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短編

ほたるのひかり

作者: 片桐ゆかり


付き合って、三年目になる人がいる。

どうして付き合うようになったんだっけと、ぼんやりし始めた意識の中で考えながら、私はそっと寝返りを打った。

ベッドの中には、私だけ。枕元に置いた本は、何度も読み返すお気に入り。今さっきまで読んでいて、休憩しようと思ってしおりを挟んだページは空で言える。

そのままうとうとし始めた時に、ふと思う、ことは。


ベッドサイドで充電しているスマートフォンが振動している。振動の長さから、メルマガか誰かからのメールかのどちらか。この昨今にメールを送ってくる人はなかなかいないけど、メールって意外と好きだ。

思い出す、携帯電話だったときのこと。受信中のマークに心躍らせて、きままにメールをやり取りしたとき。あの気ままさが好きだったのに。

今は一回見ただけで既読の文字が付いて、返信をすることを義務付けられている。大事な用件にはちゃんと返信するけれど、とりとめもない返信もいらないようなメールは見てなかったのごめんねで済ませられたあの時。

三年前の私は、高校一年生。黒髪に着崩さない制服の、真面目にみられる人の部類にいた。

実際は、体調が悪いとうそをついて保健室でお休みをしたり、本を読むのが楽しくて楽しくて授業中も読んで、宿題もそこそこに好きなことばかりしていた。けど、それはやり方ややることが違えど、誰だって通る道だ。

私は制服を着崩さずある程度の成績と、きっちり守る提出物のお蔭で『真面目でちゃんとしている生徒』の役を学校からもらっていた。その役割は、便利。

問題児でもなく、できすぎるわけでもない私は先生たちから安心という名前の安寧を得ていた。安心できる生徒は、気にかけなくても大丈夫だ、きっと道を踏み外さないという勝手な放棄。でもそれって、私にとってはとっても楽ちんだった。

そんな時に出会ったのが、先生だった。先生と生徒。私と彼は、あの時そんな関係で中身は少しだけの恋愛を交えていた。――安心できる生徒の私は、ちょっとした道を踏み外したのだろうか。


「…………でんわ?」


ぼそ、と呟いた声が低く掠れていた。振動は長くなっていて、誰かが着信をかけてきたのだとわかる、けれど、出る気がしなくて放置した。

先生と、私は呼んでいた。今は、筒美さんと呼んでいる。筒美さんは、私の先生だった人。そしてその時からの恋人だ。


「まだ寝ているのか?」

「……来るなら、電話しなくてもよかったのに」

「何度しても出ない君が悪い」


音もなく忍び寄って捕獲する、筒美さんはそんな人だ。

高校生だった私の、その手に引っかかったクチ。気付いた時にはぐずぐずのずぶずぶにこの人に惹きつけられていた。

そして筒美さんは人に気配を悟らせない。忍者みたい、と言ったら静かに笑っていた。

今日も私が知らないうちに私の部屋にするりとはいりこんで私をベッドの脇から見下ろしている。筒美さんと私は、基本的にこんなふうにだらしない会い方をするのだ。そういうの、気を遣わなくてすごく好き。たまに普通の健全なお付き合いでもしてみようかと、時間を決めて二人ともちゃんとした格好をしてデートに行く。

でもやっぱり、こんな風に夢うつつのときに会う筒美さんが、一番好きかもしれない。

ぼんやりと見上げた顔が好き。


「おはよう。といっても、もう正午はまわっているけど」

「お昼寝してたの」

「食事は?」

「食べる。ね、支度するから出かけよう」


ベッドから起き上がってまだ覚醒しない頭のままで筒美さんにひっついて笑う。別段面白いこともないのに、くすくすと。ひっついてるだけでなんだか楽しい。

外の空気をまだまとっているこの人は、眼鏡の奥の瞳を少しだけ和らげて私に触れるだけのキスをした。


「押し倒したくならないうちに、早く」

「…筒美さんは、そんなことばっかり」


呆れたように一歩離れれば、三年前より大人っぽくなった表情で、肩をすくめた。


「俺も、男だから」


すらっとした優しげな風貌のその人は、外より家が好きというような大人しそうな見た目の割に、結構手が早い。

ベッドに腰掛けて私が読みかけで伏せていた本を読んでいる横顔を、ドライヤーで髪の毛を乾かしながら観察して、そしてその指がページを捲るたびに私を暴いてく指を思い出してどきりとする。



筒美さんは、壊滅的に料理が下手だ。

ふとよそ見をして鍋を焦がすし(ここまでいくともうよそ見じゃない)、熱を上げた方がよく揚がるんじゃないかと熱しすぎててんぷら鍋は炎上させた(これは彼の家族からの情報)。そして、そんな彼の作った料理はものすごく個性的だ。

悪く言えば、素材の味をぶち殺した感じ。おいしい美味しくないなら、後者。たちが悪いのは砂糖と塩を間違えるレベルの可愛らしさが全くないところ。

食中毒がいまだに起きていないのが不思議なくらい。ちなみに私も、そんな筒美さんの料理の標的になったことがあった。味は、もう二度と作ってくれるなという感じ。

彼の能力は、彼の家族からしたら不安の種でしかないのだろう。『一人で料理をしないのなら』という条件で一人暮らしをしている。

だから、二人で会う日は基本的に私が料理を作るし、筒美さんは基本的に外食か買ってきたものを食べて生きている人だ。

この人、カレーライスすら作れないのだ。ご飯も炊けない。そのくせ食事は生命活動を維持するためのものと捉えているから体に何か入れればいい、なんていう人。

いつか、簡単にしんでしまうんじゃないだろうかと、不安だった高校生のあの時。


「今日は何を食べる?」

「ひかりが食べたいものなら、なんでも」


――私が食べたいものが、食べたい。

それが筒美さんの本心だ。自分では何が食べたいのかうまく思い浮かべられないこの人は、こういう。私が必ずメニューを迷うとき、迷うことなく私が二番目に食べたいものを注文して、半分こさせてくれる。


「じゃあ、カレーにしよう。ナンがすっごくおいしいの」

「わかった」


私の安いアパートから出て二人で歩く。

大学生になった私は、高校生の時より少し大人びた。化粧をして、筒美さんに開けてもらった穴にピアスを通す。耳に揺れるピアスは、私が身に着けるほとんどのアクセサリーは筒美さんのプレゼント。


――私は高校二年生の時に、新任教師としてやってきた当時先生だった筒美さんと図書委員の担当教員と図書委員として仲良くなった。

私は優しげな筒美さんに、兄のようなものを見出して、よくなついた。一人っ子だった私は兄がほしかったのだ。両親は仕事で忙しかったので甘えん坊だった私はあまり甘えられず、だからこそ年上の兄のような、包み込んで甘やかしてくれる男性に対する憧れがあった。

そして、筒美さんは、どうやらあった時から私のことをそういう、所謂恋愛対象としてみていたらしい。


「大人しそうな雰囲気で優等生のくせに、他と違って甘えたいですって顔で一歩引いたところから接してくるところがたまらなかった。黒髪も長さも髪型も俺好み」


と、放課後の図書室でささやかれた言葉をまだ覚えている。

――どうも、あまえたがりな私の欲求は見透かされていたらしい。

放課後の図書当番、生徒は私一人だけ。そして私は、先生とこっそりキスをした。

触れるだけのキスは、日を追うごとに激しさを増して、食べられてしまいそうだという感想を伝えたら、そのあと持ち帰られて貪り食べられた。

あれから、私と先生は、恋人という関係を築いている。



「……へいてんなんて、嫌い」

「世知辛い世の中、大手チェーンでもない限り閉店します期間はなかなか長くはないからな」

「おいしかったのに。一緒に食べたかったのに…」


閉店しました、というぴらぴらした紙を前にうなだれる私と、そんな私の隣で面白そうに笑っている筒美さん。

なだめるように私の背中をすう、と撫でる。私は嬉しくなって彼の腕にぴとっとくっついた。

眼鏡の奥の瞳が柔らかく笑っている。この人の、隣にいていい匂いがするところが好き。

洗濯洗剤の柔らかな香りが鼻に届いた。



「違うところに行く?それとも私、作る?」

「ひかり、がいい」

「私はご飯じゃないのよ、せんせ」

「ああ、それ、久しぶりに聞いた」


せんせ、と私は呼んでいた。

優しげな風貌で、でもちゃんとした男の人の体をした筒美さんは女生徒たちのほのかな恋情を煽っていた。彼のことを本気で好きだった子たちは、私以外に何人もいたのを知っている。

私はそんな子たちを見ながら、思い出していた。

私に触れる指の感触を、唇に触れる熱さを、私がほしいと熱を帯びた顔で言う、色気のある表情を。

――背徳感めいたものに支配されながら、私と筒美さんは表面上は変わらないふりを続けていた。そして、卒業式のあと、私と筒美さんは誰もいない図書館で二人でキスをした。

それは、先生と生徒としての最後。陰に隠れていた私たちの、恋人としての本当のはじまり。



「筒美さんは情熱的だよね」

「そう?」

「そういうとこ、好き」


くすりと笑って、筒美さんは私の手をそっとからめとった。恋人つなぎの様に繋がれた手と手は、迷うことなく私を導いてくれる。


「いつの間にか大人になっていくんだな」

「私、大人っぽくなった?」

「会うたびに綺麗になるから困る」

「それは、きっと、筒美さんのおかげ」


私がきれいになったのは、筒美さんのせい。筒美さんに見合う綺麗な人になりたくて、筒美さんと見劣りしたくなくて、そして何より筒美さんが私にめいいっぱい愛を注いでくれる、そのせい。

手を離して、腕を組む。抱き着きながら歩くのは、少しだけ子供っぽくてあんまり好きではないけれど、今は嬉しいからいいのだ。

筒美さんはご機嫌になった私に何も言わず、されるがまま。


「筒美さん、私今ものすごくうれしいから食べてもいいよ」

「誉めればその分返ってくるのか、なるほどな」

「単純なのは筒美さん限定なの」


そのまま筒美さんは私を引っ張って、歩き出す。

この方向は、きっと筒美さんの家の方向だな、と思いながら私は素直についていく。

筒美さんは、私が卒業した年に高校の先生をやめてしまった。それからは在宅でお仕事をしている。前に聞いてみたことがあったけど、なんだか難しそうで忘れてしまった。ちゃんと仕事はしているし、たまに文章を書いてそこでまた稼いでいるみたいなので大丈夫な人。

もう誰も、筒美さんのことを先生とは呼ばない。

私も呼ばない。けれど、私の記憶の中には、先生だったころの筒美さんが生きている。

あの時も、今も、全部すき。


筒美さんのアパートは物がなくて少し寂しい。私の狭いアパートは、私の好きなものであふれかえっているけれど、ここには本とちょっとした家電と、それくらい。

しんとした部屋について、私と筒美さんは律儀に手を洗った。

二人でキスをしながらベッドに沈み込む。伸びてくる手をそっとつかんだ。大きな手は、逆に私の手を掴んで離さない。


「そろそろ越してこないか?ひかりの好きなものをこの中に入れれば、ここは寂しくなくなる」


この部屋が寂しい、と言ったのを覚えていたらしい。

確かに、私の部屋のものを持ってきてもきっと余裕があるだろう。

想像してみる、私と筒美さんのものが置かれた、部屋を。二人で起きてご飯を食べて、帰ってきて一緒にベッドの中で丸まって眠るところ。

それは、なんて素敵な、どきどきするものなんだろう。


「あと、筒美さんは卒業してほしい」

「筒美さんって呼ばれるの、いや?」

「いずれ筒美になるのに、呼んでる必要があるか?」

「んん、ない…かな?」


遠回しな布石ににやにやしながらしがみつくように腕をまわした。

筒美蛍、蛍さん、蛍、呼ぶたびにくすぐったそうに笑うから、もっと呼んだ。

伝わるように、伝えるように。


「返事は?」

「いいよ、筒美さんのとこに帰ってきてあげる」


彼は眼鏡を外して、ベッドサイドに置く。

そしてそのまま私の上に覆いかぶさって、そして、私は彼をどこまでも受け入れる。






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― 新着の感想 ―
[良い点] こういう話好きです。
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