魔女村の魔女
そこは、トゥールスという名の小さな村でした。
一言で言うなら、何もない片田舎というところでしょうか。
そのトゥールスという名が都に住む人々の口に上ることは、残念ながらありません。
けれどその場所、その存在だけは知れ渡っていたのです。
それでも名前は必要ありません。
何故なら、別名で通ってしまうからです。
それこそが、この村に人が寄り付かない原因でした。
通称、魔女村。
そこは、一人の魔女が支配する村として知られています。
人々は魔女を恐れ、よほどのことがなければ村に近付きません。
つまり、こんな田舎に用などありませんから、まず行きません。
そんなわけで村は寂れる一方です。
まあ、昔から寂れていましたので、少しくらい拍車がかかっても当の村人たちはのん気なものです。
慣れていますから。
ただ、ほんの一部、なんとかしろよと言い出す者がおりました。
超少人数の人口の一部、ただ一人ですけれど。
☆★☆
その日、トゥールスの村はぽかぽかと暖かい日差しと鳥のさえずりとに包まれていました。
雪もすっかり解けたのどかな小春日和、とある家の一角で、風を迎え入れるように窓を開いたまま、ビューノ=ヴァンディーヌという少年は丸椅子に腰かけていました。
女の子のように線の細い少年です。
窓から見える山の景色は尾根に雪を残していて、遠目にうす青くとても美しかったりします。
そんな光景に見惚れつつ、彼は手にしていた藍色の本をぱらりと開きました。
至福の時です。
前から読みたいと思っていた本ですが、この寂れた地には本が並ぶ店すらなく、都まで行く大人を探して頼み込み、やっと手に入れた本なのです。
読み始める前から読み終えるのを惜しむかのように、開いた最初のページをなんとなく眺めていました。
それがいけなかったのか、何がいけなかったのか、彼の至福の時は早々に終わりを告げてしまいました。
「ビューノ! ビューノ!」
足音をバタバタと響かせて『彼』はやって来ます。
ビューノはどうあがいてもこれ以上読書など無理なのだと、涙ながらに本を閉じました。
大事な本を机の上に避難させ、自分はドアの方に向き直ります。
そうした途端、やっぱりノックもなしに小台風が突入して来ました。
開かれたドアが壁にぶち当たってはねる音がしました。
彼は前かがみになって息を整えています。
いつものことなのですが、
「うるさい!」
とてもうるさい。
そういうヤツでした。
すると、彼は緑色のどんぐり眼でビューノを見上げ、すく、と立ち上がりました。
身長は同じくらいです。
十二歳にしては二人して小柄でした。
彼はいきなり親指を押し出し、それをビューノの眉間にどすりと突き立てました。
「ビューノ、また眉間にしわ寄ってる。そんな顔ばっかりしてると老け込むよ?」
ぐりぐりぐりぐり。
彼の名前は、リシェッド。
リシェッド=ディリアスといい、正真正銘ビューノのいとこです。
けれど、年齢と身長を除くと共通点は狐のような髪の色だけでした。
ビューノは加減をしない指から逃れようとして、二人は手を組み合うような形で拮抗していました。
ぐぐぐ、とお互いに力を込めていますが、少しの差でビューノが競り負けます。
後ろによろけたビューノに、リシェッドはにやりと笑ってガッツポーズをしてみせました。
それを見るたび、また低次元な張り合いをしたものだと虚しくなりました。
けれど、それが日常茶飯事だったりもします。
結局、仲はいいのです。
まあ、性格は正反対ですが、過疎化しているだけあって子供の数は少なく、同い年なのは二人だけ。
しかも血まで繋がっています。
否応なしにということで。
「……で、今日はなんだ?」
ビューノはため息混じりに問います。
すると、リシェッドはすっかり忘れていたようで、ああ、と手を叩いてから言いました。
「そうそう、あのな、俺、考えたんだけどさ!」
「考えなくていいよ。ろくなことないから」
冷ややかに突っ込むと、途端に口を尖らせます。
同じ年齢ですが、精神年齢は十歳くらい下だと、ビューノはひそかに思っています。
「今度は大丈夫だってば! ちゃんと人が集まる! 間違いないって!」
リシェッドはこの村で唯一と言っていい、村おこしをしたがっている人間です。
村人たちは特に気にする様子もなく普通に日々を過ごしていますから、傍目にはちょっと変わった夢見がちな子です。
子供が一人わめいただけで何ができる。
ビューノはそう思います。
けれど、リシェッドはよく言えばとても前向きで、むしろはた迷惑なくらいに諦めが悪いのです。
その不屈の精神で今まで何かと試みてはいるのですが、何ひとつ成功した試しはありません。
毎回、なんだかんだと言っては付き合わされているビューノは、疑いを込めた眼差しでいとこを見ました。
「今度は何をする気だ?」
協力するとは一言も言っていません。
にもかかわらず、リシェッドはぱっと顔を輝かせました。
ポケットから少し太めの白い縄を取り出して、ビューノにそれを差し出します。
「?」
わけもわからずに、ビューノがそれを受け取ると、今度は自分の両手を手首でそろえて突き出しました。
「それで俺の手首を固く縛って」
何をやりたいのか、毎度のことながらまるでわかりません。
言われるがままにきっちりと何重にもして固く結んでやりました。
その不恰好な結び目からビューノが手を放すと、リシェッドは何故だか得意満面な笑みをビューノに向けました。
それから、しばらくは無言でした。
目に見えてもがいているような気がしました。
そして息を切らし、頬を紅潮させながら恨みがましい目をしています。
「結び目固いよ!」
「お前が固くって言ったんだろ!」
思わず手が出そうでしたが、ビューノは耐えました。
その手で自分の前髪をかき上げます。
「それで、何がやりたかったんだ?」
リシェッドはふくれながらつぶやきました。
「手品」
「手品?」
「前に大道芸人がやってたの、ちょっとだけ見ただろ? できると思ったんだけどなぁ。ビューノ、ちょっとこれ解いてよ」
仕方なくそれを解きにかかりましたが、かなりしっかりとくくったので手間取りそうです。
ビューノが苦戦していると、リシェッドはおもしろくなさそうに言いました。
「だって、魔女が怖いって理由でこの村に人が来ないんだろ? じゃあ、なんで怖いのかっていえば、魔法が怖いからだ。魔法が実は怖くないってわかれば、それで解決すると思ったんだけど」
ビューノは毎度毎度、リシェッドに指摘してやるのが仕事になっていました。
引っ張り戻さないと、彼はどこまでも遠くに飛んで行ってしまうのです。
「実際、魔女は村の外に居を構えていて、わざわざ訪ねない限り僕たち村人だって会う機会はない。だから魔法なんて見たこともないし、断言はできないけど、手品と魔法って別物じゃないのか?」
「別物って? 手品も魔法のうちだろ?」
「魔法って、なんにもないところから不思議な現象を起こすんだろ? 手品は、不思議なように見えても仕掛けがある」
やっとのことで外れた縄の下は、赤くなって少しだけはれていました。
馬鹿としか言いようがありません。
リシェッドはショックを受けたようで、ゆるゆるとかぶりを振っていました。
「仕掛け? 嘘だ。だって、種も仕掛けもありませんって言ってたんだ!」
「そりゃあ言うだろ」
種も仕掛けもあるのは暗黙の了解です。
信じてどうすると言いたくなります。
「大体、やり方も知らないでどうやって縄抜けするつもりだったんだ? 血管浮き出るほどに力んでただろ。あれじゃ、ただの力技だ」
本当のことです。
さっさと気付かせてあげた方が本人のためなのですが、目に見えて肩を落とすので、少しやりづらかったりします。
けれど、持ち前の諦めの悪さで、リシェッドなりに考えていました。
「また駄目か。……いや、でも、手品のやり方さえわかればうまく行くかも」
「だから、お前以外の人間は手品に種も仕掛けもあるって知ってるから、手品をしたって魔法に対する印象は変わらないだろ」
すると、リシェッドはあーっと叫びながら髪をかきむしっています。
仔猿と変わりありません。
「なんで種も仕掛けもあるんだよ!」
逆ギレしました。
「だから、なかったら魔法じゃないか」
子供の相手は疲れます。
誰かに助けを求めたくなりました。
リシェッドは、うんうんうなりながらまた考えていますが、あまりいい予感はしません。
「仕掛けがあると手品。なければ魔法。こうしてみると、あんまり差がない気がする。それならさ、手品は見てておもしろかったんだから、魔法も案外おもしろいんじゃないか?」
「は?」
「うん。扱い方次第だよな。刃物と一緒だ」
「……何が言いたい?」
ビューノは冷ややかな目を向けました。
けれど、リシェッドはにやりと笑います。
「決めた。俺、魔法を習いに行く。使えるようになって、魔法が怖くないって証明してみせるよ」
一瞬、開いた口が塞がりませんでした。
瞬きも忘れています。
「習う? 魔女にじゃないだろうな?」
「他にいないし、そうなるかな?」
ふわふわの脳みそをした少年は、へらへらと笑っています。
ビューノはついに爆発してしまいました。
「馬鹿かお前は!」
「なんで? いい考えじゃない?」
「最悪だっての! 今までの中で、最っ低最悪の愚策だ!!」
相手は魔女です。
とって食われても不思議はありません。
力いっぱい止めようとしたビューノを、リシェッドは本気で悔しそうに見ていました。
ぽそりとこぼします。
「いいよ、ビューノに来てなんて言わないから」
リシェッドは部屋を出て行きました。
あれだけほしかった静寂が、今はひどく心地悪く感じます。
ビューノは自分自身とリシェッドに対して苛立ち、結局後に続きました。
自分たちが生まれる前から、村はこんな状態でした。
だから、ビューノは違和感すら感じていなかったのです。
どうしてリシェッドがあんなにも納得できないのか、それがわかりません。
前向きは大いに結構ですが、程度を超えては危険が伴います。
今度のことで、つくづくそう思いました。
リシェッドには自分が付いていないと駄目なのだと、結局ほうってはおけないのです。
追い付いたビューノに、リシェッドは信頼し切った笑顔を向けました。
「やっぱり、来てくれると思った。ビューノって、いつもそうだし。ありがと」
もう、どうすることが正しいのか、ビューノにもわかりませんでした。
冷静な振りをしても、彼も結局は子供なのです。
「絶対、危ないと思ったら逃げるんだ。それだけは約束だからな」
「うん。わかった」
リシェッドのやらかした失敗でも、謝るのはいつも二人でした。
貧乏くじなんて、結局は選んで引いているような気がしないでもありませんでした。
☆★☆
トゥールス村の近くの丘の上でした。
その家のある周囲だけ、草木の色が違いました。
枯れかけているようです。
完全に枯れることはありませんが、元気になることも何故かありません。
それが常です。
そんな家の中で、魔女は何も知らずにお茶を飲んでいました。
そんな彼女に、ペットのつもりで飼っている黒猫っぽい生物が言いました。
「おや、おもしろい匂いがしますよ」
ふんふんと鼻を鳴らし、背中の羽で飛び立つと窓辺に下ります。
「おもしろい?」
「ええ。これは子供ですね」
「この家には人よけの魔法がかけてあるのに、どうしたのかしら?」
「かけたのいつでした? 期限切れじゃないですか?」
「……まあ、肝試しにでも来たようなら、適当に脅かして追い返しなさい」
「いやいや、そんな、勿体ない」
猫っぽい生物はそれだけ言うと、コウモリのような羽を背中の毛の下に隠してしまいました。
床の上で転がってみせます。
そうしていると、ただの猫です。
魔女は猫をにらみましたが、猫は素知らぬ振りをしています。
そんな時、ふたつの足音が扉の前で止まりました。
魔女はとりあえず無視します。
その足音の主は、ためらいなくドアを叩きました。
まさか堂々とそんなことをするとは思わなかったので、魔女もうろたえてしまいました。
「ほら、お呼びですよ」
「黙りなさい、サデュザーグ」
「にゃー」
嘘くさい鳴き声が癪に障ります。魔女は壁にかけてあったショールを羽織り、そうして扉は開かれました。
☆★☆
魔女の家があると噂の場所は、思ったよりも近かったようです。
喋っていたらあっという間でした。
ただ、心構えができてからノックをしてほしかったものだと、ビューノはひそかに思いました。
リシェッドはためらいなく、隣人を訪ねるような気安さで魔女の家の扉を叩いてしまったのです。
そうなると、もうどうにもなりません。
ビューノも心を決めました。
ただ、彼らの予想に反し、彼らを迎えたのはごく普通の婦人でした。
結ってまとめた髪は幾分くすんでいますが、おばあちゃんとおばちゃんの間くらいです。
上品ですらあり、若い頃はきっと美人だったと推測できました。
想像では、イボだらけの醜い老婆が長い爪の付いたフォークのような手をして、キキキと笑っているはずでした。
家の中も見える範囲は普通です。
赤いチェックのテーブルクロスのかかった食卓。
アームチェア、ベージュの丸いマット。
こざっぱりとしたもので、絨毯の上には黒猫が寝転んでいるだけです。
リシェッドは無言で自分たちを見下ろしている女性に言いました。
「ごめんなさい、家を間違えました」
思わず、ビューノは転びそうになりました。
「間違えてない!」
けれど、リシェッドは納得しません。
「えー。だって、この家普通だよ? 俺たちは魔女に会いに来たのに」
「違わないって! この家の周り、明らかに草木が変じゃないか! ここじゃなかったら、どこだって言うんだよ!」
「草木が変って、肥料が合わなかっただけかも知れないだろ?」
「そんなわけあるか!」
緊張が持ちませんでした。
すっかりいつもの調子で怒鳴ってから、ビューノははっとして魔女を見上げました。
魔女は困惑しているような気がしました。
「あなたたち、どうして魔女に会いに来たの? 一応、私はそう呼ばれる者だけれど……」
当人の言葉も、リシェッドは疑わしげです。
魔女のペットは二足歩行をして近付くと、熊のように大きくなって、ばぁ、と少年たちをおどかしてやりました。
「ぎゃぁあああああっ!!」
二人は悲鳴を上げて転がりました。
魔女は嘆息して、ケラケラ笑っているペットのサデュザーグを咎めるような目をしました。
サデュザーグは元の大きさに戻ります。
「脅かせって言ったのは、あなたでしょ?」
「そんな悪趣味な脅かし方がありますか」
魔女はかがんで二人に言います。
「ごめんなさい、大丈夫?」
緑の目をぐるぐると回していたリシェッドは、それでもすぐに立ち上がりました。
ビューノはまだ無理です。
「うん、びっくりしたけど大丈夫。俺はリシェッドっていいます。こっちがビューノ。俺たち、魔法を習いに来ました」
「え? ……本気?」
「はい。すっごく」
「どうして?」
「魔法で村おこしをするんです」
「……は?」
ほうけている魔女に、衝撃から立ち直ったビューノが何とか口を開きます。
「つ、つまり、僕たちが魔法のイメージを暗いものから親しみやすいものにしていこうという試みです。そうすることで村の復興につなげようかと……」
魔女の背後で、サデュザーグがげらげらと笑いました。
「いいんじゃないですか? おもしろいし。弟子が二人もできてよかったですねぇ」
相手にする気も起こりません。
魔女はため息をついています。
リシェッドは勢いよく頭を下げました。
「お願いします!」
それに続き、ビューノも仕方がないので頭を下げます。
「お願いします」
魔女は困りました。
無理なものは無理なのです。
「……教えることはできないわ」
「どうしてですか?」
「まず素質がなければ、いくら教えたところで使えるようにはならないし、もし仮にあったとしても、使えるようになることがあなたたちのためにならないからよ」
ビューノには、魔女の言わんとすることがなんとなくわかりました。
明るい陽の下で人と一緒に生活することができなくなり、こんなところに閉じこもるしかないと。
それをまず口にした魔女は、ビューノにはとても良識のある人間に思えました。
だから、ほんの少し警戒が解けたのでしょう。
「わかりました。では、簡単な魔法を見せて頂けるだけで結構です。そうしたら諦めます。……リシェッド、それでいいな?」
「え? なんで? 見るだけ?」
「見て覚えろよ。技っていうのは盗むものだ」
そんなこと、できるはずがありません。
諦めさせるための作戦です。
さすがのリシェッドも疑わしげでした。
「できるかな?」
「やる気次第だ」
「そっか。そうだな!」
やる気とか努力とか、そういう言葉が大好きな少年ですから、そう言えば張り切ります。
悲しいくらいに単純でした。
「……わかりました。見せるだけなら。それが済んだら家に帰りなさい」
リシェッドは顔をぱっと輝かせました。
そして、人懐っこい笑みを浮かべたまま魔女の手を取り、ぶんぶんと振ります。
赤ん坊のような体温に魔女は少し驚いた顔をしました。
「ありがとう、ばーちゃん」
「ば……ごめんなさい」
ビューノはぺこぺこと謝りますが、リシェッドは何故だかわかっていません。
幸い、魔女は気を悪くした様子はありませんでした。
「それでは、始めますよ」
「はい!」
リシェッドとビューノは家の中に入りました。
魔女は絨毯の上に座るように促すと、自らもそこに座りました。
二人の少年は、わくわくそわそわしていました。
魔女はささやくように呪文を唱え、人差し指をくるくると回します。
すると、その指先が赤く光り、それが消えた時、指先にぽっと小さな炎が灯ったのです。
まるでろうそくのようでした。
二人の少年は感嘆の拍手を打ち鳴らしました。
「種も仕掛けもないんだよね?」
いつの間にやら口調も砕けています。
リシェッドにしては持った方です。
「呪文と魔力が種と仕掛けかしら?」
魔女はちゃんと答えてくれます。
そして、今度は水を空中で躍らせてみたり、机の上のカップを浮かせてみたりしました。
そのつど、少年たちは頬を紅潮させて拍手喝采です。
魔女は苦笑するしかありません。
まるでサーカスにでも入った気分でした。
一息つくと、魔女は言います。
「さあ、これで満足かしら?」
二人は顔を見合わせました。
ビューノは最初に感じたような恐怖を忘れ、貴重な体験をした気分でした。
名残惜しささえ感じていたのです。
けれど、意外なことにリシェッドはあっさりと立ち上がりました。
「うん。じゃあ、俺たち帰るよ。ビューノ、行こう?」
「あ、ああ」
できそうもないと悟り、諦めることにしたのでしょう。
ビューノと魔女はそう思いました。
けれど、リシェッドは戸口に立つと、魔女を振り返りました。
「今日はありがと。じゃあ、明日もよろしくな、ばーちゃん」
大きく手を振って去ります。
魔女はただ、開いた口が塞がりませんでした。
床を転がるサデュザーグの笑い声が、その寂しいはずの場所に響きました。
☆★☆
「なあ、ビューノ、今日で五日目だな」
「そうだな」
結局、毎日通っていました。
魔女はちょっと疲れました。
けれど、無邪気な少年と、落ち着いてはいるけれど知識欲の強い少年は、魔女を怖がりもせずにまっすぐな瞳で見ています。
その期待に応えなければと、ついガラにもなく張り切ってしまいました。
気付けば、それがささやかな楽しみでもあったのです。
今日は七色の火を出してみました。
万華鏡のようで、自分でもなかなかの出来だったと思いました。
リシェッドは激しく手を叩いています。
「すっげぇ。いいなぁ。俺もあれ、やりたい」
ビューノは少し冷めた視線をリシェッドに送っています。
できるわけないだろ、という目です。
けれど、リシェッドはお構いなしです。
「こうだよな、こう」
そう言って人差し指を上に向け、くるくると回します。
「サラマンデル、サラマンデル、我が呼び声に答えよ~」
歌うように唱えながら、魔女の真似をしました。
とっさにサデュザーグは床に伏せます。
その途端、リシェッドの指先から赤々とした炎が発射されたのでした。
炎の固まりは壁にぶち当たり、メラメラと燃え広がります。
その炎に赤く照らされながらも、放火犯リシェッドと家の主の魔女は唖然としていました。
起こるはずのないことが起こったのです。
頭がついて行けませんでした。
ビューノもほうけてはいたのですが、火を見て焦る気持ちが強く、あまり冷静ではなかったようです。
がくがくと鳴る歯を一度食いしばると、大声で叫びました。
「ウンディヌ、ウンディヌ、我が呼び声に答えよ!」
サデュザーグは、素早くビューノの後ろ側に走りました。ビューノの指先から放射された水は炎を直撃し、その勢いを消し去ります。
魔女はようやく我に返りました。
火が消え、壁からもくもくと煙が上がっています。
そして、そこには窓くらいの穴が開いていました。
二人の少年は青くなってひたすらに謝りました。
けれど、壁の穴もびしょびしょの床も、魔女にはどうでもよいことでした。
そんなことよりも、
「あなたたち、まさか本当に見ているだけで覚えるなんて……」
むちゃくちゃです。
ただ、本人たちにもどうしてできたのかわかりません。
ただ一匹、事情を知っているサデュザーグは言いました。
「最初に言ったじゃないですか。この二人、おもしろい匂いがしますって。誰かさんによく似た魔力の匂いです」
「誰かって……」
思い当たる節が、あるにはありました。
魔女は恐る恐る尋ねます。
「あなたたち、リヴィアかノノアという名の女性を知っている?」
二人は顔を見合わせました。
「もちろん。リヴィアは俺の母さんだよ」
「ノノアは僕の母です」
「…………」
魔女はサデュザーグをにらみました。
「よくも、気付いていたくせに黙っていたわね」
「にゃー」
面倒くさくなると猫の振りです。
「何? どうしたの? ばーちゃんは母さんたちを知ってるの?」
「ええ、まあ……」
曖昧に濁す魔女でしたが、ペットに裏切られました。
「知ってるも何も、娘ですよ。だから、君らは孫。素質はあって当たり前」
「サデュザーグ!」
リシェッドとビューノは驚きこそしましたが、今ではすっかりこの優しい魔女が好きでした。
だから、これは嬉しい事実です。
サデュザーグは腕を組んで、ため息をつきました。
「こんなところに引きこもっているから、孫が産まれたことも知らないんですよ。家もこんなだし、村に住めばいいじゃないですか」
「そんなこと、できるはずがないでしょう?」
魔女は、強張った顔でつぶやきます。
「どうして? なんで駄目なの?」
リシェッドが臆面もなく問います。
「どうしてって、迷惑がかかるから……」
うつむいた魔女に、ペットはあきれました。
「何も悪いことをしたわけじゃないでしょうが。疫病を食い止めたり、土砂崩れを直したり。感謝こそされても、排斥される謂れなんかありませんよ。それなのにあなたは、災厄が片付いたら村を出て、家には人よけの魔法までかける徹底した隠者生活。ほんと、暗いんだから」
「くら……」
リシェッドとビューノには、なんとなく村の本当の姿が見えて来ました。
今にして思えば、村の大人たちは誰一人として魔女を恐れてはいなかったのです。
害がないと知っていたから、あれだけのん気にしていたのでしょう。
トゥールスは魔女の支配する村ではなく、魔女に守られた村だったのです。
そうと知ったからには、こんなに寂しい場所で魔女を独りにしておきたくないと思いました。
「行こうよ。母さんたち、喜ぶよ」
「迷惑なんて気にするだけ損です。村にいてもいなくても、すでにトゥールスは魔女の村なんですから」
魔女はちょっとショックを受けました。
こうなると、開き直るしかないのでしょう。
二人の孫が差し伸べた手を、魔女は取りました。
「……家が直るまでね」
直ることはありませんでしたけど。
さて、こうして汚名を雪ぎ、村おこしをするべくして立ち上がった少年たちにより、この魔女村という呼称が真実になってしまいました。
けれど、これが思わぬ結果を生みます。
恐ろしげなイメージからはほど遠く、穏やかな魔女フィヴィティーナと、彼女の弟子である凸凹コンビの孫たちにより、魔女村という呼称も親しみを持って呼ばれるようになりましたとさ。
めでたし、めでたし。
まあ、最初から、そんなに困っていなかったような気もしますが。
☆おわり★
ちなみに、魔女のペットの名前は、猫ではなく、鹿の怪獣の名前です。
名前だけ使用したので、実は関係ないですね。