5話 エドワード・シルフェンダンサー
アルブ教皇領。
ここはカント連合国、デック共和国、そしてルギス帝国の三国に囲まれているにもかかわらず、かの大地神グラム様のお膝元であるというその特殊性、そして神性の保護という事情から独立を認められた小さな自治領である。
また、この自治領はグラム大神殿よりも大地神グラム様の加護を得た温泉が有名であり、その効能は「ひとたび浸かれば病が吹き飛ぶ」とまで言われていた。
いや、事実、その通りなのだが。
「うぐっ、えぐっ……」
しかし、さしものグラム様でもハゲと恋の病と心の傷だけは癒せぬ模様。
僕の実家である食堂のカウンターで、ひとりのやたら自己主張の激しい成金野郎が湿っぽく酒を飲み、つまみを食しては、またさめざめと泣くを繰り返していた。
――そして、これが三週間ほど続いている。
商売の邪魔だし、もういい加減帰ってくれないかなぁ……そんなことをぼんやりと思う。
が、しかしこの男、三週間ほど前にふらっとやってきたと思うとカウンターに貿易商ぐらいしか使うことのない金貨を問答無用で積んでいき。
「とにかく強い酒とそれにあうツマミひと月分! 残りはチップで!」
と、のたまった上客らしいのだ。
らしい、というのも、僕は本来この食堂で働いていないためである。
最初、この成金野郎の対応は僕の父がやっていたのだが、さすがに金貨を見たこともない父は目の前にどんどん積まれていく金貨に気分を悪くし、そして仕舞いには泡を噴いて卒倒したのだ。
さらに「迷惑料です」と金貨を倍積まれ、父を引き起こしに来た母も卒倒した。
おかげで当日は警備兵がやってくるほどの大騒ぎ、唯一その金貨の価値をまだ知らなかった妹は顔を真っ青にして「おにーちゃんたすけて!」と僕を呼び戻し、現在に至る。
師匠の家で金貨に見慣れてなければ、きっと僕も泡を噴いて倒れていたところだろう。
まったく、この成金野郎め……お前が積んだ金貨の山を稼ぐのに、僕たちは何十年と働かなければならないんだぞ? 師匠じゃあるまいし寿命が尽きるわ。
つーか、二十枚も渡されてもどこに保管すれば良いんだ。貸金庫屋に預けるまで気が気じゃなかったわ。
そんな悪態をつきたくなったが、まだ幼い妹がいる手前ぐっとこらえる。
「酒! おかわり! あとツマミ! おかわり!」
「はい、ただいま!」
妹のシェラザードが上の階でいまだ寝込んでいる母のかわりにとてとてとなれない給仕を引き受け、僕はいまだうなされている父のかわりに包丁を振るう。
……はぁ、やれやれ。
師匠には「実家の危機」ということでしばしの暇を貰ったが、しかし三歩歩けばなにをしたかったか忘れるくらい頭のよろしくない師匠のこと、僕のことをころっと忘れてないと良いけど……。
そんなことを考えていると、ひさしぶりに食堂のドアが開く。
「いらっしゃいま――せぇ!?」
あまりの事態に声が裏返る。
「おう、エドワードよぉ」
そこには、剥き身のロングソードを肩に担ぎ、殺気を隠そうともしないエルフの女性が立っていた。
そして、そのお方こそ、この大陸で怒らせてはならない人物の第二位、風の申し子、空の踊り子、矛盾の女、エルフらしからぬエルフ。
「たかが十七年かそこらしか生きちゃいねぇ若造の癖に、アタシの稽古に来ないたぁ、良い度胸だなぁ……?」
そう――クローディア・ビジェルベルジェール・シルフェンダンサー・ドラゴンスレイヤー、その人だった。
――ところで、ドラゴンルージュとドラゴンスレイヤーの違いは世間ではあまり知られていない。
もちろん国によって定義はがらっと変わったりするのだが、ここアルブ教皇領では『魔法で直接的に竜を倒したもの』に対してドラゴンルージュを、『竜の死因に魔法が直接関与していないもの』に対してドラゴンスレイヤーを渡すこととなっている。
そんなわけで僕の師匠は風を読み、風を踏み台とし、空を駆ける魔法を得意としているのだが竜を倒したのは自前の剣術であるため、師匠はドラゴンスレイヤーを拝命していた。
そして、僕はその風を読み、風を踏み台とし、空を駆ける魔法に才能があったがために師匠に見出され、半ば強引に弟子にさせられたという経緯をもっている。
まぁ、そんなわけで、本来なら僕は自分の意思で師匠に弟子入りしたわけでもないし、剣術の才能はからっきしなのでドラゴンスレイヤーになる気はなかった。
だから、空を駆ける魔法――風翔魔法をごく普通に修め終えた手前、本当なら師匠の元を去ってしかるべきなのだろうが……。
「三週間も剣の稽古をサボったと思ったら、こんなところで給仕の真似事なんぞしやがって! おう! 帰るぞ!」
……残念ながら、僕の師匠は頭が残念だったのだ。
あと、エルフにあるまじき剣術バカで、性格がギャングだ。
そして最近、師匠の一族の間で『突然変異してエルフの血を引き継いでいないのでは?』などという話題がひっきりなしに持ち上がっているという噂も、たぶん真実だろう。
さすが、矛盾の女。実はドワーフか半獣半人じゃないだろうな?
……いや、さすがにそれはドワーフや半獣半人に失礼か。
「あ、あの師匠……」
「んだよ」
「ぼ、僕の父と母が働けない状況だから、家業を手伝うために」
「ああっ!?」
瞬間、殺気が膨れ上がる。
身体中から脂汗がだらだらと流れおち、妹は今にも泣き出しそうだ。
「おうてめぇ! アタシの稽古と家業、どっちが大事だって!? もういっぺんいってみやがれ!」
「し、師匠です! サー!」
ちなみに、サーというのは師匠のご友人であり、この大陸で最も怒らせてはいけないお方である、ソマ・ドラゴンルージュ様から教えてもらった異国の言葉らしい。
師匠はソマ様のことをいたく気に入っている様子だったし、そのソマ様との話題づくりのためという師匠の涙ぐましい努力のため、僕は強制されていたりする。
なお、師匠も僕も、意味までは知らない。
ただ、師匠曰く『今代最強』『万のゴーレムを手繰る者』『姿無き殺戮者』『無双の剣士』『素手で竜の巣を撃滅した男』『地脈魔法の祖』『稀代の魔法技師』『毎日竜の肉を食べている』などなど。
いや、ここまでならまだ良い、前半までなら師匠の色眼鏡ですむ。
だがいくら最強のドラゴンルージュとはいえ、竜の中で最弱である地這う竜と戦うことすら命がけなのだ。だというのに『毎日竜の肉を食べている』というのはさすがに眉唾すぎる。
たぶんこれはジャイアントリザードの肉を食べているのがそう変化しただけなのだろう。なにせあれは竜製品詐欺に使われる程度には生まれたての地這う竜に似ている。
……まぁ、そんなわけで、僕が知っているドラゴンルージュやドラゴンスレイヤーの中では師匠のほうがでたらめだ。
なにせ師匠は過去に、竜の代名詞であり真の強者である空とぶ竜の巣をただひとりで潰し、なおかつ二ヶ月に一度は空とぶ竜と戦っているのだから。
だからこそ、そんな化け物に逆らうほうがばかげている。
僕は空を走ることはできても、戦闘能力は皆無なのだから。
「生意気言ってすみませんでした! サー!」
「だよな?」
そしてようやく、師匠はにやりと笑みをこぼす。
「ったく、てめぇはそうやっておとなしくアタシの言うことをきいてりゃいいんだよ」
「すいませんでした! サー!」
僕がそう叫ぶと、シェラザードが「おにーちゃん、おいてくの……?」という目をしながらじわりと涙を流す。
――ああ、理不尽。もし本当にそのソマ・ドラゴンルージュなるトチ狂った経歴をもつお方がいるのであれば、いまのこの状況をなんとかしてもらいたいものだ。
「どーれ、アタシがあと半年……いや、あと一年、いや二年? まぁ、だいたいそれぐらいで立派なドラゴンスレイヤーに仕立て上げてやっから安心しろや」
「酒! もういっぱい! あとツマミ!」
「すみませんお客さ――」
「おいエドワードてめぇ! なに勝手に客商売やってるんだよ!」
「す、すみません師匠! サー!」
「大体、こんな客もいねぇ食堂で金稼ぎするより、アタシんところで稽古したほうがよっぽど――」
そこまで言って、師匠が固まった。
「……?」
「――ソマ! ソマじゃねぇか! なんだよー、旅行かー? だったらアタシに連絡よこせよなー?」
「酒! まだですか!」
「おう! エドワード! ぼけっと突っ立ってないではやく酒だせよ! 酒! いっちばん高いやつな? もちろんアタシのおごりで!」
そして、師匠はにやにや、でれでれ、と目じりをさげ、顔を真っ赤にしながら笑い、僕に酒を催促する。
なんという……理不尽。
〇
ソマ・ドラゴンルージュ。
そのお方は赤黒い外套を身にまとい、黒い髪と黒い目をした齢十五の華奢な少年。
また、身体中に銀色にかがやくアクセサリーを、指には二個ずつ指輪を取り付け、腰のベルトにはわけのわからない魔法陣が彫り込まれた短杖を片側に三本ずつ。
左側には鋼鉄製の小型ゴーレムが控えており、ゴーレムは彼にはべるように寄り添いながらゆるく湾曲した剣を掲げていた。
――これが二十年前、ソマ・ドラゴンルージュ様がはじめてこの大陸の歴史に台頭した時の御様子であり、しかし、今代最強のドラゴンルージュゆえ暗殺を恐れたルギス帝国が公開した最後のご様子である。
「おさけ、おもちしました」
シェラザードがとてとてと酒瓶をはこび、その黒髪の青年へと差し出した。
……うん、さすがに年があわない。有名人から名前を取っただけだろう。
ありえないわけじゃないし、そういう人はこの大陸に五万といる。
なにせ僕のエドワードという名前だって三十年前に活躍したドラゴンルージュ、エドワード様から取られているし、妹のシェラザードにいたってはグラム大神殿にいらっしゃる齢七十のエルフの聖女様の名前だ。
ものめずらしい黒髪黒目なばっかりに、不憫なひとだなぁ……もしかして、商売で成功したのも、ここまでやさぐれてるのも、案外名前のせいでいろいろ勘違いされてきたのがついに爆発したのかもしれない。
……そう考えると、僕は彼に、このソマに少しだけやさしくなれるような気がした。
「いやー! ソマ! お前はちっとも変わらないな!」
「うぐっ、ひっぐ……んぐ、んぐ」
「何年になるかなー? ひーのふーの……五年? いや六年? まぁ、それくらいぶりだな!」
「んぐ、んぐ……ぷはぁ! おかわり!」
「……なぁ、聞いてるか?」
一本五百銀貨もするうちの虎の子『グラムの奇跡』を味わう間もなく一息、か……うん、やっぱり優しくなれないな。
「……おい、エドワード」
「は、はい! サー!」
「聖水、あるだろ?」
「はい! サー!」
聖水とはグラム大神殿の真ん中に湧き出る源泉からくみ出した飲むことのできる温泉水のことだ。
そして聖水は神官たちの強い祈りの力とグラム様の力によって非常に強力な治癒の加護を得ており、それはたった一口で転んだ拍子に腕の骨を折った父をすぐさま癒すほどの効能を持っている。
「だせ、こいつに飲ませろ」
「はい! サー!」
――また、非常にもったいないことなのだが、教皇領に住む住人が買う分には非常に安いことを利用し、食あたりや悪酔いした客に対して出す万能常備薬である。
ここアルブ教皇領に医者がいない理由と、突発的な事故死や老衰以外での死亡者がめったにいない理由はひとえにこの聖水のおかげでもある。
さておき。
「おにーちゃん! せーすいにてがとどかない!」
シェラザードが椅子の上でうーんうーんと一生懸命背伸びをし、僕はその光景にほんわかしながら、しかし師匠の怒気にせかされるようにいそいでシェラザードの傍に。
「シェラ、交代」
「はーい!」
言うが早いか、笑顔でぴょんと椅子から飛び降り、僕はそれに入れ替わるように椅子の上へ。
そして僕は酒瓶がたくさん置かれた棚の一番上に保管していた聖水の瓶をとり、椅子から降りる。
「はいおにーちゃんコップ!」
そのまま流れるようにシェラザードがコップを差し出し、僕はそのコップに聖水をそそぐ。
シェラザードはコップいっぱいに聖水がそそがれたことを確認すると、またとてとてと駆け出して師匠の前へ。
「せーすい、おもちしました!」
「おう」
師匠はシェラザードから聖水を奪い取るように受け取り、そのままソマさんの前に。
「ほらソマ、酒だ」
「いただきます」
うわひでぇ。
「んぐ、んぐ……ぷはっ! ってまて! これ聖水じゃないか!」
しかし、もうすでに時遅し。聖水のおかげで完全に酔いがさめたらしいソマさんが声を張り上げる。
「人がせっかく酒で忘れようと努力していたのに、なんたる仕打ち! だれだ! こんなことしやがったやつは!」
「アタシだよ」
「お前か――って、クローディアさん?」
「よう、五年か六年ぶり」
「七年です」
「あれ? そだっけ?」
「そうですよ。……まったく、これだからエルフは」
やれやれと、ソマさんは頭を振る。
――いえ、ソマさん、その人身内からもエルフかどうか怪しまれてる人ですから。
そう突っ込みたかったが、しかし、師匠が非常にうれしそうににたにた笑いながら談笑しているのが、その……気持ち悪すぎて、いいだせなかった。
……というか師匠とソマさん、どういう関係なんだろう?
七年、ということはソマさんは十歳ぐらいのころに師匠と会ってるんだよな? いくら長寿のエルフとはいえ、六十歳も年下の子供に恋心を抱くのはさすがにどうだろう?
まぁ、だからこそエルフらしくないエルフといわれているんだろうが。
「本当のエルフはおばかだとか、にわとり頭だとか、脳筋だとか、文化のぶの字もないとか……一体何度僕の夢を壊したら気が済むんですか? クローディアさん」
彼のいった言葉の意味の半分もわからなかったが、どうやら彼は師匠を思いっきりバカにしているらしい。
「せめてばいんばいんなエロフだったならまだ救いもあったというのに、なんですかそのまっことつつましやかなお山は……はぁ、やれやれ」
「なに言ってるかわかんねぇよ! つーか胸みてため息つくな! これでも一族じゃいちばんでかいんだぞ!」
「はっ!」
うわ、なにこの人! この大陸で怒らせてはいけない人を鼻で笑いやがった!
そのあまりの蛮行に、僕はわなわなと戦慄した。
「で? なんですか? まさか傷心の僕をあざ笑いにきましたか? いいですよー、そのケンカうけてたちます。――表に出やがれクソエルフ!」
「まてまて! アタシがお前を笑ったりお前とケンカするわけねーだろうが!」
「……それもそうか。なんでかクローディアさんは不思議とケンカうってきませんねー。アレですか? ちょっとつっぱってみたいおとしごろってやつですか? でも七十二にもなって思春期とか遅いにもほどがあるかと思うんですがそのへんどうでしょう?」
「そ、そりゃぁアレだよ、アレ、ほら――もうアタシの顔見てわかれよ!」
「えー……理不尽だなぁ」
それはこっちのセリフだ。
師匠、見るからにあなたに好意持ってるよね?
なんで気付かないの?
「だいたい、僕、エロフな人でもない限りおばかはノーセンキューですよ」
「の、のーせ?」
「いりません、という意味です」
「なんだよ! アタシだってこの五年か六年で進歩してんだぞ! ほらエドワード! 挨拶!」
「え?」
「挨拶!」
「はい! サー! エドワード・シルフェンダンサーです!」
「バカ野郎! 誰の弟子かももっと詳しく言えよ!」
「はい! サー!」
「いや、今のやり取りでわかったというか……というか、サーって、この国の方言でしたっけ?」
「ああっ! 忘れんなよ! お前が教えてくれたんだろうがっ!」
――なんだろう、もう、なんだろう?
うん、なんというか、もうこういうしかない。
理不尽!
〇
「ティッペィリ・ソーマー?」
赤黒い外套を羽織ったその青年は、自らのことをそう名乗っていた。
「おいおい、うちの弟子にウソおしえんじゃねぇよ」
が、師匠はその名前に対してすこしだけ唇を尖らせ、その人に抗議する。
いやこの名前偽名かよ! うっかりソマは愛称かなにかかと思ったじゃないか!
「あー。うん、もういいや。あらためて、ソマ・テッペリンです。なんやかんやあって、帝国で趣味の研究に没頭しながら、あっちこっちふらふらしてたりするニート野郎です」
「に、にーと?」
しかし僕の疑問に一切答えず、そしてそのまま今度は果実の搾り汁を一口あおり。
「あ、あと、ドラゴンルージュです」
「……は?」
「あー、いや、この自治領ではドラゴンスレイヤーの扱いになるのかな? まぁ、一応は名前にもなっているので、ここはドラゴンルージュということでひとつ」
「はぁあああっ!?」
僕はあまりにもさくっと言われたその言葉に、あごが落ちんばかりに声を上げる。
妹は「なにがすごいの?」と不思議そうな顔で僕を見上げ、師匠にいたっては僕の反応をみてげらげらと笑っている。
「い、いや! 御冗談でしょう!?」
「エドワード、冗談じゃないぞ? こいつぁソマ・テッペリン・ドラゴンルージュ」
「公式ではソマ・ドラゴンルージュとなってます」
「あれ? そだっけ?」
「ソマはともかくテッペリンが発音しづらいようなので、故意に省いてもらってるんですよね」
「ふーん、どこらへんが発音しづらいんだか……まぁ、ともかく。こいつはれっきとした帝国のドラゴンルージュさ。あと、アタシよりキレやすい」
「ははっ! キレやすいとかなに言ってるんですか。僕をキレさせたらたいしたもんですよ。キレさせたらお好きなお酒をおごってあげます」
「わかった。その言葉忘れんなよ? ――この童顔」
「顔のことは言うなぁあああ! 表出やがれこのクソエルフがぁぁあああ! ――はっ!?」
「な? まー、こいつは基本的に、顔とメシのことさえ気をつければ良いやつだぜ? うまい飯屋とかとかよく知ってるし、本人もうまいメシ作れるし。とりあえずグラムの奇跡をボトルで。あとツマミてきとーに」
「くっ! 卑怯な! つーかグラムの奇跡って一本いくらすると!」
「賭けに負けたほうが悪い。いやー、ソマがアタシのためだけに奢ってくれるなんて何年ぶりだろうなぁ! 六年? いや七年か!」
そして師匠が気持ち悪いくらいにげらげらと笑い出す。
――え? というか、そんな人を僕は三週間も相手していたんですか?
その事実に冷や汗がだらだらと流れる。
よくよく見ればこのお方の着ているこの悪趣味な外套、どう見ても竜皮製の最高級品ではないか。
そして、そんな赤黒い色をした竜といえば、僕が知る限り空とぶ竜の中でも別格の扱いを受ける暴王火竜か、もしくは伝説の赤竜帝くらいしかいない。
伝説の赤竜帝は空想上の生き物なのでいないとして、それでも暴王火竜は師匠でも「めんどくせー」と顔をしかめながら戦う竜である。
また、その竜から取れる素材は市場に滅多に流れぬ希少品であり、その竜皮製の外套を着たいというのであれば、金貨を百も積むか、自分で狩ってくるしかないとまで言われる幻の一品。
そしてその竜を倒すということはつまり――少なくとも師匠と同程度。
ということは、本当に、このお方があの、この大陸で最も怒らせてはいけない男、ソマ・ドラゴンルージュ――
「おさけ、おまちしました!」
「おう! ええっと? こういうときはなんていうんだったかなー? あー、そうそう、ゴチ!」
「くっ!」
――うん、そうやって普通に悔しがる姿は、どっからどうみても三十そこらのおっさんには見えないな。
きっと同姓同名のドラゴンルージュ、半分くらいは師匠の戯言だろう。うん。
「――ところでさー、ソマはなんでこの国にきたんだ? 旅行?」
一本五百銀貨もするうちの虎の子グラムの奇跡を六本も空け、酔いも程よく回ってきたらしい師匠が、ソマさんに向かってそんなことを尋ねる。
……師匠、それだけ酒をあおって『酔いも程よく』だなんて、やっぱりあなたはドワーフか半獣半人なんですか?
というかうちの虎の子をそうぽんぽん気楽に開けないでください本当に。
それ十本も仕入れるのに予約入れて四年も待ったって、父が泣きながら言ってたくらいなんですから。
「……ただの傷心旅行です」
「――え?」
「あー、もうそろそろひと月かぁ。いい加減帰らないとアリスが怒りそうだ……」
「な、なー、ソマ。アリスってだれだ?」
師匠が、震える声でその女性の名前を尋ねる。
「ああ、言ってなかったですねー。僕の弟子のひとりです」
「そ、そうか! なんだ弟子か! 弟子だったのか! つーかいつの間に弟子なんて取ったんだよー、水臭いぞー? アタシにも教えろよー」
「お前に教えたところでひとっかけらも益にならないでしょうが」
「なに言ってんだよー、アタシは風翔魔法をかんっぺきに習得したドラゴンスレイヤーだぜ? そこらへんの魔法使いより役に立つだろ。それにアタシ、暴王火竜だって斬り殺せるんだぜ? ほら、役に立つだろー、なー?」
おお! あの性格ギャングの師匠が下手に出つつ自らを売り込んでる!
「いや、暴王火竜程度なら僕でもできますし」
ぶぅっ!?
思わぬ発言に噴き出してしまう。
「そ、そうだった……いや! 七年前か八年前は風翔魔法なんて使えないって言ってただろ! それならアタシのほうが」
「それが最近、殴りかかるにしても儀式魔法で空中に足場作ったほうが簡単だということに気付きまして」
「はぁ!?」
この人はなにを言っているんだ。
たしかに、足場を作る儀式魔法は昔から存在している。
しかし、それは土木工事や建築工事用に調整された魔法具を使って行われるものであり、その上大量の魔力を消費するため、ただひたすらに、高い。
半日分の魔力が注入された魔法具で金貨三枚、だったか。
まぁ、それでも辺境の地に砦を建てたりするときに重宝されるため、需要は尽きないとかなんとか。
ともかく……どうやら飲んだ聖水の量が足りなかったらしい。この男、まだ酒が完全に抜けきっていなようだ。
「なに余計なことしてんんだよテメェはよ!」
いや、師匠、そういう問題じゃないです。
「いや、そんなこと言われても困るというか、もったいないの精神は重要と申しますか」
「意味わかんねぇ! もっとアタシにもわかる言葉でしゃべれよ!」
「僕、もう中年のおっさんですよ? これ以上新しい魔法覚えるのメンドイ。同じ時間を使うなら弟子の育成と魔法の研究に没頭していたい」
「そこはがんばれよ! あきらめんなよ!」
「えー……」
「空はすっげー気持ち良いんだぞ! ソマならすぐ覚えられっから、いますぐ二人で飛ぼうぜ!」
「無茶言うなよクソエルフ!」
当たり前である。
それに、今すぐ覚えられたら、風翔魔法の習得に四年もかかった僕の立つ瀬がない。
〇
外はもうすっかりと暗くなり、そろそろ店じまいしないとなー、とか考えながら師匠とソマさんを見やる。
ソマさんは昨日までとは違っていまだしらふであり、かわりに顔を真っ赤にした師匠があれこれと酒を注文し続けていた。
「んだよ、もう酒ねぇのかよ!」
ないもなにも、グラムの奇跡は四年待ちしてようやく手に入れた希少品だ。そしてそれは、いままで一本しか注文されなかったほどの高級品なのである。
それをこの一日で九本、それも地面に水をぶちまけるがごとき気楽さと勢いで。
もっとよく味わって飲めよ、そしてとにかくいますぐ醸造家に謝れよ。
――いや、父曰く「グラムの奇跡の代金は十年かけてゆっくりと支払う計画」だったらしいから、おかげで一括完済して、なおかつこのひと月だけで高い利益を得ることができたわけだが。
さておき。
いい加減帰ってくれないかなー? とか考えていると、外からがしゃんがしゃん! という金属の足音が響く。
どうやらいつものように酔いつぶれたソマさんを宿屋まで運んでいくゴーレムがやってきたらしい。
初日はバカ高いはずのゴーレムの、その阿呆みたいな使い方に辟易したりもした。が、もうなれたものである。
「ソマさ~ん、お迎えのゴーレムですよ? あと閉店時間でーす」
いつもの通り、僕は彼にゴーレムがやってきたことを伝える。
「んだよ! まだ良いだろ!」
だが、師匠が明らかに不機嫌そうな顔つきで僕に抗議。
「ほら、ソマ。お前もいいだろ? もっと付き合え! ――ソマ?」
しかし、ソマさんはそのゴーレムの駆動音を聞いてから至極真面目な表情で入り口をにらみつけていた。
――あれ? そういえばいつもは問答無用で入ってくるのに、今日は何で入ってこないんだろう?
「オーダー、試作六号、来い」
言うが早いか、扉がぎぎぎと開き、がしゃんがしゃんと足を鳴らしながら表にいたゴーレムが入ってきた。
「おいおい……ありゃ、最近話題の鋼鉄鳥じゃねぇかよ。どーりで強いわけだ」
「……えっ!?」
師匠は苦笑いを浮かべ、僕はその奇形ゴーレムに目をむく。
あれが、師匠並に、強い……?
「オーダー、試作六号、音声再生」
「『教官! たすけてください!』」
突然、奇形ゴーレムから、がががという雑音まじりの女性の声が響く。
「……おーけー」
それを聞き、つぶやいた瞬間、ソマさんからすさまじい量の魔力が放出される!
そのあまりの気迫に、僕は呼吸を忘れ、妹は放心しながらその場に崩れおちる。
心なしか、大気まで震えている。
「お? こいつがアリスってやつ? つーかどういう理屈だよ、これ」
が、師匠はそんなことを一切気にせず、いつもの通りにソマさんに話しかける。
「すいません、黙ってもらえます? ちょっと地脈に直接接続してるんで」
おい、まて、いま、こいつはなんといった?
地脈に直接接続?
そんなことはかの地脈魔法の雄、ドロティア・アースナイトでもできないであろうことだぞ?
そもそも、地脈は純粋な魔力の本流。それを自分の魔力を呼び水として、物理的な威力になるほどの濃度で吸い上げ、そしてただただ放出し続けるだけの魔法ともいえぬ魔法が、極限まで高めた魔力操作技量こそが地脈魔法のはずだ。
そして、物理的な威力になるまで高まった濃度の魔力など、人に流れた瞬間身体が内側はじけ飛ぶ! こんなの、今現役の魔法使いなら誰でも、いや僕ですら知っていることだ!
――しばらくして、店の中にうねっていた魔力がゆっくりと収まり、しかし、ソマの周りにはゆらゆらと、高濃度の魔力で生まれた風が漂っている。
「……よし」
くるりとソマさんが振り返り、ものすごい良い笑顔で僕に言う。
「そろそろ家に帰ります! あ、これ迷惑りょ――」
「もう結構です!」
ふたたびその懐から金貨を、それも一掴みも取り出そうとしていたので、僕は思わず首を横にふった。
「あ、ソマ」
「なんですか? 僕、早くドロティアを助けに行きたいんですが?」
不機嫌になりながら、ソマさんがあの奇形ゴーレムの頭に手を載せる。
「アタシ送ってこうか? そのゴーレムより速い自信、あるぜ?」
「はは、御冗談を」
笑いながら、ゴーレムに大量の、それはもう人が十人ははじけ飛ぶ量の魔力を流し。
「歩いて一秒」
次いでゴーレムが不快な声でひと鳴きしたかと思うと、ゴーレムの胸を中心にして、目の前に両開きのドアが現れ出てきた。
「これより速く、帝国につけますか?」
ぎぃいい、と、扉が開き、その扉の向こうには――
「きょ、教官!?」
「バカ息子!?」
「……やれやれ、また面妖なものを」
見たこともない三人の男女が呆然とこっちを見ていた。
――いや、ため息ついているあの豪奢な女性、まさか帝国の!?
「どー考えても無理だわ。それ、どういう理屈よ」
「んー……」
その人は腕を組みながらやや考え込み。
「いくらこれが力技とはいえ、クソエルフに理解できるとは到底思えません」
笑顔でそう、のたまった。
だが僕は――なるほど、と、思わず唸ってしまった。




