第11話 仲間たちの結束
夜が明けきらない村の広場に、焚き火の赤が点々と灯っていた。昨夜の小競り合いで倒れた柵を運び直し、折れた槍を束ね、家々の戸口を修繕する。息を白くして働く村人たちの中に、銀の鎧と白い外套と黒い影――セリナ、エリシア、そして上空に輪を描く黒竜バルディアの姿があった。
「被害報告。柵、三か所破損。負傷者は軽傷が七名、重傷はゼロ。……カイルのおかげだ」
セリナが簡潔に告げ、目だけで礼を言う。
「皆さんが踏ん張ったからです。あとは心の傷を癒やすことですね」
エリシアが祈りの光を薄く流すと、子どもたちの強張った肩がほどけていく。
『人は脆く、しかし折れぬ。支える手があるならば、なおさらだ』
バルディアの低い声が空から落ちた。
焚き火の前に卓が据えられた。地図の代わりに、村の子が描いた簡素な絵――畑、井戸、森、橋。長老が震える指で示す。
「王都は、また来る。今度は“宣言”ではなく“制圧”だろう」
セリナが頷く。
「正規軍ならば隊列、補給、刻限……読みやすい。だが貴族連中は密偵や傭兵を混ぜる。いやらしい戦だ」
エリシアが静かに続ける。
「恐れを煽り、内側から崩すやり方。村人の心が一番の的になります」
視線が一斉に俺――カイルへ集まった。喉が自然と鳴る。王都で背中を向けられた日から、こんなふうに正面から頼られることがあるなんて、あの頃の俺は想像もしなかった。
「……じゃあ、決めよう」
言葉に出した瞬間、腹の奥で灯が強まった。
「ここを“守る拠点”にする。畑と井戸と家を、俺たちの手で戦える形に整える。戦う拠点じゃない。暮らすために戦える拠点だ」
俺は掌を掲げる。
「〈調律〉」
淡い光が広場に渡り、皆の体内の歯車がかちりと嚙み合うような感覚が伝わる。声が揃い、目が合い、息が合う。俺の支援魔法の基礎――個を“隊”にするための、最初の糸。
「役割分担。第一に“外”。セリナ、森際の見張りと動線の策定を」
「任された。三交代制で見張り塔を二つ。斥候は軽装、合図は狼煙と笛だ」
「第二に“内”。エリシア、避難経路と救護所の配置を決めて」
「はじめて逃げる道は足が絡まります。子どもと年寄りの足で歩いて確かめましょう。救護所は井戸とパン窯の近く、温と水の確保が鍵です」
「第三に“土”。俺が畑を防壁に変える。畝を高く、溝を深く。〈活性〉で土を締め、杭の根を走らせる。畑は食卓であり、盾だ」
村人たちの顔に、戦の話なのに不思議と血の気が戻る。自分にできることがあると分かったとき、人は強くなる。
セリナが剣の柄頭で地面を軽く叩いた。
「号令役が要る。戦になれば、誰の声に従うかで半分が決まる」
長老が頷き、エリシアが俺へ視線を送る。
「……カイル殿。あなたにお願いします」
「俺に?」
「はい。あなたの声に支援が乗ると、人は恐れより先に“動く”。それは奇跡でも武勇でもなく、暮らすための合図です」
『竜の主は、竜の背に座るより、地を踏む者に言葉を贈るがよい』
バルディアの冗談のようで重い一言に、思わず笑いが広がった。
「分かった。やるよ」
喉の奥の火が、確かな温度を帯びる。
「だけど、俺の号令は一つだけだ。“守って、暮らす”。攻め取るためでも、奪うためでもない」
その場にいた全員が小さくうなずいた。旗なんてない村だ。けれど、言葉は旗になる。掲げれば、風が入る。
準備は即日始まった。
森際。セリナが若い衆を集め、枝の払い方、足音の消し方、笛の合図を叩き込む。
「足は土を撫でろ。踏み潰すな。目は前と地面の間、耳は風の広さだ」
鍛錬は厳しいが、どこか楽しげだった。戦の稽古というより“守り方の練習”。恐怖に名前を与え、手順に落とす。それだけで未知は少しだけ馴染みになる。
井戸とパン窯の周りでは、エリシアが子どもたちとチョークで矢印を描いていた。
「ここは“集まる場所”。ここは“走る道”。ここは“待つところ”。」
子どもたちは真剣で、何度も行き来しては手を上げた。「もう一回!」って。遊びながら覚える避難訓練――王都の華やかな儀式より、よっぽど強い儀礼だ。
畑では、俺が鍬を振るい、土に魔法を注ぎ込む。
「〈活性〉……〈強靱〉……〈からみ根〉」
畝は胸の高さまで盛り上がり、間の溝は人の腰ほどの深さになる。杭を打つと、根が走って土と噛み合い、揺すっても抜けない。外から見ればただの畑だ。けれど、駆ける足を鈍らせ、盾となる工夫が隠してある。
昼休み。パン生地をこねながら、俺はセリナに尋ねた。
「騎士団ってさ、こういう“暮らしの工事”はやるの?」
「城塞都市では工兵が担う。だが、こうして土と手で作るのは初めてだ。……剣より、こっちのほうがよほど“国造り”だな」
エリシアが笑う。
「パンと水と道。人が人であるための三つ。そして、あなたの支援は四つ目――“気持ち”を整える」
夕刻、広場に皆を集めた。俺は短い言葉を用意して、深呼吸を一つ。
「この村は、誰かのものじゃない。俺のものでも、王都のものでもない。ここで生きる皆のものだ。だから、“暮らすために守る”。それが俺たちのやり方だ」
掌をかざす。
「〈鼓舞〉」
光が小さく弾けて、胸骨の奥に温度が宿る。ざわめきが波紋のように広がり、やがて静かに収束した。子どもが拳を握り、老人が背筋を伸ばし、若い衆が顔を見合わせてうなずく。合図は届いた。
長老が一歩前に出た。
「ここに、“約定”を記す。紙も印章もない。だが心に押せば十分だ」
長老は杖で地面に円を描き、中に井戸の印、畑の印、家の印を刻む。最後に小さな点を打つ。
「この点は、わしらだ。小さいが、消えぬ」
セリナが剣を抜き、平らな刃を俺へ向けた。差し出す誓いの形。
「私、王国騎士セリナは、剣をこの村とカイル殿に捧ぐ。命が折れても、約を折らず」
エリシアが祈りの印を胸に。
「私は聖堂の名において、癒しと導きを誓います。痛みが生まれるならば、先にその手を取りましょう」
バルディアが低く唸り、影が広場を包む。
『我は黒竜バルディア。我が牙は暴のために在らず、縁のために在る。……支援の光に誓う』
俺は言葉を探し、そして見つけた。
「俺、補助術師カイルは、皆の“できる”をつなぐ。派手なことはできない。けど、皆が立てるように支える。――それが俺の全部だ」
約定は終わった。誰も拍手はしない。ただ、息を揃えてうなずく。それがこの村の儀式だった。
その夜から、村は“隊”になった。
見張り塔では笛の練習音が夜風に混じる。救護所ではエリシアがハーブを仕分け、子どもたちが包帯を巻く練習をしている。鍛冶屋の小屋では、古い鋤の刃を外して簡易の盾を作る。パン窯の火は絶やさない。温は心を繋ぐから。
俺は巡回しながら、そっと支援をかけて回る。腰を痛めた老農に〈軽身〉、夜更かしの見張りに〈冴覚〉、怖がる子に〈安寧〉。どれも一瞬の光だが、積み重ねれば村の体温が上がっていくのが分かる。
深夜、塔の上。星がよく見えた。隣でセリナが眠気をこらえて欠伸を噛み殺す。
「眠いなら代わるよ」
「無用だ。号令役が倒れたら洒落にならん」
「なら、これ」
「……?」
「〈微睡〉。五分だけ深く眠れて、起きる時に体が軽い」
セリナは半眼で俺を見る。
「それは……規則違反にならんか?」
「規則を作るのは俺たちだろ」
肩がゆるみ、彼女は珍しく声を立てて笑った。
ふいに、冷たい風が頬を撫でた。空の高みで影が翻る。
『……来るぞ』
バルディアの声が、風に混じって落ちる。
「どこから?」
『北の道。匂いが違う。軍の油と、魔術剤の匂い。……数は多くないが、牙が鋭い』
セリナの目が一瞬で冴える。
「斥候と……魔導師か」
俺は塔を駆け下り、笛を鳴らした。短く二回、長く一回――集合の合図。家々の扉が開き、訓練通りに人が流れる。子どもたちは救護所へ、老いた者はパン窯のそばへ、若い衆は森際へ。足音が乱れない。息が揃っている。〈調律〉の糸は切れていない。
広場に集まった“隊”の前で、俺は深く息を吸った。
「みんな――“暮らすために守る”。いつも通りにやろう」
掌を上げる。
「〈鼓舞〉、〈鉄壁〉、〈光路〉」
光路が道の縁に沿って灯り、避難と進軍の線が浮かび上がる。闇が怖くなくなった瞬間、背筋が伸びる音が聞こえた気がした。
セリナが剣を掲げる。
「第一班、森際! 第二班、橋へ! 第三班は広場防衛! 遅れるな、躓くな、戻る時は笑え!」
エリシアの祈りが静かに降る。
「怖さは罪ではありません。怖いまま、手を繋ぎましょう」
その時、俺ははっきりと自覚した。俺はもう、追放された“余りもの”ではない。号令の先で走る足音、振り返らずに任せる背中、列の最後尾で手を引く手。その全部が、俺の支援でつながっている。
塔の上でバルディアが翼を広げた。
『夜は試練。だが、合図は灯った。――主よ、進め』
俺はうなずき、北の道へ駆け出した。畝の陰から風が鳴る。溝に月が落ちる。井戸の脇でパン窯が赤く笑う。生きる楽屋口は、もう舞台の強さになっていた。
やがて闇の向こうに、青白い灯が浮いた。魔導の燐光。衣擦れの音。囁き声。
俺は立ち止まり、掌を前に出す。胸の奥の火が大きくなる。支援は合図。合図は旗。旗は風を呼ぶ。
「――行こう。俺たちの“暮らし”のために」
光が、走った。