第32話 あの日の誰か
夕食中、シアンは専ら、父ゼニスになんと言って打ち明けようか頭の中で何度も考え続けていた。初めの言葉はオペラモーヴ卿と同じ話し方で構わないだろう。問題は、中身が九十八のじじいであることをどう打ち明けるか、である。七歳の愛する息子が一気に九十一歳も歳を取ってしまったなんて、もし賢者の子どもがそう打ち明けて来たら多少なりとも衝撃を受ける。子どもがいたことがないため、その想像があてになるかどうかはわからないが。賢者の年齢については隠しておいてもいいかもしれない。
(それにしても……緊張するのう……)
そのせいで、せっかくの料理の味がよくわからない。第三者であるオペラモーヴ卿に言えたのだから、きっと父にも言える。そう考えたところで、第三者だからこそ打ち明けられたとも考えられた。
「シアン?」
アズールの呼びかける声でハッと顔を上げると、家族の視線がシアンに集まっている。物思いに耽りすぎたようだ。
「どうかしたのかい?」
「いえ、大丈夫です」
慌てふためいて咄嗟にそう答えたが、それは妙な返答だった。気になることがあると言っているも同然だ。それはもちろん、父母と兄姉には見抜かれている。いくら賢者であっても、動転するときは動転する。何より、未経験のことである。オーバー九十八になっても新しい経験ができることは、実に喜ばしいことである。
「具合でも悪いの?」
心配そうにセレストが問いかける。それが余計にシアンを焦らせた。
「いえ……はは、大丈夫ですよ」
大丈夫ではなさそう、と六人の顔に書かれている。賢者は様々な能力を身につけて来たが、誤魔化すことと嘘をつくことが最も苦手だった。
夕食が終わると、シアンはそそくさとダイニングをあとにした。
今夜、決行する。そう、父母が寝室で落ち着いた頃合いを見計らって。そのためには作戦会議が必要だ。
私室に飛び込んだところで、マゼンタも置き去りにしていることにようやく気が付いた。何かに気を取られると周りが見えなくなるのは賢者の悪い癖である。
シアンの足元にウィローが鼻を擦り寄せた。シアンは足早に私室に戻って来たつもりだが、のんびりしたウィローでもついて来ることができた辺り、そもそもシアンの足は遅いようだ。
心を落ち着かせるのに、ウィローの良質な毛並みはちょうどいい。
「まずはわしの知恵を活用するべきじゃな」
独り言が多いのは年寄りの証拠である。
「シアンが彼らを信用しとるのは間違いないしのう……」
そのとき、呼びかけるように心臓が脈を打った。
(オペラモーヴ卿に言ったみたいに素直に話せばいいよ)
「ふむ……素直さは必要不可欠じゃな」
そもそも賢者は、誰かに秘密を打ち明けたことがない。誰も賢者の隠し事に興味を懐かなかった。これだけの関心を持たれると困ってしまう。
コンコンコン、と静かなノックが聞こえた。どうぞ、とシアンが応えると、マゼンタが案ずるような表情で私室に入って来る。
「シアン様。昼間、オペラモーヴ卿が何か仰っていましたか?」
マゼンタはシアンが中庭でオペラモーヴ卿と話しているところを見ている。オペラモーヴ卿はシアンと会ったことを父ゼニスに話しただろう。そうであれば、シアンが落ち着かない原因はオペラモーヴ卿だと思うのは当然である。
「ううん、何も。少し考え事をしてるだけ」
「そうですか?」
どうやらオペラモーヴ卿にあらぬ疑いをかけてしまったようだ。それを晴らすためには短期決戦が必要だ。
「ねえ、マゼンタ。自分が秘密にしてたことを誰かに話すとき、どうやって打ち明ける?」
シアンがそう問いかけると、マゼンタは不思議そうな表情をしたあと、優しく微笑んだ。
「私は、そのとき思いついた言葉で、とにかく全部を話します。正直に、秘密にしていたことを全部お話しするつもりで。隠し事を話すならさらに隠してもしょうがないですから。あらかじめ話す内容を用意していても、結局は緊張でほとんど頭から抜けてしまうので、自分の気持ちを素直に伝えますよ」
まるでその答えを待っていたかのように、シアンの心にすっぽりと嵌まるような言葉だった。
「そっか……。うん、ありがとう」
「はい」
マゼンタの微笑みには、安堵の色が湛えられている。シアンの悩みを解く一助となったことに安心したようだ。シアンとしても、マゼンタに訊いたことは正解だった。勇気のような心強さをもらえた気がした。
* * *
湯浴みのあと、シアンは父母の寝室に向かった。しかし、ノックしようと手を掲げたまま動きを停止して数秒。なかなか決心がつかない。
もし、受け入れてもらえなかったら……。
そんな考えが脳裏に過ぎる。いくら考えたところで無駄だということはわかっているが、土壇場になって尻込みしてしまった。
痺れを切らせたように、ウィローが寝室のドアに体当たりした。どすん、と重い音が響く。シアンが止める間もなくまた体をぶつけた。シアンが慌ててウィローをドアから引き剥がした頃にはもう手遅れで、セレストが様子を見るためにドアの隙間から顔を覗かせた。
「シアン。どうしたの?」
「あ……えっと……」
尚も躊躇うシアンを、ウィローが後ろからぐいぐいと押す。さっさと当たって砕けて来い、ということである。
セレストに促されて寝室に入ると、ゼニスもソファで待っていた。
「シアン、どうした? 眠れないのか?」
「えっと……」
美男と美女が自分を見つめている。それはいつものことなのだが、溢れ出る美の重圧が全身に襲いかかって来た。
(くっ……わしの経験値が“美”に劣ると言うのか……!)
賢者がくだらないことを考えていると、ゼニスが隣に座るよう手招きする。足取りが重い。いますぐ逃げてしまおうかと考えても、ウィローがそれを阻止していた。いつも寝てばかりのくせに、こういうときだけそんな衛兵のような顔をするなんて。賢者は少しだけ恨めしく思った。
ソファに腰を下ろすと、いよいよ逃げ場はなくなった。もう腹を括るしかないようだ。
「あの……荒唐無稽な話かもしれませんが……僕が、別世界から転生して来たと言ったら、信じていただけますか……?」
口の中でもごもごと言うシアンの言葉に、ゼニスとセレストは顔を見合わせた。それから、ゼニスが静かにシアンの肩に手を添える。
「それを自覚したのはいつのことだ?」
覗き込むゼニスの表情は、真剣ながらも優しい色が湛えられている。シアンを咎めようという気は一切ないように見えた。
「えっと……二日間の眠りから目が覚めたときです」
「ふむ……。確かに、お前はあの日を境に随分と明るくなったと思っていたが……。無理をしていたわけではないのだな」
ゼニスが安堵したように微笑む。セレストの表情も穏やかだ。
(ほら、大丈夫だったでしょ?)
賢者が考えていたことは、すべて杞憂だったようだ。
「何か、それを示すものはある?」
セレストが優しく問いかける。そのオペラモーヴ卿と同じ質問は予測していたため、鑑定除けのペンダントは外して来ていた。
「能力値を見ていただいたら早いと思います」
右手をゼニス、左手をセレストに差し出す。ふたりはそっと手に触れると、意識を集中するように目を閉じた。
「……な、なんだ……この化け物のような数値は……」
「信じられない……こんな……」
(恐ろしい子……! といった表情じゃ)
現在のシアンの能力値は、父母の想像をはるかに超えるものだったようだ。微かに手が震えている。
「一度の転生ではここまで能力値は上がらない」ゼニスが言う。「転生は何度目なんだ?」
「覚えていません。それくらい、たくさんです」
最初の数回は数えていた。幸福を追い求めて繰り返すうちに、数えるのが嫌になった。だから、覚えていない。
「それじゃあ」と、セレスト。「ひとつ前の方はどんな方?」
「賢者の称号を冠していました」
こうして言うと自慢しているような言い方になってしまうが、それは紛れもない事実なのだから他に言いようはない。
ふむ、とゼニスは顎に手を当てる。
「そうであれば納得の数値だ。何度も転生できるほどの魔力を常に有していたということか……」
「計測のときは能力値を偽装していたのね?」
セレストは、それについては少し怒っているようだった。偽装自体より、この事実を隠していたことに憤っているのだ。
「仰る通りです。ごめんなさい……」
「なるほどな」と、ゼニス。「これを私たちに隠していたせいで熱を出したのか?」
「はい……。僕の中の半分以上は、シアン・サルビアとはまったく無関係の赤の他人になりました。それにより家族がシアンに失望するのが怖くて……なかなか言い出せませんでした」
徐々に言葉から力が失われ、シアンは肩を落とす。ごめんなさい、と消え入りそうな声で伝えると、ゼニスが優しく肩に手を添えた。その手は力強い。
「確かに賢者殿のことはひとつも知らないが、シアンがシアンであることに変わりはない。そんなことで失望したりしない。見損なわないでくれ」
「私たちも気付けなくてごめんなさい。あなたがそんなに悩んでいたなんて気付かなかったわ。母親失格ね」
シアンはそれだけで胸がいっぱいだった。どうして彼らを疑っていたのだろう。こんなに愛してくれているのに。涙が溢れそうになって俯くと、ゼニスはシアンの肩を引き寄せた。
「転生とは、魂の再構築。シアンの中には、産まれたときから賢者殿や、その前の人々がいたはずだ。それなら私たちは、初めからその人々を含めたシアンを愛していたということだ」
――あの日の誰かが泣いている。
「シアン、話してくれてありがとう。話してくれなければ、シアンの能力を充分に活かすことができなかった。賢者殿や、その前の人々の努力を水の泡にしなくて済む。頑張って生きて来た証を、無駄にせずに済む」
ぽたぽたと手の甲に落ちる雫を、セレストがハンカチで優しく拭う。
「いままで生きて来たすべてのあなたを愛してるわ。私たちのもとへ生まれて来てくれてありがとう」
――あの日の誰かが泣いている。それは、すべての自分。
いつかの俺も、あのときの私も、僕のあの瞬間も、あたしの時間も。すべて、無駄などではなかった。
この愛すべき人たちのもとへ生まれて来るための日々だったとしたら、きっとどの人生にも意味があったのだ。
「そうと決まれば」ゼニスが力強く言う。「カージナルの授業も内容を変えさせなければならないな。この能力を活かさなければ」
頷いたセレストが、善は急げとばかりに「報せ鳥」を窓から放つ。伝言をするために魔力を練った魔法だ。オペラモーヴ邸に向かったと思われる。
「あの、それで……兄様たちに、どうお話するか……なのですが……」
次の課題はそれに尽きる。父母は受け入れてくれるかもしれないと思っていたが、兄たちがどう思うかがまったく想像できない。
「そうだな。ブルーには話す必要はないだろうな」
「そうなのですか?」
「ブルーは転生自体を知らない。もう少し大きくなってから話しても問題ないだろう」
(みんな知ってたの!? なんであたしに話してくれなかったの!? って、言いそうじゃの……)
「アズールたちには私から話しておく。だが、彼らなら私たちと同じことを言うはずだ」
「ただ」と、セレスト。「私たちとオペラモーヴ家以外には話さないほうがいいわ。転生者は何かと利用しようとする者が多いもの」
「はい」
「シアンの成長がより楽しみになったな。その能力を遠慮なく、遺憾なく存分に発揮してくれ」
「はい。ありがとうございます」
シアンは一瞬だけ逡巡したあと、また口を開いた。
「今回で最後にするつもりだったので、この家に生まれたことが、いままでの人生の中で最も幸運なことです」
ゼニスとセレストは揃って優しく微笑む。
「ふふ。それなら、悔いのない人生にしないとね」
「そのために、私たちも尽力しよう」
「はい。ありがとうございます」
これまでのすべての魂が、幸せになることを許されたような気がした。
あとは期待に応えるだけ。彼らの愛に、応えるだけだ。




