第39話 こいつ……できる……!
賢者がシアン・サルビアとして目を覚ましてから一ヶ月が経った。シアンの身の回りでは多くの変化があった。この一ヶ月だけでも、賢者もシアンも次々と願いが叶っている。そう考えると、実に感慨深い転生だ。
今日はクロム王太子と「海底の迷宮」に腕試しに行くことになっている。現在のシアンの能力は数値では確認しているが、全力を出して戦うのは今回が初めてで、賢者としては楽しみだ。クロムも初めは驚くかもしれないが、腕試しなのだから遠慮する必要はないだろう。
マゼンタの手を借りて身支度を整えダイニングに行くと、ちょうど斜交いのドアを開いたネイビーがさっそくシアンを抱き上げた。
「ネイビー姉様、おはようござい――」
「シアン! スマルト兄様じゃなくて私がいいと言って!」
(めんどくさい彼女みたいなことを言っとるのう)
シアンとクロムの腕試しに同行するのはスマルトだ。ネイビーに仕事が回ったことで手が空くのがスマルトで、アズールとネイビーは仕事に取り組むことになっている。ネイビーは仕事を離れるわけにはいかず、シアンはクロムとの約束を違えるわけにはいかない。ネイビーの願いはどうしたって叶わない運命にあるのだ。
「諦めなさい」セレストが呆れて言う。「そういう計画になったのだからしょうがないでしょう」
「シアンを前にしても冷静でいられるならスマルト兄様と替わってもいいの?」
諦めきれない様子のネイビーに、セレストは目を細めた。
「それはお父様の判断よ。絶対とまでは言わないけど、お父様の判断は間違えていないはずよ」
「わかってるわ」ネイビーは唇を尖らせる。「とにかく、今日の仕事を片付けないとね」
「頑張ってください」
微笑んで見せたシアンを、ネイビーは最後の充填とばかりに抱き締める。この細腕からは想像できない力強さに腰がミシッと軋む感覚があっても、それでネイビーの仕事が捗るなら安いものだ。
サルビア家の食事はいつでも絶品だ。これまでの人生では、とりあえず手に入った物を適当に食べていた。食べ物が手に入らないこともあった。それを思えば、こうして毎日、美味しい料理を食べられることは、天の国を通り越して神の国へ行けるかもしれない。
「シアン」セレストが言う。「今日はクロム殿下が馬車でこちらにいらしてから、うちの馬車に乗り換えて行くことになっているわ」
「お迎えに上がらなくていいのですか?」
「あなたに隠してもしょうがないから正直に話すけど」セレストは厳しい表情になった。「あなたの特性に対して偏見を持つ者は王宮にもいるわ。クロム殿下があなたをお供に腕試しに行くことをよく思わない者もいるかもしれないわ」
それはきっとその通りだろう、と賢者は考える。どんな特性であっても偏見を懐く者は必ずいる。王族と接触することをよく思わない者が一定数いるのは確かだ。
「わかりました。それまでに準備を済ませておきます」
「ごめんなさいね」
「いえ。クロム殿下の心証が悪くなる可能性があるなら、防げるものは防がないといけませんから」
シアンから見て、母セレストはシアンの特性を少なからず自分のせいだと思っている気配を感じる。アルビノは遺伝子変異。だからと言ってセレストのせいというわけでもない。シアンとしては、サルビア家の魔法の血筋さえ受け継ぐことができていればそれでいい。外見による偏見は、いずれ実力で捻じ伏せるつもりなのだから。
「王宮の馬車が到着したら伝えるわ」
「はい」
クロムがこちらへ到着するのは午後。午前中はいつもと変わらずスマルトと仕事をするが、仕事のほとんどがネイビーに回ったため時間が余るだろう。迷宮攻略へ行くための準備の時間ができると考えれば、ネイビーには悪いがありがたいことだ。
* * *
時間は予想以上に余ってしまった。普段は均等に仕事が来ていると考えれば、ネイビーにかかる負荷が大きくなっていることだろう。先日にスマルトが言っていた、先代の取り入れた新企画の仕事が回って来ているのかもしれない。
「海底の迷宮について復習しておくか」
手が空いたシアンが、今日は連れて行くことのできないウィローを思う存分に撫でていると、スマルトが魔獣図鑑と地図を取り出した。万が一にもクロムに危機が迫ったとき、シアンがサポートできるようにしておかなければならない。そのための知識が必要だ。
スマルトはまず魔獣図鑑を開く。
「海底の迷宮に生息する魔獣はアンデッド、スケルトン、グール、あとはポケットラットなんかの雑魚魔獣もいるだろうが、雑魚魔獣は相手にする必要はないだろ」
ウィローを連れて行けないのは、下位魔獣であるグリーンウォンバットのウィローが戦う力を持たないためだ。グリーンウォンバットは中級以上の魔獣の餌食となる。クロムのサポートに徹しなければならないと考えると、ウィローはお留守番をしていたほうが安全だ。たとえ拗ねたとしても連れて行くことはできない。
「アンデッドは剣術でも充分に倒せるが、聖属性の魔法を使う隙があるならそのほうがいい。そっちのほうが効率がいいだろうしな」
「攻略では効率を重視したいですね」
「そうだな。スケルトンには剣術は効かない。聖属性の魔法で倒すのが最適だろうな」
亡霊系の魔獣は、回復魔法で倒すこともできる。回復魔法は浄化の一種であるためだ。他の聖属性の魔法が使えなかったとしても、回復魔法さえ使用できれば簡単に攻略することができるだろう。
「グールには剣術が有効だ。クロム殿下だけでも倒せるだろ」
「僕のサポートが必要なのはアンデッドとスケルトンということですね」
「ああ。デュラハンは倒されているかもしれないが、今回は腕試しだから復活していたとしても戦わなくてもいいだろ。出会ってしまったら倒してもいいだろうが、お前たちの戦闘能力に勝つ見込みがあるなら、だな」
シアンもクロムも高い能力値を誇るが、戦闘経験の少ない子どもである。中級以上の魔獣には確かな戦術が必要で、能力値だけで戦闘はこなせない。避けることができるならそれに越したことはないだろう。
地図を開いたところで軽快なノックが鳴った。スマルトの応対でドアを開いたのはネイビーだった。
「シアン! やっと見つけたの」
「何をですか?」
「これよ」
ネイビーが差し出すのはプラチナホワイトのバングルだ。青色の装飾が施されている。
「聖属性の魔法を強化して、闇属性の耐性を上げる魔道具よ」
シアンの手首には少々大きいが、戦闘経験の少ない者の能力を魔道具で上げるのは賢明と言える。
「ありがとうございます。腕試しにちょうどいい魔道具ですね」
「ええ。仕事を放り出して探していたんだけど、ちょっと予想より時間がかかっちゃったわ」
「……お仕事は大丈夫なんですか?」
「これから休む暇はないわね」
ネイビーは乾いた笑みを浮かべる。朝食後からずっと探していたのなら、昼食の時間までに区切りがつくか怪しいところだ。ネイビーの表情がそれを物語っていた。
「シアンの能力値ならクロム殿下を守りながらでも戦えるかもしれないけど、無理はしないこと」
「はい」
「シアンも無事に一緒に帰って来ないと意味がないんだからね。命を懸けてはダメよ」
「はい。必ず無事に戻ります」
ネイビーは打って変わって明るく笑って見せる。おそらく今日のネイビーの笑顔はこれで終わりだろう。
もし自分が無事に帰ることができなかったら、とシアンは考えてみた。きっと全員の気が狂うことになるだろう。そもそもシアンが無事に帰れない可能性のある依頼を受けさせることはないだろうが、万が一にも迷宮内で倒れるわけにはいかない。クロムの能力とスマルトの手助けがあれば、そんなことはそうそうないだろう。シアンの戦闘経験は浅いが、賢者にはある程度の経験がある。自分に合う戦術を間違えることもないだろう。
* * *
昼食のあいだ、やはりネイビーは疲れた顔をしていた。仕事についてはシアンの力が及ぶことではないが、自分のために魔道具を探して仕事のための時間を食ってしまったと考えると、少々申し訳ないような気がした。そうやって謝罪したとしても、おそらくネイビーにとってはシアンの無事のほうが重要だと言うのだろう。そうとわかっているのに謝罪の言葉を口にする必要はない。きっとネイビーに無理をして笑わせてしまうからだ。ぼんやりして気力を貯めているのを邪魔する必要もないだろう。
昼食を終えると、マゼンタが前回とはまた違う冒険服を用意していた。今回は戦闘が含まれるため、より動きやすい服装が好ましい。全体的にもたつきの少ない仕上がりとなった。
クロムが到着した際に待たせるわけにいかないため、シアンとスマルトはエントランスで王宮の馬車を待つことにした。
「兄様が手助けしてくださるときってどんなときですか?」
「攻撃を躱した際に別の魔獣が後ろにいて、クロム殿下の助けが間に合わないときなんかだな」
「本当に危ないときですね」
「そうでないと腕試しにならないからな」
(案外、スパルタなんじゃのう。そう考えると、アズールくんやネイビー嬢は毎度、手助けをしてしまいそうじゃな)
その点でもスマルトの付き添いは最適なのだろう。アズールやネイビーでは心臓に負荷がかかりそうだ。
「シアン様、スマルト様」アガットが呼んだ。「クロム殿下がご到着されました」
「はーい」
シアンとスマルトが正門に出て行くと、王宮の馬車はクロムを降ろして引き返して行く。迷宮から戻った際に呼び戻すのだろう。
「クロム殿下、ごきげんよう」
「ああ。今日はよろしくな」
「こちらこそよろしくお願いします」
クロムは相変わらず仏頂面だが、どこか気分が良さそうに見える。自分の全力を尽くせる腕試しを楽しみにしているようだ。
クロムの騎士服も王宮での勉強会のときよりも戦闘向きなデザインになっている。長剣もクロムの身長に合わせたもので、彼の能力を存分に発揮できそうだ。
クロムがスマルトに視線を向ける。
「お前は相変わらず威圧感がすごいな」
「どうも」
スマルトは肩をすくめる。この態度を不敬に問われないほどの仲のようだ。
「クロム殿下、ごきげんよう」
セレストが三人の見送りに屋敷から出て来た。丁寧な辞儀をするセレストに、クロムも辞儀を返す。王族だろうが貴族だろうが、辞儀には辞儀で応えるのが基本だ。
「シアン、何よりも安全を第一にするのよ。攻め込むばかりが攻撃ではないわ」
「はい。胸に刻みつけておきます」
「クロム殿下、シアンをよろしくお願いします」
「ああ。必ず無事に返すよ」
「スマルト、なんとしてもふたりを守り抜くのよ」
「ああ」
セレストとマゼンタ、アガット、それからウィローに見送られ、三人は馬車に乗り込む。セレストは少しだけ心配そうな表情をしていた。
馬車が動き出すと、クロムは海底の迷宮の地図を広げた。
「今日は第三地点まで行く。腕試しができれば充分だから、それ以上は奥に行く必要はないだろ」
「わかりました」
「亡霊王が出たとしても俺たちだけで倒すからな」
クロムが強気の視線をスマルトに向ける。クロムがそう言い出すことを予想していたようで、スマルトはすんなり頷いた。
「亡霊王というのは……?」
「デュラハンのことだ」と、クロム。「海底の迷宮に出るデュラハンのことをそう呼ぶんだ」
亡霊系の中で中級に値するデュラハンは、どこにでも出現する可能性のある魔獣だ。迷宮の主として生息している場合もあるため、個別の呼び名がつくこともあるのだろう。
「亡霊王は、かつて海底に沈んだ大国の王だったとされている。その魂が亡霊化したそうだ」
「なるほど……」
「魔獣のランクとしては中位程度。俺たちなら苦戦しない……と思いたいものだ」
これまで冒険者によって何度も攻略されているなら、亡霊王の能力値についても解析が終わっていることだろう。クロムは能力値を把握した上で慎重に考えている。ふたりの力で敵わないと判断すれば躊躇なく撤退することだろう。
「腕試しですからね。無理はしないでおきましょう。でも可能なら倒してしまっていいんですよね」
「……そうだな」
(こいつ……できる……! という顔じゃ)
シアンとて確信があるわけではないが、危険性が低ければ倒してみたい。相手の能力値を把握し対峙することで、自分の能力値がどの程度であるかを確認することができる。とは言え、クロムを危険に晒すことはできないため、ふたりの力で討伐できると確信が持てなければ戦うことはないだろう。初めからスマルトを頼りにしたのでは意味がないのだ。シアンだけで討伐しても仕方がない。ふたりの能力値を最大限に活かす戦術を見出すことが目的だ。独りよがりな戦闘は仲間を危険に晒すこともあるということを、賢者は嫌というほど知っていた。




