第二回 コスプレ女の実力行使
ヤナの話は簡単だった。
正しい歴史、つまり〔正史〕では、高橋紹運は、天正十四年七月十二日に行われた島津軍の降伏勧告を受け開城。その後、紹運は立花山城を守る宗茂を恭順させ、島津の九州統一の尖兵になったそうだ。しかし、悪の組織ゲルトバルトゲボルブフェンの歴史改竄によって、紹運は降伏を拒否し全員玉砕してしまったという。
なので、ヤナは歴史の修正者として勇人を過去に送り込み、降伏拒否を阻止し〔正史〕を取り戻して欲しいというのだ。
「何だそれ」
勇人は、呆れ果ててしまった。紹運は九州でも指折りの名将であり、義理堅い武士である。
しかも、彼は降伏勧告を前に
「主家が盛んなる時は忠誠を誓い、主家が衰えたときは裏切る。そのような輩が多いが私は大恩を忘れ鞍替えすることは出来ぬ。恩を忘れることは鳥獣以下である」
と、まで言っている。そのような武将が恭順したなど、俄かに信じがたい。
「な、何よ。信じていないのね」
慌てるヤナに対し、勇人は力強く頷いた。
「全く信じられない。紹運は義理堅くて有名なんだよ」
「義理堅い? それはゲルトバルトゲボルブフェンの仕業。歴史を改竄させ、植え付けたイメージよ。本当はそうじゃないの。ま、高橋紹運も人間って事ね。誰でも命は惜しいもの」
そう言うヤナを横目に、勇人は仏頂面を浮かべて、腕を組んだ。
「何よ、怒ったの?」
「別に」
そう答えたものの、したたかな腹立ちを覚えたのは嘘ではなかった。
紹運は勇人が憧れる戦国武将。それを貶されたのだから、怒らない方がおかしい。
「仮に、ヤナの言う事が本当だとして、どうして悪の組織が紹運の名声を高める事をするんだよ」
「えっ、知らないわよ、そんな事」
「ちょ、知らずに戦っているのかよ!」
「でも、歴史を変える事は許されない行為よ。それを見過ごしてしまったから今の歴史がある」
「確かに歴史を変える行為は良くない。国民的漫画にもタイムパトロールというものがあるし」
「そうよ。特務機関アンクルーは、そのタイムパトロールみたいなもの。お願い、勇人。あなたの力で歴史を修正して」
と、ヤナは軍服の第二ボタンまでを外し、前屈みになった。
「お願い、勇人ぉ」
上目使いの媚びるような視線。甘い声。それは、童貞が夢にまで見た、女だった。
「う……」
谷間。意外と着痩せするタイプなのか、豊満なものが視界に飛び込んだ。
(いやいやいやいや!)
落ち着け。落ち着け。落ち着け。勇人は、そう強く念じながら、視線を天井に向けた。
(そもそも、この女は何なのだ!)
冷静に考えれば、不法侵入している。しかも特務機関だの、悪の組織だの、ちょっとどころか、かなり怪しい。これは警察を呼ぶ事案ではないか。
「ちっ」
ヤナは舌打ちをすると、またボタンを元に戻した。
「……」
「で、どうなの? 協力するの? しないの? 戦国時代を生体験出来るチャンスよ」
「そもそも、自分でやればいいじゃん」
「それが出来たら苦労しないわよ。出来ないから言っているの」
「何で出来ないんだよ」
「ルールよ。大いなる宇宙神が定めし、絶対不可侵のルール」
やはり、これは夢だ。そして、この女は頭がおかしいのだ。こんな夢を見たのも、熱帯夜のせいだろう。
「あまり使いたくなかったけど……」
と、ヤナがおもむろに立ち上がり、腰に装着していた警棒を取り出した。
「わ!」
実力行使か。勇人は身構えた。自慢じゃないが、手荒い事には慣れていない。身を守る術も知らない、モヤシ野郎だ。
「こうなったら仕方ないわ。時間もないし」
ヤナが柄にあるスイッチを押した瞬間、その警棒は見る見るうちに変形し、魔法少女のステッキに変形した。
「何だよそれ」
玩具のようなステッキだ。白を基調にし、先端にはピンクのハート。そして、天使の羽もあしらわれている。
「黙って。結構苦手なんだから」
そうひと睨みすると、ヤナは自由の女神のようなポーズを決め、何やら呟き出した。
「……バザード・ヘルザード・イコール・サナトス。我、柊ヤナが聖ハバイトンの名によって命ずる……」
魔法の詠唱。そう思った時には、部屋の中が地震のように震えだした。
「おいっ! 何だよこれ! ヤナ!」
「もう黙ってってば!」
揺れは次第に大きくなる。いや、地震じゃない。テレビの画面が頻繁に変わり、本棚からは本が飛び出し、擬人化された北上のポスターが勝手に千切れた。ポルターガイストだ!
「蒼き光と、天の聖霊、不滅なる時の神よ。血の盟約に基づき、我の導きに従って時を駆けさせたまえ……」
ヤナは、そのステッキで円を描くと、右にターン。そして左にターンをして、また自由の女神ポーズを取った。
「タイムスリィィップゥゥッ!」
蒼い閃光が部屋に満ちたと思うと、勇人の身体は、今までに体験した事のない、得体の知れない強い力よって、上へ引っ張られていった。
ただし、その時の効果音は気の利いたものではなく、何故か、
「ポンッ!」
と、いう清涼飲料水の栓を開けた時のような、気の抜けたものだった。




