第七章 ~念仏者は無礙の一道なり~
【私訳】
阿弥陀如来さまはな、おまえのことが大好きなんだ。
必ず浄土に迎える、絶対見捨てないって誓っているんだ。
だからおまえの南無阿弥陀仏をな、何者も妨げることはできないんだ。
おまえの南無阿弥陀仏はな、迷いのない一筋の大道を歩むことなんだ。
──それはなぜか。
とても簡単なことなんだ。
念仏ってな、仏が念うって書くんだよ。
おれらが仏を念じる、じゃあないんだよ。
阿弥陀如来に願われて、オレらは全員全部、成仏する。
信じられなくても大丈夫だ。
阿弥陀さんがおまえの往生成仏を信じているから。
「他力」ってんだ。覚えとけ。
おまえが南無阿弥陀仏の念仏を、称えるそのこころはな、如来より賜った信心だ。
そうやって念仏するおまえには、阿弥陀如来の功徳がすべて成就している。
だからあらゆる神々が、おまえを敬いひれ伏して、悪魔も、外道も、何もかも、おまえの南無阿弥陀仏その歩みを妨げることができないんだ。
イエスもアラーもアマテラスも、みな今ついに念仏するおまえのための如来の化身だ。
老い、病苦、死という我が身の事実がな、ありとあらゆる現象が、おまえが念仏するための方便だ。
苦悩、困難、絶望と、その身に集まるご縁すべてがな、おまえの念仏するための機縁だ。
麻薬、賭博、犯罪と、おまえを怠惰・堕落に貶める、ありとあらゆるモノゴトが、おまえの身に現前しても、おまえの念仏の妨げにならない。
なぜなら如来がおまえの浄土往生を信じているから。
いかなるカルト教団も、阿弥陀如来の真実の、真理の前には意味がない。
なぜなら阿弥陀如来が究極絶対の真理だから。
真理(如)の方から来てくれるんだ。
たとえおまえが大罪犯しても、阿弥陀さんがおまえを見捨てることは絶対ないんだよ。
何があっても大丈夫、安心の大地に樹っていることを覚えとけ。
だから念仏以外に何もいらないことを覚えとけ。
気付いたか?
ちっとも曇らない、ダイヤモンドみたいなお願いが、奥底からまっすぐおまえを支えていることを。
──称えよ、それが「南無阿弥陀仏」の念仏だ。
もう、大丈夫か?
多くの人が南無阿弥陀仏で往生した。
あの人あの子、あの方々が、先に逝っておまえを待ってるぞ。
苦悩してもいいんだぜ?
たとえ間違えても問題ない。
仏がおまえを見捨てない
心配すんな、大丈夫だ。
まっすぐ自然に生きていこう。
──称えよ、すべては南無阿弥陀仏に成就する。
このことを、親鸞聖人が教えてくれたんだ。
【本文】
一 念仏者は無礙の一道なり。
そのいはれいかんとならば、信心の行者には、天神・地祇も敬伏し、魔界・外道も障礙することなし。
罪悪も業報を感ずることあたはず、諸善もおよぶことなきゆゑなりと云々(うんぬん)。