第一回 コスプレ女は突然に
その声は、まるで美少女アニメに登場する妹キャラのような、甘ったるく媚びるようなものだった。
熱帯夜が続く、八月の深夜二時。
羽山勇人は、高校の夏休みをいい事に、歴史シミュレーションゲームに没頭した挙句、コントローラーを握ったままベッドで寝落ちしていた。
「起きて」
身体の揺さぶりを感じ、勇人は重い瞼を微かに開くと、そこには若い女が持つ、はち切れんばかりの太股の白さがあった。
(ん……凛音か?)
勇人には、凛音という中学三年生の妹がいる。その凛音が、心配して起こしにきたのだろう。
「もう、起きてよ。勇人ってばぁ」
凛音にしては、甘ったるい声だ。我が妹ながら、全く女っ気がない凛音は、そんな言い方はしない。起こすならば、トップロープから〔ハイフライフロー〕をブチかますような、手荒い方法をするはずである。
(やはり、おかしい)
第一、凛音は〔兄貴〕と呼ぶ。呼び捨てなどした日には、自慢の膝〔ボマイェ〕をお見舞いしてやる所だ。勇人は兄妹のケジメは厳しくしている。
じゃ、母親か。いや、それはない。御年四十四になる母が、こんな声を出すなど、考えられない。
「もう、どうしても起きないつもりね! なら私にも考えがあるわ」
と、その声の主が言った途端、耳に温かく、そして艶かしい吐息が吹き掛けられた。
「わっ!」
流石にこれには驚き、勇人はコントローラーを投げ捨て飛び起きていた。
そして、テレビを遮るように立っていた、その声の主を見て、また勇人は驚きの声を挙げた。
女だった。
凛音でも、母親でもない、女。
(コスプレ……)
まず思ったのが、それだった。
髪は黒で、顔は日本人。歳は同じか、下。目鼻立ちがはっきりとしている。
だが、その格好はというと、大日本帝国を思わせる、カーキ色の詰め入りの軍服に、下はミリタリー萌えにありがちなミニスカートて、しかも黒いニーハイと来ている。
どう見てもコスプレだった。
(可愛い……)
正直、美少女アニメも好きな勇人にとって、それは好みだ。
「もう! やっと起きたわね」
と、コスプレ女が頬を膨らませた。
「えっと、まず……君はどなた?」
勇人が恐る恐る訊くと、コスプレ女はクルッと長い黒髪を靡かせて回転し、まるで魔法少女が変身後に見せるようなポーズを決めて、
「私は、特務機関アンクルーの柊ヤナ少佐よ! よろしくね☆」
と、名乗った。
よろしくね☆、と言われても状況を飲み込めない勇人は、口をあんぐりさせたまま、主に絶対領域を中心に見ていた。
「いや、そう言われても。どうして此処に?」
「実はね、頼みがあってやって来たの」
ヤナと名乗るコスプレ女は、ベッドに座る勇人の前に膝をついた。
「勇人は、歴史好きでしょ?」
「歴史? まぁ好きだけど」
「戦国時代は?」
「かなり好きな方かな」
「どれくらい好き?」
「ええ、まぁ。北は蠣崎、南は島津まで抑えているぐらい……」
勇人は歴史、特に戦国時代が好きだった。部屋の本棚には、戦国時代関係の書籍、雑誌から小説・漫画まで並べられ、今では月に二度ほど、古文書を読み解く為に崩し字の教室に通っている程である。
「中でも高橋紹運が一番好きだよね、確か」
「そうだけど」
高橋紹運は、戦国のサラブレッドと呼ばれる立花宗茂の実父であり、一般の知名度は低いが戦国時代ファンには有名な〔知る人ぞ知る〕武将である。
「よかったぁ! 情報は間違ってなかった!」
「いやいや、何だよ、その情報って。というか、何で俺の部屋に」
「私は特務機関アンクルーのエージェント。あなたの力を借りに来たの」
「……」
アニメ、異世界転生ものにありがちな展開に、言葉が出ない。
「いや、力って。俺、普通の高二だし。歴史とプロレスとアニメが好きなぐらいの」
「そうよ、それ! 勇人が持っている、歴史の知識が必要なのよ!」
ヤナはそう言い切り、勇人の眼前にまで迫った。
(う……)
かなり可愛い。いや、完全にタイプだ。困り眉で、某大人数のアイドルグループにいてもおかしくないビジュアルである。
「実はね。今の歴史って間違っているのよ」
「間違っている? どういう事、それ?」
「ん。そう。あなたが知る歴史って、平家が負けて、信長が本能寺で殺されて、幕末には徳川慶喜が逃げて、第二次世界大戦には日本が枢軸国についたでしょ?」
「まぁ、そうなっているけど」
「あれって、全部間違っているの。嘘なのよ」
「は?」
「本当はね、平清盛は源頼朝を伊豆に流さずに殺しているし、明智光秀は謀反を起こしてないし、第一次長州征伐で長州藩は消滅しているし、日本は連合国に入ってドイツと戦っているの」
「何だよ、そのトンでも説。一次史料で根拠あるの? 最後に至っては、すぐに嘘だって判るし」
そう言うと、ヤナは一つ溜め息をついて、やれやれと口を開いた。
「いや、そういう事じゃなくて! 正しい歴史が改竄されて、勇人が知る歴史になってるの!」
「改竄って誰が」
「悪の組織ゲルトバルトゲボルブフェンよ! 極悪非道の秘密結社!」
「……」
「え? 何? 何て?」
「悪の組織って、アニメじゃあるまいし」
「そのアニメがあなた好きでしょ」
と、ヤナは壁を一瞥した。そこには、第二次世界大戦の軽巡洋艦北上を擬人化した、美少女アニメのポスターが張られてある。
「……まぁ否定は出来ないけど」
確かに、アニメは好きだし、悪の組織と聞くと、胸が騒がないわけではない。
「その悪の組織ゲルトバルトゲボルブフェンの野望を挫く為に、勇人の力が必要なの!」
「必要っていうけど、そのゲ、ゲルト……ハントゲボルべフェンっていうのと、どう戦って言うんだよ」
「ゲルトバルトゲボルブフェンね」
「ゲルトバイドゲボルブフン?」
「惜しい! ゲルトバルトゲボルブフェン!」
「ゲルトバルトゲボルブフェン!」
「そう。正解! でも、勇人が戦うのは、ゲルトバルトゲボルブフェンじゃないの。あなたの知識で、救って貰いたいのよ」
「救う?」
「ええ」
と、ヤナは力強く頷いた。
「高橋紹運、勇人が一番好きな偉人を救うのよ」




