タスケ
宝物庫の扉が内側から突然、もの凄い勢いで開かれた。
中から出てきたのは――炎。
爆風とともに、オレンジ色の炎が、形を持たない灼熱の体を踊らせてきた。
「――グァッ!?」
扉に一番近かったトガシが、その風に吹き飛ばされて宙を舞った。
トガシの後を追っていたガウスも、爆風の圧力に押し戻されて、後頭部から床に落ちた後ゴロゴロと転がった。
『きゃああああっ!』
パーティーの女子たちの叫ぶ声。
8人パーティーの内、顧問のシーズカ先生を含めた半数の4人が女子だ。
擬神力を失った今、彼女たちの力は期待出来ない。
俺が守らなくてはいけない……そんな矢先の出来事。
宝物庫からの炎、そして、驚く間も無く追撃を掛けてきたのは、黒い煙だった。
「マズいっ……!?」
俺はつい口走る。
元の世界のダンジョンで、俺が一番恐れていたのは、そこの主のボスではなく、モンスターでもなく、他ならない火と煙、そして水だった。
モンスターたちは剣で相手がいくらでも出来るけど、それが絶対に叶わない敵――それが火と煙と水だ。
密閉された空間でそいつらに襲われれば、人間である俺なんかは抗うことも出来ずに死神の鎌に首を掻かれて、それを地獄に持ち去られてしまうだろう。
実際、多少知能を持ち合わせているボスがいるダンジョンで、それらを用いた計略で勇者軍が撃退された例もあった。
でもそれは魔王側としても諸刃の剣で、モンスターも生物である以上、人間よりも火や煙に対する耐性があったとしても、やっぱり自軍にも損害を与える可能性が大きい。
よっぽど上手く追い込んで手際よく行うのであれば効果的だけど、それを効率的に運用するような知能を持ったモンスター集団を、俺は元の世界にいた間、見たことも聞いたことさえなかった。
それに、俺は単独で行動していたので、余計そんなことをされる心配をしなくて済んでいた。
だけど常に警戒はしていた。
それは取りも直さず守る側においては、それがダンジョンに侵入してくる者への、絶対的な攻撃方法に他ならないと、じいちゃんにキツく諭されていたから。
だからこそ――炎と煙を見た俺のショックは大きかった。
もしここだけでなく、下のフロアーからも火の手が上がっていたら……。
俺は最悪の事態を想像して、全身の肌を粟立たせた。
だけど、すぐに意識を目の前の状況へと返す。
今を切り抜けないと、このフロアーを生きて下らなければ、下のフロアーに辿り着くことすら出来ないのだから!
俺はファルが脱ぎ捨てていた、擬神力の鎧を持ち上げた。
機能が満載されていて、見た目の割には重い。けど、俺にとっては持って走れないほどではなかった。
俺はその鎧を炎を防ぐ盾代わりにして、まだ倒れているトガシの元へと駆ける。
――熱い!
炎の勢いは強い。俺の髪が溶けた匂いがする。
扉の口が竜のドラゴンブレスのように炎を吐き出し続けている。
だけど、あと少し、あと……5メルトル……。
その時だった。
――ゴ、ゴウゴゴゴゴ……ッ
床が、低い唸る音を上げた。
何だ?
まさか――!?
俺は一瞬ためらった。このまま進むか、止まるか。
俺の頭は迷ったけど、体が決断していた。
急停止。
足に履いているスニーカーのソールがキュキュキュと音を立てる。
そして、俺の目の前で、トガシが倒れている付近の床が一斉に崩落し始めた。
「う……オオオオオオォッ!」
俺も声を上げずにはいられなかった。
階下に飲み込まれていく床タイル、そしてトガシ。
俺の足元の床タイルも落下した――
「リュウトーッ!」
ファルの声がした。
何故かあいつの声だけは、俺の耳によく届く。
どんなに人混みに紛れていても、ファルの声は聞き分けられるんだ。
俺は、その時空中にいた。
落ちて行く床タイルを足下に見ながら、跳んでいた。
俺は足元のタイルが崩落する瞬間、体を前に向けたまま、背後へと出来る限りの力で跳んでいた。
床は俺を追い掛けるようにして崩れてくる。
俺は逃げる。
逃げ切れるのか――?
下のフロアーの床までは、およそ15メルトルはあるし、たとえ運良く怪我だけで済んだとしても、落ちてくる瓦礫に埋もれてしまったらどのみちアウトだ。
崩落は俺を追い越したが、首を捻って見ると、崩落が止まっている。
そこまで届く……か!?
俺は視界に、健全な床の端を入れながら、体を反転させた。
足は届かない。
だから手を伸ばしてその端を掴もうとする。
――無理、か。
俺の手はあとわずか、腕の長さ半分程度届かなかった。
駄目だ。
落ちる。
俺は僅かな望みを託して、下の着地地点に目を向ける。
上手く受け身を取って落ちさえすれば、骨折くらいで済むかもしれない。
けれど
俺の望みは悪塔に飲み込まれた。
視線を向けたその先にあったのは――
――同じように床の抜けた大きな穴。
下のフロアーの床も崩落していた。
空中ではどうすることも出来ない。
ただ、重力に従って落ちて行くだけだ。
後は、運を天に任せるしかない。
どこまでか続く穴を抜けた先で、床に叩き付けられて生存出来る確率はほぼゼロに近いだろうけど。
それでも、俺に出来ることはもうない……。
俺の体は、地獄の入り口のような穴に吸い込まれていく。
その時だった。
グン、と俺は何かに引っ張られた。
それと同時に落下も止まる。
――何だ?
俺は咄嗟に上を見上げた。
そこには――
「リュウ……とぉ……!」
「ファル!?」
俺の手首を両手で掴んで、崩れ落ちそうな床の端から身を乗り出しているファルがいた。
「ふぅ……っん。待ってね、いま……助けたげる、からっ」
ファルは顔を真っ赤にして、声を出すのも苦しいくらいに渾身の力を振り絞っているのが分かる。
だけど、俺を掴むのが精一杯で、引き上げることなんて出来そうにない。
しかもその体は、もう半分を空中に晒して、今にも落ちそうだ。
床が少しでも崩れたら、一巻の終わりだ。
「ファ……ファル! 手を放せ! お前まで落ちちゃうだろっ!」
「だぁ……め! 絶対……イヤ!」
「馬鹿……! 頼む、放せ……」
「そのお願いは……聞けないもん……っ」
ファルの体の下のタイルが、割れ、一片が落ちていった。
ファルの体がより一層不安定になっている。
もう限界だ。これ以上俺の手を掴んでいたら、二人とも落ちてしまう。
そんなこと、俺は絶対に望まない。
剣を捨てて、その手でファルの指を引き剥がそうと思った。
思って、数瞬躊躇した。
これを捨てたら、一体誰がパーティーのみんなを守るんだ……?
この剣は、パーティーに残された最後の武器だった。
時代遅れで、骨董品で、鋼鉄で出来た無粋な剣。
だけどこれだけが、生きてこの悪塔を脱出するために残された、命の剣だった。
時間にして数秒間、俺は逡巡した。
そして逡巡を終えた時、俺の目に映ったのは――
手。
何本もの手、手、手。
床の上からそれらの手が伸びてきて、俺の腕を次々に掴んだ。
「リュウトくん!」
シーズカ先生だ。
「リュウト! 大丈夫か!?」
同級生のオールトだ。
「クローシャ! 待ってなさい……今引き上げるわ……」
一コ上の先輩、サーシャさん。
「っく……アンタ、一人でいいカッコし過ぎだよねえ」
同じく一コ上の先輩、アイラさん。
みんなが俺の腕を掴んでいる。
そして少しづつ俺の体を引き上げ始めた。
床はひび割れていく。
パラパラと石の欠片が落ちる。
『せーっの……せーの……』
5人が慎重に俺を引き上げ……そして、最後に思い切り引っ張ると、俺は床の上に辿り着き、みんなで急いで穴から遠ざかった。
その瞬間に、それまでみんなが乗っていた辺りの床が抜け、石塊とタイルがバラバラと、ぽっかり開いた地獄の入り口へと飲まれていった。
俺は、助かった。
いや、助けられていた――