嫌な予感と、奇怪な男
その日の夜は、どうにもよく眠れなかった。頭の中で、気が付けばショーのことを考えていて、夢中になっていたのだ。家に帰ってきてから、いつものように家族で食事をして妹のクロエと食事の後片付けをして、お風呂に入って、ママとパパにお休みを言って、それから布団にもぐったわけだけど、そのどの瞬間であっても頭からショーのことが離れなかった。まだチケットは買えていないし、買えてもショーがフェイクであるかもしれないけれど、やはり昔からファンタジーに憧れはあったし、神話に出てくるテセウスやペルセウス、ヘラクレスのような冒険が大好きだった僕は様々な幻獣が出てくるこのショーに、これ以上ないほどに夢中になっている。
きっとこの興奮が冷めることはないだろうし、今晩はこのまま眠れないだろう。そう思ったら、なんとなくベットから起き上がり窓辺によって外を眺めることにした。どうせ眠れないのなら、真っ暗な天井じゃなく、僕の大好きな風景を見ていたいと思ったのだ。
僕の家は、山の傾斜上にあって都会方面に繋がるオークレイ通りとイェルン通りの境にあるので窓からの景色が凄く良い。眼下には山のふもとに位置するこの国で一番の大きさの美しい湖「べチューファ湖」が見えて、またその周りに連なる家々の明かりが浮かび、空からは月の光が照らしている。僕はこの風景が大好きだ。今日みたいに眠れない日なんかは、よくこうして窓から外を眺めて眠くなるまでこうしている。
ここらは自然豊かな田舎で、五駅ほど電車に揺られなければ都会には行けないのは少しだけ不便だ。それに小中学校はここらには一つしかなく、他の学校となると五駅以上は離れているから高校や大学に行きたいのなら、なかなか住みたくはない田舎だ。とはいえ、今のところ僕はこの町に対して不満に思ったことはない。近所には、美味しいパンを焼いてくれるおばさんもいるし、お刺身に使えるような新鮮で美味しい魚を届けてくれるおじちゃんもいるし、冬には足に板をつけて家の前の急坂を滑ることだってできる。それになんていったってハリーたちのような友達にも巡り合えて、毎日会えるし文句なんかひとっつもない。
「・・・ん?」
僕はふと空を見上げると、見慣れた風景に妙な違和感を感じてしまう。なんだろう?今見えているのは、湖と端に見えるブリッジと、それから夜空に浮かぶ月くらい・・・そこまできて、なにに違和感を感じていたのかが分かる。なぜだか知らないが月が血のように真っ赤なのだ。湖に浮かんでいる月を見ている時は気が付かなかったが、空を見るとその不自然さがありありと伝わってくる。月食や日食なら分かるが、赤い月を見たのは初めてだ。
それに見ていると妙にソワソワするというか、胸騒ぎがする。
なぜ赤いのだろう、そういう現象も世の中にはあるんだろうか?調べれば何かわかりそうだけど、どうにもあの赤い月を見ていると何か悪いことが起こりそうな、そんな不吉な予感がするのは確かだ。見れば見る程に不思議な感覚だ、明日パパとママに聞くか図書館に寄って何が原因なのか調べてみよう。本当は今すぐにでも聞きに行きたいくらいには気になってしょうがない。
「そろそろ寝よう」
しばらく外を眺めていたら、ふと時計に目をやると十二時を回っていた。これはいけない、パパとママは基本的には優しいが寝坊には厳しい、明日少しでも眠そうにしていたり、遅く起きてこようものなら、きっと夜更かししたのかと疑われて、しばらくの間は夜に僕の部屋に入ってきてちゃんと寝ているか確認される羽目になる。
僕はカーテンを閉めて布団にもぐりこみ、寝台横のランプの紐を引っ張って明かりを消す。しかし、やっぱりさっき見た月が気になって寝返りをうって窓を見やると赤い光を放つ月がぼんやりとカーテン越しに見える。やっぱり何か良くないことが起こりそうな感覚に襲われる・・・もしかしたら、あれは良くないことの前触れなのかもしれない。気がついたらショーのことも、その時はすっかり忘れていて、そんなこんなで夜は更けてゆき僕も気が付けば眠っていた。
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そして誰もが寝静まり赤い月光が照らす夜の街に、赤い帽子をかぶった奇妙な男が立っていた。彼はなんだかボーっとした様子で、一点を見つめている。視線の先には赤い月がある。そして口元を見れば、何やら呟いているみたいだった。
「―――その昔。
宇宙は神によって生み出された。
神は、それから七日間かけて今ある世界の基盤を創られたのだ。
一日目は、自らが漂う虚空に大地と天空を。
二日目は、ただ暗闇があり続ける中に光を生み出し、昼と夜を。
三日目は、大地を囲う水を生み、海を創られ、大地から植物を。
四日目は、太陽と無数の星を創り、星を空で覆い形を球体に創り上げ宇宙を。
五日目は、神の皮膚から悪魔を。
六日目は、対となる鏡の世界を。
七日目は、神は自分に似せた人間を創られた。
時に希望を、時に絶望を。
時に痛みを、時に快楽を。
時に戒めを、時に自由を。
その内、神は人間に感情を授け自立させ、全世界の動きを観察するようになる。
しかし神が手を加えなくなった世界は、天が荒れ、大地は疲弊し、生物は息絶えた。
みかねた神は、この世に存在するものを『万物に宿る神』『魔法を授けた悪魔』『夢をみる王』『地を歩く人間』『世を恨む敗北者』に分けられて、一千万年ごとに全世界を支配する存在を決める神事を創り、世界の均衡が保たれるようにした。
そうして今ある世界は完成された。
偉大な神は、今も天高くから見守っている事だろう。
彼の神の存在がこの世の理であり、運命とは彼の神が定める道筋に他ならない。
彼の神は森羅万象を知り、導いているのだから。
しかし、しばらく時が過ぎた頃に彼の神がたった一度だけ手を加えられた。
この森羅万象に五つの渦巻く道を敷くことにしたのだ。
力の道、知の道、覇の道、人の道、悪の道、いつか線は交わりあい、無数ともいえる運命を生み出し、そして一本の道を歩むことになる。
その先には何が待っているのか、それは神ですら知ることのない未知の世界。
神はいつからか生まれた感情に突き動かされたのか、あるいは変わらない世界に辟易したのか。
嗚呼、私の力を見てくだされ神様よ。
この世の神として全てを変えて差し上げます。
・・・私が始めるのです、眠れるものなどおらぬ恐怖にまみれた赤の世界を」
長々とつぶやいた後、霧のように霞みがかったかと思うと、次の瞬間には消えてしまったのだった。
※この物語はフィクションです。