第44話 初夏の天体ショータイム
朝食の席、ブルーがわくわくとした表情で言った。
「今日は流星群の日ね! シアン、一緒に見ようね!」
「流星群?」
シアンは首を傾げる。流星群という天体現象自体は知っているが、この街で見られるとは知らなかった。シアンはそういった物事に対するアンテナが鈍く、何より情報収集をしていない。今日がその日だという情報はシアンには届いていなかった。
「この街で流星群が見られるのは一年半ぶりなの。絶対に見逃せないのよ!」
「へえ……それは面白そう」
「でしょ? この屋敷の屋上では星を捕まえることはできないけど、十九時頃からだから忘れないでね!」
「うん、わかった」
シアンが頷くとその話は終わってしまったが、シアンがブルーの発言の不思議な部分に気付いたのはセレストが別のことを話し始めたときだった。それを尋ねる隙はもうなさそうだ。
* * *
「星を捕まえるってどういうことですか?」
午前の仕事の合間、シアンはスマルトにそう問いかけた。ブルーの話で気になっていたところだ。
「流星群で流れるのは、星ではなく『星屑』という魔力の塊だと言われている。星屑を捕まえ体内に取り込めば、膨大な魔力を得られるとされているんだ」
それはシアンは初めて聞いた現象だった。流星群と言えば流れ星。流れ星は小天体だ。そもそも初めから人間に捕まえることは不可能である。万が一そうなれば、無事では済まないだろう。
「確証があるわけではないんですね」
「伝承として遺されているだけで、実践したという記録はこれまでにない。というのも、数千年前に行われていた儀式というだけだ」
数千年前に儀式で行われていたとしても、本当に流れ星を捕まえていたかどうかは、記録がないなら判然としないだろう。「数千年前の儀式」ほど当てにならない慣習はないと賢者は思っている。
「そもそも、星屑は空中で消滅する。人間の手の届く範囲には落ちて来ない。それでも星屑を捕まえようとするのは、大昔からの人間の願望だ」
人間が叶うはずのない願いを懐くのは、どの時代でもどの世界でも変わらない。誰もが自力で願いを叶えることができるとは限らない。そういった不確かなものに頼ってしまう気持ちは、きっと誰もが懐くことがあるだろう。
「星屑で最強の魔法使いになれる、と言われている。だが、お前なら捕まえられるという気がするな」
「空中で消滅する物を取れるはずがないですよ。……たぶん」
「……そうか」
そんなことはあり得ないだろうが、もしかしたら、と思ってしまうのがシアンの魂だ。それが叶えば、シアンは名実ともに最強の魔法使いになれるだろう。何事も恐れるに足りず、偏見など捻り潰すのは簡単なことになるはずだ。
(そこまでしようとは思わんがのう)
シアンは、流星群を眺めるのは生まれて初めてだ。これまで、のんびり星を眺める余裕がなかった。星を見るときと言えば、絶望に打ちのめされて助けを求めた夜だけだ。どの世界でも星は等しく煌めいている。だからこそ美しく、そして遠い物だった。
「普段でも、この屋敷の屋上からは星が綺麗に見える。ベンチなんかも設置してあるし、時間があれば眺めてみるといい」
「はい」
のんびり星を眺めるという発想自体がなかったが、あの天体をぼうっと見上げているだけの時間を考えると、それも面白いことのように思えた。
* * *
仕事と夕食を終えた十九時。屋上にはお茶が用意され、ブランケットなど冷え対策も万全だ。初夏とは言え、夜はまだ涼やかだ。風邪をひいては本末転倒である。
シアンの隣のベンチに腰を下ろしたブルーは楽しそうで、表情を輝かせて言った。
「遠い国の伝承で、流れ星に三回お願い事をすると叶うらしいわ」
「へえ、面白いね。何かお願い事があるの?」
「ふふ、それは秘密よ」
女の子には秘密が多い。無理に聞き出すのも無粋だろう。
背もたれに体重をかけて星空を見上げていると、流れていなくても瞬く星は美しい。
「綺麗ですね」
「この街は空気が澄んでいるから」セレストが言う。「星がよく見えるから街の外からも人が集まって来るのよ」
街のあちらこちらでランタンの光が灯されている。同じように星を見上げる人々がいる明かりで、それだけで幻想的に見えた。
「特別な夜ね」と、ブルー。「いつもと違う街みたい」
「こんなにたくさんの人が同じ景色を眺めているなんて不思議だね」
「流星群の日じゃないと見れない光景ね」
数多の星が流れる日というだけで貴重な夜だが、こうしていつもと違う街を眺めることができるのも特別だ。街のあちらこちらにある灯火が、星空を見上げる者たちをひとつにしているようだった。
「あ、流れたよ」
アズールが空を指差して言うと、ブルーはベンチの上に体を起こして辺りを見回す。
「どこどこ!? 見えないわ!」
「待っていれば流れるわ」と、ネイビー。「流星群なんだから」
そうしているうちに、星が次々と紺碧の空を流れ始めた。教えられなくても見つかるほどの流星に、ブルーは目を輝かせる。数多の星々が、蒼天から滑り落ちるように降って来る。その光景は実に神秘的だった。
「綺麗ね」と、ブルー。「夢の中みたい」
「死後の世界ってこんな感じなのかな」
「そうだとしたら怖くないわね」
転生を繰り返した賢者は「死後の世界」を知らない。スカーレットは賢者の魂のみになって百年が経ったと言っていたが、賢者自身には死んでから生まれ変わるまで一瞬のように感じていた。
「星屑はどこにいたら捕まえられるのかしら」
「空中で消滅するなら、高いところにいても捕まえられなさそうだけど……」
この夢想的な景色で現実的なことを言うのは、とは思ったが、ついこうした感想を口にしてしまうのは賢者の癖だ。
「そんな不確かな物に頼るより、一生懸命に勉強したほうがきっと良い魔法使いになれるよ」
「シアンは現実的ねえ」ブルーは目を細める。「でも、そうやって考えるから強い魔法使いになれるのかしら」
「どうかな。そういう伝承に頼りたくなる気持ちもわかるけどね。素養の問題もあるし」
魔法使いに限らず、高い能力値を望む者はそれこそ星の数ほどいる。賢者の弟子にもそういった者はいたが、頼るのは構わないが鍛錬を疎かにしないように、と教えて来た。そうでなければ能力値が伸びないのは当然である。
「シアンは何か星にかける願い事はある?」
「うーん……特にないかな。願いは自分で叶えられる範囲で懐くものだよ」
「どこまでも現実的ねー」
ブルーはそれで夢が破れるような少女ではない。星に願いをかければ叶うかもしれないという夢想も、シアンの言うことを理解する現実性も、どちらも持ち合わせている。夢見がちだけではないため、努力することの大切さを知っているのだ。
「それに」シアンは続ける。「僕の願い事はいまだって叶っているんだから」
「そうなの? どんな願い事?」
「それは秘密だよ」
「えー! 教えてくれたっていいじゃない!」
つまらなそうに唇を尖らせるブルーを、シアンは笑って流す。願い事は自分の心の中に留めるからこそ輝くのである。
(こんな綺麗な光景を、生きているうちに見ることが叶うなんてのう)
これまで何度も転生を繰り返して来たのに、この眼前に広がる光景を見たことがなかった。こうして温かいお茶を飲みながら、誰かとお喋りをしながら、何をするわけでものんびり過ごす時間は、決して無為などではない。とても意義のある、価値のある空間だ。
「星空って、こんなに綺麗なんですね」
「そうよ」セレストが微笑む。「この世界は美しいもので溢れている。ひとつひとつが宝物になるわ」
「それはシアンの中でいつまでも輝くんだ」と、ゼニス。「歳を取っても消えない思い出としてな」
「はい。素敵ですね」
この光景を目に焼き付けたとしても、きっと別の景色が塗り重ねられる。それでも、この瞬間が失われることはないのだろう。
「その思い出の中に私たちも入れたらいいんだけど」ネイビーが優しく言う「いつまでも消えずにね」
「消えるはずがありません。きっと死んでも憶えています」
この転生が終われば、今度こそこの魂は消滅する。最期の瞬間、心の中に貯めた思い出を、ひとつひとつ眺めたい。そうして幸福な時間の中で、ゆっくりと消えていくのだろう。
ブルーは星空を指差して、あれが何座、あっちが何座、とシアンに説明する。いっぱい覚えたのよ、と微笑むブルーは、シアンに物を教えることが嬉しいようだった。星を眺める余裕がなかったシアンには、どの星がどう繋がって何座になるのかよくわからなかったが、ブルーの講義を聞くのは楽しかった。
「あたしが結婚式を挙げるなら夜がいいわ」ブルーが言う。「月明かりに照らされた式はきっと素敵よ」
「冬だと寒いし夏だと日が暮れるのが遅いよ」
また現実的なことを言ってしまった、とシアンは思ったが、ブルーは特に気にしていないようだ。
「夏の日が暮れた頃に短時間で終わらせるの。ランプで照らしたらきっと幻想的よ」
「それはそれで素敵だね。教会で挙げるばかりが結婚式じゃないよね」
「そうよ。まあ、結婚したらの話ね」
ブルーは肩をすくめて笑う。ブルーが結婚したとしても何年もあとのことになるし、そもそも結婚するかもわからない。家のための結婚をする必要のないブルーは、ひとり気ままに暮らすこともあるかもしれない。
「将来のことはわからないよ。だから楽しみなんだ」
「……シアンは時々、年寄りみたいなことを言うわね」
「えっ」
ぎくりとして固まるシアンに、ブルーは深く考えていないようで明るく笑った。
「楽しみにされている分、ちゃんと勉強して期待に応えないとね」
「ブルーは時々、大人みたいなことを言うね」
「シアンの影響だわ。年寄りくさいのがうつって大人っぽくなったのよ」
「はは……」
「良い影響だわ」ネイビーが微笑む。「ブルーは案外、落ち着いた大人になるかもしれないわね」
「いまでも落ち着いてるでしょ!」
「本当に落ち着いている人はそこで怒ったりしないのよ。大人になればわかるわ」
呆れた様子のネイビーにブルーが唇を尖らせると、ゼニスがおかしそうに笑った。
「私たちのもとで、ゆっくり大人になってくれ」
きっとシアンもブルーもあっという間に大きくなる。子どもは成長に喜びとともに寂しさを懐くものだと賢者の周囲の親は言っていたが、喜びのほうが大きいはずだ。子どもが立派に成長すること、それは親の努力の賜物である。それを喜ばしく思わないわけがない。シアンも彼らにとって喜びであるよう、正しい道を歩み続けようと遠い星空に誓った。




