青い薔薇
わたしは薄暗い部屋が好き。
この部屋が好き。薄暗いこの部屋が好き。
部屋に明かりは点けないで、街灯の灯だけが窓から差し込んできて。物の輪郭だけがぼんやりと見えるくらいの明るさで。物音はしないの。何も動かないの。
薄暗い静かな部屋。ベッドの上に寝転んで、じっと天井を見るの。壊さないように。何も壊してしまわないように。
この静かな空間を壊してしまわないように、じっとしているの。
私は毎朝花を一輪買います。真っ青な薔薇を。
仕事に行く道の途中に、花屋があるのです。小さな、小さな花屋です。屋根だけが青で、他は全部黒の、どこか、西洋の雰囲気のある、お洒落な店です。
店には、青い薔薇しかありません。棚にも、店の前に置かれている籠の中にも、青い薔薇だけ。本当に真っ青な、青い絵の具にそのままとっぷりと浸したような、少しも他の色の交じっていない、青い薔薇です。本当に、本当に、綺麗な薔薇です。
私の他に、店の前で足を止める人はいません。しがないサラリーマンの私の他には、客は、いません。私だけです、私だけです。
この店は、おばあさんが一人で切り盛りをしています。小さな、腰の曲がったおばあさんです。店先に椅子を一脚出して、じっと座っています。青い薔薇の群れの中に、ぽつねんと。まるで、青い薔薇に抱かれて、静かに眠っているようです。
私は毎朝、この青い薔薇を一輪買います。
真っ青な、綺麗な、薔薇を。
会社の私の机の上には、一つの空の花瓶が置いてあります。黒い、黒い花瓶です。私はこれに、青い薔薇を挿します。
仕事が終わると、私はまた薔薇を鞄に入れ、家路につきます。
帰りには、あの花屋はなくなっています。
私の家の窓辺にも、一つの空の花瓶が置いてあります。透き通るように薄い、ほっそりとした水色の花瓶です。シンプルだけど、とても美しい花瓶です。
仕事から帰ると、ネクタイを外すよりも何よりも先に、その窓辺に立ちます。窓からは、向かいのマンションが見えます。狭い通りを挟んで建っているマンションです。そのマンションには、空き部屋があります。丁度私の部屋から見下ろせる、二階のとある部屋です。空き部屋なので、もちろん明かりは点いていません。
でも私はそこに人がいるのを知っています。知っているのです。
私は毎晩、その人の事を想って、窓辺に花を飾ります。真っ青な薔薇を。
しかし、翌朝にはその薔薇は枯れています。
眠りから覚めると、カーテンの隙間から差し込んだ朝日が、部屋の薄闇を引き裂いているのが目に入ります。その朝日は、あの青い薔薇を優しく照らしています。真っ青だった薔薇を。枯れて、黒く変色してしまった薔薇を。
私は窓辺に立ちます。あの部屋が目に入ります。誰も住んでいない空き部屋です。でも私はそこに少女がいるのを知っています。
私は薔薇を窓の外へそっと放ります。ふわりと宙を舞った薔薇は、ゆっくりと落ちていきます。花はばらばらになって、沢山の花びらが、はらはらと、はらはらと、落ちていきます。
はらはらと、どこまでも、落ちていきます。
私は毎朝、青い薔薇を買います。あの少女の事を想って、薔薇を飾ります。
真っ青な、綺麗な、薔薇を。
わたしは薄暗い静かな部屋が好き。この優しい空間が好き。この静かな優しい空間を壊してしまわないように、じっとしているの。じっと、じっと、するのよ。
今日も、また、――。
おやすみなさい。