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精霊の……おさマリ……  作者: 河村 政志
第一幕 始まりの物語
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第一幕 始まりの物語  第一章 縁(えにし)の始まり……

------ 第一幕、第一章 ------ (えにし)の始まり…… ------



「……ずいぶん、遠くまで来た……。……そんな気がする」

「はい。マイン・マイスター……」

 二人の足跡が、どこまでも続く真っ白な砂浜に伸びて行く。

 少女が、光る金糸を(たお)やかに揺らしながら、青年に声を掛けた。

「……随分、遠くを見ている目ですね。……何を考えていらしたのですか?」

 青年の()(もと)が、優しく緩む。

「……昔のことを……。 “ マリー ” と初めて会った日からのことを考えていた。

 八歳の終わりの、春のことだった……」

「はい。……あれから色々ありました。結構、忙しい年月でしたね……。

 ……季節は休み無く(めぐ)り続けます。……もうすぐ、あれから十二回目の夏なのですね……」

「ああ……。(ぼく)の二十一年()の歩みには、 “ 赤点 ” ギリギリの内容も多かったけれど……。

 今日、ようやく “ 結婚の儀 ” を迎えることが出来たのは、(みんな)()(かげ)だ……。

 マリー。これまでの君達の忠節に心から感謝する。そして、これからも変わらぬ(まじ)わりを願う……」

 少女は、右手を左胸に当てると、(うやうや)しく(こうべ)を垂れた。

「何を言われるかと思えば……。(わたくし )(ども)、全 “ (せい)(れい) ” の忠節は不変です。

 こちらこそ、(いく)(ひさ)しく()(そば)で仕えさせて頂くことを()い願うものです。どうか、何時(いつ)までも()姿(すがた)(かたわ)らに……」

 青年は、微笑んで、静かに(うなず)いた。

 ……遠くで女性が呼ぶ声が聞こえる。

「“ (かっ)くん ” ……。……もう準備しないと、遅くなるよ……」

「ああ。今、行く……。

 マリー。行こう」

「ダー。マイン・マイスター」

 彼は、遠くで手を振る女性の元へと真っ直ぐに歩きながら、再び(みずか)らの歴史に思いを()せていた。八歳の、あの日に……。



 …… “ (かつ)(よし) ” は、家の玄関扉の前まで、ようやく歩いて来た。

[顔が熱い……。体中が痛い……痛ぁ!]

 真っ赤に腫れた顔の傷を触って、思わず手を引っ込める。もう少しで声が出るところだった。

 ……何故ならば、体中アザだらけ。顔は、一回りも大きくなっている。特に左目斜め上と右の(ほお)の傷は、(じん)(じょう)じゃない!

 ドアを開けるのは、躊躇(ためら)われる……。でも、立って居るのもやっとだ。ここに、こうして居る訳にもいかない。

 意を決っして扉を開けと……。早速、姉の “ 幸来(みく) ” に気付かれた。

「何やってんの “ (かつ) ” ! その傷!」

「何でも無いよ!」

「お母さん! 直ぐに来て! (かつ)(よし)が大変!」

 何事かと出て来た母親の “ (きょう)() ” は、息子の顔を見て(あお)()めた。

「どうしたの “ (かっ)ちゃん ” ! その傷は!」

「何でも無い。心配しなくて平気」

「平気じゃ無いでしょ、その傷は! 直ぐに御医者さんに行くわよ! 幸来(みく)、留守番して居て(ちょう)(だい)

「えー、予定が……。……仕方がない、分かったよ。

 “ (かつ) ” ! (かし)にしないから、ちゃんと見てもらって来な!」

[……(うそ)だぁ。 “ 幸来(みく)(ねえ) ” が、従順な態度をしている……。何時(いつ)もなら、キツイ突っ込みを入れてくるのに……]

 弟は、言葉にならない不安を覚えた。

[……そんなに気を使ってもらう程、(すご)い傷なのかなぁ??]

 そんな言葉の形をした思考も、母親の大声に()き消される。

「行くわよ! (かつ)(よし)!」

 母親は、大急ぎで団地の二階にある自宅から下に降りると、息子を無理やり自転車の後ろの “ 子乗せ ” に押し込んだ。

「歩けるよ!」

 母親は、息子の抗議に、数倍の威力で言い返す。

「大丈夫な訳、無いでしょ!! 階段だって、フラフラ下りて来て!!」

 (かつ)(よし)は、もう直ぐ小学三年生に進級する児童の中では、大柄な方だ。自転車は、ズッシリと重たくなっている。しかし母親は、驚く程の力で自転車を押し始めた。

 ここに来て、ようやく(かつ)(よし)自身も事態の深刻さを悟り始める……。



 ……小塚小児科に到着して早々、待合室は大騒ぎになった。

「うわ!! (かつ)(よし)君、どうしたの?! その傷……」

 顔馴染みの看護師が、思いっきり引いている。彼女は、我に戻ると診察室へ駆け込んだ。

「小塚先生! 急患です!!」

 二人は、最優先で診察室に通された。患者を見上げた小塚先生も、一瞬だが仰け反った。

「おい! どうした(かつ)(よし)君?!」

「……転びました」

「転んだ位で……。いいや! 事故でも、こういう怪我はしない! 

 堅い棒か何か……。 “ 細い鉄パイプ ” みたいな物で、頭を何度も叩かれたんだろう?!」

「……はい……」

 小塚先生は、患者を少し()ただけで、(かたわ)らの看護師へ指示を出した。

「直ぐに救急車を呼んで! 『頭部外傷で転院だ』と……。

 それから、()(なし)警察署にも連絡して!」

「はい!」

 彼女が、(あわ)てて診察室を出て行く。初老の医師は、電話の短縮ダイアルを押した。相手は、3コールで出た。

『“ ()()(ほく)()()(いき)(そう)(ごう)()(りょう)センター、(きゅう)(きゅう)() ” です』

「“ ()()(きた)()(りょう)センター ” ですね? 御世話になっています、東久留米の小塚小児科です! “ 脳神経外科 ” か “ 小児外科 ” の当直の先生を御願いします!」

『小児の頭の怪我ですか?』

 はい! 頭部外傷です……。……細い鉄パイプのようなもので、暴行されたと考えられます……」

 ……二人の不安は、電話の遣り取りを聞きながら、(さら)に大きな物になっていった。

「……では、よろしく御願いします!」

 小塚先生は、電話を “ ガチャリ ” と音を立てて置くと、二人の方に向き直った。恐ろしく真剣な目をしている。

「救急車を呼びました! 命に係わる怪我ですから、直ぐに()()(きた)()(りょう)センターへ行ってもらいます。

 “ 沢さん ” 、救急車の方はどうなっているの?」

 隣の部屋から、看護師の大きな声が聞えた。

「直ぐに来るそうです! 後、二分位だと思います!」

 遠くから、サイレンの音が聞えて来た……。



 ……()()(きた)()(りょう)センターへ到着してからの(けん)(そう)は、(すさ)まじかった! (かつ)(よし)の頭越しに、事態がドンドンと音を立てるように動いていく。

 中でも一番(おどろ)いたのは、制服の警察官から話を聞かれたことだった。(かつ)(よし)は、落ち着いて答えた。

「……では、『“ ()() ” 君と “ (しょう)() ” 君が、鉄パイプで君を殴り続けた』んだね。」

「……はい……。」

「……あとねぇ……。……君が(かば)おうとした子の名前、どうしても教えて(もら)えないかなぁ?」

「それは……」

 警官は、口の重くなった少年に(いら)()ったようだ。

 そこへ、横から男性の声が割って入った。

「そろそろ、止めて頂けますか?!」

 交番勤務の “ お巡りさん ” は、声の方を向いて(ひる)んだ! 十数人の視線が、こちらを(にら)み付けている! 一瞬の間の後、胸に “ 脳神経外科長 ” の名札を付けた初老の医師が口を開いた。

「……これ以上は無理です! 日を改めて下さい! 

 “ (シー)(ティー) ” が空きましたので、これから検査をして緊急手術です!」

 治療に関する医師の言葉には、警察も口を(はさ)むことが出来ない。

「済みません! じゃあ(かつ)(よし)君、この続きは後で、また……」

 一団は、半分腰の引けた警官を置き去りにして、CT室へと入っていく。

 怪我人は、ストレッチャーから細いベッドに移されて、全身をベルトと頭の器具で固定された。

[大きな機械だな……]

 患者が感心している間に……。あんなに居た人が全員、急いで部屋から出て行く。

 技師が、操作室から話し掛けて来た。

「じゃあ(かつ)(よし)君。検査を始めるから、動かないで、ジッとして居てね」

 体が、大きな白いドーナツの中に入って止まると、機械が “ ブーン ” と音を立てる。ドーナツの中で、何かが回っているのが分かった。

 不意に、技師の声が聞こえた。

「はい、終わりです。(かつ)(よし)君、御疲れ様ぁ」

 アッと言う間に検査が終わった。

 直ぐに、若い医者と看護師と技師が何人も入って来て、(かつ)(よし)の体を再びストレッチャーに移す。本当に手際が良くて、動きに無駄が無い。

 若い医者が、患者に話し掛けて来た。

(かつ)(よし)君。 “ (のう)() ” と “ ()() ” の科長先生が、『念の為、 “ (エム)(アール)(アイ) ” も撮ってくれ』と言っているから……。もう一回、別の部屋に行くよ。良いね。」

[そんなに検査しなきゃならないなんて……。やっぱり、重い怪我なんだ……。

 ……(ぼく)、死ぬのかな……]

 八歳の少年は、そう思った。でも、恐怖心が湧いて来なくて、冷静だった。それは、とても不思議な感覚だった。

 一団が、CT室から出る。表には、担任の “ 坂口 ” 先生と “ 江上 ” 副校長先生が一緒に来て居た。

(かつ)(よし)君、大丈夫?……」

「うん。副校長先生も来てくれたんだ……」

 江上副校長は、何時(いつ)もの調子で答えた。

「心配しなくても、この程度の怪我、大丈夫、大丈夫。チャチャっと直して来なさい」

 坂口先生も自分が担当する児童に呼び掛けたいみたいだが、若い女性にはショックが強すぎるのか、次の言葉が出てこない。

「坂口先生……。あんたが、そんなことで如何(どう)するのよ。(かつ)(よし)君、心配しちゃうぞ」

「……はい……」

「坂口先生。(ぼく)は、大丈夫だよ」

 (じょ)(けつ)(ほま)れ高い副校長は、児童の言葉に苦笑いをする。

 一団が、MRI室の入口に到着した。

 (かつ)(よし)は、改めて二人の先生に挨拶をする。

「行って来ます」

「うん、行って来な!」

 江上副校長に続いて、坂口先生が、やっと言葉を搾り出す。

「……行ってらっしゃい」

 ストレッチャーを中心とした一群が、鋼鉄の扉の向こう側へと入っていく……。

 そして(かつ)(よし)は、検査の途中で意識が無くなり……。



 ……次に気が付いた時には、病室のベッドの上だった。

 医師が、何事か両親に話をしている。壁の時計は、午後九時近くを指していた。

 看護師が、患者の変化に気が付いた。

「あっ、(かつ)(よし)君、気が付いた? 良かった……。

 先生! (かつ)(よし)君、意識が回復しましたよ!」

 その声に、(みんな)が一斉に寄って来る。

(かつ)(よし)! ()(まえ)は、真っ直ぐだから……。……どうしょもないな……」

 父親は、そう言って、目に涙を溜めて苦笑いする。母親は、ベッド脇で泣き崩れた。

 (おもむろ)に、最年長の医師が口を開く。

「御父さん、御母さん。彼の意識が戻りましたので、第一関門は突破です。もう、この怪我で死ぬ可能性は、当初の半分までに成りました。一安心です……。

 それでは……。(かつ)(よし)君、簡単に今の状況を簡単に説明するよ……」

 (かつ)(よし)は、薬のためか怪我のためか、頭が良く回らない。そんな中で、理解出来たのは、『退院までに、二週間はかかる。手術は成功したが、脳にダメージが有り、障害が残る可能性が大きい』こと位であった。

「……では(かつ)(よし)君、ゆっくり休んでくれ。

 御両親は、済みませんが、こちらに来て頂けますか」

 医師達と看護師達と両親は、一緒に病室を出て行った……。

 部屋には看護師が一名残って、最後の片付けをしている。

 (かつ)(よし)が横を見ると、戸棚の中に備え付けの鏡があった。

「もし、もし……。おねえさん……」

「何?」

 看護師が、こちらを向いた。少年は、御願いをしてみた。

「鏡、こっちに向けてくれる?」

「ええ」

 ……鏡に写った自分の顔は、包帯だらけで、まるでミイラだ。

「これが(ぼく)……」

「そうよ。でも、大丈夫よ。治るわ。心配しなくても平気よ」

「うん……」

 (かつ)(よし)の心からは、言いようの無い、一抹の不安感が離れない。

「あのね……」

「何?」

(こう)()……。ううん、何でも無い……」

 看護師にも、(かつ)(よし)が後遺障害を不安に想う心は、察して有り余る。彼女は、話題を変えようとして、勤めて明るく言った。

「そうだ、何か欲しい物はある?」

 (かつ)(よし)は、少し考えて言った。

「じゃあ、 “ JR時刻表 ” と “ 東京時刻表 ” ……」

「時刻表?!」

「うん。お父さんと良く、時刻表旅行をするんだ。本当の旅行には、余り行けないから……」

「どこへ行くの?」

「北海道とか……。(ぼく)御祖母(おばあ)ちゃんの実家が在るんだって……」

「へー……。(かつ)(よし)君の御祖母(おばあ)ちゃんの実家って、北海道にあるんだ……」

「うん。お父さんの、お母さんの方の……」

「じゃあ、北海道へ行ったことが……」

「ううん、無いんだ。お金も時間も掛かるんだ……」

「どうやって行くの?」

「飛行機と鉄道とバス。

 えーっと……。 “ メマンベツ “ が一番近い空港だけど、 “ チトセ ” から鉄道でも行けるよ」

 小さな患者が一生懸命答える(よう)()は、少し痛々しい。それに、発音もぎこちない。

[間違い無く、体に負担となっているわね……]

 看護師は、会話を打ち切ることにした。

「分かったわ。明日、お父さんに言って、持って来てもらうからね。でも……」

 看護師の悪戯っぽい目に、(かつ)(よし)の心が(すく)む。

「今は静かに眠って(ちょう)(だい)。先生の言ったとおり、絶対安静なんだからね」

「はぁい……」

 彼女は、医療機器と薬の詰まったワゴンを押しながら、扉横の灯りのスイッチに手を伸ばした。

「明日の朝、また来るわね。出来るだけ何も考えないで、ゆっくり休むのよ。どうしても眠れなかったら、ナースコールを押してね。

 それじゃあ、おやすみなさい」

「おやすみなさい……」

 看護師が出て行くと、部屋の中は薄暗くなった。誰も居なくなった病室は、とても静かだ。

 (かつ)(よし)は、何の気無しに壁の時計の日付を見て、変なことに気が付いた。

「三月二十日?今日は十八日だったんじゃ……。何で終業式の日なの……」

 そう(つぶや)いた次の瞬間、現実が頭の中に現れる。

[僕(ぼく)は、丸一日以上、寝ていたんだ……]

 その事実が、少年をげんなりとさせた。やがて、そこから思考が繋がり始める。

[そうだ、先生は『手術は成功した』とか言っていたな……。きっと、大きな手術だったんだ……]

 気が付けば、壁の時計の針は、午後九時四十分を指している。

 寝心地の良いベッドの上で、まどろみながらテーブルの花を見ていると、今の現実が()し掛かってくる。

[後、一ヶ月で三年生なのに、病院に入院か……。

 ……御母さん、泣いていた……。

 ……医者の先生は、退院まで二週間とか言っていた……。

 ……坂口先生は、大丈夫かなぁ……]

 (かつ)(よし)の思考は、取り留めもなく、続いていく。

[でも、これで全部、先生達に言わなきゃならない。ごめんな “ (ゆう)ちゃん ” ……]

 涙が、顔に巻かれた包帯を濡らす……。

 ……何時(いつ)しか、少年は眠っていた……。



 ……(かつ)(よし)は、 “ 鈴木 (ゆう)() ” を後に(かば)いながら、二人の(いじ)めっ子と(たい)()していた。

 相手は二人で、こちらも二人。数の上では対等だ。

 だが雄二は、体が大きくて威圧感があるのに、(すく)み上がって何もすることが出来ない。結果的に、一人で二人を相手にしなければならない!

 それでも、二人を相手に素早さで善戦して持久戦になり、相手は時間を気に始はじめる。

[このままなら、時間切れで相手が引く]

 そう考えた(かつ)(よし)に、一瞬の隙が生まれた。

 次の瞬間……。(しび)れを切らした相手の一人が、近くにあった “ 細くて短い鉄パイプ ” で、思いっきり殴り付けて来た。

 (かつ)(よし)は、反応が一瞬遅れ……。その一撃を頭に受けて意識が飛ぶ!

 ……気が付くと、二人から鉄パイプで全身を滅多打ちにされていた。

「ギャァァー!!」

 絶叫の悲鳴に、大人達が気付いて駆け付けて来る。

「……やべえ、逃げろ! 

 またボコボコにしてやる! 楽しみにしてろよ!」

 二人は、捨て台詞を残して、(あわ)てて逃げて行く。

 そして雄二も、左側の二の腕を押さえながら、逃げて行った。

「ごめん “ (かっ)ちゃん ” 。でも、お父ちゃんには言わないでなぁ! お願いだぁ!」

 (かつ)(よし)は、親友の去り際の言葉に、右手を上げて答えた。

 雄二の父親は、何かに付けて、雄二を『臆病者!!』と(ののし)り殴っているようだ。

[このことで、更に父親から殴られたら “ 雄ちゃん ” が持たない]

 そう悟っていた “ 臆病者の友人 ” は、駆け付けた大人達の介抱を断って、家に帰ったのだった……。

 ……いきなり、目の前に自宅の扉が現れた。中へ入ると両親が居て、苦い緑茶を出して来た。

[また、あの話かな?]

 この緑茶が出ると、(かつ)(よし)にとって内容の重い話になることが多い。

(この場合なら……。霊感に関する話……)

 心の中で言葉にしなくても、(ばく)(ぜん)と答えが出て来る。そして、それは良く当たった……。

 (かつ)(よし)は、赤ん坊の頃から、 “ 自縛霊 ” も、 “ 守護霊 ” も、 “ 悪魔 ” も、 “ 天使 ” も、認識出来た。

 しかし両親は、こと()るごとに息子に(さと)した。特に母親は、神経質な(ほど)だった。

 母親が、予想通りの話を始める。

「……彼()は、感情や考え方などの相対基準さえ合わせなければ、何も出来ないの。だから注意していれば、体を乗っ取られたり、悪の道に(はま)ることは滅多に無いと思うわ……。

 ……要は、悪いものに()かれなければ問題無いのよ……。

 ……でも小さな頃は、良いものと悪いものの区別が出来ないだろうから……。

 ……取り()えず、(かっ)ちゃんに()こうとする、全ての霊を拒否しなさい。

 ……それからね……。……恐らく教会の人達でも、あなたの話には付いて来られないわ。だから……。この話は、人に話さないで(ちょう)(だい)……」

「分かっているよ。今までも(これ)からも、霊の話は取り合わないから大丈夫。

 (ぼく)、言い付けは、全部守って来たでしょ?」

 母親は、満面の笑みを浮かべた。

 不意に、(かつ)(よし)の目の前が暗くなって……。



 ……夢から覚めた時、時計の針は翌日の午前零時を指していた。

[寝ちゃってたんだ……。……ん!]

 何者かの気配がする!

「誰!?」

 (かつ)(よし)の問いに、男の声が答えた。

「初めて御目(おめ)に掛かります。 “ ガブリエル ” と申します」

 ベッドの横に進み出て来た男は、二十歳代に見えた。結構な美形だが、着ている物のデザインは古めかしい。

「……何の用、ですか」

 年少者の問いに、男は微笑みながら答えた。

「昼間の闘いを見ました……。

 守る価値も無い者を、あそこまで守ろうとするとは……。流石(さすが)は河村様の息子様です! 感服しました」

「お父さんを知っているの?」

「ええ、もちろん! 他の元教会員達には誤解されていますが、天に多大の貢献をされました。

 ……実は……」

 男は、済まなそうな顔をして、言った。

「今日、訪問させて頂いたのは、他でも在りません。

 勇者の息子である(かつ)(よし)様に、折り入っての御願いが有って、参上しました」

 少年は、無理に体を起こそうとしながら、言った。

「これは(しょう)(めい)なの? 

 …… “ 天使長ガブリエル ” 。このベッドを起こして下さい」

 男は、この返答に、少し吃驚(びっくり)した(よう)()を見せた。

「良く、(わたくし)が天使と……。それも、(おさ)を務めている “ () ” と判りましたね……」

 ミイラのような少年は、悪戯(いたずら)っぽく、笑いながら答える。

「フフフ……。

 ……だって、暗いのにハッキリ見えていて、それなのに透けているもん。

 小父(おじ)さん……。じゃなかった! 貴方(あなた)の霊的波動は天使だし……。(もの)(すご)く強い(れい)()(れい)()を感じるから、特別な天使だと思った」

 相手も、悪戯(いたずら)っぽく答える。

「……(わたくし)は、 “ (あく)()(おさ)、ルーシェル ” かもしれませんよ……」

 少年が即答する。

「うん。悪魔と天使は、同根だよ。

 けど(ぼく)は、その違いが分からない(ほど)、シロウトじゃないよ。何度、 “ 悪魔の陣営(サタン) ” に騙されそうになったか……」

 ガブリエルは、(かつ)(よし)の度量に感服した。

「……(わたくし)の気配を、そこまで察知して分析出来るとは……。貴方(あなた)様の霊性は素晴らしい! 見極めも御見事です。

 その通り! (わたくし)は、 “ ()の天使長 ” を拝命しておるものです」

 不意に天使長は、ベッドに横たわる少年の何かに気が付いた(よう)()で、ある場所を(ゆび)()した。

「あ、それとですね……。

 申し訳ありませんが、今の(わたくし)では物質を直接扱うことが出来ません。

 右手をベッドの横に出して、(わたくし)の指の(さき)(あた)りを探ってみて下さい。コントローラーがあります」

 確かに、そこにはベッドのコントローラーが在った。

 (かつ)(よし)は、ベッドを起こすと、ガブリエルを真っ直ぐ見詰める。

(ぼく)は、何をすれば良いんですか?」

 ()の天使長は、一礼すると、話し始めた。

「……(かつ)(よし)様にして頂きたいのは、 “ (せい)(れい) ” の(へい)(てい)です」

「精霊?」

「はい。

 (わたくし )(ども)、天使は “ (だん)(せい)(そう) ” です。そして、精霊は “ (じょ)(せい)(そう) ” です。このことは、教会学校で習いましたよね」

「うん」

「……本来ならば、精霊達は(わたくし )(ども)の相対として創造されています。……まぁ、平たく言えば、結婚相手です……。

 しかし、子羊の(こん)(いん)の前に、天使の三分の一が離反してサタンとなりました。

 その為に、子羊の婚姻の後に予定されていた(わたくし )(ども)の婚姻が行なわれることは無く……。天使と精霊達が在るべき姿を失ってしまっているのは、御承知の通りです。

 そんな中で(かれ)()は……。おっと、(かの)(じょ)()と言った方がしっくりしますが……。その絶望を越えるべく、彼女()なりの努力を行ないました。そして……」

 カブリエルの顔と霊的波動には、深い(うれ)いが刻まれている。(かつ)(よし)は、思わず(つば)を飲み込んだ。

 短い沈黙の後、意の天使長が切実な声で言葉を(つむ)ぐ。

「有ろう事か! 彼女()は、この “ 地上界 ” に “ 直接干渉 ” しようとしています! 

 そこで、貴方(あなた)様に彼女()の “ (かり)(あるじ) ” となって頂いて、 “ 来る良き日 ” まで管理して頂きたいのです」

 少年が、不安そうな声で聞き返した。

「……管理って?」

 “ ()() ” は、少年の言葉を受けて話し続ける。

「……彼女()が暴走しないように、命令して欲しいのです。『天法に従え。 “ 霊界 ” のものが、自己判断で地上界に直接干渉するな!』と……。」

「……(ぼく)に、出来るの?」

 (かつ)(よし)の問いに、ガブリエルが声に力を込めて言う。

貴方(あなた)様ならば、必ず出来ます! 

 ……なに、御心配には及びません。(わたくし)は、その為の方法も用意して、ここを尋ねさせて頂いておるのですから。

 では、これを……」

 気付いた時には、意の天使長の手に細い真っ直ぐな “ 短剣 ” が握られていた。刃渡りは30cm位で、特に飾りも無い。

「持って見て下さい」

 (かつ)(よし)が柄を握ってみると、手応えは無いが、それが手に有ることは分かる。そして、それは手を開いても下に落ちなかった。

「……これは、物じゃ無いの?」

 意の天使長が、(うなず)きながら答える。

「はい、その通りです。実体の無い、霊的な物です。

 今のところ、恐らく貴方(あなた)様にしか(あつか)えません」

 ガブリエルは、次に(さや)を取り出した。それは、横から刃を(はさ)み込む形式になっていた。

「では、この鞘に短剣を収めて下さい。それで霊的な者にも、短剣の存在は感知出来なくなります」

 鞘を取り付けると、それは(かつ)(よし)の手の中で消えた。

「消えちゃったよ。短剣が()った感じも、無くなった」

「では、手に短剣を持っている心算(つもり)で、短剣を前に突き出して下さい。次に、鞘が外れるのをイメージしてみて下さい」

 言われた通りにしてみると、手の先に突き出した短剣が現れ、鞘は外れて下に落ちた。

「一回で出来るなんて、とても上手(じょうず)です。

 ……それでは……」

 意の天使長は、再び剣を鞘に収めて消す。次に少年へと向き直って言った。

(かつ)(よし)様、この召命を受けますか? 受けませんか?」

 少年の意思は、もう決まっていた。

(ぼく)で良ければ、受けます」

 ガブリエルは、とても嬉しそうな顔をした。

「有難う御座います。では作戦の説明を……。……ん? 何かあったのか?」

 天使が(おさ)の耳元で囁く。その途端、意の天使長の表情が曇った。

「精霊達の行動が早まっています。(いく)(ぶん)、時間も少なくなってきました。

 申し訳有りませんが、手短に説明させて頂きます」

 (かつ)(よし)の前に、霊的な画像が表示される。それを元に、ガブリエルは説明を始めた。

「精霊達は、ここから車で十五分位の場所にある “ さいかち窪 ” と言う場所に集います。

 (かつ)(よし)様には、彼女()より先に、そこで待機して頂きます。

 この黒い(がい)(とう)を頭から(かぶ)れば、彼女()に見付からなくて済みます。」

 ミイラの少年は、差し出された黒い外套(コート)を見て、目で同意の意思を伝えた。

「所定の位置に付いて頂くと、精霊の(おさ)()(じか)(あい)(たい)します。

 タイミングを逃さず、(かつ)(よし)様に御渡しした短剣を、精霊長の顔の(ひたい)に突き立てて下さい。

 そして、以下の命令をするのです。

(じゅ)(だく)せよ!創造主である神の許しにより、(われ)(かわ)(むら)(かつ)(よし)が命ずる。神の法に従う(れつ)()である我の命令に従え。我に常に正しい情報を与え、判断と行動を助けよ。そして、我を永久(とこしえ)に悪から()()せよ』

 ……以上です。何か御質問は?」

 (かつ)(よし)は、間髪入れずに質問した。

「“ さいかち窪 ” までは、どうやって行くの?」

「……下にタクシーを用意してあります。但し、運転手には話し掛けないで下さい。彼は、貴方(あなた)様が乗っていることを認識しないまま、 “ さいかち窪 ” の入り口まで運転します」

「剣を突き立てるのに、失敗したら?」

「……その場合は、精霊達が逃げて、作戦は()()()いです。

 チャンスは一度だけ、一瞬のことと思って下さい」

「作戦が終わった後は、どうすれば良いの?」

「……彼女()使()(えき)して、戻って来られれば良いと思います。

 多分、行きよりも楽に戻って来ることが出来るでしょう。

 (わたくし)は、直ぐに報告に戻らなければならないので、現地で失礼することになります。

 ……あっ、失敗した時は、(わたくし )(ども)が対処致しますので、御心配無く……」

 ……(かつ)(よし)(かたわ)らでは、母親が付き添い用ベッドの上で寝息を立てていた。

「御母さんや看護師さん達に気付かれないように、ここを出れるのかなぁ……」

「……それに付いては、対策をしています。御母様は、朝までぐっすりです。

 では、準備しましょう。機械と点滴は、(わたくし)の指示に従って外して下さい。

 それと、病棟衣の(すそ)が邪魔になると思いますから、腰のところまで(まく)り上げて縛って下さい。パンツは(がい)(とう)に隠れて見えませんから、大丈夫ですよ」

「うん、分かった」



 (かつ)(よし)は、言われた通りに全てを外すと、裾を腰で縛った病棟着の上から外套(コート)を被った。

 そうこうしている間にも、意の天使長の耳元で天使達が(ささや)く。

(かつ)(よし)様。今の報告に()れば、一刻の猶予もありません。

 大窓の扉から屋上庭園に出て、非常階段から下に降ります。付いて来て下さい」

「はい」

 施錠されていなかった大窓の引き扉から屋上庭園へと出て、そこを突っ切って非常階段に出ると、下に降りて出口の扉を出る。そこには、予定通りにタクシーが停まっていた。

「ドアは、手で開けて下さい。

 ただし、扉は余り音を立てないように、閉めて下さい」

「うん」

 タクシーは、扉が閉まると直ぐに出発した。

 八歳十か月の少年は、体の鈍い痛みに耐えながら、じっとしている。

(かつ)(よし)様……。貴方(あなた)様の忍耐は、天が覚えております……。今しばらくの御辛抱を……」

「大丈夫……。ガブリエル、心配しないで……」

 ミイラ少年は、出来るだけ明るい声で答えた。

 やがて、タクシーは三車線の道路に出て、しばらく走り続ける。

「……次の信号を赤で止まったら、タクシーを降りて下さい」

「うん」

 少年とガブリエルは、信号待ちをする僅かな時間で車を降りた。そのままタクシーは、走り去って行く……。

 (かつ)(よし)達は、横断歩道を渡って、入り口らしい門から暗い敷地の中へと入った。

「場所によっては、真っ暗になります。でも、(わたくし)(うしろ)姿(すがた)が見えるはずです。

 付いて来て下さい」

 周りが何も見えない中では、ガブリエルの背中と、彼に照らされた足元の地面が見えるのだけが頼りだ。

 そして二、三分も進んだろうか……。

「ここからは、水の中に入ります。水深は、深くても貴方(あなた)様の(ひざ)(した)位です。安心して下さい。

 ……では、行きますよ!」

 (かつ)(よし)は、暗い道の中で少し心細くなっていたが、勇気を奮い起こして考えた。

[でも、後には戻れない! 

 お父さんが、前に言っていた……。『大切なところで戦い切れなかったら、全部無くなる』と……。

 (ぼく)は、お父さんの子だ。だから、(ぼく)も逃げないで戦う!]

 少年も、覚悟を決めて水の中へと入って行く。

 しばらく進むと、ガブリエルが歩くのを止めて、こちらを振り返った。

「ここです。

 位置を微調整します。右に半歩、後ろに少しだけ動いて……。そこで結構です。」

 東京でも、三月終り頃の水は冷たい。(かつ)(よし)は、震えながら(つぶや)いた。

「……寒い……」

 ガブリエルは、済まなそうに言った。

「辛い思いをするだけの、価値の有ることをしているのです。

 後、五分位で始まりますから、頑張って!」

 ガブリエルは、(かつ)(よし)を励ましながら、(がい)(とう)の乱れを直していく。少年の身なりが(ととの)うと、 “ ()() ” は最後の指示を出した。

「フードの中から外を(のぞ)くようなつもりで、目の穴以外は全て閉じて下さい。そうしないと彼女()に悟られます。

 (わたくし)は見付からないように、敷地外に退避しなければなりません。

 時間的には十分も掛からないはずです。

 貴方(あなた)様に摂理が()かっています。御願いします!」

 ガブリエルが、何かを()きながら、その場を離れて行く。(かつ)(よし)の周りには、実体的にも霊的にも、真の静寂が訪れた。

 少年の胸を寂しさが(つらぬ)き、涙が無意識にポロポロと流れ落ち始める。

[負けるもんか……]

 無理やり前を見た(かつ)(よし)は、(すご)い物を見た。

[綺()(れい)!]

 そこには、木々の間から見える満天の星空があった。少年は、しばらく水の冷たさから気を()らすことが出来た。

 やがて……。

[星が動いた?]

 そう思った(かつ)(よし)の周りに、(いく)つもの(まぶ)しい光る星が飛んで来て、ぐるぐると回り始める。

 光りは霊的なものであるらしく、木々の暗さが光を通しても見て取れた。ところが、数を増し続ける星達は、周りの風景を塗り潰し始める……。

 ……やがて(かつ)(よし)は、混沌とした極彩色の光の中に埋もれてしまった。

 次いで(ひと)(きわ)大きい(そら)色、(すみれ)色、()色、(あい)色、(とび)色、(うぐいす)色、(べに)色、(みどり)色、(あお)色、(など)の星達が集まり、(かつ)(よし)を中心に踊り始める。やがて、(ひと)(きわ)大きい(しろ)色と(くろ)色の星も加わり、辺りは(けん)(そう)()(つぼ)()す。

 そうした中に在っても(がい)(とう)の中は、とても静かだった。八歳の少年が冷静で居られるのは、隙間無く着込んでいる外套(コート)()(かげ)だ。

 不意に、目の前へ何かが立つのが見えた。

 顔だけが、はっきりと認識出来る。それは、(かつ)(よし)の前に近付いたり離れたりを繰り返しながら、腕を伸ばせば届くところに漂う。

『……』

 何かの言葉を発しているのだろうが、聞き取れない……。

 そして、相手が目の前で完全に静止して、(ひと)(きわ)大きな声を上げた。

[今だ!]

 少年の体は、考えが言葉に成るよりも素早く反応した。全てが無駄無く動き、短剣の先が相手の額を深々と(とら)える!

 それと同時に、(みずか)らを引き離そうとする凄まじい力が襲い……。外套(コート)が、一瞬にして跡形も無く吹き飛ぶ! 

「受諾せよ!」

 (かつ)(よし)が、この言葉を発し終わった瞬間、掛かっていた力が一瞬にして消えた! 

 剣は、相手の額に辛うじて刺さっている。

[やった……]

 そう思った次の瞬間……。(かつ)(よし)の心に、相手の()(ねん)が流れ込んで来た。言葉には成っていないが、後悔や恨みや()(べつ)(など)の心情に満ちている。周りを見れば、全ての光は地に落ちて(うごめ)いていた。

 (かつ)(よし)は、自分も悲しくなって、頭が真っ白になる。でも(ひと)(こと)一言、搾り出すように言葉を発した。

「創造主である神の許しにより、(われ)(かわ)(むら)(かつ)(よし)が命ずる。神の法に従う(れつ)()である我の命令に従え。我に常に正しい情報を与えよ。我の判断と行動を助けよ。そして……」

 一拍の間の後、少年は静かに言葉を続ける。

「我と、我の決めた者と、我の子孫を、永久(とこしえ)に悪と災いから()()せよ!」

 凄まじい()(ねん)の盆流の中で、不意に女性の声が聞えた。

(じゅ)(だく)、致します……」



 ……気が付くと、何もかもが消えて、辺りは元の静けさを取り戻していた。

「短剣が無くなっちゃった……」

 不意に、女性の声が聞えた。

「使命を終えて、分解消滅したのです。無くて当然ですよ」

 (かつ)(よし)吃驚(びっくり)して前を見ると、目の前に西洋系の面立ちをした、十五歳位と思われる女性が立っていた。

 背丈は170cm位だろうか? 外国の女性ならば、不思議ではない。しかし、その髪は腰の下まで在る綺麗なストレートの金糸で、この世のものとは思えない。着ている物も、一般に女神が着ている服装のイメージに近かった。

「君は、ひょっとして精霊?」

 相手は、悲しい顔で、コクリと(うなず)いた

「はい。貴方(あなた)(しもべ)とした精霊の “ (おさ) ” です。御主人様」

「御主人様って……」

 少年は、包帯の下の顔が、赤くなった。

(ぼく)は “ (かわ)(むら) (かつ)(よし) ” です。 “ カツヨシ ” と呼ん……。痛っ!!」

 御主人様と言われた少年が、頭の激痛に顔を歪めて、その場に崩れ落ちそうになる。 (おさ)が大声を上げた。

「“ GVCE(グヴス) ” で御主人様を支えて! 空中に寝かせて、今の状態を確認!」

 不意に、(かつ)(よし)の周りから、重さが消えた。ゆっくりと体が浮き上がり、空中に寝かされた形となる。

 そして、光りが少年の体の周りを漂い、次に(おさ)の元へと行き、また少年の元に戻ることを繰り返す。幾つかの星は、そのまま(かつ)(よし)の頭の周りを廻り続けていた。

 ……星が(おさ)の元へ行く(たび)に、彼女の顔が凍りつく!

 精霊の(おさ)は、(みずか)らの(あるじ)となった少年の(かたわ)らに来て言った。

「この辺に居るであろう天使達をボコボコにするのは、遺憾ながら後にします。

 今は、御主人様の(ぎょく)(たい)が危機的……。いえ、()(とく)の状態です!

 ひょっとして、この近くの病院に居たのですか?」

 (かつ)(よし)は、苦しい息をしながら答えた。

()()(きた)、医療センターだけど……」

 言い終わった途端、体が膜のような物に包まれて、空を飛び始める。

「先遣隊を編成! 病院の状況把握と再受け入れ準備、急いで!」

 彼女の指示に、幾つもの星が光りの航跡を引きながら、先へ飛んで行く。

「……(ぼく)は死にそうなの?」

 (おさ)は、主人の(つぶや)きに、泣きそうな顔で答えた。

「そうです! こんな無茶をして……。こんなことは、これっきりですよ!」

 こうして……。(かつ)(よし)は、精霊の(おさ)や数多くの光る星と(とも)に、ゆっくりと空を飛んだ。

 (みずか)らの頭の周りを、幾つもの光りが漂うように飛んでいる。それは、とても綺麗な(さま)だった……。

 ……十五分位も、飛んだだろうか。

 大きな白い星が、進行方向から飛んで来た。そして、人の形を成し、(おさ)の横に付く。

 精霊の(おさ)は、報告を受けると表情が少し緩み、先程よりも穏やかな口調になった。

「脳内血管の出血は、こちらで食い止めに成功しました。現在の処置は、(ずい)(えき)の浄化に移行しています。

 あと少しで、多摩北部地域総合医療センター上空に到達します。

 まずは、病院のベッドに戻って頂き……。ゆっくり寝て下さい!

 報告によれば、病院の方は、まだ御主人様が抜け出したことに気付いていません。(わたくし )(ども)による病院内の状況保全は、防犯カメラの画像も含めて、成功しています」

 やがて一行は、病院の屋上庭園に着き、物陰の散水栓の前で空中に静止した。

[ん? 何だろ……]

 (かつ)(よし)は、(おさ)の顔を見て、嫌な予感に襲われた。彼女が、悪戯(いたずら)っぽい顔をしている。

「では、御主人様……。

 そのままでは、足が汚れていてベッドへ入れませんので……。足を洗わせて頂きます」

 (よう)(しゃ)無く、足が洗われていく……。気が付けは、(かつ)(よし)の下半身はパンツ一丁だ!

「うわ!」

 少年が叫び終わるより早く、足に水が(まと)わり付き(せっ)(けん)が泡立つ。

「恥ずかしいよ!」

「仕方ないですよ。(あきら)めて下さい」

 徹底的に、足が洗われ続ける。

 (かつ)(よし)は、頭の痛みが余り感じられなくなったことも有り、周りを見る余裕が出て来た。

 足を見れば、石鹸が勝手に泡立ち、目に見えない力が足を(こす)り、水道の水が自在に空中を飛んで泡を落としていく。本当に不思議でならない。

 精霊の(あるじ)とされた少年は、タイミングを見て、それらを指差しながら(おさ)に質問した。

「何で、こんなことが出来るの?」

「“ GVCE(グヴス) ” を使用しています。 “ (ジー)(ブイ)(シー)(イー) ” でも結構です」

「…… “ グヴス ” って、何?」

「“ Gravity(グラビティー) Vector(ベクター) Control(コントロール) Equipment(イクウィプメント) Group(グループ) ” 。日本語なら “ (じゅう)(りょく)(りき)(せき)(りょう)(せい)(ぎょ)()()(ぐん) ” です。

 “ ゲージ粒子 ” だけではなく、 “ ヒッグス粒子 ” をも制御して、重力制御をします。

 結構、細かいことが出来て、便利なんですよ……。

 (わたくし)の声も、これで空気を振動させて発しています」

「ふーん……」

 “ 精霊の(あるじ)となった少年 ” が、何となく感心している間に、足の洗浄が終わった。

「さぁ、洗い終わりました。足を拭いたら、ベッドに納まって頂きます」

 病室の大窓の扉が、音も無く開けられる。

 浮いたまま部屋に入ると、母親は自身のベッドで静かに寝ていた。

 (かつ)(よし)がベッドに納まると、検査機器や点滴が勝手に元の場所へと戻っていく。

「御主人様、今は休息が一番です。これ以降は、体を休めて頂く為に、夢の中で現在までに判っていることを御説明します。

 このまま眠って、体を休めて下さい。直ぐに眠れるように、点滴に “ 筋肉の強張りを取る薬 ” と “ 緊張を取る薬 ” を少し配合してあります」

「分かった。後は夢の中で……」

 (かつ)(よし)の意識は、速やかに落ちていった……。



 ……気が付くと、自分の上に屋根がある。(かつ)(よし)は、起き上がり、周りを見渡した。

「……ここは?」

 どうやら、(てん)(がい)付のベッドの上で横になっていたようだ。寝具はシンプルだが、病院の物よりも肌触りが良く、とても快適だ。

 しかし、周辺には灰色の霧が広がっており、何も見えない。

 不意に、精霊の(おさ)が霧の中から、後ろに二名ほどを従えて現れた。

 一人は、腰まであるストレートの黒髪が七色に光る、東洋系の顔立ちの少女に見える。

 もう一人は、胸までのウェーブが入った僅かに黄色みがかった銀糸が、歩く度にフワフワと軽やかに揺れる、北欧系の顔をした少女に見える。

 そして、どちらも(おさ)よりも幾分(いくぶん)幼い顔立ちであった。

「御気分は如何(いかが)ですか? 御主人様」

「うん。今は気分が良いよ。でも……」

「でも、何ですか?」

「“ 御主人様 ” って言われると、恥ずかしい……」

 (おさ)(あき)れた顔をした。

「今、この状況で気になることが、それですか……。流石(さすが)と言うか、何と言うか……。恐れ入りましたね……」

 (かつ)(よし)がベッドから出ようとすると、(おさ)が止めた。

「あっ、御主人様は、そのままベッドに居らして下さい。西洋では、ベッドで朝食を食べる習慣の有るところも、あるんですよ」

(ぼく)は、そんなに偉くないよ」

 少年は、ベッドから出て、三()の前に立つ。彼女達は、(かしず)いて(ひか)えた。

「『人に名前を()く時は、まず自分から名乗る』と教わったから、(ぼく)から自己紹介。

 (かわ)(むら)(かつ)(よし)と言います。今、八歳で……。もう一ヶ月ちょっとで九歳です。趣味は、旅行とかです」

 (みずか)らの(あるじ)の名乗りに、精霊の(おさ)が答礼する。

「御主人様から先に名乗られるとは、恐れ入ります。

 (わたくし)は、 “ ()の精霊長 ” にして全体の(おさ)をしております、 “ マリ*@§☆∈★○∩◎◇…… ” と申します」

 (おさ)の次に、黒髪の少女が名乗る。

(わたくし)は、 “ (じょう)の精霊長 ” をしております “ ルリ□£△%▲▽$¢@£…… ” です。以後、御見知り置き下さい」

 最後に、銀髪の少女も名乗った。

「“ ()の精霊長 ” の “ エリ★§⊆⊃¢£△◎∧∀…… ” です。よろしく御願いします」

「こっちがマリ……。……んー、上手く(しゃべ)れない……」

 (かつ)(よし)の耳と頭は、精霊の名前を正確に認識して記憶出来たはずだ。なのに、それを発音することが出来ない。

 精霊長達は、優しく微笑んだ。

「それは、仕方ありません。創始の発音ですし、かなり長い名前ですから。御主人様が呼び易い、もう一つの名前を付けて下されば良いですよ」

「じゃあ、最初だけ喋れそうだから、 “ マリー ” 、 “ ルリー ” 、 “ エリー ” でも良い?」

 “ 三身 ” は声を合わせて、とても嬉しそうに答えた。

「はい、御主人様! 素敵な名前を、有難う御座います!」

 精霊の(あるじ)の少年は、顔を真っ赤にして言った。

「……だから、 “ 御主人様 ” は恥ずかしいよぉ……」

 不意に、ルリーが抱き付いて来た! (かつ)(よし)の顔が、ルリーの胸の間に密着させられる!

「もぉ、可愛くて! 可愛くて! 我慢、出来ませんわぁ!

 あの “ ダメ天 ” に比べたら、月とスッポン! 食べちゃいたい位ですわ!」

 マリーが、すかさず口を挟む!

「こら! “ ルリ□£△%▲▽$¢@£…… ” ! 

 (わたくし)を差し置いて、御主人様に何てことをするのよ!」

「うわー、怖い、怖い。 “ 筆頭精霊長 ” も、抱っこさせてもらえば良いだけなのに……」

(わたくし)は、彼方(あなた)みたいに、感情をストレートに表現しないだけなの!」

「本当は、抱っこしたい……。きゃーっ」

 精霊の(あるじ)は、ルリーを吃驚(びっくり)させながら、渾身の力で顔を横に向けた。そして、何度も深い息をする。

「苦しい……。死ぬかと思った……」

「……ほらぁ! “ ルリ□£△%▲▽$¢@£…… ” 。じゃなかった! ルリー! 御主人様に、謝りなさい!」

「御免なさい……。御主人様……」

「うん、大丈夫……。でも、もう放れて良い?」

 ルリーは、名残惜しそうに(かつ)(よし)を放した。

「皆さん。御茶の用意が出来ましたよ」

 (かつ)(よし)がエリーの声に振り向くと、丸テーブルと椅子が用意されていた。(めし)使(つかい)(おぼ)しき者達が、エリーと共に控えている。

「あれ、気が付かなかった……。何時(いつ)の間に?」

 マリーが笑って答える。

「御主人様、ここは貴方(あなた)の “ 夢の中 ” ですよ。考えたことは、『あっ』と言う間に実現します。こちらへ、どうぞ」

 マリーが、(あるじ)である(かつ)(よし)を一番上等な椅子に腰掛けさせる。次いでマリーが右隣に、ルリーが左隣に座る。そして、ルリーの左側、亮圭から見て左前にエリーが座る。

 見ると、右前の席が空席となっていた。(あるじ)は、筆頭精霊長に質問する。

「まだ、誰か来るの?」

 マリーが、ツンとした顔で答えた。

「はい。もう少し後になると思いますが、必ず連れて参ります……」

 マリーの返答に、ルリーが(つぶや)く。

「声が、怖い……」

 (かつ)(よし)にも、察しが付いた。マリーが、これ(ほど)の怒りを(あらわ)にする相手と言えば……。

「連れて来る時は、(おだ)やかにね……」

「心得ております。御心配には及びません。御主人様」

「うん、平和が一番だよ……。それとね、御願いが有るんだけれど……」

「何でしょうか?御主人様」

 (かつ)(よし)が、赤い顔をして言った。

「“ 御主人様 ” の呼び方を換えてくれない? 恥ずかしいから……」

 ルリーが口を開く。

「御主人様に、何か候補が御有りですか?」

「“ カワムラ ” とか “ カツヨシ ” ではダメなの?」

()()は、大変に(とうと)いものです。

 悪霊対策もありますし……。

 (わたくし )(ども)……。特に情の精霊である(わたくし)は、御主人様の()()(まえ)を軽々しく口には出来ません。」

「じゃあ、他にアイデアは有るの?」

 今度は、エリーが口を開いた。

「それでは、英語で “ 御主人様 ” を意味する “ マスター ” ではどうでしょう」

「うーん……。 “ 喫茶店エリシオン ” の “ 小竹 ” マスターみたい……」

「では、ドイツ語で “ マイスター ” は?」

 (かつ)(よし)は、一寸(ちょっと)吃驚(びっくり)して言った。

「えっ? マイスターって、職人の親方のことじゃなかったの?」

 マリーが答える。

「……御主人様の知識は、小学校低学年のレベルを超えていますね……。ドイツの “ マイスター制度 ” を御存知とは、驚きました。

 ただ、 “ マイスター ” と言う言葉にも、色々な意味があります。

 もし、この言葉を(わたくし)が使うのであれば、 “ (わたくし)の御主人様 ” の意味で “ マイン・マイスター ” とも御呼びしたく思います」

 精霊長達から “ (あるじ) ” と認定された少年は、しばらく考えた末に決断した。

「こっちの方が、気が楽に感じる言葉だし……。音の聞こえが良いね……。

 それじゃあ、これで良いよ」

 三身は、声を合わせて答えた。

「はい、マイン・マイスター!」




 ------- 読んで下さった皆さんへ -------

 ここまで、お付き合い下さり、有難うございます。

 とてもゆっくりと更新していく予定です。気長に、お付き合い下さい。

 また、第二幕の方の執筆が進んでいる関係上、第一幕と第二幕は重複して更新していく予定です。

 今後とも、よろしく、お願いします。




 ------- 更新履歴 -------

 2015.07.18 初版公開  (Ver 1-01.00)

 2016.02.26 改訂第二版公開  (Ver 2-01.00)

 2017.08.26 読み易くする為の修正版公開  (Ver 2-02.00)

 2018.08.16 一部の解り難い部分、文章表現、誤字、ルビ修正版公開  (Ver 2-02.01)


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