第二章:記憶という呪い
「……これは、帰還の代償か。」
アゼルは言葉もなく、名もなき空間を歩いていた。
光と闇が境界を失い、泥のように混ざり合うこの世界には、重力も、時間も存在しない。
ただ、砕けた記憶の破片が漂い、燃え尽きた魂の灰のように揺れていた。
目の前に現れたのは、「門」ではなかった。
それは現実の“法”そのものに生じた、深い亀裂だった。
そこから、音を持たない声が響いた。
> 「ようこそ――『記憶の棄界』へ。」
アゼルは反応を見せなかった。
その瞳には、理解ではなく、本能による確信が宿っていた。
「ここに、答えがある」と。
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彼は、自分の名前すら覚えていなかった。
なぜ世界に拒絶されるのかも、かつて何者だったのかも思い出せない。
神か?人か?あるいは……法の外に捨てられた概念か?
それでも彼は“知っていた”。
真実は、この場所に封じられている。
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亀裂の中から、形なき存在が現れた。
重さも、色も、定義も持たない“拒絶された影”――それが言った。
> 「記憶を取り戻すことは、全ての秩序への反逆となる。
その代償を払う覚悟はあるか?」
アゼルは答えず、ただ一歩を踏み出した。
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彼が最初の記憶に触れた瞬間――現実が震えた。
かつて光を失った地・エルヴァルの空が、真白に閃いた。
音も風もなく。
遥か彼方の時空に存在する“監視者”のひとりが、理由もなく崩れ落ち、灰となった。
「アゼル」という名が、記憶の中で歪み始める。
それは本当の名前ではなかった。
ただの殻、ただの偽名。
“歴史から完全に消された者”に与えられた仮面にすぎない。
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> 「……名前? 違う……俺の記憶は……燃えていた……
それでも――確かに、誰かが……俺を呼んでいた。」
そして、映像が閃く。
――血に染まった空の下、
生贄として捧げられた幼子。
救いは来ない。
神々は背を向けた。
だがそのとき、死した世界の奥から、囁きが聞こえた。
> 「……イリアス……?」
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その名は、存在してはならぬもの。
だが、今――蘇った。
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空間が悲鳴を上げる。
多層世界が干渉し合い、揺らぎを始める。
“監視者”たちは緊急に集結し、「法の柱」にて会合を開く。
その中の一柱が呟いた。
> 「あれは……封印された“第一の名”……
なぜ今、目覚めた……?」
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アゼル――否、イリアスは記憶の中心に立っていた。
彼の身体の片側がひび割れ、
そこから血ではなく、未知の古代文字が流れ出す。
それは存在のコードが崩れる音だった。
現実が、彼を拒んでいた。
だが彼は、もはやそれに慣れていた。
> 「痛みなど……もう慣れた。」
彼は歩みを止めない。
一歩ごとに、記憶が解き放たれる。
一つ一つの記憶が、宇宙法則に傷を刻む。
彼は知っている。
“帰還”するには、自分自身を取り戻さなければならない。
たとえ、その代償が「全存在の敵」となることだとしても。
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> 「世界が俺を拒絶するなら、
俺が、世界を書き換えるまでだ。」
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――記憶の名が解き放たれた今、歯車はもう戻らない。
次に動くのは、“監視者”である。