第97話 王立魔道学院の怪
息苦しさにハッと目を覚ますと、シアンと布団のあいだでウィローが丸くなっている。頬に触れる空気がひんやりとしている。ベッドの上に体を起こしてみれば、初秋とは思えない涼やかさだった。
「おはようございます、シアン様」
マゼンタがシアンの服を手に寝室に入って来る。その声で、ウィローがようやく目を覚ました。
「今日は冷えるね」
「そうですね。中に着る物を一枚、増やしておきましょう」
「うん。この分だと、すぐに冬が来るんだろうね」
「あまり寒くならないといいんですけど」
「冬休み前の試験までしっかり勉強しないといけないな」
「いまからですか? さすがですね」
王立魔道学院では、長期休暇の前には試験が待っている。冬季休暇前の試験はただの腕試しのような物だが、あまり悪い成績を取り続けていると、夏季休暇前の進級試験の点が良くても進級できない場合がある。腕試しの試験だとしても、手を抜くわけにはいかないのだ。
* * *
ゼニスとオペラモーヴ卿と同じ馬車で王立魔道学院に向かう。今日はどんな一日になるだろうと楽しみにしていたとき、近付いて来た校舎にシアンは目を剥いた。王立魔道学院の校舎が、ドス黒い何かに包まれている。ここからでは正体の掴めない不穏な何かが溢れている。
「なんだ、あれは……」
オペラモーヴ卿が怪訝に呟いた。ゼニスも顔をしかめている。
「何があったと言うんだ」
「何か良くない気配を感じます。僕が調べてみます」
ゼニスとオペラモーヴ卿が調査をすれば話は早いだろうが、王立魔道学院の問題は学院の者が解決するべきだ。それも、実力を身につけるためには必要なことだ。
校門に降り立つと、学生たちが群がって校舎を遠巻きに眺めている。講師たちの姿もあり、登校して来た学生たちを敷地内に入れないようにしているようだ。
「シアン!」
大きく手を振りながらミントが駆け寄って来る。その後ろにクロムの姿があった。ふたりとも険しい顔をしている。
「何があったの?」
「誰かが呪詛魔具を展開したって話よ」
「結界のようになっていて、誰も中へ入れないそうだ」
「呪詛魔具……」
シアンにはそうとは思えなかった。誤って呪詛魔具を展開したのだとしても、王立魔道学院の全体を覆ってしまえるほどの膨大な呪いを生み出すのは容易なことではない。
「少し中を見て来る」
声を潜めてそう言い、シアンは校門を離れる。結界の空気から察するに、越えるのはさほど難しいことではない。しかし、ここでは人目につく。中庭の門に行けば学生はさほど多くはないはずだ。
「シアン、中に入るって……」
ミントとクロムがあとに続く。シアンとしてはひとりで行くつもりだったのだが、このふたりがシアンを放っておくはずはない。
「僕なら結界を越えられるかもしれない。ただの呪詛魔具とは思えないんだ」
「確かに、呪詛魔具にしては呪いが大きすぎるわ」
中庭の門にも数人の学生が集まっている。その中に、エスメラルダとトトの姿があった。エスメラルダは結界に手をかざしている。
「シアン」トトが振り向く。「どうなっているの?」
「わからない。中に入って見て来るよ」
「中に入るって、どうやって?」と、エスメラルダ。「この結界は簡単には越えられなさそうよ」
シアンは左手を結界に伸ばした。軽く触れてみると、それが単純な術式であることがすぐにわかる。左手に込めた魔力に反応して、結界に少しだけ穴が開いた。
(中に入れそうじゃ)
『気を付けてくださいね。とてつもなく強大な呪いです』
(うむ……人間の仕業とは思えんのう)
シアンは結界の中に入って穴を閉じようと考えていたのだが、シアンの制服の端をミントが掴んでいた。
「私も行く。シアンだけ行かせられないわ」
クロムとエスメラルダもそのつもりのようだ。きっとそうなるだろうとシアンは思っていた。
「トトはここで――」
「僕も行くよ!」
シアンの言葉を遮って、トトが力強く言う。その表情には不安がありありと浮かんでいた。
「危険だよ。呪いをもらうかもしれない」
「でも、その危険な中に友達が行こうとしてるのに、ここでひとりで待ってられないよ」
トトは貴族には遠く及ばないが、王立魔道学院に入学できる程度には魔法を使うことができる。呪いを受けても抵抗することは可能だろう。
「わかった。絶対に僕から離れないで」
「うん」
シアンの作った小さな穴をミント、クロム、エスメラルダ、トトが続いて潜ると、シアンは穴を塞いだ。他の学生が入って来ないようにするためだ。門の前にいた学生たちは興味深く観察しており、穴があれば無謀にも入り込んで来ただろう。勇気と勘違いした好奇心にまで責任は持てない。
「重苦しい空気ね」ミントが呟く。「これが呪詛魔具だなんてどう考えてもあり得ないわ」
「呪い以上の強い魔力のようなものを感じるな」
校舎を見上げるクロムに、エスメラルダも重々しく頷いた。
「王立魔道学院の怪かもしれないわ」
ミントとトトが問いかけるような視線を向けると、エスメラルダは小さく息をついて口を開く。
「この学院に、呪いと憎しみと恨みによって生まれたとされる怪物がいる、という噂よ。単なる噂だったのだけれど……学生たちが思い出したように話すようになって実体化したのかもしれないわ」
「言霊……ね」と、ミント。「元々存在していた何かが人々の言葉で怪異と化したんだわ」
「学生たちが話すことで、その存在が確かなものへと変貌を遂げたんだね」
独り言のように呟くシアンに、エスメラルダが小さく頷く。
「とにかく、このままでは学院が危険だ」クロムが力強く言う。「その噂話の主を探そう」
「はい。魔力の濃い場所を目指しましょう。僕が探知します」
シアンは辺りに手をかざす。感知スキルを発動すると、魔力は地点によって濃淡がはっきりとしている。最も濃い場所に噂話の主がいるはずだ。
「その噂話ってどんな話なの?」
トトの問いに、エスメラルダが冷静に応えた。
「昔、この国の王太子と婚約している女学生がいたの。悪女だと囁かれていたわ。いじめや不倫、成績の詐称、教師の買収……おおよそ学生にとって悪事とされることをしていたの。そうして、王太子はその女学生と婚約破棄したわ。新しく婚約者として迎え入れられたのが、サルビア家の女性よ。悪女の同級生だったわ」
シアンは意識を魔力に注ぎつつ首を傾げる。そんな話は聞いたことがない。その視線に気付き、エスメラルダは肩をすくめる。
「それが本当のことなのかはわからないわ。噂話はあくまで噂話、ということもあるかもしれないわ。その悪女と称された女学生が怨霊となって現れる、という噂ね」
「シアンが入学して来たことで」と、クロム。「その噂話が復活したんだろうな」
シアンは何かと目立っている。サルビア家の人間であるということはほとんどの学生が知っていることだろう。シアンへの興味や好奇心が、噂話を蘇らせるに至ったのだ。
「もし……」エスメラルダが静かに言う。「その噂話が本当だとしたら……いまのベルディグリ家は、そのサルビア家の女性の血筋なのではない?」
シアンはミントと顔を見合わせる。シアンはサルビアの本家、ミントはベルディグリの本家の子どもだ。家族からそんな話は聞いた覚えがない。
エスメラルダは考えをまとめるようにしながらさらに言う。
「シアンのお母様……セレスト・サルビア夫人は、ベルディグリ家なのに名前が青色よ」
“天空”の意味を持つ“セレスト”は明るい青色だ。ベルディグリ家は緑の血統。緑色系統の名前をつけるのが伝統だ。
「王太子妃となったサルビア家の女性の子どもがベルディグリ家に嫁いで行ったのだとしたら」ミントは不思議そうに言う。「いまのベルディグリ家にはサルビア家の血筋が含まれているということになるわ」
「だから」と、クロム。「子どものうちのひとりに青色系統の名前をつけるという風習が生まれた、ということはないか?」
「うーん……? そんな話は聞いたことがないわ」
「でも、あり得ない話ではないね」
シアンの言葉に、確かに、とミントは小さく頷く。貴族の家は血統を重視する。これまでの推測が真実だったとしてもおかしくはない話だ。
「サルビア家は大きな血筋であるのに」と、ミント。「ベルディグリ家に比べると広がっていないわ」
「その王太子妃となった女性が本家の人だとしたら」と、エスメラルダ。「その子どもが他の家系に嫁や婿に行って、サルビア家自体は分家が広がらなかったのかもしれないわ」
「確かに」シアンは呟く。「サルビア家の分家の人には会った記憶があまりないね」
「サルビア家は一代で成り立って来たような家系なのかもしれないわ」
考えながら言うエスメラルダに、ミントが感心したように息をついた。
「それで二大魔法一族としてベルディグリ家と肩を並べているのだとしたら大した家系だわ」
「あくまで噂話からの推測だけれどね」
「叔母様に確認してみるといい」
シアンがクロムに頷きかけたとき、廊下の向こうから足音が聞こえて来た。こちらに近寄って来ているようだ。
「きみたち」
廊下の角からいくつか年上に見える男子生徒が顔を出す。話し声に気付いて様子を見に来たようだ。
「どうしてここにいるんだ」
「この学院に何が起きているか確認しに来たんだ」
クロムがそう言うと、男子生徒は背後に視線を向ける。別の男子生徒がおり、少し困ったような表情になった。
先に顔を出した短い茶髪と澄んだ茶色の瞳の青年が口を開く。
「僕はラセット・バーントシェンナ。三年の学生長だ。こっちはチェスナット・フォーン。同じく三年だ」
チェスナットと呼ばれた青年は短い黒髪と茶色の瞳が童顔の雰囲気を醸し出している。ラセットと比べると背が低く、体格としてはクロムのほうが大きいようだ。
「ここは危険だ」と、ラセット。「俺たちに任せて、きみたちは校門の前で待つんだ」
そのとき、ドン、と地を揺らすような衝撃と圧がシアンの体に襲いかかった。それは他の六人も同じだったようで、きょろきょろと辺りを見回す。
「出してくれるつもりはないようですね」
シアンが肩をすくめると、ラセットは困ったように頭をかく。
「きみはシアン・サルビアだね」
「はい」
「王立魔道学院の怪は知っているだろう。俺たちはその噂話が顕現したのではないかと考えている」
どうやらシアンたちと同じように推測しているようだ。シアンたちが顔を見合わせたことで、ラセットもそれに気付いたようだ。
「だとすれば、狙われるのはきみだ。噂の女学生は、言い方を変えれば婚約者の座をサルビア家の女性に奪われたわけだからね」
「だとしたら逆恨みもいいところだわ」ミントが呆れて言う。「来るなら来なさいよ!」
まるでミントの張りのある声に応えるように、辺りに啜り泣きが響き渡った。どこか笑っているようにも聞こえる不気味な声だ。
「挑発しないでくれ」
咎めながらも穏やかな声で言うチェスナットに、ミントは小さく肩をすくめる。反省する気はないようだ。
「これで」と、ラセット。「向こうはこちらを認識してしまったな」
「噂話が噂話ではなくなったようですね」
目を細めて言うエスメラルダも、どこか挑戦的な笑みを浮かべている。
「望むところよ」ミントは拳を握り締める。「誇り高きベルディグリの血筋を思い知らせてやるわ」
「本家のお嬢さんがこんなにお転婆だとは……」
チェスナットは諦めたように苦笑いを浮かべる。だが、とラセットが肩をすくめた。
「後戻りはできなくなったようだな。探知しながら呪いの出処を探そう」
「探知なら僕に任せてください」シアンは言う。「正確性には自信があります」
「ああ、任せるよ」
ラセットは確信を持った表情で頷く。サルビア家の血筋に信用を置いているようだ。シアンはそれに応えるため、手のひらに意識を集中した。“噂話の主”を見つけるのには、そう時間はかからないだろう。




