第7話 竜との邂逅
その夜、村の空気は一変していた。
空を覆うような影が広がり、漆黒の翼が月を隠す。
ゴオオオオオ――と大気を震わせる咆哮に、村人たちは悲鳴を上げて家の中へ逃げ込む。
「り、竜だ……!」
「なんでこんな辺境に竜が……!?」
巨大な爪が大地を抉り、尾の一振りだけで木々が薙ぎ払われる。
竜――それは古の伝承にのみ語られる存在。王都ですら討伐例は数えるほどしかなく、国家総動員の大軍で挑まねばならない相手だ。
その竜が、今まさに辺境の村の広場に降り立とうとしていた。
◇
「皆、下がれ!」
女騎士セリナが剣を抜き、村人たちを庇うように前に出た。
甲冑に月光が反射し、その姿は確かに勇ましい。だが、全身から滲む緊張は隠しようがない。
「セリナ、無茶だ!」
カイルは声を張り上げる。
「相手は竜だぞ! 人間の剣でどうにかなる相手じゃ……」
「それでも、守らねばならん!」
セリナは叫び、剣を構えた。
その横に、聖女エリシアが並ぶ。
「セリナ様、無茶はなさらないで。……私も祈りで皆を護ります」
両手を胸に組み、青白い光が広場を覆う。村人たちに恐怖を和らげる加護を与えた。
カイルは唇を噛みしめた。
自分は――支援しかできない。
だが、その支援こそが、今この場で唯一竜に抗える“鍵”かもしれない。
◇
竜の赤い瞳がギラリと光り、咆哮が轟く。
その口からは、燃え盛る炎が放たれた。
「くっ――!」
セリナが剣を振り抜き、衝撃波で炎を切り裂こうとする。
だが人間の技で抑えきれるものではない。
「〈加護〉!」
咄嗟にカイルが叫ぶと、銀光がセリナを包み、炎の直撃が緩和された。
それでも鎧の表面が赤く焼け焦げ、セリナの頬には汗が滴り落ちる。
「助かった……! だが次は……」
竜は低く唸り、再び大地を踏み鳴らした。
振動で家の壁が崩れ、村人の悲鳴が夜空に響く。
「くそっ、どうすれば……!」
カイルは必死に頭を回転させる。
攻撃はできない。竜を倒す火力など自分にはない。
だが、支援なら――!
◇
「セリナ、行け!」
カイルが声を張る。
「俺が支える! お前は剣を振るえ!」
「……任せたぞ!」
セリナの剣が再び光を帯びる。
「〈剛力〉! 〈俊敏〉!」
カイルの支援魔法が立て続けに発動し、セリナの動きがまるで別人のように変わった。
その剣閃は竜の鱗すら弾き、血を滲ませる。
「なっ……この私の剣が通るだと……!?」
セリナ自身が驚いていた。
だが竜は怒り狂い、巨大な尾で薙ぎ払う。
セリナが吹き飛ばされる瞬間――
「〈鉄壁〉!」
カイルの魔法が彼女の身体を覆い、地面に叩きつけられても骨が折れることはなかった。
「カイル……! お前の魔法は、本当に……!」
セリナが息を荒げながら立ち上がる。
◇
次の瞬間。
竜の咆哮が止んだ。
『……なるほど。やはり噂は真実か』
低く響く声。
村人たちは驚きに目を見開く。竜が、人の言葉を話したのだ。
『我は黒竜バルディア。……支援の光を持つ者よ、お前を試すために来た』
「試す……?」
カイルは呆然と呟く。
『戦う意志なき者に用はない。だが、仲間を支え、己を顧みず命を守るその姿……。確かに、我の求める“器”だ』
竜の瞳が鋭く光る。だがそこに、敵意はなかった。
むしろ――敬意すら感じさせる色があった。
「つまり……」
エリシアが恐る恐る口を開く。
「あなたは、カイル殿を仲間と認めに来たのですか?」
『そうだ。お前たち人の世界は今、大きな闇に覆われようとしている。我はその時を前に、共に歩む主を探していた。……支援の光を持つ者こそ、我に相応しい』
カイルは言葉を失った。
自分は“追放された役立たず”だ。
なのに今――竜までもが、自分を必要としていると告げている。
◇
セリナが剣を収め、エリシアが静かに微笑む。
「カイル殿。これで三人目ですね」
「……いや、一匹目かもしれない」
カイルが苦笑すると、場の空気がふっと和らいだ。
だがその瞬間、竜が低く唸る。
『……ただし、まだ不完全だ。お前の力は本来、もっと広く、もっと深く世界を支えるはず。ここで終わるな、カイル』
重々しい言葉を残し、竜は翼を広げ、夜空へ舞い上がった。
その姿はやがて星々の間に溶けて消えていく。
◇
静寂が戻った村に、村人たちは膝をつき、ただ震えていた。
カイルは呆然と夜空を見上げ、深く息を吐いた。
「……追放された俺が、竜に選ばれるなんてな」
信じられない現実。だが、それが確かに起こったのだ。
辺境の村。
追放された補助術師。
そこに――女騎士、聖女、竜が集う。
世界は確実に、カイルを中心に動き始めていた。