で話しかけるってのも今更ながらとんでもなく恥ずかしいことをしているような気がするが……まあいい。
「止めはしないけど……本当に大丈夫か? というかそもそもそんな簡単に相手が釣れるか?」
「そこは任せなさい。私は前に拉致されたこともあるからね」
「いや、全然大丈夫じゃねえだろそれ!? えっ!? 拉致!? マジで!?」
一体何を驚いているのやら。私達くらいの可愛らしさなら拉致の一度や二度は経験してるでしょうに。
「良し、行くわよ」
「えっ、ほ、本当に行くのか? なんだかすんごい心配なんだけど……」
「大丈夫だって。忘れたの? 私は吸血鬼よ? それに言ってなかったけどこれでも魔術師の端くれだから、その辺の一般人に遅れは取らないわ」
「いや、それはそうなんだろうけど……」
「そんなに心配なら近くで見てなさいよ。まあ、十中八九私の読みどおりになると思うけどね」
「……不安だ」
そうして私達は移動を開始することにした。
駅前に辿り付いた私は日陰になってるベンチを見つけると、そこに一人腰掛け、足元の小石を軽く蹴ってみた。誰か構ってくれないかなーのポーズだ。視線を向けると、近くの木の陰からこっちを見ているリリスの姿も映った。
良し……準備は完璧だ。冷静になると何がしたいのか良く分からない気がしてきたが完璧だ。後は軽薄な男が現れるのを待つだけだが……
「あれ? もしかして君一人? 彼氏にでも振られちゃった?」
ご、五分もしない間に来やがったぁぁぁぁっ!?
いや、待ってたのは私だけどさ! なんなの私! 犯罪者ホイホイか何かなのか!? いくらなんでも早すぎるでしょう!?
「え、えと……あはは。ちょっと道に迷っちゃって」
人生と言う名の道にな。あと、現在進行形で方向性を見失ってます。
「それは大変だね。良かったら近くまで送ってあげようか? ちょうど俺達も移動するところだからさ」
「え? 俺達?」
「うん。ほら、あそこの車」
男が指差した方向に視線を向けると、そこには……
「ほら、あそこの白いバン。見える?」
ハイエースだぁぁぁぁっ! ハイエースするつもりだよこれぇぇぇぇ!
ま、マジかっ!? まさかいきなりこんな大物に当たる!? 絶対あの車の中でチョメチョメするつもりだろぉぉぉっ!
「あー。で、でもどうだろ。ちょっと遠いから迷惑になるかも、なんて?」
「大丈夫。大丈夫。俺達やさしーから。退屈しないように相手してあげるし」
やべええええっ! 相手させられるぅぅぅぅっ! コイツらの相手させられるぅぅぅぅっ!
「ほら、行くよ。急いで」
あんまり周囲の人間に見られたくないのか、男は私の手を掴むとぐいぐいと引っ張って行った。それで強制的に日なたに出させられてしまったのだが、そのせいで体の力が奪われていくのが分かった。
や……やばい。これは結構本気でやばいかもしれない。
へ、へるぷみー!!!
(あ、慌てるな。まだだ、まだ焦るような時間じゃない。私にはまだ……魔術がある!)
私は男の手を振りほどくため、ちょっと影法師を呼び出そうとして……気付く。
「あ、あれ……?」
魔力が……集まらない。体内にあるのは感じるのに、それが全く外に出て行かないのだ。
(まさかこっちの世界って……魔術使えないのかっ!?)
ちょっと考えればその可能性を思いつきそうなものだったが、私は事前にその確認を怠ってしまっていた。『陽光』のスキルが発動している以上、体質はそのままのようだが……やはり駄目。魔術だけはどうしても使えそうになかった。
「ほら、すぐに連れて行ってあげるからね」
「ちょっ、ちょっと待っ! は、離してっ!」
車のすぐ傍まで連れて来られた私は咄嗟に男の手を解こうとするが……
「……ちっ、急げ! 車出すぞ!」
私の周囲を数人の男が囲むと、あっという間に車の中に押し込まれてしまった。そして……ガチャンッ!
「……がちゃん?」
「悪いがちょっと我慢しててくれよ。暴れられても困るんでな」
視線を落とすと私の両手にはどう見ても玩具には見えない鉄製の手錠がかけられていた。
……え? マジで?
「良し、予定地に向かえ。撮影班の準備は出来てるな?」
「はい。準備はもう出来てます」
さ、撮影班って何のことかなー。あ、もしかして映画の撮影とか? そうだよね。まさかいきなりこんな冗談みたいなこと……
「あ、あの、私どこに連れて行かれるんですか?」
「ん? ああ、そうだな……」
私に声をかけた茶髪の男に聞くと、そいつは……
「──"天国"だよ」
手に持っていた瓶を開けると、その中身を強引に私に飲ませてきた。両手を塞がれていた私はそれを止めることも出来ず……ゆっくりと、意識を闇の中に落としていくのだった。
---
気付くとそこは見知らぬ場所だった。
周囲は閑散としており、男たちの姿はどこにもない。物置なのか何なのか、埃を被った品物が並ぶその小さな部屋の中に私は手錠をかけられたまま椅子に紐でくくりつけられていた。
「……マジか」
呆然と視線を上げると、小さな天窓が見え、そこから僅かに光が漏れていた。どうやらまだ日は完全には沈んでいないみたいだけど……状況はかなり悪い。
「ぐっ……」
自力で手錠を外せないか試してみたが、今の私の力では鉄製の手錠はびくともしなかった。これで少なくとも自力で脱出することは不可能だと証明されたわけだ。
さて……とりあえず……。
や、やべえええええええええっ!! なんだこれ!? やばすぎんだろこの状況! ちょっとナンパしてくれれば良かったのにガチの誘拐だと!? 私の拉致歴に何新たな1ページを加えてくれてんだ!
つか……これ、ちょっ。マジで洒落にならないんですけど。う、動けない!
え? 慌てるなって? こんな状況だからこそ落ち着いて対処しろって? 馬鹿か!? こんな状況冷静でいられるか! 今慌てずしていつ慌てろってんだよ! いつ慌てるか? 今でしょっ!
「へっ、へるぷみーっ!」
「……大声出してんじゃねえよ」
「え?」
頭上から聞こえた声に視線を上げると、
「あいつらにバレるだろうが。声は抑えろ」
天窓から身を乗り出し、すたんっ、と私の目の前に着地するリリスの姿があった。た、助けに来てくれたのか、こいつ!?
「り、リリスぅぅぅぅっ!」
「だから声は抑えろって言ってんだろ!」
「ご、ごめんっ。お前こそ真の男だった! 私が間違ってたっ!」
「今はそんなこと良いからじっとしてろ……良し、取れたぞ」
手際よく私の縄を解いたリリスはそのままドアに近づいていくと、聞き耳を立てた。それからちらりと天窓に視線を向けるリリス。恐らく、そこから出られないかを考えているのだろう。天窓までは目測でも3メートル近くある。私達が肩車しても届くことはないだろう。近くには足場になりそうなものもないし、そこから脱出することは出来なさそうだ。つまり……
「……ちっ、誰かこっちに来るな。おい、ルナ。お前もう動けるか?」
「大丈夫。手が塞がってるのだけが問題だけど」
「良し……なら、強引に突破するぞ。ついて来い」
そうなりますよねー。
「……ごめん。こんなことに巻き込んじゃって」
「あん? いきなり何言ってんだよ」
「いや、私があんな馬鹿みたいなこと言い出さなきゃこんなことにはならなかったから……だから……ごめん」
「…………」
扉に手をかけたまま私を見るリリス。そして……
「一回は一回だ」
「……え?」
「だから一回は一回。お前は私を最初に助けてくれただろうが。だからその借りを今ここで返す。それに……お前が言ったんだろうが。女の子を助けるのが男の役目だ、って」
「リリス……」
照れたように頬を掻くリリス。そんな彼に、私はどうしても我慢できず……
「いや、私は男だからね?」
「いま突っ込むとこはそこじゃねえだろ!」
え、いやだって……ねえ? そこは私のアイデンティティにも関するところだ。どうしても譲るわけにはいかんのだ。
「撤回を求める。私は囚われのヒロインじゃない」
「状況的には似たようなもんじゃねーか! こんなところでめんどくせーこと言ってんじゃねえよ!」
「なっ、重要なことでしょ! 私は男として生きているつもりなんだから、その立ち位置だけははっきりさせたい!」
「なら、こんなところで間抜けにも捕まってんじゃねえ!」
再び、ぎゃーぎゃーと醜く喧嘩をおっぱじめる私達。そして、そんな声を聞きつけて男たちが集まっているようだった。
「おいっ、こっちだ! 声がするぞ!」
「「あ、やべっ」」
とりあえず私達は取っ組み合うのをやめ、
「仕方ねえ……行くぞ、ルナ」
「ええ。一瞬で終わらせてさっきの続きをしましょう、リリス」
「……まだやるつもりなのかよ」
「当然。私は男よ。その点を譲るつもりはないから」
「頑固な奴だよ……ったく」
お互いに軽い笑みを交わし、扉を開けて部屋を飛び出した。
どうやらここは今は使われていない廃工場だったらしく、人一人が中を通れそうなぶっといパイプやら何に使うのか分からない機械が所狭しと並べられていた。
そして、その隙間を縫うように……
「ちっ! 抜け出しやがった! おい、さっさと捕らえろ! 絶対に逃がすんじゃねえぞ!」
男たちが私達に向け、飛び出してきた。
逃げるか戦うか逡巡する私の前を、リリスが駆ける。
「女一人を誘拐するためにここまでするかよ。全くわかんねーな。その神経」
そして、一人の男の拳を避けるとそのまま男の鳩尾に深い殴打を叩きこんだ。
遠目から見ても分かる衝撃に男は膝を付き、倒れこむ。
(……強いな。腕力はそこまでじゃないみたいだがかなり戦い慣れてる。動きに無駄もないし……一体、どんな修羅場を潜ればこれだけ肝が据わるんだよ)
リリスの予想以上の身体能力に舌を巻きながら、私も目の前の男の掌底を受け止めるとそのまま腕を絡めとり飛び蹴りをお見舞いする。
身体能力も戻ってきてるし……いけるぞ。これならこの難所、越えられる。
「ちっ……なんだ、こいつら……おいっ!」
一人の男がきらりと光るナイフを取り出すと、それに合わせたように周囲の男たちもそれぞれに武器を手に取った。つか、本気か。傷でも残ったらどうしてくれる。
「いいねぇ! そっちがその気なら相手してやろーじゃねーの。本気のケンカを楽しもうぜ!」
「……男の風上にも置けない下衆どもめ」
私とは対照的になぜかテンションの上がっているリリス。頼りになるんだか危なっかしいんだか分からん奴だな。
とはいえ……状況は芳しくない。こっちの世界で『再生』スキルが使える保障はない。あれも魔力で元にするスキルだからね。あまり大きな怪我は負いたくないところだが……ん?
「アイツは……」
私が目をつけたのは、部屋の一際奥でこちらの様子を傍観する茶髪の男の姿だった。アイツは私をここに連れてきた元凶でもあり、私に手錠をかけた男でもある。つまり……この手錠の鍵を持っている可能性が非常に高い。
「手錠さえなかったらこんなところ……っ!」
狙いを定めた私は体勢を低く保ちつつ……部屋を駆け抜けた。
私の身体能力は人間のそれを軽く越えている。本気を出せば、陸上の世界記録も楽に塗り替えてしまうことだろう。驚く男たちの顔を背後に流しつつ、私は男の前にたどり着いた。
「う、うわっ!? な、なんだこいつっ!?」
「さっさと鍵を出せ。そうしたら殺しまではしない」
威圧スキルを発動して脅しをかけたつもりだったが……どうやら発動していないっぽいな。そこまでのビビリようじゃない。
「くそっ、これでも食らえっ!」
後ずさる男はポケットから私に向けて筒状の何かを投げ出した。
(──爆発物かっ!?)
咄嗟に物陰に隠れようとした私の目の前で……光が、弾けた。
「ぐっ、うああっ!?」
どうやらそれは閃光手榴弾の類のものだったらしい。激しい閃光は私の網膜を傷つけ、一時的に視界を奪う。
くそっ……なんでそんなものを持ってんだ。どっかの軍隊かよっ。
「ルナっ! 危ねぇっ!」
「…………っ!?」
途中、リリスの声が聞こえたが、瞳を焼かれた私には状況を把握することができなかった。そして……ゆっくりと視力が戻ってきたとき、そこに広がっていたのは……
「っ!? り、リリスっ!?」
「うっ……」
腕から血を流し、苦悶の表情を浮かべるリリスの姿だった。
男たちから私を守るように立ちふさがるリリスはようやく私が復活したことを悟ったらしく、ほっとした表情を浮かべていた。
「リリスっ!」
「だ、大丈夫。ちょっと肩を切られただけだ」
咄嗟に駆け寄って容態を調べるが……思ったよりざっくり斬られている。だらだらと流れる血が手の甲まで届き、その綺麗な肌を真っ赤に染めていた。
痛みに耐えるリリスの姿に、私は……
「ちょっとだけ、待ってて。リリス」
「……ルナ?」
軽く、膝を付き、彼女の怪我している方の手を手に取った。
そして……血に濡れる彼女の手を取り、その手の甲に優しくキスをした。
まるで女王に誓いを立てる騎士のように。
「君はもう、誰にも傷つけさせたりしない」
そして、立ち上がったときにはもうすでに、私は"完成"されていた。
「る、ルナ……お前、その姿……」
「良かった。こっちはちゃんと機能してるみたいで。これで……リリスを守れる」
体に力が漲っていくのを感じる。それは現代日本では初となるかもしれない……
「一瞬で、終わらせる」
──吸血鬼の、降臨だった。
動き出した後は早かった。軽く両手を動かして、手錠を引きちぎった私は一番近くにいた男に狙いを定めた。
一人目の男はナイフごと叩き折るように掌底を叩きこんでやった。
二人目は私の動きを捉えられなかったようで、足払いをかけるだけで見事にすっころんで頭を強打していた。
三人目の男は私が蹴り上げると、冗談みたいに高く宙を舞った。
四人目は私に向けて切りかかって来たので、その手を取って五人目の男に向けてぶん投げてやった。両方とも面白いくらいに吹き飛んでいた。
六人目は背の高い男だったので足を狙った。膝を折ったところに、アッパー気味の掌底を叩きこむと白目を剥いて失神した。
七人目はすでに逃げ出そうとしていたので、近くに落ちていたナイフを『舞風』の要領でぶん投げてぶっ刺してやった。魔力が使えなかったので、普通に投げただけになったけど、深々と足に刺さったナイフに男は派手に転倒していた。
そして……
「ぐっ、く、来るなっ!」
最後に残った茶髪の男に、私はゆっくりと近づいた。
「な、なんだよお前……なんなんだよその姿はっ!?」
男は私の額に伸びる漆黒の角を見て驚いているようだった。いや、驚いているっていうよりは酷く恐怖しているようだった。顔がまるで猿のようにくしゃくしゃに歪んでいた。
「ああ、これ? これはね……」
そして、私はゆっくりと男の額に手を当て、
「──コスプレだよ。吸血鬼のコスプレ。ほら、今日ってハロウィンじゃん? 折角のイベントは……楽しまないとね」
にっこりと笑みを浮かべ、そして渾身のでこピンを男に向けて放つ。
それだけで男は"縦に"一回転して地面に激突した。
静かになった工場内で、私は一つ息を吐く。
ああ……またやっちまったよ。どうにも女の子のことになると手加減が出来なくなる。死んではないと思うけど、数ヶ月はまともに歩けないかもしれないな。あれ。
「おい、ルナ」
「あ、リリス。傷の方は大丈夫……って痛っ!?」
「やりすぎだ。ちっとは手加減してやれ。男だぞ」
リリスは私の額にチョップを落とすと溜息を漏らした。この後始末はどうすんだよ、と。そんなの放っておけばいいと思うけどな。どうせ犯罪者の集まりだし。
「というよりリリスは早く治療しないと」
「ん? ああ、これくらい唾でもつけとけば治るだろ」
おおう。なかなか豪気だな。可愛い顔してなかなかどうしてワイルドじゃないか。
「というかさっきのあれ、何だよ。私はお姫様か?」
「あれって、ああ、あれ? いや、私を庇ったリリスと傷をみちゃったら冷静でいられなかったというか、その……勝手に血を吸ったりして、ごめんね?」
「何となく分かってはいたけど……やっぱり、あれ。そういうことかよ」
「め、面目ない……」
「まあいいよ。お互い無事に……ってわけでもないが、こうして帰れそうなんだし」
リリスは片付いた工場を見て、そう言った。
「しかし……お前の言ってた通りだったかもな」
「え? なにが?」
「だから、女の世界には危険がいっぱいだってこと。今回は私達だったから良かったけど、これがもしアイツと一緒だったら……」
そう言ってここにはいない誰かを見るかのように遠い目をするリリス。
「……でも、それを言うならリリスの言ってたこともじゃない?」
「ん? どれだ?」
「いや、女は勝手に自分で何とかするってこと。結局、こうして女だけで何とかしちゃったわけだし」
「おいおい、お前は男なんじゃなかったのかよ」
「中身はね。でも体は可愛い女の子なんだから」
「可愛いは余計だろ。自分で言うか、それ」
そう言ってリリスは以前にも見た笑みを浮かべた。
「……ん?」
「お?」
そして、私達は同時に気付いた。私達の足元にそれぞれ光る魔法陣がゆっくりと現れだしたことに。これは師匠から送り出されたときと同じ現象だ。ということは……
「……どうやらお別れらしいな」
「……だね」
視線を上げれば、そこには困ったような表情を浮かべるリリスがいた。
言葉を探す雰囲気。もう、残されている時間は少ない。だから……伝えるなら今しかない。
「その、なんだ……結構楽しかったぜ。色々、妙なことになっちまったが……お前と会えて良かった。あの言葉は今も変わらない」
「……うん。私も良かった。リリスと会えて」
自分以外にも戦っている人間がいるのだと、知ることが出来た。
それだけで私は救われたような気分だった。
ずっと……ずっと私は一人でこの気持ちを抱えてきたのだから。それを共有できるリリスと出会えたことは私にとっての救いだった。
「たぶん、私達はもう二度と会うことはないんだろうな」
「でも、そっちの方がいいのかも。長く一緒にいてもお互い付き合い方に困るだろうから。正直、私が男って知ってる人の前で女口調を続けるのは恥ずかしいし」
「はは、確かにそうかもな」
リリスぐらい自由に振舞えればそれでも良いんだろうけど……私はまだ、その勇気がない。だから……
「さよならだね。リリス」
「ああ。さよならだ。元気でやれよ、ルナ。それと……」
すっ、と差し出された拳に、私は自分のそれをぶつけながら応える。
「「絶対に男に戻ろうな(ね)」」
最後はお互い笑顔だった。
笑顔のまま別れを告げる私達の周囲を優しく光が包み、そして……
──来たときと同じような浮遊感が、私を満たしていくのだった。
---
「……ん?」
「おっ、起きたか。ルナ」
目を開けると、目の前に師匠の顔が広がっていた。
反射的に手が出ると、師匠はあっさりとその手を受け止めると私を優しく起こしてくれた。どうやら私はベッドに寝かされていたらしい。
「それで? どうだったよ、異世界は」
「あー……そうですね。まるで夢でも見ていたような気分ですよ」
自分の手を見て、ゆっくりと記憶を思い出す。
まるで一瞬の幻のようにも思えるあの体験はまさしく夢というに相応しいものだった。あれが夢か現実かなんて、確かめようがないしね。でも……
「……楽しかった」
最後に触れ合った拳の感覚を覚えている。
それだけは私にとっての真実だった。
「おお、そりゃ良かった。じゃあ、次の実験だが、来週の頭に……」
「それは嫌です。こんな経験はもうこりごりですからね」
師匠の言葉を遮るとゆっくりと立ち上がり、体の調子を確かめる。
うん。異常なし。無事に帰ってこれたみたいで良かった良かった。
「ありゃ? そうなのか? でも楽しかったんだろ? いつか、滞在時間が延びれば向こうに移住することも出来るかもしれないんだぞ?」
「……それは魅力的な提案ですね。でも……」
日本に戻れるかもしれない。
その可能性は本当に魅力的な未来だった。
だけど……
「私には他に、するべきことがありますから」
苦笑を浮かべ、私は過去の未練を断ち切った。
なぜならリリスに名乗った通り、今の私は……ルナ・レストンなのだから。
かつて日本に住んでいた引きこもりゲーマーはもう死んだのだ。思えば向こうの世界で自分の家に戻ろうと一瞬でも考えることはなかったし、すでに私はそのあたりに折り合いをつけてしまっているのだろう。
だけど、それで良い。それで良いのだ。
どんな姿かたちだろうとも、その核を失わなければどんな姿をしているかなんて大した問題ではないのだから。私は私らしく。
そうでなければ……
──あの可愛らしくも男らしい、どこまでも不器用な友人に笑われてしまう。
それだけはどうしても我慢出来そうになかった。
(……私は前に進むよ、リリス)
心の中でもう二度と会うことはないだろう友人に誓いを立てる。
この世でたった一人、私と境遇を同じくする彼の笑顔を思い浮かべ……私は改めてこの世界を生きていく覚悟を固めるのだった。
ハッピーハロウィン!
ということで、どうも、いつもより数倍テンションの高い秋野錦です。
いやー、以前からイベントものの小説を書きたいと思っていたので凄く楽しかったです。
コラボしてくださった庵 仁娯先生本当にありがとうございます!
そして、最後まで読んでくださった読者の皆様にも感謝を!
普段から本編の方でお世話になりっぱなしですので、こういった形で少しでも楽しんでもらえれば幸いです!
どうせならあのキャラ出して欲しかった!って声もあると思いますけどね。
それはまあ……なんと言いますか、尺の都合上と言いますか……
またの機会に、ですね!
あ、それと庵 仁娯先生の方ではリリス視点でこのお話が描かれておりますので、興味のある人は覗いてみてください。リリスも良いキャラしてますからねー。ルナとはまた違った残念型面白系主人公です(←失礼)。
気になる方はこちらのURLからどうぞ。
https://ncode.syosetu.com/n5865dv/196/
ではでは、再びになりますが最後まで読んでくださって本当にありがとうございました!
またどこかの作品でお会いしましょう!
「吸血少女は男に戻りたい!」&「百合ってロリって迷宮攻略!」のコラボイベントでした!
【おまけ】
両作品の最強ヒロインのお二人。可愛い(確信)。