第四話。格闘バカ、武人と殴り舞う。
「気配はあるが、だが姿が見えないな」
さっきの奴等は、自分のことを四天王の番兵と言っていたが、
その四天王の姿が、一人たりとも見えない。
「ちょ、ちょっとまて! 早すぎておいつけねえ!」
遠くの後ろからエビレイの声がしている。
しかしそう言われても、たしかに恥ずかしさから逃げようとして、
多少走る速度が早かったかもしれないが、今はそれに比べれば速度を落としている。
おいつけないとは思わないんだが。
「アナリスの補助使っててこれって、どうなってんだあいつの足は!」
声の距離感はたしかに変化がない。
それが、アナリスの補助魔法とやらを使っていての状況らしい。
「もっと速度緩めてよパリー! ただでさえあんたのステータス、
力と素早さに偏ってる上に
こっちとのレベル差いくつあると思ってんの!」
グラッチャの必死な感じの声。
レベル差……そうだ。彼等とわたしのレベル、
すなわち己の練度の差は、現状レベル換算にして80前後違うんだったか。
それがどの程度体を動かす速度に影響するのか、未だにわからないが、
どうやら恐ろしいほどの違いを生んでいるらしい。
「っ!」
突如感じた僅かな振動……いや、空気の震えに、
わたしはとっさに飛びのいた。
すると、わたしがたった今立っていた地面が、僅か砕け小石が舞い散った。
「ただものではないか。誰だ!」
「なるほど。小娘てめえだな、連絡鳥が言ってよこした化け物ってのは」
聞くからに重たい、人のそれを超えた体躯と推測できる足音と共に、
声の主は正面から歩いて来た。
「そう呼ばれるには年を食いすぎているがな」
「人間なんざ、俺達魔族からしてみりゃ何年生きてようが小僧と小娘よ」
見たて、わたしの頭の上にもう半分程度わたしを乗せたぐらいか。
巨人と言うには小さいが、人間と同じにするには大きすぎる、そんな奴だ。
「今のは、お前の拳圧か」
肉体の全てを打撃のために作り上げたような、詰まった上に締まった肉体の巨人。
その身体は、戦いに高揚したかのように全身赤い。
「そうだ。これまで魔界に飛び込んで来た人間で、あれをよけた奴は
俺が記憶してる限りいなかった。だいたい対処できずに吹っ飛ぶ。
魔界の仕組みに精神が対応しきる前に突っ込んで来てたらしくてな」
「なるほど。今回のエビレイたちのように、か」
「だから俺は、試しの一撃をよけたてめえと殺りあえて嬉しいんだ。
もう何百年、まともに殴り合える相手がいなかったことか。
こうして四天王の一番手にいるのは、魔王様と殴り合った結果、
俺の力を認めてくださったがゆえだ。この意味、わかるな?」
「そうか。わたしも同じような者だ。お互い、退屈はしないだろう」
「鳥曰く、魔界にいてなおかつレベル100。どうやらその自信と身のこなし。
鳥の目に狂いはなさそうだ。名乗れ小娘。
俺は魔王四天王、岩盤穿ちのオグレディオス」
巨人、オグレディオスはそう言って右の拳を差し出して来た。
力試しのつもりか、それとも純粋に戦いに対する握手か。
「流凄拳免許皆伝。パリー・ブラックベル」
わたしは左拳で、その人の顔ほどある巨人の拳を打ち、少し距離を離す。
「いい重みだな。その細腕でよく鍛え上げたもんだ。
観客も到着したことだ。やるか」
背後に意識を向ければ、たしかにエビレイたちの足音がすぐ近くまで来ていた。
「な、なんだそのでかい奴?」
「四天王、ですか。レベル65、力特化。注意してくださいパリーさん!」
「みんなは見ていてくれ。なるべく温存しておくべきだからな」
「わかってる。見た感じ殴り合いになりそうだし、パリーの舞台でしょうしね」
「俺達を全員倒せるつもりか。いいな、その裏打ちされた自信」
「魔王も込みでな」
「なら、その望みを潰えさせるのが俺達の仕事だ。いくぞ!」
左の拳。力加減を知るため、それをわたしはあえて受け止める。
僅かに衝撃で後ろに押しだされた。
「ぐ……なにげない拳で肘に来るほどの重みか。そうは受けられないな」
「殴り合いなら魔王様にも引けを取らねえ。俺の打撃、軽くはねえぞ」
「そうでなければ、わたしと似た者にはなれない、わかっている」
「パリーさん、補助魔法をかけます!」
「不要だ。自分で補える。アナリスには、今は戦闘の後を任せたい」
「そうですか。わかりました、あなたは自己を強化できる手段が
ありますもんね」
なんだか残念そうだ。
わたしとしては、魔力を無駄遣いしてほしくないだけなんだが。
「はぁぁ……!」
呼気と共に全身に魔力を巡らせる。流凄拳の技の一つ、流麗烈火の型。
こうすることで肉体の動きを滑らかにし、
同時に込められる力の限界が引き上げられる。
「重みの軽減か。だが、同時に打撃力も高めた、そんなところだろう。
人間って奴は、非力な己をそうした術で補って来る。
その具合がわからねえから、また面白え。打ってこい、確かめてやる」
オグレディオスは、そう言って左の掌を開いて見せた。
わたしは奴の拳を、両手で挟み込むようにして受け止めた。
これだけでも、体格差が歴然だとわかる。
「まるで師匠にでもなったような物言いだな。いいだろう。
これで、相子だ!」
右の掌を固め、奴の左拳へと打ち据えた。
体格差で、下から突き上げるような形になったが、そのせいか
奴は「うおっ?」とうめき、少し後ろに撥ね飛んだ。
「なんだその威力?!」
エビレイが驚愕したような声を上げた。わたしも、正直驚いている。
「まさか。これほど強化されてるとはな」
実に愉しそうだ。しかし、今のでひるみもせず笑みすら浮かべる相手に、
わたしも口元がゆるんだ。
「ようやく」
「戦い甲斐のありそうな相手だな」
きっとお互い、同じような表情だろう、そう思いながら、わたしは拳を引く。
「「死合、開始だ!」」
打ち、蹴り、飛び、殴り、避け、連打し、捌き、躱し、弾き、突き、
いなし、叩き、受け、打ち据え、飛びのき、駆け蹴り、くぐり、
離れ、飛び殴り、拳圧を相殺し、また射る。
体躯に似合わぬ素早い攻撃と、巧みな急所への防御。
免許皆伝してから、こんなに舞ったことはなかった。
楽しい。久しぶりに、本当に久しぶりに楽しいと思える試合だ。
一歩間違えば致命傷だろう。死合だ。だからこそ、
術ではなく拳士として研ぎ澄まされていく感覚。
ろくに拳を技として震えなかったこれまでを補うようだ。まるで、我が家の拳法を極めるために、
がむしゃらに修行していたころの、実力を確かめる試験の感覚。
溜まっていた力を開放できた感覚。わたしはまだ昇れる、
そう知らしめる相手の存在。
「楽しいな巨人よ!」
「ああ、てめえもそうだな小娘。その動きのキレは、魔力の強化だけじゃねえ。
ただ早えだけなら誰でもできる。ただ早えだけなら、
そこまでの舞いにはならねえからな。やっと舞えるって、
この死合の中で、てめえの体が喜んでやがるんだ」
「そうだな。たしかにそうだ。力を出しながら、この戦いを
終わらせるのが惜しい。だが、手数ならばこちらの方が圧倒的。
そちらのキレ、落ち始めている。わかっていよう」
「ああ、えらく殴られたからな。だが、てめえを消耗させることができりゃ、
後の奴等はどうとでもなる。俺は魔王様へ続く路の
四天王って関門の門番だ。殺せねえなら最大戦力を、
この命を賭して削ぐ。
それが魔王様への。力しか能がねえ俺を
ここに置いてくれた魔王様への恩返しだ」
「そうか。ならその義理、わたしが受けよう。最大の技で来い!」
「覚ってやがるか。いいぜ。消し飛んでも知らんぞ。
ぐ、おおお!」
荒れ狂うような魔力が、オグレディオスの右の拳に収束して行く。
「これは……!」
わたしは、その技のありように驚いた。
「俺がどうして岩盤砕きじゃなく、岩盤穿ちの二つ名を持つか。
後ろの連中も味わうといい。このオグレディオス、最後の一拳だ」
「まさか。魔族に我が流凄拳の技と同じ物を繰り出せる者がいるとはな」
わたしも、右の拳に魔力を集約する。規模は違えど、
流麗烈火の型で体内に巡らせている魔力と、
攻撃の際に拳に纏い、放出している魔力をまとめることで、
竜巻のように渦巻いた魔力が拳に集った。
「ほう。だが、受けきれるか!」
「受けきる。我が流派の誇りに賭けて!」
「その意気やよし。づああっっ!!」
凄まじい圧迫っ! だが、これが振り切られるより前に、
こちらも、出すんだ。受け止めるんだ、わたしの拳で!
「破ぁっっ!!」
ぶつかり合った。二つの嵐。
押し合いも押し切りもせず、まったくの互角で魔力が滞留し、
爆発の時を待っているように、空気の壁のようになっている。
「ぐ、ぐぐぐ!」
「ぐっ。腕が……悲鳴を……あげているっ!
岩盤穿ち。この拳による一箇所への打撃威力の収束が理由かっ」
「そうだ。ただ殴るだけなら岩盤砕きと呼ばれてたろうが、
俺はこの、魔力収束の技術を磨いて、
ただ力任せの奴って言われねえようにした。
四天王がただのバカ力じゃ、箔がつかねえからな」
僅かにお互いの拳は前後するが、未だに大きく均衡は破れていない。
「そうか。四天王と言う肩書に、誇りがある、んだなっ」
腕が、異音を立て始めた。これ以上の拮抗は……まずい!
「ああ、そうだとも。さあて、てめえの腕が壊れるか、俺の気力が尽きるかだ!」
「負けるわけには、いかない。ここで止まるわけには、いかないっ。
わたしは。わたしたちは。魔王を倒す。
勇者だからだ!」
「な、にいいっっ!!」
爆ぜた。わたしも、奴も。二つの魔力が。二つの意地が。
「「ぐあああっ!!」」
「っと。大丈夫か?」
「エ、エビレイ?」
どうやら、わたしは受け止められたようだ。
「あーあ。まったワイルドに磨きがかかっちまったなぁ」
「少し、くすぐったい。降ろしてくれないか?」
「ん? あ、ああ。わりい、おもっきし胸掴んでたな」
降ろしてもらえた。ふぅと一つ、息を吐くわたし。
「勇者様?」
アナリスが、これまで聞いたことのないような低い声を出した。
「な……なに、かな?」
「どさくさに紛れてなにやってるんですかっ!」
「ぐほあっ!」
エビレイ、おもいっきり殴られたらしい。ゴロゴロと転がって行った。
「あたしもぶん殴ってやりたかったのに、もったいない」
「君達なぁ……」
呆れて苦笑いが出た。
「そうだ。奴は。オグレディオスはどうなった?」
小走りで、吹っ飛んで行ったであろう方へ向かう。
「見事だ小娘。拳の練度は互角だったかもしれねえが、
てめえの意地が。てめえの心が俺の意地を押し切った」
満足そうに語る赤い巨人は、右腕がなくなっており、右半身も削られたように薄くなっていた。
「パリー・ブラックベル、とか言ったか。てめえみてえな化け物と戦えて、俺は満足だ。
全部、出し切った。それでもなお、俺は負けた。それが俺の限界。
これが俺の、一人の限界だった。そういうことだろうよ」
黙ってわたしは、このわたしの鏡のような男の言葉を聞く。
「だが、気を付けろ。こっから先は、俺みてえに直線的じゃねえ。
正直、なにやって来るかわからねえ。てめえ一人で
なんとかできるとは、考えるな。
それが、雑でも繋がりゃ硬え。てめえら人間の。
強さ……だから、な」
その言葉を最後に、四天王と言う関門の門番。
岩盤穿ちのオグレディオスは、ゆっくりとその目を閉じた。
「肝に銘じるさ」
「ずいぶん仲良くなったな。で、なんだって?」
殴られたわりには平然と、エビレイが後ろから声をかけてきた。
「ここから先は、こいつのように真っ直ぐな奴ではないから気を付けろ、だそうだ」
「なるほど、魔王への恩返しとかも言ってたし。こういう奴を、武人って言うんだろうな」
「惜しい相手ですね。こうも己に準じる真っ直ぐな者がいるなんて」
「なんて言うか。気持ちいい奴だったわね」
少しの間、哀悼にオグレディオスを見つめ黙祷。
そして先にそびえる、目指すべき角のような建物を見る。
「いくか」
エビレイの言葉に、わたしたちが頷いた直後、不気味な笑い声が響いた。
それは一人の物ではない、数人分の笑い声だ。
「オグレディオスがやられたか。人間如きに負けるとは、四天王失格だな」
細身で、わたしより少し背の高い程度の鈍い銀の鎧姿の剣士が、
オグレディオスを嘲笑うように口角を上げて言った。
「しかたないわ。だってアレは、殴るしか能がない
四天王最弱だもの」
黒いローブ姿の、不気味に紅に光る目の女が
やはり嘲るように笑う。
「なんだと」
「あんな怪力バカ程度に勝ったからと言って、我々を倒せるなどと
思いあがらないことだな」
そうして、またこいつらは不気味に笑う。
「貴様ら。なんと、言った」
「オグレディオス如き雑魚に勝った程度で」
「許さん」
「なに?」
「オグレディオスを。この男を侮辱するな」
「な、なんだこの人間? なんだ、この異様な気迫は!?」
「まさか。魔界にいながらにして、レベル100ですって!?」
「貴様ら。ここから生きて出られると思うな!
全員この場で叩く!」
「ちょ、おい、おちつけパリー!」
「オグレディオスはわたしだ。わたしと同じだったのだ。
己の全てを武に捧げた。それしか知らなかった。
己を侮辱されて。あまつさえ雑魚などとののしられて
落ち着けるか!」
もう一度、オグレディオスと打ちあった拳、水面瀑布撃を放つ。
三匹の下衆の悲鳴が聞こえた。吹っ飛んで行ったのが見える。
「こんな程度で悲鳴を上げるなど、彼を雑魚呼ばわりする資格はない。
かかってこい、下衆ども。まだ開始の合図もしていない。
始まってすらいないのだ。始まらずして、人間如きに殺されたいのか?」
「このっ、言わせておけば!」
律儀にも連中は戻って来た。
「そうまで言うなら相手をしてあげましょう。
その言葉、後悔するでしょうけれどね」
「背後の雑魚は後回しだ。まずはその化け物を殺るぞ」
「こいつら。仮にも勇者ご一行様を指して雑魚だと?」
「たしかにわたしたちのレベルは低いです。魔界の外ではスキルに物を言わせていたみたいですし。
戦闘経験もパリーさんが思うほどにはないと思います。
でも。だからと言って、後回しにされて。
見くびられて黙っていられるほど、無感情でもありません!」
「あたしたちがパーティってこと、思い知らせてやる!」
わたしたちは、なんの準備もしないまま
四天王の残り三匹と、殺り合うことになった。
だが、こんな下衆どもに負けてたまるか!