第20話 誰にしようかな?
爽やかな火曜日の朝。賢者が目を覚ますと、ベッドの上でシアンがグリーンウォンバットのウィローと遊んでいた。人に捨てられたウィローは、シアンに抱き締められて穏やかな表情をしている。
「おお。おはよう、シアン」
「おはよう……。僕、動物を飼ってみたかったんだ」
「そうか、そうか。わしも動物に懐かれてみたかったんじゃ」
「動物に懐かれたことないの?」
「一度もないよ」
「そう……」
賢者が手を伸ばしても、ウィローが嫌がる様子はない。シアンだけでなく、賢者のことも認めてくれているようだ。頭を撫でてやると、どこか嬉しそうな表情に見える。人懐っこいから触っても大丈夫、という友人の言葉に何度、騙されたことか。
「僕、おじいさんが来てくれて嬉しいんだ。みんなに心配をかけなくてよくなるから」
「うむ、うむ。そうじゃな。シアンにできないことはもうないじゃろうの」
「みんなもおじいさんのこと、受け入れてくれるかな……」
「どうじゃろのう」
七歳のシアンと九十八歳の賢者では、乖離しているにも程がある。シアンがシアンであることに間違いはないが、心の半分があまりに他人すぎる。シアンを心から愛する彼らがどう思うか、いまはまだ想像が及ばなかった。
「お前さんは、打ち明けるなら誰がいいと思うかの?」
「うーん……わからない。僕はみんなのこと、あんまりよく知らないかも」
「そんなことはないさ。みんなが優しく愛すべき人々であることは、お前さんが一番よく知っておるはずじゃ」
「うん……。僕、みんなが大好き。みんなも……僕のこと、好きかな……」
シアンの表情が微かに曇る。自分に自信がないため、自分に家族から愛される価値があるかどうか不安になっているのだ。
「もちろんじゃ。お前さんを心から愛しておるよ」
「うん……」
寝室のドアがノックされるのでシアンは顔を上げた。いつも通りに顔を覗かせたマゼンタは、どこか不思議そうな表情をしている。
「おはようございます、シアン様。いまどなたかとお話しされてましたか?」
「ううん、独り言だよ」
「そうですか……」
子どもの独り言は往々にしてあり得る。特にウィローを抱き締めているし、ひとりで喋っていてもおかしい状況はないだろう。マゼンタもそう思ったようで、すぐに身支度の準備を始めた。
* * *
厳かなお祈りのあと、穏やかな朝食が始まる。他の六人はナイフとフォークを手にすると目の前の食事に集中するが、時折、シアンの様子をちらちらと見ているのはシアンも承知していた。会話が始まればシアンに視線が集まるが、よそ見をしながら口に料理を運ぶようなことはしない。そういった隙を見計らって、今日はシアンが家族を観察していた。
(わしのことを打ち明けるなら、誰が最適かのう……)
誰でも衝撃を受ける可能性があるし、シアンを嫌うようになる可能性も秘めている。誰でも受け入れてくれる可能性もある。賢者がそう思うだけですべて杞憂という可能性もあるだろう。
(うーむ……読めない家族じゃ……)
「シアン?」
セレストに呼びかけられ、シアンはハッと顔を上げた。その声で他の五人もシアンに集まる。
「ぼうっとして、どうかしたの?」
「いえ、なんでもないです」
そう言ってシアンは微笑んで見せた。賢者は深く考えずにそうしたが、おそらく、シアンはいままでこうして考えていることを黙って来たのだろう。それは彼らの表情を見れば明らかだった。
いままで、誰かに転生のことを打ち明けようと思ったことはなかった。その必要はまったくなかった。これだけの関心を持たれると、調子が狂ってしまう。
食後のゼニスのパワフルハグは相変わらずパワフルだ。シアンの細い体なら簡単にへし折ることができるだろうと考えたら、少しだけゾッとした。
「シアン。何か心配なことがあるんじゃないか?」
シアンの瞳を真っ直ぐに見つめる青い瞳は、案ずる色を湛えている。シアンが何も話さないということが心配なのだろう。いままでいかにシアンが口を噤んでいたかという証明だ。
「そんなことありません。少しひとりで考え事をしているだけです」
「そうか。まだ私たちに話せる段階ではないようだな」
考えがまとまったら話してほしい、ということだろう。彼らはシアンの頭の中を知りたがっている。それを少しでも解明していくことが賢者にできたらいいのだが。
「ただ、ひとりで考え込んでも良い結果が出ない場合があることも覚えておいてくれ」
「はい」
シアンの心に九十八のじじいが住み着いた、という荒唐無稽な作り話にも思えることでなければ正直に話しただろう。
(せめてゼニス父様より年下じゃったらよかったのう……)
ひとつ前の転生だったら享年二十三歳だった。そのときのほうが兄たちと年齢が近い分、まだマシだったかもしれない。よりによって九十八のじじいから七歳の少年に転生するとは。
(運命の悪戯とは面白くも厄介なものじゃの……)
ゼニスを見送ると、いつも通りにスマルトの執務室で仕事に取り掛かる。しかし、シアンは先ほどと同じように考え事をしてしまい、気が散ってなかなかペンが進まなかった。
いくら九十八のじじい賢者でも、未経験のことは二の足を踏んでしまう。何より、これほどまでに愛されたことがない。彼らが愛するのは賢者を抜きにしたシアンだけだったとしても、こうして魂が宿ってしまった以上、シアンのことも彼らの愛も蔑ろにはできない。
「シアン」
スマルトの声で意識を現在に戻すと、ペンがまったく進んでいなかった。
「どうした。具合でも悪いのか?」
「いえ、大丈夫です」
「大丈夫とは思えない顔をしていたが」
「大丈夫です。本当に」
スマルトは納得のいかない様子だったが、いまはまだ話せるほど考えがまとまっていない。自分の中で結論が出ていない。相談するにしても、誰に相談するかを決めなければならない。
このままではサルビア家に迷惑がかかってしまう。それでは本末転倒。むしろ役立たずと成り果ててしまう。しかし、受け入れてもらえなかった場合、シアンの居場所がなくなってしまう。それも本末転倒だ。シアンを心から愛する彼らから、シアンを奪いたくない。
(……シアンの心からわしが出て行けば、あるいは……)
どん、と体に加わった衝撃でシアンは我に返る。ウィローが突進して来たのだ。あまりに物思いに耽りすぎたのかもしれない。
「少し休憩して来たらどうだ?」
「……そうですね。すみません」
仕事に集中できなければ机に向かっていても意味はない。シアンが執務室を出ると、ウィローものそのそとついて来る。ウィローはシアンの感情の機微に敏いようだ。
庭師たちの渾身の作品である中庭は、眺めているだけで心を穏やかにしてくれる。これまで暗いところで暮らしていた賢者には、目を細めたくなるほど眩しすぎる光景だ。
シアンが花壇の前にかがみ込むと、ウィローはぴたりと体をくっつけてそばに座った。
(うーむ……キッパリ決めねばなるまい……)
打ち明けるなら打ち明ける、打ち明けないなら打ち明けない。それを決めないうちは結論が出ることはないだろう。
打ち明けた場合、シアンの能力値を改竄する必要がなくなり、賢者込みの能力を存分に発揮することができる。サルビア家にとっては利点となり得るだろう。
しかし、家族にとっては? シアンを赤ん坊の頃から育てて来た彼らにとっては?
そう考えていると、余計に頭の中がこんがらがるようだ。いくら九十八の賢者でも、人にどう思われるかを計り知ることはできない。何より、いままで人に不快な思いをさせないよう抑制され続けて来た。人の考えて発言するなんてことはその機会すらなかった。だからこそ、迷ってしまうのだ。その告白がどれほどの影響をサルビア家に及ぼすのかが判然としない。それさえわかれば話は簡単だったのだが。
「何をそんなに考え込んでいるの?」
その声に顔を上げると、すぐそばにカージナルの顔があった。驚いて退くシアンに、カージナルは悪戯っぽく笑う。
「こんなに近付いてるのに気付かないなんて、よっぽど難しいことを考えていたのね〜」
(……大穴で……? いやいや、そんなそんな……)
サルビア家の“影”の一族であるカージナルならあるいは、という気もするが、それはそれで別の難しさを感じる。とは言え、家族ほどの溺愛でないと考えれば、最も冷静で客観的な意見をもたらす可能性もある。
「休憩中かしら?」
「はい。カージナルさんは何かご用事ですか?」
「ええ。ちょっとした雑務ね」
カージナルはウィローの頭を優しく撫でる。ふかふかで滑らかな触り心地は、この変わり者の手にも満足感を与えるようだ。
「……あの……カージナルさんは、転生のことをどれくらいご存知ですか?」
とりあえず遠回しな質問をしてみよう、とシアンは試みた。カージナルは、うーん、と顎に手を当てる。
「アタシとは縁遠いものなのは確かだけど……。知りたいの?」
「はい、そうですね……」
曖昧に頷くシアンに不思議そうにしつつ、カージナルはひとつ咳払いをして話し始めた。
「転生というのは、魂の再構築ね。死によって潰えた魂が、新たな身体を得て再構築されるの。繰り返すほどに魂は研磨され、能力値が引き継がれ蓄積されることで大幅に向上するわ」
それはまさしく、現在のシアンである。能力値を自分で鑑定したときは、七歳の子どもには不釣り合いな能力値であった。
「けれど、転生には膨大な魔力を消費するわ。魂がその圧力に押し潰されれば魂は消滅する。魂の輪廻は一種の賭けね。転生先も自分の思い通りになるとは限らないし。膨大な魔力を懸けたとしても、絶対に転生できると決まっているわけでもないしね〜」
(さすが知識人……完璧な説明じゃ)
カージナルの説明は、賢者の知識や状況と完全に合致している。転生は一般的とまでは言わないが珍しいものではない。世界中を探せば転生者は何人もいるはずだ。
「転生に興味があるの? いますぐでさえなければ、そのつもりで勉強を教えるわよ〜」
「いえ、そういうわけでは……」
カージナルのようにすらすらと話せる人であったなら、きっとこれほどまでに頭を悩ませることはなかっただろう。なんと言えばいいのか、賢者の悩みはそれに尽きる。
(そもそもわし……コミュ障じゃし……!)
膨大の知識を持っているからと言って、カージナルのように澱みなく説明できるとは限らない。弟子にも求められた知恵を授けるだけで、自分から披露したことはなかった。のびのびと自由に育てる。それが賢者の方針だった。
「自分の考えを言うかどうか迷っているときは、無理に話さなくていいのよ」
カージナルが明るく言うので、シアンは顔を上げる。また俯いてしまっていたようだ。
「アタシたちは話してくれるのを待ってるけど、だからと言ってプレッシャーをかけるつもりはないわ」
「…………」
「話さないほうがいいかもしれないと思うなら話さなくてもいいの。話さなくちゃならないなんてことはないわ。それはシアンちゃんの自由よ」
「……そうですね」
必ずしも打ち明けなければならないわけではない。打ち明けることが賢者の独りよがりな自己満足となる可能性もある。シアンにとっては自分勝手なことかもしれない。何かが正解でも何かが間違いの場合もある。それを延々と考え続けても仕方ないのだろう。
「シアン」
スマルトが廊下から呼びかけた。なかなか戻って来ないから様子を見に来たのだろう。
「ありがとうございます、カージナルさん。もう少し考えてみます」
「ええ。肩の力を抜いて、ね」
「はい」
シアンがスマルトのもとへ戻って行くと、カージナルは上機嫌に去って行く。シアンとスマルトとウィローは再び執務室に向かった。
「カージナルと何を話していたんだ?」
「うーん、ためになる話です」
「あいつがか?」
スマルトが、信じられない、というように眉をひそめるので、シアンは思わず苦笑した。シアンが受けている授業もためになる内容ではないと思っているのだろうか。
(うーむ、まだ悩み続けてもいいようじゃな)
いますぐ打ち明けなければならないということはない。もし愛する彼らが許してくれるのなら、賢者もこの先、何十年とここで暮らすことになる。騙し続けることになるのは心苦しいが、それだけの理由でシアンの将来を決めるわけにはいかない。シアンの未来のためにも、まだ慎重になる必要があるだろう。そればかりを考えて仕事に支障を来すより、家族のことをもっと知ってから結論を見出しても遅くはないはずだ。すべては、シアンのために。




