第三章:目覚めた法則
空気が変わった。
かつて神々によって破壊され、忘れ去られた地「エルヴァル」。その中心で、「それ」は現れた。
光を持たず、気配も放たず、ただ“そこにある”黒い人影。
それは空中に立ち、まるで宇宙そのものが怯えて息を潜めているかのようだった。
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「確認完了。“イリアス”——不定型実体、封印階層第一層を解放」
その声は、音ではなかった。
近くのあらゆる存在の意識層に直接送り込まれた、まさに“法の宣告”。
アゼルは動きを止めた。
記憶の断片が現実に染み込み、足元の大地すら彼の過去を反映するように歪んでいた。
だが、安息の余地など無かった。
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「……監視者か」
アゼルは低く呟く。
人影はゆっくりと地上に“落ちて”きた。重力など存在しないかのように、ただ意志によって空間を押し潰している。
地に触れた瞬間、大地は割れず、ただ“削除された”。
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「貴様は……人間でも神でもない。一体何だ?」
その問いに、人影は顔を上げる。白い仮面。無表情、無孔。まるで空白そのものが形を持ったような顔だった。
「我は『エラリオン』。法則第七層。
逸脱因子“貴様”を抹消するために顕現された存在。」
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空気が凍りつく。
アゼルは身動きひとつ取らず、敵の本質を見極めようとしていた。
それは、気配がなかった。魔力も、敵意も、殺気すらない。
なぜなら——
「……こいつは“戦う”という概念を持たない」
それは命令を実行するだけの存在。
異論を許さぬ定理。存在の執行者。
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「つまり俺は……異常、か?」
「否。貴様は“システム外”だ。
よって、存在は許容されない。」
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その瞬間——時間が止まった。
魔法ではない。
この空間全体において、「時間」という概念自体が無効化された。
アゼルの足元が崩れていく。物理的にではなく、存在そのものが“計算式から削除される”ように。
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「……記憶すら殺すか。
本当に、そこまで恐れているのか?」
「我らは恐れぬ。
我らはただ、“現実の一貫性”を保つ。」
「貴様が持つのは、存在しなかった記憶。
それは最大の脅威。」
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轟音。
アゼルの周囲に黒紫の魔法陣が展開される。描かれたのではなく、彼の“存在情報”がそのまま式となった。
天へと突き刺さる光柱。
空間が悲鳴を上げる。
「ならば、法則そのものを破ってやる。」
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それでも、エラリオンは一歩も動かない。
アゼルの放った魔法も、この存在には意味を成さない。
周囲の現実が“溶け始めた”。
攻撃ではない。「許可されていない現象」が、消されていく。
アゼルは片膝をつく。
痛みはない。ただ、理解しただけだった。
これは“存在”との戦いではない。
“現象”との対峙だ。
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「抹消進行:12%……21%……34%……」
「……それだけかよ」
「貴様を“殺す”のではない。
“成立する前の状態へ”と戻す。」
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アゼルは立ち上がる。
「俺は、生まれていない。
“起源以前の存在”だ。」
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足元の魔法陣が炸裂。現実が三次元から未知の形へと歪む。
身体の周囲に、古代の文字が浮遊する——
記憶が現実と融合を始めた。
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「俺の名は、イリアス。
そして俺は——
お前たちが拒絶した答えそのもの。」
「……情報逸脱確認。
反応連鎖開始。
次階層召喚準備中……」
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天が裂けた。
空に浮かぶ巨大な円。
それは“目”のように開かれ、6つの影が空間から現れる。
監視者の次なる階層。
アゼルを包囲し始めた。