ハジマリ
鋼鉄の塊をハンマーで叩いたような鈍い音が魔王の間に反響した。
トガシの最新式の擬神力をストレージさせた剣が、床のタイルに弾かれた音だった。タイルは俺の場所からはヒビひとつ入ってないように見える。
「――っな!? んなバカな! この剣で斬ったのに割れねぇってマジか!? よっしゃあ……いっちょフルパワーを試してみっか……」
トガシはそう言うと痺れていた手を何度か振り、その後、剣の柄部分にあるセンサーに自分の指を這わせた。
すると、トガシの剣が『ブゥウウウン……』と低い唸りを上げ始める。
「キたぜキたぜ……俺もフルパワーで使用すんのは初めてだ! ワクドキだぜ!」
「副部長、スゴいっす! カっけぇー!」
「ッハッハー! この変な竜の紋章……っ! 竜斬りだ! ドラゴンバスター!」
――竜?
竜の……紋章……?
俺はその瞬間、何か記憶の中に引っ掛かるものを感じた。
瞬間的に思い浮かんだのは、暖炉の側で火の明かりに照らされているじいちゃんの顔、そしてその口から発せられる物語に耳を傾けている自分の姿。
トガシは剣を大きく振りかぶった。
竜の紋章……石版…………古代……文字……?
トガシが、剣を振り下ろした。
その瞬間だった。
俺の頭の中に、じいちゃんの言葉が蘇った。
あれは、あのタイルは――!
「ブグヒャラスモハゥルァッー!」
燃え落ちようとしていた『風に叫ぶ炎』が雄叫びを上げながら、体ごとトガシにぶつかっていった。
しかし、トガシは擬神力の防具で守られていて、全く意にも介さないで手にした剣を、床に叩きつける――
――刹那。閃光が室内を満たした。
擬神力の防具は、モンスターの打撃や魔法から身を守ってくれても、眩しい光に対して目の調光などはしてくれない。
当然俺は視界を失い、しばらくの間目の前が真っ白でホワイトアウトした状態が続いた。
たっぷり1分は過ぎただろうか……?
ほんの僅かに視力が回復してきたけど、閃光時に見ていた物の残像が視界に黒く映っている。
「う……ああ……」
「くふぁ……」
周囲から呻き声がする。
どうやらみんな視界を奪われた状態のようだ。
だけど、何かおかしい。体が――重い。
どうしたんだ?
俺は体のあちこちを手で探ってみるけど、特に怪我をしている様子はない。
目頭を抑える。
頭を振る。
ようやくみんなの姿が見えるようになってきた。
だけど、みんな床に座り込んでしまって、なにやらもぞもぞとしている。
そして聞こえてきた声は――
「なんだ……こりゃあ!? 重いっ! くそ! 重い!」
「ふ、副部長! こ、こっちも……重くて……」
「な、なに? 何が起こったの!?」
トガシ、ガウス、シーズカ先生や他のメンバーまでもが、一様に同じ感覚を訴えていた。
みんな身動きも取れない様子で、うごめいている。
ひとり立ったままの俺の両肩に、重さがずっしりと集中しているのを感じる。
まさか、これは……。
俺は擬神力の中古防具の自動脱着ボタンを押した――が、反応しない。
壊れたのか?
仕方なく、手動でひとつひとつレバーなどを外していき、手間取りながらもなんとか鎧だけは外すことが出来た。
外した鎧は、重力に引かれ、床にガシャリと音を立てて落ちた。
やっぱりそうだ。
体は、元の通り軽くなっている。てことは……だ。
「みんな! 鎧だ! 鎧を脱ぐんだ! 機能が停止してる!」
俺の言葉に、皆はようやくこの事態の原因に気が付いたらしく、めいめいが慌てて着脱ボタンに触れ、その後手動で脱ぎ始めるといった動作をとった。
そんな中、ひとり床に転がったまま、イモムシの真似をしているみたいなやつがいる。
「……もしもし、ファルさん? 何の体操ですか?」
「えっ!? ひあっ、んと、あの……鎧……だめ……なの」
「脱げないの?」
「あっ、うん! そう……リュウト……手伝って……?」
鎧の中に顔があるから見えないけど、その表情は恥ずかしそうな上目遣い、でほぼ100%当たってるはずだ。
小学生だった頃、林間学校の時も、同じようなシチュエーションがあったけど、あの時はただの長袖セーターだったっけ。
俺はその時と同じ、鎧を持って抜こうとした……けど、重い!
そうか、逆だ。
反対側に周って、ファルの足を持ち、思い切って引っ張る。
「――んきゅっ!」
鎧よりも格段に軽いファルは勢い良く鎧から抜け、、バンザイした状態で俺とコンニチワした。
「へへ……ありがと、リュウト」
バツの悪そうな笑顔で俺を見上げているファル。
ふとその下に視線を移したら、鎧の下に着ていたシャツがめくれ上がって、そこから白い膨らみの下部分が――!
俺は咄嗟に目を逸らす。
全部は見えてなかった。でも半分は見えていた。
ファルめ……いつの間に、結構なそれなりのモノをお持ちになられていたのか……少し前までは、そんな目立つような膨らみはなかったはずなのに。
「ん……? どしたの?」
「いや……なんでもない」
俺は脳内の記憶力というストレージを使って記憶を再生してみる――おっけ。鮮明に再生可能なことを確かめると、現実に戻ることにした。
周囲では、皆自分の鎧や剣のチェックをして、口々に異常を知らせ合っている。 そう、俺の予想は当たっていた。
防具のストレージから、擬神力が抜けきって、空の状態になっている。
だから重さを中和する機能も消失し、素材分の重量がそのまま体への負担となったのだろう。
俺の鎧は、数世代前の中古だったので、まだ最近のものよりも軽かったから立っていられた――まあ、理由はそれだけではないけど。
ともかく、普段ろくに肉体のトレーニングもしていないトガシたちに耐えられるような重さで、擬神力をストレージさせた鎧は出来てはいない。
そして、それはこれから起こる不幸な未来を暗示している。
俺は二本ある内の一本、擬神力剣を抜いてみた。
――重い。
明らかに重く、片手では持っているのも辛い。
おれはやにわに、近くにあった円柱状の柱をその剣で斬ろうとした――が。
――ギィイインッ
鈍い音を立てて、脆くも弾き返されてしまった。
俺の心臓の鼓動が、だんだん早くなってきているのが分かる。
通常であれば、こんな石造りの柱なんて、一刀両断に出来てしまうけど、今のこの剣は、ただ重いだけのなまくらに成り果てている。
擬神力が発現されなければ、どんな最新式の剣でも、やたらと重いただの鉄の塊に過ぎない。刀身も、普通に斬れるように研がれてなんていないからだ。
俺は、未だ剣や鎧をいじって慌てたままのガウスに問い掛ける。
「ガウス先輩! 擬神力転移器は? 作動しますか!?」
「え? は、お、お前に言われなくっても、今確認するところだっ!」
ガウスが鎧のバックパックに入っていた転移器を取り出し、チェックをしている――次の言葉に、俺たちは息を呑んだ。
「ウソだ! 消えてる、使えない! 動作しないっ!?」
「おいっ! 貸してみろ、操作を間違えてんだろ!?」
副部長のトガシが、ガウスから転移器をひったくって、いじくっている。
「……んだよ、まったく動かねぇじゃん!? お前、壊したのか!?」
「ひぇ! 違います、ボクは何も、なにもしてませんよ!」
「んなはずあるか! これが使えなくなるなんて、何重もの安全装置が付いてんだから、あるワケねえんだっての!」
俺はシーズカ先生に視点を移す。
彼女はまだ閃光のショックから立ち直っていない様子で、鎧も脱がないまま、正面をぼぉっと呆けた様子で眺めている。
俺が呼びかけても反応がないので、肩を揺さぶるとやっと我に帰った。
「え、あ……眩しかった、眩しかったわね」
「ええ、そうですね。ちょっと、背中のバックパックを開けますよ」
「はい? ああ、うん」
頼りなげな先生をよそ目に、俺はシーズカ先生が持っていた、予備の転移器をバックパックから取り出した。
早速動作確認…………だめだ。
やっぱりどういじってみても、転移器は作動してくれない。
擬神力の残量を示すメーターも、しっかりとゼロを指していた。
確かに、通常ならこんなことには絶対にならない。
いくら擬神力を纏った武具で身を固めているとはいえ、悪塔攻略の緊急時にはこの転移器が命綱であることには変わりがないからだ。
だからこそ、何重もの安全装置が働いて使用不能にだけはならないような設計で作られている――はずだった。
「ふう……」
俺はトガシが割った床のタイルの場所まで歩き、調べてみた。
床に埋め込まれていたタイル――石版は、その全体の5分の1程度の大きな欠片を残して、あとは細かく砕け散っていた。
残された欠片には、確かに竜の羽根と尻尾らしき形が浮き彫りにされている。
そして『風に叫ぶ炎』の着ていたローブの燃えカスが一片落ちていた。
「はぁ……」
その燃えカスをつまみ上げて、俺はまた溜息をひとつ。
この状況からみて、完全に、擬神力は失われたとみていい。
残されたのは、ただ重く、それゆえに扱えなくなった防具と、同じく重くてなまくらの使うことの出来ない形だけの剣。
そして作動しない転移器と、技術から見捨てられた生身の人間が8人――
そして、ここは70階。
今まで登って来たフロアーを、今度は降らなくてはいけない。
転移器なし、自分たちの足だけで……か?
暗澹たる思いで黙考していた俺に、ファルが声を掛けてきた。
「リュウト。どうしたの? 大丈夫?」
「あ、ああ……大丈夫。ファルも、怪我とかないよな」
「うんっ!」
ファルが満面の笑みを俺に向けた。
その笑顔を見て、浮ついていた気持ちが、少し落ち着いた。
相変わらず副部長のトガシは鎧や剣をいじりながら怒鳴っている。
顧問のシーズカ先生も、きょろきょろと当たりを不安そうに眺めているだけだ。 他のメンバーもその二人と大差ない。
俺は腰に下がっているものに無意識に手をあてていた。
とにかく、混乱しているパーティーを落ち着かせて、鎮めないと――
俺がそう思った矢先、ファルが呟いた。
「……あれ? なんか、地面が震えてる?」
「ん?」
立っている俺も、その振動を察知した――
――次の瞬間。
『ゴ……ゴゴゴゴッゴ……ッ』
足元が大きく揺れだした。
そしてすぐに跳ねるような大きな振動も加わり、地響き音はパーティーの叫び声さえかき消すほどになり、辺りの壁も崩れだした。
「――っきゃあああっ!?」
俺は、すぐ傍にいたファルに覆いかぶさる。
これは、地震――!?
塔が、悪塔がまるごと揺れている。
頭上の天井が崩れ、石塊が目の前に落ちてきた。
周囲では、壁がガラガラと響きを上げて崩れている。
「くぅっ……!」
自分とファル以外、どうなっているのかも分からないまま耐え続けていると、徐々に揺れが治まってきた。
目を開いて顔を上げると、俺のすぐ目の前には大きな石の塊が出現していた。
「ファル……! 大丈夫か?」
「わ、わたしはだいじょうぶ! けどリュウトこそ、怪我ない!?」
「ああ。俺も大丈夫だ。みんなは……!?」
まだ粉塵が舞う中、俺は周囲を見回してみる。
崩落した天井から陽の光が差し込んでいる。
その崩落した穴から一陣の風が吹き込んで、粉塵を薄めた。
シーズカ先生、トガシ、ガウス……うん、みんなどうやら無事のようだ。
「ごほ……みんな、無事!? 大丈夫!?」
シーズカ先生の声だ。
「っぷあ! なんだこりゃ……どうなってん……?」
トガシも声をからげている。
俺はひとまずほっと胸を撫で下ろした――が。
「リュウト……なんか、生臭く……ない?」
ファルが呟いた一言に、俺は背筋を凍らせた。
慌てて背後を振り返ると、未だ出入口付近で舞っている粉塵の向こうに、何かの影が現れて、それがゆっくりと揺れている。
「あ…………!?」
ファルの感じた生臭さ。
この悪塔の中でそんな匂いを発するものはたったひとつ――
ズン
さっきの揺れで緩んでいるのか、床が波打った。
ズン
大きなものが床に叩き付けられるような振動が、床から俺に伝わってくる。
擬神力をストレージした武具も使用不可能、転移器も使えない。
ほとんど生身という状態で、会いたくなかったモノ。見たくもなかったモノ。
そいつが、粉塵の向こうから顔を覗かせた。
――黒ミノタウロス。
身の丈3メルトルを超える牛の顔を持った巨人が、俺たちの前に現れた――