第二話。格闘バカ、恋を教わる。
「なあ。ここ数日、この一団に加わってから考えているんだが」
「なに? なんか悩み事?」
人間の魔法使いの少女、グラッチャ・ウイッチャに問われてわたしは頷く。
「未だに、わたしはどう振る舞ったらいいのかわからない」
「なんの話?」
「うん。この一団にはわたしは『女』として扱われている。
しかし、わたしはこれまで『女』として扱われたことがなかった。
未だに原因のわからない浮つきは起きるし、
それもどう対応していいかわからない。
『女』とは、どういうものなんだ? この浮つきはなんなんだ?」
魔界への道を開けるため、そのすべを持つと言う
魔王四天王直属の部下と言う
なんともややこしい連中を叩き屠っているわたしたち。
今回の戦い、勇者ことエビレイ・アドマイアは、
一人で充分だからお前ら雑談でもしてろ、と言うので
その言葉に甘えている。
たしかに、わたしがリビングアーマーと勘違いしたエルフの少女、
アナリス・フェアリルフの鑑帝眼と言う特殊体質、
彼等曰くのスキルによれば、わたしたちと敵とのレベルとやらの差は、
数にして四十五は相手側が下だと言う。
わたしは、弱いものに寄ってたかって拳を振るうことを良しとはしない。
ゆえにわたしは、わたしたちは今回傍観者となっているのだ。
「なにそれ?」
ポカンとしている、そうとしか表現できない顔をして、
グラッチャはそう、呆れたように声を発した。
「おそらく、武に全てを捧げて来たから、
わたしたちとは、よっぽど異質な環境だったんですよ」
これはアナリスの言葉だ。相変わらず目以外を覆い隠した鎧姿で、
たまに敵対存在と思って拳を放ってしまいそうになる。
「で? どうしたら女っぽいのか、ってこと?」
「そうだ。君達のように、実力無関係に危険から守りたくなるような
そんな振る舞いは、わたしにできそうもない。わたしは常に、
守る側だったからな」
「子供のころから?」
「いや、流石にそうではない。しかし子供のころは、
女だからと言うよりは、未熟な弟子をかばうと言う風に、
父や先輩方はわたしをかばってくれていた」
「そんな環境で育ち切って、なおかつ一人で
世界中を戦い歩いてるってわけか」
「そういうことだ」
「なるほどねー。んー、簡単なところから考えると」
少しの間の後、グラッチャは、思わぬことを言ってきた。
「平気で男の前で服を脱がない、辺りかな?
恥じらいってものを持つところから、ってことで」
「別に肌を見られたところで、なんてことはないんだが」
「考 え 込 む な!
あのねぇ。男の側がなんともあるの」
額に左の掌をあてがって、溜息交じりだ。
「どういう意味だ?」
「すっとぼけた顔してもぅ」
いらだった風で、一つ溜息の後、更に言い募って来た。
「あなた、引き締まってるわりに出るとこ出てるし髪は綺麗で長いし
傷はあるけど肌そのものは綺麗だし、とにかくっ
腹立たしいぐらい女性として魅力的なんだから、
もうちょっとそういうこと、考えなさいって。襲われるわよ」
「襲われる? 返り討ちにすれば問題ないだろ?」
「はぁ。こりゃ、駄目だ」
頭を抱えてしまうグラッチャ。
わたしは、なにかおかしなことを言っているのだろうか?
「パリーさん。あなた、勇者様を男性として意識していませんね?」
「いや、彼は男だろう?」
「そういうことじゃなくてですね」
アナリスも呆れているらしい。なにやら、会話が噛みあってないようだ。
「なにが違うんだ?」
「女としてこのパーティに迎えられた時、どんな感じがしましたか?」
「どんな感じ……今もたまに起きる、謎の浮つきが起きた」
「ふむ。今も続くその浮つきとやら、どういう時に起こりますか?」
「ううむ……そうだなぁ」
思い返してみる。わたしが謎の浮つきを覚える時は、いったいいつなのか。
「そういえば。エビレイが、妙な視線で見て来る時、こう浮つくな。
わたしの集中力をそいで、どういうつもりなのか、とは思っている」
「ああ、なるほど。そういうことですか」
「なんだ? なにかわかったのか?」
驚いた。アナリスは、わたしのなにを理解したんだ、今の言葉で。
「パリーさん。あなた、無意識的に、勇者様のことを
男性として意識してるんですよ」
「……今、なんて言ったんだ?」
「え? 勇者様のことを意識している、と」
「いや、そうじゃない。わたしには、無意識的に意識している、
と聞こえたんだが」
「ええ、言いましたよ」
「なんだそれは。無意識なのに意識しているのか?」
「ええ、そうです。あなた自身はなんなのかわかっていませんが。
勇者様があなたのことを、好色な視線で見た時、
つまり『女』として見ている時、あなたの体の方が、
自分は女なんだ、と意識しているんです。
視線を意識する、特に異性からの視線を意識すると言うことは、
性の別を感じ取っていると言うことです。それを知らずに生きて来たから、
今、パリーさんは戸惑っているんですよ」
「わけがわからない。わたしの体がわたしの理解を超えているのか?」
「ええ。わたしのようなエルフも含めて、人間と近い形で他と触れ合う生き物は、
少なからず自分の理解が及ばないことを、体が起こすものです。
あなたの場合は、その年齢になるまで経験してこなかったって、
特異な環境が理由だとは思いますけど」
「経験。たしかに、こんな感覚、これまで一度も味わったことはなかった。
アナリス。これはいったい、なんなんだ?」
「はい。あなたの感じる浮つき。それはですね」
「片付いたし、魔界の扉を開けるのに必要な鍵の最後の一個も手に入れたぞ。
魔界の入り口に近い町があるって言うし、今日はそこまで行って、
明日魔界に突入だ」
「ずいぶん間が悪いな勇者」
肝心なことを遮られ、ついエビレイを睨んでしまった。
「どうした? なんかまずかったのか?」
先ほどのグラッチャの言い方を借りれば、すっとぼけた調子の顔と声が
返って来た。
「いや、なんでもない。続きは後で聞かせてもらえればいいからな」
そう言って、視線をアナリスへと戻した。
「そうですね。じゃ、いきましょうか」
「なんのこっちゃ?」
魔界に向かう条件が整ったわたしたちは、魔界の扉に近い町
アドルビデへと向かうのだった。
*****
「ふぅ。お疲れ」
アドルビデの宿に着いて、みんな一息ついたところだ。今のはエビレイ。
この町、魔界に近いから人が少ないのかと思ってたんだが、存外人が多い。
魔界に近いと言うことで、自分の限界に挑む冒険者たちが、エビレイたち曰く
レベルを上げるための、経験値稼ぎの場として命知らずが集まるんだそうだ。
わたしにはなんのことだかわからないが、どうやら自分の限界を超えるための
修行の場にしてるようだ。
ジャラジャラと、荷物袋の中から手に入れた魔界への鍵を取り出して、
戦利品を確かめるエビレイ。なんとも満足そうだ。
「戦いがあっさりしすぎてるから、こうやってもらったものを確かめないと
戦った実感ないんだよな。戦ったことすら忘れそうなんだ」
「そうだな。実力差がありすぎるとてきとうになって、
記憶に残らないどうでもいい物になってしまう。だからこそ、
強い者と戦いたくなる。強さの悪循環。自分の存在を
なげやりにしたくはない。だから実力伯仲を求める。
だが、自分が強いと相手がいなくなってしまう。
だから、手を抜かざるを得ない。ままならないな」
「しかもパリーは、それしかやってこなかった。極めるって、難しいわね。
今や魔王ですら、その実力はあたしたちより劣ってる。誰かさんが、
自分のパーティに強すぎるこだわりを持ってたおかげでね」
「に……睨むなよ、しょうがねえだろ。俺と同等の四人じゃなきゃ、
動く気が起こらなかったんだから」
いじけたように言うと、エビレイは立ち上がる。
「どこいくの?」
「風呂」
いじけたような調子のままグラッチャの問いに短く答えると、
勇者は部屋を出て行った。
「よし、これで話せますね」
勇者の気配が完全に消えたのを、わたしと同じく察知したらしく、
アナリスが切り出した。
「さっきの話か?」
「そうです」
「エビレイいると弄られそうだしねー。
あいつ、空気読まないし、普段」
体をだらしなく伸ばしきった体勢で、グラッチャが体勢通りの調子で言った。
「一人だけわからない話をされるのも、いやでしょうしね」
二人の言い分の違いに、わたしは面白いなと感心してしまった。
「空気を読む。気配とは違うようだが?」
「ああ、うん。空気を読むって言うのはまあ、雰囲気で言うことすることを
察するってことかな、ザックリ言うと」
めんどうそうにではあるが、グラッチャが教えてくれた。
「なかなかに、難しい言い方だな」
「それはともかく。本題でしょ本題。
まあ、あっさり終わるけど」
「わかっているのか?」
「うん。ここに来るまでに理解できた」
「そうか。わたしには、まったくわからないが」
そりゃそうでしょ、と苦笑いされてしまった。
「まあまあ、そう邪険にしないであげてくださいグラッチャさん」
「はーい」
宥めるような調子で言うアナリスに、相変わらず
ぐでーっとした調子で答えるグラッチャ。よほど疲れたんだろう。
わたしには、そうは見えないんだが。
「それでですねパリーさん」
一つ咳払いなんぞして、雰囲気を改めてから、
アナリスが言う。
「あなたが感じてる謎の浮つき。それはですね」
「うん。いったいなんなんだ、あれは?」
「ズバリ言います。それは。
恋
です」
「……は?」
裏返った。声が派手に裏返った。
「恋? 今そう言ったのか?」
わたしのなにが面白いのか、驚いたわたしを見て、
いきなりグラッチャが大笑いし始めた。
「はい。あなたはこれまで女性として扱われてこなかった。
でも勇者様は、初めてあなたを女性として見た。
その視線は、あなたの本能に『女』と言う意識を目覚めさせた。
そして、彼の視線が気になる。彼の目線で意識が乱される。
でも、それを不快に感じますか?」
「不快ではないな。ただ、意味が分からないだけで」
「そうです。その戸惑いこそが」
「恋の始まりなんですよ!」と、力強く言うのと同時に、ガバリと兜を脱ぎ去った。
あまりに突然の行動で、不意を打たれて身体がビクついてしまった。
体も心も弛緩しきっていたらしい。
四十年間修行を経ても、未だ未熟か。
「あー! あぁもぉお腹痛い! 死ぬ! 笑い死ぬ!
パリーの間抜け全開の顔も笑えるし、熱入りまくりのアナリスもおかしい!
ああ! 助けて! 腹筋ヤバイ!」
まるで、物の上に置いた生きた魚のようにジタバタ跳ねながら、
未だに大笑いし続けるグラッチャ。
「わたしは、またおかしなことをしているようだな」
「……つ、つい。熱が入っちゃいました。
だって、自分がどうなってるのかわからないほどの初恋さんになんて、
お話の中でしか出会えないと思ってたから」
そう言って、アナリスはまた兜をかぶってしまった。
「ちょ! やめて! 兜逆にかぶるとか、どんだけ動揺してんの!
ああ駄目! もう駄目! 腹筋崩壊するって!」
まだ笑っている。なにがそんなに面白いんだろうか?
「ううう。恥の上塗りですぅ」
こっちはこっちで、膝を抱えてしゃがみこんでしまい、
その抱えた膝に頭をうずめてしまった。
よく全身鎧姿且つ、兜を後ろ前に付けた状態でできたものだ。
「……恋、か。ところどころ話では聞いていたが、無縁だと思っていた。
こんな何気なく侵入してくるものなんだな」
世界が一変しただとか、色の無かった世界に色がついたとか、
酒場で歌う吟遊詩人は、そんな風に語っていたが、
そんな大層なものではないんだな。
まったく実感のないまま言い切られてしまって、
わたしは余計どうしたらいいのかわからなくなってしまった。
謎の浮つき。これが恋と言う物か。
そうならば、わたしはこれと、どう付き合っていけばいいのだろうか?
魔界と言う未開の領域にも近いことだし、
今はこの勇者の一行としての使命を優先するか。
大所できないことは、後回しだ。
「どっと、疲れたな」
恋と言う未知を頭の片隅に殴り飛ばして、わたしは
疲労を乗せきった息交じりに吐き出した。