第55話 緊急招集
朝食後、今日の仕事の準備をしていたスマルトの執務室に、焦ったようなノックが響いた。顔を出したアズールの表情は、急ぎの用事があることを表している。
「シアン、スマルト。緊急招集だ」
顔を見合わせるシアンとスマルトに、アズールは報せ鳥を解体して見せる。報せ鳥は文章を伝えることにも使え、ふたりの前には王宮からの緊急招集の勅令書が表示された。
「この街の近くに、レッドバイソンの群れが出現したらしい。いま、クロム殿下と直属の騎士隊が討伐に向かった。援護に向かってくれ」
「わかりました」
シアンはマゼンタとともに急いで寝室に戻った。いまの服装では戦闘に加わることができない。冒険服に着替えなければならない。
手早く支度を済ませてエントランスへ向かうと、スマルトも腰に剣を携えて準備万端だ。シアンはスマルトのそばに寄り、転移魔法をかける。瞬きした頃には街外の東の平原へ降り立った。
明らかな殺意を持ったレッドバイソンが、クロムと数名の騎士に牙を剥いている。群れは十数頭。ここで食い止めなければ街が危険だ。
(遠慮する必要はなさそうじゃな)
シアンは氷の槍でレッドバイソンの意識をこちらに向ける。数頭のレッドバイソンが新たな敵の出現に気付き、体の向きを変え咆哮を上げた。騎士隊はそれに合わせて陣形を整え、シアンとスマルトと連携するための体勢を取った。
(洗練された動きじゃ。実に素晴らしい)
レッドバイソンは、通常の戦闘体勢であれば一頭につき三人がかりになる。その中で、クロム王太子と騎士長のニーロはふたりで一頭を相手取っていた。それでも充分に撃破できる実力を誇っていた。
スマルトがシアンを背に駆け出す。その一瞬に気を取られたレッドバイソンに、シアンは光の矢を突き立てた。スマルトの剣戟をとどめに一体が力尽きると、また別の一体が待ってましたとばかりに飛び出す。レッドバイソンは知能が高くない。シアンとスマルトの戦闘体勢を見て戦術を変えようと考えることはできないため、猪突猛進でスマルトに向かった。二体目も難なく討伐し、かなり有利な形勢で戦闘は進む。
「シアン様!」
レッドバイソンに雷魔法を叩き込んだシリルに、ニーロの鋭い声がかかる。シアンがその声にきびすを返した頃には、レッドバイソンがその背中を狙っていた。シアンは咄嗟に防護壁を張るが、気付くのが遅れたため、防護壁でその勢いを殺すことができなかった。吹き飛ばされて尻餅をつくシアンに、レッドバイソンの突進が迫る。
「シアン!」
地を蹴ったクロムが手を伸ばした瞬間、辺りに溢れた光が槍となってレッドバイソンの体を貫いた。それは、クロムによって放たれた“魔法”であることは明確だった。
クロムは驚いた様子だったが、シアンは即座に体勢を取り直して戦闘に戻る。クロムも剣の柄を握り直したとき、後発の騎士隊が到着した。
戦闘は多勢に無勢となり、最後のレッドバイソンが地に倒れるまであっという間だった。十数頭の中に街へ到達したものはいない。防衛戦は騎士隊の勝利で幕を閉じた。
騎士たちは手早く死骸の処理に取り掛かる。そのままにしていても他の魔獣の餌になるだろうが、レッドバイソンの角は貴重な素材になる。採取しておかなければ勿体無いというものである。
「これだけあれば、しばらくは素材に困らないな」
見る者が見れば凄惨とも言える光景だが、スマルトがつくづくと呟いた。薬学研究所や魔具屋に卸せば喜ばれることだろう。
「シアン」
騎士隊への指示を終えたクロムとニーロが駆け寄って来る。シアンは辞儀をして見せた。
「クロム殿下、先ほどはありがとうございます。助かりました」
「ああ。無事で何よりだ」
「クロム殿下の魔法の血筋が覚醒したみたいですね」
シリルがそう言うと、クロムは不思議そうに首を傾げる。
「これまで魔法の力をお持ちでなかったのは、血筋が覚醒していなかったからかもしれません」
クロムには優秀な魔法一族のベルディグリ家の血が流れている。本来であれば、強靭な魔法の力を持っていてもおかしないが、クロムは魔法の力を持っていないことを自覚していた。それが戦闘中に覚醒したのだ。
「どうして急に」
「僕と特訓することで素養が伸びたのかもしれません。迷宮攻略中にスキルが開花するのと同じ仕組みですね」
「なるほどな……」
「お陰様で助かりました」
「俺からも礼を言わせてもらいます」スマルトが言う。「シアンを助けていただき感謝します」
クロムはひとつ頷く。魔法の力の覚醒に対し、驚きとともに誇らしさを感じられる表情だ。
「俺の能力不足というわけではなかったんだな」
「はい。魔法の血筋は生まれながらに覚醒している場合がほとんどですが、後天的に覚醒することも充分にあり得ます。クロム殿下には間違いなくベルディグリ家の血が流れていますから、魔法も鍛えれば上達するはずです」
「その鍛錬にはまた付き合ってくれるんだろう?」
「はい。もちろんです」
明るく微笑んで見せるシアンに、クロムは満足げに頷く。シアンとしては、将来有望の優秀な魔法の使い手が育つことは大歓迎である。王太子ともなれば尚更だ。その助けとなれるなら、それ以上に誇らしいことはないだろう。
騎士たちは手際よくレッドバイソンの角を採取している。頭数が多いため時間はかかるが、苦戦することはないはずだ。
「ひとつ、気になることがあるんです」
シアンがそう言うと、三人は続きを促すようにシアンを見た。
「僕は戦闘中、最低値ですが感知スキルを働かせています。魔獣の接近はほとんど察知できるはずです。ランクの低い魔獣であれば取り逃がすことはありません」
レッドバイソンであれば、最低値の感知スキルでも充分に察知できる。あれだけの接近を許したのは想定外だ。
「人為的か自然かはわかりませんが、レッドバイソンが感知スキルを掻い潜る能力値になっているということです。そもそも、こんなところに群れで出現したのも不自然と言えます。その点を調査するべきかと」
「そうですね」ニーロが頷く。「王宮に戻り次第、手配します」
「あとは街の自警団の強化ですね」シアンはスマルトに言った。「必要であれば予算を上げたりして、自警団自体の強化を図る良い機会かもしれません」
「そうだな。夜にでも相談してみよう」
魔獣の進化は往々にしてあり得る。賢者もこれまでの人生で何度か目にする機会があった。それにいち早く気付き対策をしなければ、街に被害が及ぶ可能性もある。早急な対処が必要だ。魔獣に関する研究は怠るべきではない。気付いたときには、という場面に賢者は遭遇したことがある。人間は慢心し、油断する。それが魔獣の被害となって現れるのだ。
* * *
シアンとスマルトが帰宅すると、アガットがリビングにお茶を用意した。昼食まではまだ少し時間があるため、休憩の時間にちょうどいい。
「野生の魔獣でも進化すると知ることができたのは収穫でしたね」
「そうだな。迷宮の主のように復活するでもなく進化するというのは興味深い」
「地脈のマナなどが関係しているんでしょうね。あとは遺伝子にも刻まれているかもしれません」
「魔法学研究の面からも調査したほうがよさそうだな」
「はい」
* * *
夕食を終えると、シアンとスマルトはリビングに向かった。いまなら父母が夕食後のお茶を嗜んでいるはずだ。
「父様、母様。ご報告が」
「ああ。何かあったのか?」
シアンとスマルトもソファに腰掛け、レッドバイソン討伐での出来事をまとめて報告する。クロム王太子の魔法の血筋が覚醒したことも含め、シアンの意見で締めた。
「なるほどな……」ゼニスは顎に手を当てる。「まず、クロム殿下の魔法の力が覚醒したのは良い報せだ。随分と気に病んでいる様子だったからな」
(やはりそうじゃったか……)
クロムは自身に魔法の力がないことを受け入れている様子だったが、優秀な魔法一族のベルディグリ家の血筋であるため、その力を受け継げなかったことを気にしているように見えた。それでも魔法戦に対応する力を求めていたのは賢明と言える。
ゼニスは重々しい口調で続けた。
「レッドバイソンが進化している可能性は考えていなかった。下位級の魔獣でも進化の可能性が充分にあり得るとすると、さらなる研究が必要のようだな」
「たまたまだとしても」と、セレスト。「生まれたことは事実。これから検証していく必要があるわね」
「僕は感知スキルの中でも最低値のものを使っていました。もう少し高位の感知スキルであれば見逃すことはないと思います」
「ああ。レッドバイソンが街のすぐそばに群れで出現したことも含めて調査しよう。貴重な情報を得ることができたな」
魔獣の進化は実際に戦闘をする上で判明することが多い。遺伝子から読み解くこともできるため、冒険者に依頼を出すことで鑑定や解剖をする場合もある。下位級の魔獣でも研究を欠かすことなく調査を続けるべきである。
「それにしても」と、ゼニス。「シアンが無事で本当によかった。クロム殿下にはお礼状を送っておかなければな」
「危機が好機になることは往々にしてありますからね。絶好の機会を得たとも言えます」
「それでシアンが怪我でもしていたら、寿命が縮んでいたところだ。早死にしてしまう」
「大丈夫ですよ。内臓近くまで抉れたとしても自分で治癒できるんですから」
安心させようと満面の笑みを浮かべるシアンに、ゼニスとセレストはもちろんのこと、珍しくスマルトも引いていた。
(そんなに引くことかのう……)
『私もドン引きです』
(そこまでか……)
気を取り直すように、ゼニスが咳払いする。
「治癒できるかどうかの問題ではない。お前が負傷するだけで私たちは寿命が縮んでしまうんだ」
「そうですか……」
「お前の能力値は確かに高いが、だからといって負傷していい理由にはならない。無茶な戦いを強いられたことは想像に易いが、いまはそんな必要はない」
これまで、いくら傷付いても立ち上がらなければならないことが多かった。習得した回復魔法は多岐に渡る。どんなときでも自分で治癒しなければならなかった。あの頃は辛いと思ったこともあったが、そんな気持ちはもう忘れてしまったような気もする。
「私たちがお前を戦いの場に出すのは、無傷で帰って来ると信用しているからだ。そうでなければ屋敷から出さない」
(過激じゃ……)
「回復魔法を使う必要がない戦い方をすることを約束してくれ」
無茶な戦いをするつもりはないが、誰かのためとなると話は変わる。それでもシアンが傷付かないよう戦うことを、サルビア家の人々が望んでいるのだ。
「わかりました。お約束します」
シアンが微笑んで応えると、ゼニスも満足げに頷いた。
「命大事に、ですね」
「命まで懸けるつもりだったのか?」
「え、いや、比喩です、比喩」




