第84話 ネイビー、怒りのティーパーティ
快晴な日曜日の午前九時。サルビア侯爵邸の庭園でティーパーティが始まった。庭園からは多くの貴族の歓談が、シアンの私室まで聞こえてくる。多くの招待客で賑わっていることだろう。
シアンとブルーは、マゼンタとピアニーとともにシアンの私室に缶詰めだ。ティーパーティは日が暮れる頃には終わる。夕食には家族が揃うはずだ。
「賑やかね」と、ブルー。「外が賑やかで部屋にいなきゃいけないのは、非日常的でなんだか楽しいわ」
「夜会と違って外だから、屋敷内を歩き回っていてもいいけどね。招待客は屋敷内には入って来ないはずだし」
ガーデンティーパーティに招待された場合、屋敷の中に勝手に入るのはマナー違反だ。親しい間柄なら許されることもあるだろうが、庭園以外の場所に足を踏み入れるのは避けるべきだ。
「今日のネイビー姉様のドレス姿は素敵だったわ。ああしていれば奥ゆかしい淑女に見えるのに」
「社交界の淑女は、きっとみんな似たようなものだよ。母様みたいに屋敷でも外でも優雅に振る舞っているほうが珍しいんじゃないかな」
「ふうん。あたしもあんな淑女になれるかしら」
「母様をお手本にしていればきっとなれるよ」
「そうね。でも、屋敷でのネイビー姉様を見たら、口説きに来る男の人たちは幻滅するかもしれないわ」
ネイビーは屋敷での素顔と社交界での仮面の差が顕著だ。印象は正反対のものになるだろう。シアンとしては屋敷での素顔こそネイビーの良さだと思っているが、その差に失望する者は、社交界においては少なくないだろう。
「ジェードと結婚するのがきっとネイビー姉様には一番いいわ。お互いのことをよく知ってるし」
「僕もそう思うよ。ふたりはお似合いに見える」
セレストの従兄ジャスパー・ベルディグリの次男ジェード・ベルディグリは、ネイビーの婚姻相手の最有力候補だ。ふたりは幼馴染みで、自他ともに認める喧嘩仲間である。
「それに」シアンは続ける。「僕たちもジェード兄様だったら過度に気を遣う必要もないから、きっと気楽に過ごせる」
「そうね。ジェードは気難しいけど良い人だわ」
ジェードはジェードで素直な青年だとシアンは思うが、ネイビーの前では素直になれないという点で気難しく見えるのだろう。誠実で実直な青年だとシアンは思っている。
(ジェードくんがいずれネイビー嬢と結婚するなら、わしのことも話さんといかんのう)
『ジェードさんなら、転生が普通にあり得ることだと理解してくれそうな気がしますね』
(そうじゃな。まあ、ゼニス父様の判断に任せるかの)
『それがいいですね』
シアンとブルーは、盤上遊戯やトランプで遊び、そのうち飽きて読書を始める。そろそろ昼食の時間になろうという頃、昼寝に飽きた様子のウィローが、シアンの背中に鼻を押し当てた。
「外に行きたいの?」
そうだと言わんばかりにウィローは鳴く。良い天気なのに屋敷の中で大人しくしていなければならないのが退屈なのだろう。
「じゃあ、ちょっと散歩して来ようか。裏庭なら行っても平気だよね」
「はい」マゼンタが頷く。「招待客は裏庭には入れませんから」
「行こう、ウィロー」
ブルーも行く、と声をかけようとしたところでシアンはその言葉を飲み込んだ。ブルーが表情を輝かせて本に熱中している。気に入る物語を見つけたようだ。シアンとウィローは、こっそり部屋から抜け出した。せっかくの集中力を妨げる必要はないだろう。
招待客と鉢合わせないよう厨房を通って裏庭に出ると、ウィローは、やっと解放された、と言うように駆けて行く。それを追いかけたシアンは、あることに気付いて足を止めた。
「ジェード兄様」
裏庭のガゼボに、ジェード・ベルディグリの姿があった。シアンの声で顔を上げたジェードは、よう、と軽く手を振る。
「ウィローの散歩か?」
「はい。ジェード兄様は休憩ですか?」
「ああ。ネイビーを狙う男たちから睨まれ続けていたからな」
「なるほど……」
シアンは苦笑いを浮かべる。ネイビーとジェードはまだ正式には婚約しておらず、ネイビーの婚姻相手の座はまだ空いている。それでもネイビーのそばにいるジェードが、ネイビーの夫の座を狙う男性陣には気に入らないのだろう。
「ベルディグリ家の僕より自分の家のほうが優れていると思っているなら大したものだな」
「それはどうでしょう。ただサルビア家に取り入りたいだけだと思いますが……」
サルビア家とベルディグリ家は、国内でも屈指の血筋だ。ネイビーの婚姻相手の座を手に入れれば、家の存続は確かなものになるだろう。
「もし本当にそうだとしたら、そっちのほうがサルビア家にとって有益なことだろ?」
「うーん……。血筋だけが目的の者が、この屋敷で上手くやっていけるでしょうか」
「相手は上手くいくようにするしかないだろうな。家に取り入れればこちらのものってことだな」
魔法使いの血筋である貴族は、その血をより繁栄させるために優れた血筋と婚姻関係を結ぶ。国内で屈指の血筋であるサルビア家にとっては、どの家も特に得はない。そのため、ネイビーの幼馴染みであり、ベルディグリ家の血筋であるジェードが最有力候補なのだ。
「もしネイビー姉様が他の人と結婚されたら、ジェード兄様はどうするのですか?」
「どうもしないさ。僕は次男だから家督はないし、婚姻はあまり重要じゃない。わざわざ相手を探す必要はないだろうな」
「他の家からの申し込みはないのですか?」
「あることにはあるらしいが、僕にとって有益な相手はいないみたいだな。ネイビーは女性だから、サルビア家の血筋を濃く残すために婚姻が必要になる。家のための結婚なんて、煩わしいだろうけどな」
サルビア家はいまでさえ繁栄した家だ。その血筋を確かに残していくためには、婚姻は不可欠なことになる。相手がジェードであれば政略結婚ではないだろうが、家のための結婚であることは間違いない。賢者にとって、とても息苦しく感じる話だ。
「だが、僕がサルビア家にとって有益だと思われているなら光栄だ」
「ジェード兄様なら、ネイビー姉様も辛い思いはしないでしょうし、きっと最善のお相手ですよ」
「そうか?」
「ちょっと、ジェード! こんなところでなに油売ってるのよ!」
咎める口調で言いながら、ネイビーが裏庭に出て来た。社交界用の淑女顔が崩れ、怒った表情をしている。
「近くに居てって言ったでしょ! あなたがいないと、下心丸出しの男性たちが擦り寄って来て面倒なのよ!」
「人を男除けに使うなよ。婚約者でもないのに」
「そんなことはどうだっていいの。あなたより自分のほうがサルビア家にとって有益だと思っているのが腹立つのよ! サルビア家を舐めるのも大概にしなさいよね……」
ネイビーの拳が怒りに震えている。ネイビーは家督を持たない三番目の長女だが、サルビア家の血筋に誰よりも誇りを懐いている。自分はサルビア家に釣り合っている、と過大な自信を持つ下階級の男性に腹を立てているのだろう。サルビア家にとって有益な婚姻はベルディグリ家の血筋以外には存在しないのだ。
「ベルディグリ家の血筋であるあなたより優れていると思っているのだとしたら、べルディグリ家のことも舐めてるわ……!」
「そう見せているだけだろ」と、ジェード。「エスメラルダにだってもう婚姻の申し込みが来ている。名家の女性なんてそんなもんだ」
ジェードの妹エスメラルダ・ベルディグリはまだ十二歳だが、ベルディグリ家の地位と血筋はなんとしても獲得したいものだろう。ベルディグリ公爵がどう考えているかによるが、エスメラルダも家のための結婚をするのかもしれない。
「お前は僕が婚姻相手でいいのか?」
ジェードが気を取り直したように問いかけると、ネイビーはようやく怒りを収めて肩をすくめた。
「特に問題はないわ。父様同士もそのつもりで話を進めているでしょうし。父様がお認めになるなら私は異論はないわ。あなたはシアンにとっても良い義兄になるでしょうしね」
ネイビーの婚姻相手になるにあたって、必須条件はシアンの特性を受け入れるかどうかだ。もしベルディグリ家より優れた血筋だとしても、シアンを受け入れないなら候補にすら上がらない。シアンを受け入れないのでは、サルビア家で上手くやっていくことはできないからだ。
「血筋のための結婚だったとしても、政略結婚をしなくてもいいのは恵まれてるわ」
「ネイビー姉様自身は、お相手がジェード兄様でよろしいのですか?」
シアンは助け舟を出した。ジェードが気にしているのは、おそらくそのことだ。父が認めた相手だとしても、ネイビー自身が認めていない可能性もある。ジェードとしては、ネイビーが嫌がるならよしとしないだろう。
「別に構わないわ。なんだかんだ気心の知れた間柄だし、ジェードなら取り繕わずに済むもの。ジェード以上に最善なお相手はいないでしょうね」
「ジェード兄様はいかがですか?」
「僕も似たようなものだな。昔からよく知った関係だし、ネイビーと結婚するのが最も気楽だ」
(うむ、うむ。素直でよろしい)
互いに認め合っていることはシアンも知っているが、こうして言葉にして認め合うことも大事なことである。
「あとは突っかかって来なければ穏やかに過ごせるだろうな」
『あらら……やっぱり素直になりきれないみたいですね』
(ま、そういうものじゃ)
「突っかかって来るのはそっちでしょ。いっつも小言を言って来るんだから」
こうなってしまえばシアンは無力だ。とは言え、ふたりがこの関係が落ち着くなら、それもそれでひとつの夫婦の形となるだろう。
「小言を言われるような振る舞いをしているからだろ。いつになったら文句のつけどころのない淑女になるんだ?」
「あなたこそもっと寛大な心を持ったらどうなの?」
「おい、なにを喧嘩しているんだ」
呆れたように言いながら、アズールが裏庭に出て来る。なかなか戻って来ないので探しに来たのだろう。
「まだパーティの最中だぞ」
「だってネイビーが」
「だってジェードが!」
ふたりの声が重なるので、アズールは目を細めて溜め息を落とした。
「わかった、わかった。とにかく会場に戻れ。シアンもこのふたりに付き合う必要はない。ブルーが部屋で待っているんじゃないか?」
「そうですね。僕も部屋に戻ることにします」
ウィローも満足した様子だ。ティーパーティが終わるまで、部屋で大人しくしていてくれるだろう。
ネイビーとジェードは、アズールを挟んで依然として喧嘩をしている。それでも、会場に戻れば仲睦まじくすることだろう。
『なんだかんだ上手くやっていけそうなふたりではあるんですけどね〜』
(まあ、ああして普段から不満を言い合えるなら、我慢し続けて破綻ということもないじゃろうの)
『でも、喧嘩しすぎて仲が悪くならないかな?』
(互いに認め合っているんじゃから、大丈夫じゃよ。良く言えば、本音を言い合える間柄ということじゃからな)
『それが意外と重要だったりするんですよね〜』
(そうじゃな。あのふたりは大丈夫じゃよ)
* * *
私室に戻ると、ブルーはすでに昼食のサンドイッチを食べていた。
「随分と長い散歩だったわね。またネイビー姉様とジェードが喧嘩していたの?」
ふたりの喧嘩も、シアンが巻き込まれたことも、ブルーにはお見通しのようだ。随分と待たせてしまったらしい。
「喧嘩するほど仲が良いって言うけど、あのふたりは喧嘩しすぎだわ」
「結婚してジェード兄様がこの屋敷に来たら、きっと喧嘩もなくなるよ」
「そうかしら? 顔を合わせるたびに喧嘩してるわよ?」
「きっといまだけだよ。互いに支え合って、良い夫婦になると思うよ」
「想像できないわ」
「それが大人になるってこと」
「シアンは子どもじゃない」
「そうだね。僕たちもきっとそうやって大人になるんだよ。ゆっくりとね」
「ふうん?」
ネイビーは来年、成人する。婚約発表はきっと遠くなく行われるだろう。そうして結婚してジェードが屋敷に来れば、ふたりとも落ち着いて良い夫婦となるだろう。賢者にはその未来が見える。ネイビーとジェードは互いを信頼し、認め合っている。それが良い夫婦には必要不可欠なことだ。それを達成しているのだから、ネイビーとジェードは上手くやっていける。賢者はそう確信していた。ブルーには、きっとまだよくわからないことだろう。




