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第二章 初午(はつうま) 其の二

 葵屋は、天地をひっくり返したような大騒ぎだったらしい。

 らしいと言うのは、その間俺が意識を失っていたからだ。

 目覚めたのは驚いたことに翌日の昼。しかも病院のベッドの上だ。おそらく、即救急車で運び込まれてそのまま丸一日過ぎてしまったのだろう。

 薄く目を開けた時点で、真幌木らしき女の子の顔が息がかかるほど近くにあったような気がした。けれど何度か瞬きして視界がはっきりすると、そこにあったのは妹の顔だった。

 十羽織は俺が意識を取り戻したと理解するや、首筋にしがみついて俺を何度も呼びながら泣きじゃくった。すぐ後ろに沖の姿もあるのに、呼び方が「兄さん」から「お兄ちゃん」に戻ってしまっていた。我を失うほどに心配させてしまったのだと思うと申し訳ないという気持ちが募る。人前ではあったが、俺は痛みを顔に出さないよう気を付けながら十羽織の頭に手を乗せると、髪の毛を梳るように何度も撫でてやった。

「うう……ぐす、ううう~~~」

 十羽織は顔を伏せたまま、猫がせがむように俺の首に頭を押し付けてきた。身長が高い上に常に背筋を伸ばしている妹に対しては、俺はなかなかこういうことが出来ない。けれど本当は妹が頭を撫でられるのが大好きなことを知っているので、『優しくする』時は必ずこうしていた。林檎のように頬を染めながらも、十羽織はそうされると決して拒むことはない。

「うあぁん、九郎君……良かったよぉ~」

 沖はこちらを見ながら何度も目尻を擦っていた。目が真っ赤に腫れ上がっていてせっかくの綺麗な顔が台無しだったが、本人は一切それを気にする様子がなかった。目覚めてすぐ二人がいたということは、多分病院側が許す限り傍にいてくれたんだろう。本当に心配をかけてしまったんだと痛感した。

「ま、ほろぎ、たち、は……?」

 口の中も傷だらけだったようで、一音発するごとに刺すような痛みが走った。それでも、この場にいない二人のことが気になった。特に真幌木は目を開けた直後にいてくれたような気がして、確かめずにはいられなかった。

「夜宵ちゃんは、さっきまでここにいたんだよ。ううん、誰よりも九郎君のそばにいて、席も立たずに、ずっとずっと動かなかったの。息すらしてないように思えたくらいで、私、見てられなかった。でも、九郎君が目を開けた時、なんでなのかわからないけど急に走って病室から出てっちゃったの。それでね、たぶんだけどその時、夜宵ちゃん泣いてた……」

 それから、静ちゃんはね、と沖はえずきながら続けてくれた。

「静ちゃんは、病院には来てないの。九郎君には教えてなかったみたいだけど、自分は葵屋の憑喪神だから、建物から遠く離れることが出来ない、って言ってた。でも、九郎君の近くにいれないことがとても辛そうだった。本当に、いつもとは全然違った感じで……だから、静ちゃんのこと薄情だなんて思わないでね。九郎君にそう思われたなんて知ったら、静ちゃん、きっと誰にも見られない場所で泣いちゃうと思うから」

「……ああ。わかった。よくわかったよ。ありがとう、沖」

 ううん、と沖は首を振った。それから瞼をごしごし擦って涙を拭い去ると、両手で頬を叩いて、よし、と口にした。

「お医者さんはもうすぐ来るはずだから、こっちは十羽織ちゃんに任せて、私は夜宵ちゃんの様子を見てくるね。そのあと、葵屋に一度戻ってまた来るから。九郎君、それでいいよね?」

「ああ。本当に助かるよ」

 どういたしまして、と沖は笑った。

 真幌木と静、二人のフォローを彼女は買って出てくれたのだ。その心遣いにはいくら感謝してもしきれるもんじゃない。

「だから、沖灯による心配は、そのあとでたくさんさせてね」

 たくさんだよ、と念押しして、沖は病室から出ていった。

 後に残されたのは御厨の兄妹二人。医者は来そうでまだ来ない。

 そして、いつまでも泣き止まない十羽織の頭を撫でていた俺は、つい余計なことを言ってしまった。

「十羽織。真幌木は多分、ずっと自分自身のことを責めていたと思うけど。けど、あいつは悪くないからな。だから、俺のためにあいつを怒らないでくれ」

 それは、蔵で起きたことをまるで理解できていない俺でも想像がつくことだった。何が起きたのか、どうして俺が怪我をしたのか──皆からそれを問われた真幌木はきっと、多くを語らぬままに、すべてが自分のせいだと口にしただろう、と。

 けれど、そんな俺の考えなど妹にはお見通しだったようで。

 十羽織は顔を俺の胸で伏せたまま、怒ったように口にした。

「見損なわないでください。そんなの言われるまでもないことです。それより、ちゃんと私に心配させてください。こんな時くらい、お兄ちゃんはちゃんと私に甘えてください」

「……ああ。悪かった」

 頭を撫でられながら言う台詞じゃないよなと思ったが、たしかに今甘えてるのは俺の方かもしれない。そう思えた時点で、さっきの台詞はやっぱり余計だったんだなと、そんな風に俺は思ったのだった。


 ◇


 医者がなだれ込んできてからは、検査の波に飲み込まれた形でその日が終わった。脳検査や一部の内臓検査の結果は翌日以降を待たなければならないが、外傷や骨の状態は隅々まで知らされた。

 擦り傷や切り傷は無数。わかりきっていた話なのであまりショックはない。そして骨折はゼロ、だった。二つの踊り場を経たとはいえ、十メートル近くの高さから人一人抱えて落下したのだから、やはりこれは奇跡的に運が良かったのだと思う。よっぽど上手く受身を取ったんでしょうねと医者に感心したように言われたが、なにぶん咄嗟の行動だったので正確なところは俺にもわからない。

 ただし手放しで喜ぶ気にはなれない点もあった。

 よりによって利き腕の右手にひびが入っていたのである。

 全治三週間。この間は、ほぼこちらの手は動かせない。日常生活に支障が出ることも勿論だが、何よりそれは、計画していた三月一日に向けての雪洞作りが不可能となったことを意味していた。同時に作成予定だった大提灯作り──こちらは製作法が簡単に調べられたので後回しにしていた──もアウト。女性陣は物造りには慣れていなかったし、楽器や踊りの練習をする必要があったので、作業を任せるわけにもいかない。この時点で、行事としては不完全なものとなることが確定してしまった。

 検査が一通り済んでから、このことについては静と携帯電話で相談したのだが──現代機器を手にしての彼女の滅多に無い狼狽ぶりは特筆に値したが、今は涙を飲んで割愛する──彼女は俺の報告を聞くや、電話口の向こうで黙り込んでしまった。

「静? どうした?」

「あい……あるじさまよ、いずればれることゆえ正直に申しいすが」

「あ、ああ」

「かなり厄介な状況となりんした」

「……どういうことだ? 『初午』が無理ってのは、そんなに致命的なのか? その次の四月一日をターゲットにして、それまでなんとか大蛇の手をしのぐ、くらいのことは出来そうだが……そんなにあいつとの力の差は開いているのか?」

「そのことでおすが──」

 静は気落ちした声で状況を説明してくれた。

 それによると、四月まで耐えしのぐことはおそらく出来る、とのことだった。けれど、四月一日の催しの実施には厄介な障害があるため、彼女は三月を目標に見据えていたらしい。三月一日に『初午』の行事を執り行って力を得た上で、大蛇に一気に攻撃をしかける。勝てないまでもそこで敵の力をある程度削ぐことが出来れば、四月一日は行事をせずとも、五月一日の『衣替』まではしのげると踏んでいた、らしい。

「どうして四月一日は無理なんだ?」

 今年のその日は運良く日曜だし、春休みということもあって色々準備がしやすそうだが──

「その日は──『夜桜』なのでおす」

「『夜桜』……ああ、そういうことか……」

 俺は脱力した。それなら、たしかにどうしようもないかもしれない。葵屋近辺に桜なんて一本たりとも生えていないし、あったとしてもこの地方の桜の咲き頃は四月中旬で、『夜桜』には間に合わないだろう。仮に早く咲く地方から植え替えをするにしても、大変に大掛かりな作業となるし、そもそも持ち主が簡単に譲ってくれるとも思えない。

 厄介な状況、と静が最初に口にした意味がようやくわかってきた。思っていた以上に、俺たちは窮地に立たされているのかもしれない。

「あるじさまがわちらと『廓本来の営み』を結んで下されば、まだしも道は開けるのでござんすが」

「それは言ってくれるなよ」

 説明すれば女性陣の何人かは応じてくれそうな感じがするだけに、ここでそれ以上の踏み込んだ話はしたくなかった。

「とにかく今は傷を癒すが先だんすね。こちらはなんとか別の手立てを探してみしんす」

「ああ」

 俺は頷いて電話を切った。だが、今の静の様子からすると、他の手段が簡単に見つかることは期待出来そうにない。動きの取れない自分の体が忌々しかった。何か自分に出来ることはないか──ひたすらそれを考えながら、いつしか俺は眠りに落ちていった。


 ◇


 その夜のことだった。

 俺は病室の入り口付近で響いた物音で、眠りから呼び起こされた。

 相部屋に収容されていた俺だが、今日の時点で他の患者はいない。時刻は深夜の二時。ナースコールしたわけでもないので、病院関係者という線も考え難い。この部屋に他の人間がいる可能性はゼロのはずだ。

 けれど──痛みを堪えて上半身を起こし、目を凝らしてみると、その場所には明らかに人らしきものの輪郭があった。カーテンを閉じていたため、暗がりに影が佇んでいるように見える。

(──まさか)

 俺の脳裏に、瞬間的に土蔵で見た正体不明の影の記憶が呼び起こされた。

 まずい。ここで襲われたら今の俺にはどうしようもない。

 影はゆっくりとこちらへ近づいてきていた。

 どうする。何か出来ないか。いや、出来ることなんてたかが知れている。俺は大した根拠も無く窓際のカーテンに手を伸ばした。影ならば光に弱いかもしれない。月の光に照らされれば消えるかもしれない。そんな小さすぎる希望に縋ろうとした。

 その時。

「待って」

「え?」

 俺は動きをとめた。聞き覚えのある声が、『影』から発せられたように思えたからだ。

 いや、でもそんなはずはない。こんな時間にあの子が病室にいるはずがない。

 俺は夢でも見ているのか──そう思ったところで、『影』がもう一歩近づいて、カーテンの隙間から差し込む一筋の月明かりにその美しい細面を晒した。

「……真幌木?」

「カーテンは開けないで。見つかってしまうかもしれないから」

 そこには真幌木が、いつか見た黒のワンピースに身を包んだ姿で立っていた。


 ◇


「真幌木? どうして──」

「忍び込んだの」

「ど、どうやって。正面玄関は鍵がかかってるはずだろ?」

「灯を先に帰した後、消灯時間までずっと病院の中に隠れてたの。病室に鍵がかけられてないことはわかってたし」

「完全に計画の上での犯行ってことかよ……」

 俺は額に手を遣って呆れた。

「なんでこんなことを?」

「なんでって、それは──」

 真幌木はおずおずとベッドのそばまで近寄ってきて、そのまま、俺の頬に手を触れた。

「心配、だったから……」

「……」

 俺はなんと言っていいものかわからず、小さく息を吐いた。

 本当は無茶を叱るべきなのかもしれないが、今の真幌木を見るとどうしても躊躇われてしまう。暗がりでもわかるほどに憔悴しきった顔をしている女の子に、何が言えるというのだろう。

 それに、俺はわかってしまったのだ。真幌木がなぜこんな夜中まで姿を見せなかったのかを。俺が意識を失っていた間はずっとそばにいたという話だったのに、どうして目覚めた途端いなくなったのか、ということを。

 真幌木はきっと、俺に合わせる顔がない、と思っていたんだ。どうしてそこまで思いつめたのかまではわからないけれど、だからこの子は、光が消えた夜に、文字通り顔を見られないように病室に忍び込んだんだ。

 おそらく俺が気付かなければ、入り口の辺りから俺の様子を眺めているだけのつもりだったんじゃないだろうか。朝になって病院の人に見つかって怒られることも覚悟の上で。

 ──この子は、本当に……

 不器用な子だな、と思う。もうちょっと上手いやりようは幾らでもあるような気がするのだ。だけど、きっとこの子はそういうことに慣れていない。いつからなのかはわからないけど、あの広い家にりつさんと二人だけで暮らしていて、でもりつさんにとってこの子は仕えるべき主人で。そんな環境で、こういう友達同士のやり取りは、普通よりずっと少ない回数しかしてこれなかったんだと思う。高校になって、沖という友人が出来て、だいぶましになったんだろうけれど、でもまだまだ足りていないんじゃないかと思う。

「真幌木」

 だから。

 だから俺は真幌木の手を掴んだ。

「九郎君……?」

「話してくれないか。あの時、蔵で襲ってきた奴のことを。どうして真幌木がそれを自分のせいだと思うのかを」

「そ、それは──」

「話してくれるまで、俺も離さないぞ」

 そう言って、掴んでいる手に力を篭める。絶対に離す気はないと。俺に、踏み込ませてくれと。友達として、お前が抱えているものを共有させてくれと──そんな意思を伝えるために。

「九郎君……」

 真幌木は、本当は人の感情の動きにとても敏感な子だ。俺の意思がわからないはずがない。俺の意図を汲んでくれないはずがない。

 そんな不躾で一方的な期待を、そして真幌木は──受け止めてくれた。

「……うん」

 決意の篭もった目で、そう頷いてくれたのだった。

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