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宰相、頭を悩ませる。

 儂の名前はアンブロース・コープマン。沿海王国の宰相である。

 南北は大洋と内海に挟まれ、東は大山脈を擁する半島という土地柄、外からの侵略もなく、資源に恵まれた豊かな国土を持つ王政の国家だ。


 現国王陛下が亡き先代の遺志を継ぎ、かつて分裂した国々を再び取り込みこの地を平定するまでに、わずか十数年。

 幾度かの戦争を経てはいるし、辺境では時折小規模な内戦が起きることもある。

 だがそれを差し置いても、海向こうや山向こうなどの国々と比べれば、概ね平和であるといえよう。



 さて。国土を統一し、政情が安定した頃に陛下が頭を悩ませ始めたのは、ご自身の後継者問題。

 陛下は正妃と側室のお二人を娶っておられ、全部で四人のお子をお持ちである。

 正妃が第一王子、第二王女、第二王子のお三方を無事にお産みになり、一時は王宮もほっとした。


 ……かと思えば、今回の"第一王子婚約解消問題"である。これを問題とせずしてなんと言おう。

 こともあろうにこの第一王子殿下は、国母となるべくして育てられ、将来を嘱望されていた婚約者であるヒルダ・ファンデルヘイデン公爵令嬢を糾弾し、婚約の撤回を求めたのである。

 その上で無名の男爵令嬢を娶ると言い出したのだから、陛下の心労は計り知れない。


 今は亡きファンデルヘイデン公爵は、陛下や儂とともに幾度となく過酷な戦場を経験した武将中の武将、側近中の側近であった。

 若い頃は、陛下と「お互い子供が出来たら結婚させよう」などと冗句を言い合うほどの仲で、酒が入るたびに「豚のところにはやらんがな」と儂の腹をつねってきたのは、今でも良き思い出である。

 そんなに大した人間じゃない、国葬なんかしなくていい。と、本人の強い生前の希望もあり、ひっそりと行われた公爵の葬儀。

 終わった後に陛下がぽつりと漏らした言葉。「約束は守る」。

 俯く陛下に、なんと声をかければよいか分からなかったこともまた。


 「私は子供の育て方を間違えたのだろうか。これではあの世で公爵に合わせる顔がない」

 とは、このところ第一王子殿下の愚行を聞き、頭を痛めていらっしゃる陛下のお言葉である。

 独り身の儂に教育相談してくるほどには参っているようで、正直なところこちらとしても、見ていていたたまれない。


 隠密の者に王太子殿下を護衛させていた関係から、件のマリアンネ嬢らの様子も伺わせていたが、公爵令嬢やその友人がマリアンネ嬢に嫌がらせをしたり、暴力を振るったりといった現場は捉えられていない。

 ファンデルヘイデン公爵令嬢本人、そして婚約者である殿下やマリアンネ嬢に熱狂的な一部生徒の言葉から、公爵令嬢が幾度となく彼らに諫言した事実は認められた。

 だがそれだけでは当然、婚約を見直す材料としては不十分である。

 ファンデルヘイデン公爵令嬢との婚約を考え直したいと幾度となく申し立てをする第一王子を、そうして陛下もなんとかいなしていた。


 ……一部生徒とは言うが、確認できただけでも現騎士団長の息子、魔術室長の息子、学園長の孫、と国の将来を担うはずの者ばかりだ。なんと嘆かわしいことか。

 その彼らが事実にない証言をし、魔術室長の息子が記録水晶などという物的証拠まで捏造した。それは良い。そこまでは想定の範囲であったのだが……。


 いざ彼らの追及をする為に場を整えてみれば、普段であれば気が強く、たとえ相手が殿下であろうと自分の意見をきっちり述べるはずのファンデルヘイデン公爵令嬢が、なんとあっさり無実の罪を認めてしまったのだから、陛下も困り果ててしまった。

 混乱し、追い詰められた陛下は、なにをトチ狂っ……いやご乱心されたのか、このようなキモオヤジにうら若き可憐な公爵令嬢を嫁がせる、などと……。


 おかげで公爵令嬢に至っては、会議室を出た途端に大粒の涙をぽろぽろと零されて……。

 それまで張っていた気が緩んだのであろう。儂のたゆんたゆんのブタ腹に脇目も振らず顔を押し付けて声を上げる少女を、儂は優しく撫でてやることしかできなかった。


 こんな役回りを押し付けられた彼女が、不憫で仕方ない。

 せめて私生活くらいでは、儂の手元を離れるまで、不自由ないようにしてやろう…………。

 


 などと考えていた頃が懐かしい。



 蓋を開けてみれば、ファンデルヘイデン公爵令嬢……、ヒルダは考えていたよりもたいそう芯の強い少女であった。

 泣き疲れて眠ってしまったかと思えば、翌朝には物凄い剣幕で邸の掃除をしろと言い出し、儂がなにごとかと驚いている合間に、自分のところから使用人を引っ張ってくる。

 果てには人手のために奴隷が欲しいと言い出す始末。これには逆に感心されられてしまったものだ。


 王太子の婚約者であるためには、その肩書きに見合う振る舞いが求められる。

 恐らく彼女は今に至るまで、きっちりと己を律し、婚約者に相応しい言動をしてきたのだろう。

 それが楔を解き放たれた反動として今のヒルダに表れているのだ。


 ヒルダの有り余る行動力は気迫に溢れ、さしもの儂と言えどちょびっとだけ怖かった。

 であるからして、奴隷を引き渡したあたりから一週間の冷却期間を置いて帰ってきてみれば……。

 一時、言葉を失ってしまった。

 邸はピカピカ、そこかしこに上品な緑や花が飾られ、どことなく母上がご存命だった頃を彷彿とさせる気配であった。

 なんと言えばいいのか、女手がいる家、まさにそういった感覚である。

 その上でしかし「豚小屋には住みたくない」などと静かに罵られ、やはりちょびっとだけ怖かった。ほんの少し腰が引けてしまったのはヒルダには内緒である。



 そんな日々を過ごすうち、ヒルダがこの家に来てからあっと言う間にひと月が経とうとしている。

 ものは試しとヒルダの言に従った結果なのであろうか? 此の所、すこぶる体の調子が良い。

 何をしていても動きが軽く、宰相になってからの身体の不調が全体的に……特に肩こりと腰痛と胃痛が、明らかに和らいだ。


 もしこれがヒルダの「計画」とやらの成果であるのなら、非常に革新的な手法である。

 今後良い結果が出るようであれば、ヒルダの許可を得て、王宮の豚仲間にも教えたいところだ。

 ……揚げ物を減らされ、ちょびっとだけ悲しい気分であるが。


 ヒルダは揚げ物を「貴重な油の無駄遣い」と言っていた。

 揚げ物はただ火で焼いただけの肉や魚よりもずっと美味しいから、と常食にしていただけであったが、それならば仕方あるまい。この際、オリーブから採れる安価な油を増産し、揚げ物用として市場取引を増加させるのも良いだろう。

 ただ一点だけ、揚げ物の中でも特に美味である鯵だけは譲れないと言えば、それくらいならと数日に一度は大きめの一尾が出てくるようになり、逆に嬉しかったこともまたヒルダには内緒である。


 それにしても、以前から雇っているあの料理人。

 腕が良いと評判の時期もあったが、事故で片足を失ってからはどこにも働き口がなかったそうだ。

 そうして仕方なしにこのコープマン家を選んだようであったが、あれでなかなかに良い料理を作る。

 他の貴族が余り口に入れないような食材も上手く調理するのはもちろん、ヒルダが軽く希望を伝えるだけでその通りのものを作って見せるのには驚かされた。

 ヒルダのことといい、まったく人は見かけによらぬとはよく言ったものである。

 

 しかし、調子も好く、執務室どころか邸の隅々までが磨かれているとあれば、これで気分が悪いわけがない。

 王宮で仕事しては寝、帰って仕事しては寝の生活であったが、こうなると心持ちも些か変わってくるようであるな。

 日も登るか登らないかのうちから叩き起こされ、走り込みと往復運動。なぜか木剣の素振りまでさせられるのは、流石に勇猛で名を馳せたファンデルヘイデン公爵家というべきか。


 驚かされたのは、玉のような汗を浮かべながらではあるが、ヒルダがこの訓練を当たり前のことのように一緒に行っていたことである。

 聞けば公爵が存命の幼い頃は、時折こうして汗を流していたのだそうだ。


 全く、奴は娘にいったい何を教えているのか。

 ヒルダは体型維持のために必要とか淑女のたしなみとか何とか言っていたが、間違っている気がしてならない。いやしかし、確かにこのひと月で腰回りの脂肪が落ちたようにも感じる。ううむ……。

 これが痩せるということなのだろうか。


 朝の運動が終われば、身なりを整えてからの穏やかな朝食。

 油と塩を使う料理はほとんど出て来ず、葉物やパンといったあっさりとしたものが多い。時折乳製品が出る。

 朝を抜くと太るが、食べ過ぎても太るらしい。もしゃもしゃと野菜を貪る儂の姿は、傍目から見ればまさに豚であろう。

 もちろん、昼と夜も献立が決められておる。

 王宮でこっそり油モノでも食べようものなら、どこからともなくヒルダに報告が行き、帰ってから運動三昧である……。

 もうしない。


 それから王宮に向かうわけであるのだが……これがまた頭が冴えて、普段の二割増しの速さで仕事が進むので面白い。

 以前なら寝ぼけた頭で働き始め、少し時間が経ってから調子が乗ってくるところを、最初から体が思い通りに動くのだから当然であろう。

 おかげで夜遅くまで明かりを灯して残っていることも格段に減った。


 空いた時間に興が乗って、ヒルダに簡単な書類仕事を教えてみたところ、これもまた華麗な手捌きで思わず目を見張るほどである。楽しそうにスイスイと処理していくのが痛快で堪らない。

 王立学園での評価は伊達ではないということか。まとまった時間が取れるようであれば、そのうちに他の仕事を教えてみるのも悪くはないだろう。

 まったく、この娘といると飽きないことばかりであるな。



 此の所、平穏でありながらも刺激的な、そんな楽しい生活を送っていたのだが。

 いついかなる時でも、頭を悩ませる案件というのは無くならないものである。

 書類の整理が終わり、執務室で一息ついている儂の手元には、一通の招待状。

 きちんと蝋で封がされ、王家の紋章、そして教会の印が刻まれた紙切れには、嫌というほど見覚えのありすぎる筆跡でのサインがあった。


 つまりは第一王子とマリアンネ男爵令嬢からの、婚約披露パーティへの招待である。



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