7月3日
翌日、7月3日、真琴に加えて雄介や裕子も学校を休んだ。雄介と裕子は腕に違和感を感じるとのことで、大事を取って病院に行くそうだ。
「はぁ、この3人がか……。」
3人の担任教師である末原は、最後にかかってきた裕子の親からの電話を切ると、そう呟いた。
「2人とも様子がおかしかったからな……。」
末原は職員室の椅子で天井を向いて考え事に耽る。
教師になって大分経ち、教師としての勘とでもいおうか、生徒が抱えている事情については顔色や動作などである程度分かるようになってきた。本人は自覚がないが、末原は人の事情を読むことに長けていた。生徒からの信頼が厚い由縁だ。
2人が真琴と知り合った理由は、中学校時代にひょんなところからお互いの趣味をしって仲良くなったそうだ。その時の中心にいたのが真琴だ。自分の趣味を隠した本ばかりを読んでいたものの、偶々真琴が読む本がなくて、仕方なく趣味に関する本を読んでいたのに反応したのがあの2人だ。
「学校生活でもそうだな。」
まだ出会ってから3か月も経ってないが、それでも真琴の事が分かり始めていた。
真琴の生活環境は『歪んでいる』。一見、平凡でちょっと趣味が変わっているだけの少年だが、その動作、しぐさ、表情が、どことなくずれている。全体的に見れば平凡な動きそのものだが、それぞれがほんの少しずつ平凡からずれているのだ。
保護者を交えての呼んでの面談で真琴の母親、美琴にも会ったが、2人はどちらも平凡、平穏が大好きな人間だと感じ取った。この様子だと、父親の方もそうなのだろう、とも思った。
家庭環境としては問題ない。むしろ、他に比べたらとても良いと言えるだろう。生活は基本的に不自由なく、平均よりほんのちょっとだけ裕福な暮らし。両親から愛情を注がれて育った子供は何も問題を起こさず、平凡な少年となった。
真琴と美琴、2人を見れば、大半の人は『平凡なところが』似ている、というだろう。だが、末原はまったく似ていないと感じ、さらに恐怖感さえ覚えた。
美琴は平凡に『固執』し、無理矢理、何が何でもそうであろうとして、傍から見れば平穏だが、よく見るととても歪んでしまっている。
真琴は、平凡を愛してはいる。トラブルには基本的に首を突っ込まず、ことなかれ主義だ。だが、平凡に固執しているわけではなく、むしろ『とてつもなく大きなトラブル』が起こり、それが自分に解決できそうだった場合は『迷わず』解決しようとするタイプだ。
真琴程平凡に近くは無かったが、こんなタイプを末原は2人ほど過去に見てきた。恐らく、そんな大きなトラブルはそうそう起きることもなく、その2人の生徒は人生を過ごしているだろうとは思うが、その2人を見た時も末原は怖気がしたものだ。
末原は、真琴にも大きなトラブルは起きないだろうと思っていたが、今回はどことなく嫌な予感がしていた。
3人とも腕の感覚がなくなって、そのあとに揃って欠席。しかも、美琴からの欠席連絡の電話がかかってきた時の声は、『嘘をついている』声だった。
末原は考えた。あの3人は、真琴を中心として『出会うべくして』出会ったのだと。真琴は、平凡であって、全く平凡でない。そして、今回起こるかもしれない『とてつもなく大きなトラブル』を、中心となって解決するのではないか、と考えた。
「とりあえず、神原のお見舞いにでも放課後に行くかね。」
末原はそう呟いて、職員会議の準備をした。
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全く異常がなかった。医者も首をかしげていた。右腕と左腕の重さを量っても一緒だし、どちらもレントゲンを撮っても異常なし、右腕を医者が叩いたりしてみても、痛くなかった。医者曰く、右腕に関してはほぼ同じ相談をしてきた少年がいたそうだが、こちらも原因不明だそうだ。
全く原因不明の異常。あまりにもおかしい。
「裕子も同じだったみたいだな。」
午後の3時ごろ、目の下にくまを作った雄介が、病院から家への道を携帯電話をいじりながら歩いていた。その画面には『原因不明、異常なしだった。』と裕子からのメールが表示されている。
2人は昨日、メールを通じて夜通し連絡と相談をとっていた。おかげで一睡もしていないし、結局有力な結論は出なかった。2人の共通結論としては『神原家が怪しい』の1つのみしか出ていないし、それは分かり切ったことだ。
夜、雄介は途中から意味がなくなってきたからやめようか、と提案しかけたが、やめた。何故だか、『寝たら危ない』気がしたのだ。それは、どうやら裕子も同じだったようだ。
「とりあえず、今夜も寝れねえのは確定かもな。」
感覚がない利き手ではやりづらかったので、携帯電話は重いうえに利き手でない左手でいじっている。
「全く、どうしちまったんだろうなぁ……?」
雄介は、通りすがった一軒家の一角を見上げて呟いた。かつて、親友が教えてくれた不自然な構造をした一角を。
その壁の向こうでは、親友が死んでいるのを知らずに。
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「やっぱり、神原んところがおかしいな。」
午後の7時ごろ、お見舞いに行って、一度断られて食い下がったところ、怒鳴られて逃げるようにさっていた末原が呟いた。
「あの眼は嘘をついている眼だ。一体、神原に何があった?」
末原は首を傾げて、帰り道を歩いていた。
あの美琴の表情をみれば、もはや誰だって嘘を突いていることが分かる。眼の下にくまを作り、顔色は真っ青だったことから、苦労していることも分かる。ただ、夢を見てそれに苛まれていることまでは分からないが。
「何かが起こっているな。何か……とてつもないことが……。」
末原は、背筋に悪寒を感じながら呟いた。