第33話 カミングアウトの朝
すべてを打ち明けた次の朝は、いままでにないほどの清々しさだった。まだ兄姉への告知は残っているが、それは父母にかかっている。そうだとしても父母に受け入れられたことは、賢者にとってもシアンにとっても重要なこと。それだけで心が軽かった。
シアンがダイニングに行くと、テーブルにはブルーの姿しかなかった。退屈そうに頬杖をついている。
「ブルー、おはよう」
「シアン! おはよう!」
ブルーの表情がパッと明るくなる。シアンより先に着席していたため、ずっとこうしてひとり待っていたのだろう。
「他のみんなは?」
「さあ。何かお話があるみたいよ」
その言葉に、シアンの心臓がドッと跳ねた。自分が転生者であることを、父母が兄姉に話しているのだ。そう考えた途端、シアンは落ち着きを失くしてしまう。その結果如何で、サルビア家におけるシアンの立ち位置が変わるのだ。受け入れられるかどうか、と考えると心の中で汗が一気に吹き出した。
「シアン? どうしたの?」
「ん。いや、なんでもないよ」
不思議そうにするブルーには申し訳ないが、いまはとにかく結果が気になる。父母と同じように兄姉の愛を信じようと思っても、とうの昔に信じなくなった神に祈りたい気分だった。
そのとき、軽やかにドアが開かれるのでシアンは思わず肩が跳ね上がった。
「シアン、ブルー。待たせたな」
父ゼニスを筆頭に、母セレストとアズール、スマルトとネイビーがダイニングに入って来る。みな朗らかに微笑んでおり、いつもと違う様子は見られない。椅子に着きながらシアンに挨拶をする兄姉は、いつも通りに微笑みかけた。
(くっ……読めぬ……! わしもまだまだじゃのう……)
もとより社交界に生きる彼らは、本心を隠すのが上手い。彼らを疑うわけではないが、いますぐゼニスの腕を引っ掴んでダイニングを飛び出したい気分だった。
朝食のあいだ、彼らはいつものように会話を楽しんだ。シアンを避けようという様子はなく、受け入れられたと解釈してもいいのかと考えて、シアンはやはり料理の味がわからなかった。
朝食を終えたあとのゼニスのパワフルハグはやはりパワフルだが、いつも以上にパワフルに思え、シアンを安心させるような力強さに感じられた。
「シアン。今日からカージナルの授業の内容が変わるはずだ」
ゼニスのその言葉に、シアンはようやく確信する。これを兄姉の前で言うということは、シアンの本来の能力値を開示し、彼らはシアンの真実を受け入れたのだ。
「えっ、もしかして難しくなるの!?」
声を上げたのはブルーだった。シアンとともに王立魔道学院に通うことを目指すブルーは、賢者のことを知らないため先に進まれると困るのだ。
「シアン! あたしを置いてけぼりにしないで!」
「大丈夫だよ。勉強は難しくなるけど、同じ王立魔道学院に通うことに変わりはないんだから」
「成績が違ったらクラスが別になるじゃない!」
王立魔道学院では、成績順でクラスが分けられる。シアンの能力値なら最高位のクラスに配属されるだろう。ブルーの成績ではシアンと同じクラスに入るのは少々厳しい。
「それは最初からそうでしょ」ネイビーが言う。「難しくしなかったとしても、ブルーの成績ではシアンと同じクラスにはなれないわ。そこは諦めておかないと」
ブルーは言い返せずに拳を握り締める。そして不満げで悔しそうに震わせた拳を、意気込むように天に突き出した。
「シアンに負けないくらいいっぱい勉強するんだから!」
「その意気だ」ゼニスが朗らかに笑う。「ふたりとも励むようにな」
「はい」
ブルーにとっては条件がさらに厳しくなったが、シアンは授業が難しくなることはとても楽しみだった。そうでなくてもカージナルの授業は面白い。ピアノのレッスンがそうであるように、勉強も少し難しいくらいが楽しいのだ。
少なくとも、賢者にとっては。
* * *
勉強部屋に向かう途中、スマルトは特に口を利くことはなかった。だがそれはいつものことで、もともと口数の少ないスマルトがシアンに話を振ることはさほど多くない。いまさら不安になることもないし、わざわざ聞き出すのも無粋だろう。ゼニスが兄姉の前で授業のことを切り出した意図を信じよう、とシアンは思った。
勉強部屋の机に教本を置くが、カージナルが別の教本を用意してくれているはずだ。どんな教本を選んで来るのか、賢者は心底からわくわくしていた。
ノックとほぼ同時にドアが開かれる。ノックの意味とは、とシアンが考えていると、カージナルが満面の笑みで諸手を挙げた。
「シアンちゃ〜ん! ハッピータイムよ〜!」
その声は屋敷中に響き渡ったことだろう。
「何か良いことがあったんですか?」
「ふっ、ふふ……わかってるくせにぃ〜」
シアンの頬に指を突き刺すカージナルの声は、いつにも増して弾んでいる。
「どうしてあんな能力値を隠してたの〜?」
カージナルが少しだけ声を潜めた。シアンの本来の能力値を見た上で、ブルーの耳に届かないよう配慮したのだ。カージナルの橙色の瞳は爛々と輝いて、非常にわくわくしている。
「研磨された能力値がこれからさらにどれだけ伸びるか楽しみでしょうがないわ……!」
まるでミュージカルの主演のようにカージナルは身悶えた。それをスマルトはいつものように冷ややかに、シアンは苦笑いを浮かべて眺める。
「このままの能力値でも最高位のクラスに入れるのは間違いないわ。そこで!」
ビシッ、とカージナルは人差し指を立てた。それから打って変わったように穏やかな表情になる。
「その先を見据えようと思うわ」
「その先……ですか?」
「ええ。シアンちゃんの進路には、いくつかの選択肢があるわ。お父様の補佐は確定として。魔法学研究員、王立総合研究所員、国王直属魔法隊、王立魔道学院講師などなど……」
どれも最高位の職である。カージナルが提示して来たのは、シアンの能力値ならどの道を選んでもある程度の功績を残せるということだ。まだ詳細を知らない職もあるが、どれもとても魅力的に感じられた。
(全部ちょっとずつ……とかできんかのう……)
賢者には器用貧乏にならない自信があるし、どれも捨てがたい。ただし、国王直属魔法隊については、王宮に仕えなくてはならないと考えると、父の補佐との両立は難しいように思えた。
「シアンちゃんだったらなんにでもなれるわ。それだけの能力値を誇っているのだから。悔いのないようにね」
「はい」
「ああっ……!」
カージナルが突如として机に手をつくので、シアンは思わず肩を跳ねさせた。
「成長が楽しみすぎて動悸がするわ……!」
「えっと……お大事に……?」
首を傾げるシアンに、顔を上げたカージナルは穏やかに微笑む。
「あなたの家庭教師になれて光栄よ」
「はい。よろしくお願いします」
まるでかつてどこかの世界で楽しんだジェットコースターのようなカージナルの情緒には振り回されるばかりだが、彼の教鞭は確かだ。机の上に広げた教本も子ども向け中級のものではなくなっている。
「今日から厳しくガンガンいくわよ〜」
授業はいままでシアンが習っていた内容よりはるかに難しく、賢者にとってはとても楽しいものだった。
* * *
次回の授業を楽しみにしながらカージナルが去って行くと、そろそろ昼食の時間であるためシアンは机から立ち上がった。
「お前」スマルトが言う。「あの問題、ぜんぶ理解できたのか?」
「はい、大体は……」
ドアを開けるスマルトに促されて部屋を出つつ、シアンは頷く。へえ、と呟くスマルトは眉をひそめた。
「頭の中を覗いてみたいもんだな」
「確かに難しい問題でしたね」
スマルトが理解できないような問題ではなかったように思うが、難解な箇所が連続したため難しく感じられたのだろう。何より、カージナルの授業はスピーディだ。
「それにしては楽しそうだな」
「魔法学を習うのは初めてなので楽しいです」
「そうなのか」
「はい。魔法を科学として捉えることができるのは知りませんでした。面白い学問です」
「母様が聞いたら喜ぶだろうな。母様は魔法学オタクとも言える」
「僕も似たようなものかもしれません」
似たような“もの”どころか“同じ”である。賢者の頃は「魔法オタク」とまで言われたのだから。家に魔法書が堆く積まれていたとこをろ見た弟子が言ったのだ。魔法学という初対面の学問は、まさに賢者のためにあるように感じられた。
ダイニングに行くと、ちょうど斜交いのドアを開けたネイビーが一目散にシアンを抱き上げた。それから力強く抱き締める。
「はあ……癒し……」
「お疲れですか?」
「アズール兄様とスマルト兄様が私にも仕事を寄越して来たのよ!」
ネイビーが不満げな文句は、見計らったかのようにダイニングに入って来たアズールの耳にも入ったようだ。シアンを奪い取ろうと手を伸ばしたアズールに、ネイビーは背中を向けることでシアンを死守する。
椅子に腰を下ろしつつ、スマルトが呆れて目を細めた。
「仕方ないだろう。この仕事をシアンに任せるわけにはいかないんだ」
そのとき、兄姉が同じようにハッとしてシアンに視線を向ける。
(いまのシアンならできる……! という顔じゃ)
それでもシアンに任せるわけにはいかないようで、それを口にする者はいなかった。シアンはやってみたい気もしたが、仕事に関しては兄姉に任せたほうがいいだろうと、余計な口を挟むのは控えておいた。
兄姉の変わらない様子が、シアンにはありがたかった。シアンの中身の半分以上が赤の他人になったと知ったいまでも、こうしてシアンを抱き締め、あまつさえ奪い取ろうとする。シアンをシアンとして変わらず愛してくれているのだ。
(……いつかシアンも反抗期が来るのかのう……。そのときわしはどうなるんじゃ?)
シアンがそう考え始めたところで、セレストとブルーがダイニングに入って来るのでアズールとネイビー、シアンも椅子に腰を下ろした。セレストとブルーが着席すると、和やかな昼食会が始まる。
「シアン」セレストが言った。「クロム殿下から魔獣討伐の共同依頼が来ているわ」
シアンは首を傾げた。先日、シアンが教鞭を振るったクロム王太子が、魔獣討伐にシアンの同行を望んでいるのだ。
「どこへ行くのですか?」
「辺境の『海底の迷宮』よ。腕試しに行きたいそうなの」
「海底の迷宮……」
シアンもこれまでいくつかの迷宮の知識を頭に入れたが、その迷宮はいまは心当たりがない。それを見抜いた様子で、セレストがまた口を開いた。
「海底の迷宮は大昔、海底に沈んだ都市が迷宮化した場所よ。亡霊系の魔獣が多いわ。亡霊系は剣術でも魔法でも効果的に倒せる魔獣が多いから、腕試しにはちょうどいいかもしれないわね」
「わかりました。僕も能力値を試したいと思っていたところです」
シアンの状態で全力を出したとき、どのようにして戦闘をこなせるのかが賢者には気になっている。その確認はいずれ必要になることだ。
「あたしも一緒に行きたい!」
「駄目よ。あなたにはまだ少し早いわ。迷宮は危険な場所なのよ」
(なんでもシアンの真似をしたい年頃なんじゃな)
微笑ましくブルーを眺めていたシアンは、クロムに「年寄りくらい目をしている」と言われたことを思い出した。こういうときのことを言っていたのだろう。ブルー以外の鋭い人々が気付いていないはずがなかった。
「ただ、私と姉様はついて行けないわ。いいわね、スマルト?」
問いかけるセレストにスマルトが頷くと、ネイビーが不満げな表情になる。
「またスマルト兄様!? 私もシアンが魔法で戦っているところを見たいわ!」
「仕方ないでしょう? スマルトの仕事があなたに流れたんだから」
「えっ、嘘!?」
「あら、知らなかったの?」
ネイビーが戦慄きながらスマルトを鋭く睨みつける。
「嵌めたわね……?」
「先に説明しただろ。お前の仕事の合同になるって」
「ぜんぶ回って来るとは聞いてないわ! まさか、シアンに付き添うために仕組んだってわけ……?」
「事業の仕事を俺が操れるわけないだろ」
言い返せないネイビーが悔しそうに黙り込むと、スマルトは肩をすくめて恨めしげな視線を受け流した。セレストはそんなふたりを意に介さない。
「予定では次の月曜の午後になっているわ。その前に迷宮の情報と、必要な魔法とスキルの確認をするといいわ」
「わかりました」
その辺りはスマルトに聞けばいい、とシアンは頷く。きっと言わなくても教えてくれるだろう。
賢者には、彼らのシアンに対する態度は変わっていないように見える。実際、変わっていないのだろう。受け入れられ愛されること。それは賢者にとって“特別”なことだと思っていたが、サルビア家ではそれは“普通”のことのようだ。それが当たり前のことで、しかし、賢者にとってはやはり特別なことである。
「あたしはいつになったら迷宮に行ってもいいの?」
「もっと能力値が上がったらね。討伐依頼を受けるには、基準値を満たす必要があるのよ。あなたの能力値ではまだ足りないわ。もっと鍛錬が必要よ」
「うう……いつか絶対、シアンと一緒に迷宮に行くわ!」
「うん」シアンは頷く。「頑張ろうね」
ブルーの基準はいつでもシアンのようだ。シアンが能力値を伸ばせば伸ばすほど、ブルーに影響を及ぼすのだろう。必ずシアンに追いつこうとするはずだ。
(遠慮する必要はなさそうじゃの)
思えば、弟子のようなものである。ブルーの能力値を伸ばすことを目的としていれば、やり甲斐に満ち溢れているように感じられた。
この愛すべき家族のもとで伸び伸びと成長できること。やはり賢者にとってそれは特別なことだ。自分の能力値を最大限に活かすことができる。それがシアンの生き甲斐になりそうだ。そう思うと、やはり賢者にとって特別な余生のようだった。




