21 残されたもの(5)
そんな危機的状況であるのにされた的確なツッコミはさておき、顕現した〝玉藻前〟は口元に優美な笑みを浮かべる。
その笑みを目の当たりにして一瞬見惚れてしまった騎士たちだが、あまりにも美し過ぎるその相貌と怪しく揺れる双眸に、それを超えて戦慄した。
いつも祖父の勇檣から貰ったレトルトカレーを貪っている狐のタマちゃんは、なんとなーく野生動物ではないだろうなぁとは思っていた龍惺ではあったが、まさかそれが傾国の美姫であるとは予想すらしていなかった。
そして興里那はというと、そんなのはどうでも良いとばかりに刀を振って血糊を飛ばし、油断なく眼前の敵を睨み付けている。
そうして怖気付く騎士たちを〝玉藻前〟はゆるりと一瞥し、何故か持っている鉄扇を広げて水平に持ち、僅かな揺れすら与えずに、そして同じく水平に動かした。
それにより何かの力場が発生し、それを感じ取った騎士の後方に控えている兵が途端に色めき立ち、次いで気色ばむ。
そしてその怒気のまま、一斉に魔術が放たれた。
眼前に迫る様々な属性の魔力の塊を前に、二刀を持つ興里那は反応出来ない。
その手数の多さと数多の属性に、龍惺は防御結界の選択に迷ってしまい判断が遅れた。
それは怒涛のように三人とSUV、そして〝玉藻前〟へと迫り、
――鎮まれ――
だが水平に振られた鉄扇を、その言魂と共に手首の返しだけで振り下ろされた刹那――それらは全て残らず、魔力の残滓を風花のように散らして霧散した。
それはまるで夢幻のように幻想的な光景で白昼夢のように非現実的でもあり、だがそれらを放った術者からすれば――必殺の一撃として放ったそれらが霧散した現実は、悪夢以外のなにものでもないだろう。
「怯むな! 魔術隊、続けて放て! 弓兵! 休む暇を与えるな!!」
その光景から逸早く我に返った、例の煌びやかな鎧の騎士が怒号を飛ばし、それによって同じく我に返った魔術師が再び詠唱に入る。更にそれに先んじて弓兵が矢を放ち、そしてそればかりではなく、周りの騎士たちからも短槍や剣を投げ込まれ始めた。
それらは全て〝玉藻前〟の力場によって弾かれ、しかしその物量の前に削がれ、その存在自体が薄くなって行く。
「拙いよ興里那さん。このままじゃあ幾らタマちゃんが凄くても長く保たない! 発射は急げないのかい!?」
「え。本当に? その子って『タマちゃん』っていうの?」
「気になるのソコ!?」
肝が据わっているのか鈍感なのか、はたまたただの天然か、こんな時にそんなボケをする興里那。
そんなだからヤッさんに気に入られるんだよ。あのオッサンそういう系が大好きだから。芙蓉姉さんとか。
そして突っ込んでいる龍惺も、こんな時なのにそんなことを考えていた。
客観的に見れば、何方も何方である。
「おいコラ! えーと、なんだっけ? まぁ良いやこの車! 早く飛ぶ準備しなさい!」
[当機の名称は『X-01〝ナグルファル〟』です奥様。現在、発射シークエンスに入っておりジェットエンジンのアイドリング中です。暫くお待ち下さい]
「いや何言ってるか判らないわよ! いいから早くしろって言ってるの! 見てみなさいよ、なんかタマちゃん薄くなって来てる!」
これ以上ないくらい判り易く言っていると思われるのだが、どうやらそういう系に興味がないばかりか覚える気が全くない興里那にとって、それはちょっと難しかった。
「謹請再拝 謹請再拝――」
そんな二人を尻目に、菖蒲は神楽鈴を鳴らして更に奏上する。
「天津御祖 神産霊神 天津御璽の瑞の宝を振由良加して――」
『急かしたって機械にも準備ってのがあるんだよ。それをすっ飛ばしたら壊れるに決まってるよ』
もしかしたら、これは余計なことかも知れない。必要のないものなのかも知れない――鈴の音に合わせて舞い奏上し、菖蒲は思う。
「物部の饒速日の命に授け給いて教え給わく――」
『はぁ? 知らないわよそんなの、なに言ってるの龍惺くん。機械なんだからすぐになんでも出来るんじゃないの?』
だが、余計なことでも必要のないものであったとしても構わない。
「汝此の神宝を以て中津国に天降り――」
『いや興里那さんこそなに言ってるんだよ。機械だって無茶したらすぐに傷んじゃうでしょ。レーシングカーだっていきなり走らせないで、まずアイドリングするでしょ。A級持ってるんだからそのへん判るよね』
そうだとしたら、気にし過ぎだと一笑に付せばいい。
そう思いながら、眼を閉じて神楽鈴を鳴らして奏上し続ける。その集中は極度に高まっており、いわゆる変性意識状態になっていた。
「蒼生及萬物の若し痛み苦しむ處在むには――」
『それは判ってるわよバカにしてんのぶった斬るわよ! 私が言いたいのは、一刻も早く脱出したいってことなの! 見なさいよこの状況を! このままだと私たちもアヤメちゃんも……って、なにしてんの?』
『うわぶった斬るとか言ってるよこの人! 俺だってそれくらい判ってるよ。でもだからって焦って状況を悪くしたら出来ることも出来なくなるでしょ。それにタマちゃんがもし力尽きても俺が結界張るから……て、え、菖蒲?』
降り注ぐ魔術と矢に激しい危機感を覚え、それ故か打開策で半ば口論になっている二人は、やっと菖蒲の状態に気付いた。
「此の十種神宝――」
「ねえ龍惺くん。アヤメちゃんはなにしてるの? なんか奏上してるけど」
「……『十種神宝加持秘文』だ。昔、京瑚が言ってた。南岳院家は代々、神霊や霊獣を慰める為に在った家系だ――て。でもそれは、菖蒲の両親で途絶えてしまった」
「………………えーと、ごめん龍惺くん。ちょっとなに言ってるか判らない」
あの日、菖蒲が鳳凰寺家に貰われて来た日。菖蒲は覚えていないだろうが、龍惺は今でも覚えている。自分の――龍惺の隣に寝かされた、綺麗な瞳の赤ん坊を。
当時はその状況が判らず、傍で話されていた言葉の意味すら判らなかった。
だが成長するにつれて、あの時の両親と祖父母の会話の意味を理解した。
「所謂――」
両の腕を広げ、そして緩やかに両手を合わせ、目の前の空間を神楽鈴で二回打つ。
「沖津鏡 辺津鏡――」
それで打たれた空間に、それぞれ銅鏡が滲み出るように現れる。
「八握剱――」
現れた二つの銅鏡の間の空間が打たれ、其処に一振りの直剣が同じ様に現れた。
「生玉 足玉 死返玉 道返玉――」
其処から更に左右二回ずつ神楽鈴を振るうと、銅鏡の横に二つずつ勾玉が現れる。
「蛇比禮 蜂比禮――」
最後に自らの両肩を打つ。すると其処に長い薄布が現れ、菖蒲の首回りへと緩やかに巻き付いた。
「種々物比禮を合せ揃えて――」
菖蒲の集中は更に高まり、それに伴って現れた神具は各々輝きを放つ。
[準備完了しました奥様。直ちに乗車しシートベルトを締めて下さい。間もなくカウントを開始します]
だがそんなのは関係ないと言わんばかりに、SUVが言い放った。
「一二三四五六七八九十と稱えて――」
「は? ちょっと待てよこんな時になに考えてんだよ!? どう見ても奏上途中の菖蒲は動かせないだろうが!」
[それは関知しません。私は奥様の命令に従ったまでです。それに貴方の要求に応える義理も道理もありません。デルタ翼展開。ロケットブースター急速加熱完了。カウント開始します――5]
「うわー、応用効かない。本っ当に持ち主そっくり――てなんでいきなり五秒前なのよ何考えてるのよバカじゃないの!?」
SUVのサイドシルから、姿勢制御用の三角形のデルタ翼が展開され、そしてリアバンパーから突き出た二基のオーグメンターの間から、今度はロケットブースターが突き出て来る。
そんなペースを崩さないSUVに悪態を吐き、興里那は慌てて納刀してから、同じく慌てて運転席に乗り込んだ。
[4]
「瓊の音高らかに――」
「菖蒲! それは中断して早く乗るんだ!」
次いで龍惺も〝小烏丸〟を納刀してリアドアを開けて乗り込み、半身を出して菖蒲へと手を伸ばす。
「布留部 由良由良止 布留部――」
集中して奏上してはいるが、それには菖蒲も気付いている。だが、カウントが終わるのと奏上が完成するのとでは、奏上の方が早い。
「顕現致しませ――」
[3]
「菖蒲! 早く!」
あと一言。それで全て終わる。ロケットブースターが点火する音を聞きながら、だが奏上しながらも菖蒲は龍惺へと手を伸ばす。
「〝白面金毛九尾狐〟」
[2]
奏上が完成し、それと共に〝玉藻前〟の存在が消えて行く。そうなれば当然、展開された力場は消え去ってしまう。
よって必然的に絶え間なく放たれている魔術や矢、それにその他のものから無防備になるのだが、それを見越して〝玉藻前〟は最後にその力場を弾けさせ、それら全てを叩き落とす。
――だからそれは、全くの偶然といえる事象であった。
今まさに投げようとしていた一人の騎士が、放たれたそれらを叩き落とされ動揺し、だがそれでも止まらず投げた一振りの剣が回転しながら山なりに見当外れの方向に飛んで行く。
しかしその先には、菖蒲の手を引き抱き寄せようとしている龍惺がいた。
視界の隅にそれが映り、菖蒲は何も考えずに、龍惺を突き飛ばす。
[1]
それにより龍惺は車内に入り、だが菖蒲は乗り込む機会を逸してしまった。
「菖め――」
[0]
乾いた音を立てて、車体が剣を弾いた。それを見て瞬時に状況を理解した龍惺は素早く身を起こし、リアドアから半身を出して菖蒲を呼ぶ。
その龍惺の目に、困った表情のまま微笑む菖蒲が映る。
ごめんね。
その表情のまま、口がそう動く。
そして続けて――
ありがとう。大好き。
歯噛みしてそのまま出ようとする龍惺を、興里那が問答無用に引き寄せる。
次の瞬間――
[発射]
ロケットブースターが青白い炎を吐き出し、SUVは一気に外へと飛び立った。




