ルナで語らうクマとウサギ
こういうのを災難……と言うのだろうか。
突然俺は叔父に呼び出され、東京の某大学からノルウェーのド田舎まで赴いている。
ここまで飛行機と電車、それから車にも乗ったし、徒歩で小一時間歩いた。日本からここまで総時間でどのくらいだろうか、いや、考えたくも無い。
俺の叔父はノルウェーのド田舎で教師をしている。といっても生徒数は十人にも満たない、小さな学校。叔父はその気になれば大学教授にもなれたというのに、このド田舎で数人の子供達に勉強を教える道を選んだ。
別にその人生を選んだ事を責めやしないが、俺を巻き込むのはやめてほしい。特殊な家系に生まれただけでも人生ハードモードだというのに、今現在この地位を確立した俺を褒めるならまだしも、こんな責め苦を強いるとは何事か。
ド田舎の、もう本当にド田舎の田舎道。少し目線を上げれば広大な、巨大な山々。まさに大自然。俺はアマゾンに来た覚えは無いと思いつつも、一応程度に舗装された砂利道を歩く。
その時、風が吹いた気がした。
風なんてどこでも吹くが、今の風は不自然だと感じた。自然に起きた風じゃない。しかし俺の周りには人っ子一人居ないし、誰かが汗を流している俺をうちわで煽ってくれいてるわけじゃない。
「……今のは……」
一瞬、嫌が予感がして空へと目線をあげる。
するとそこには、ほうきに跨った一人の少女の姿。
あぁ、なんだ姪っ子か。叔父の娘だ。
やれやれ、こんな現代社会で、あんな古典的な方法で空を飛んでたらUMA扱いされるのは目に見えて……
「ってー! コラアァアァアァァァァァ! アニータぁぁぁぁぁ!」
思わず声に魔力を乗せて叫んでしまう。
俺の声は山々へと届き、当然……空を飛んでるあの姪っ子にも聞こえた様で
「叔父様……っ! もうそんなところにまで!」
満面の笑みを浮かべて空から舞い降りてくる姪っ子。
その姿は魔女そのもの。まあ、魔女なのは間違いない。魔女の家系なんだから。
「叔父様! ようこそおいで下さりましたーっ!」
地面に降り立つなり抱き着いてくる姪っ子。
というか背伸びたな。以前会った時は……俺の膝くらいしか無かったのに。
「お久しぶりです、叔父様っ! ……叔父様? どうされたんですか? そんなしかめっ面で……って、ぎゃふん!」
抱き着いてくる姪っ子の脳天へと、チョップする俺。
正直暴力は好きではない、好きでは無いが、今ここで痛い目に合わせておかないと後々後悔する事になる。俺も叔父も、そしてこの姪っ子も。
「い、いたーい! 何するんですか! 叔父様!」
「おだまり! 誰が叔父様だ。俺の事はお兄様と呼べと言ったはずだ」
いや、違う、それについて叱りたいわけじゃない。
「アニータ、何を堂々と箒で空駆け抜けとるんだ。今のこの時代……このド田舎でもスマホ持ってる人間が居て当たり前なんだ。俺の言いたい事、分かるよな?」
「え、えーっと……そうですよね、こんな美少女が魔女の恰好してたら……SNSに拡散されて、イイネ沢山ついて……大騒ぎ、そのまま芸能界デビューして輝かしい……」
「ちっがーう! UMA扱いされて晒上げられるのが関の山だ! 芸能界どころか、恐怖動画のサムネイルに使われる事間違い無いわ! 現代人の理解に及ばない真似をするなと、お前の親父にも口酸っぱく言われてる筈だろうが!」
「え、えええぇぇ!」
何故そんなに驚く。
まさか叔父は、そんな教育すらしていないというのか?
「だ、だって……日本では今、ハロウィンの季節でしょう?! みんな同じような恰好してるじゃないですか! 札幌で!」
「何故に札幌……渋谷じゃないのか。いや、まあそれはいいとして……箒に乗るの禁止! 空を飛ぶのも禁止! もっと普通の恰好しなさい!」
バっと箒を取り上げ、そのまま綿あめのようにクシュクシュに。それを握りつぶして消す俺。
「あ、あー! お気に入りの箒だったのに! 近所のおばあちゃんが、なんか汚れたからもういらない、って捨てた箒!」
「なんでそれをお気に入りにした。まったく……お前の親父は何してるんだ……」
「……あの、おじ……お兄様? 聞いてないんですか?」
「あ? 何を……」
「お父様は……昨年、あちらの世界へ旅立たれました」
※
なんということだ。
叔父はすでにこちらの世界には居なかった。今俺は、叔父の墓の前へと来ている。
そこにはささやかなお供え物……恐らくアニータが作ったであろうクッキーと、小さな花が一凛、添えてある。
現代人ならば、愕然としつつ涙でも流す場面なんだろう。
しかし俺はマジ切れしかかっていた。鬼の形相でギリギリと歯ぎしりしている。
「あ、あの……叔父様? 顔が凄い事になってます、なんていうか……悪魔よりも悪魔っぽいです」
「おだまり。あのクソ叔父……人をこんなド田舎に呼びつけておいて……あの手紙はあっちから出したのか。妙にファンシーだとは思ったんだ」
「私も頂きましたーっ、フフッ、お父様ったら、今は動物の姿になられてて、あちらの世界を満喫されてるようで……」
「よし、今夜は鍋だ。じっくりコトコト煮込んでやろう」
「怖い! 怖いですから! 落ち着いて下さい! というか、叔父様……お兄様が来られたという事は、あちらの世界に赴くんですよね!」
「そういう事か……。大方、自分の娘に会いたくて仕方なかったんだろ。俺の手紙にはそんな事一言も書いてなかったが……」
手紙には、ただ一方的にこちらへ来いと書いてあるだけ。こちらとはノルウェーではなく、あちらだったか。
先程から言っている、あちらとは現代人で言うところの……あの世だ。
しかしイメージは違う。人間は肉体が動かなくなった所で、即死ぬわけじゃない。魂は生きている。そしてその魂は、肉体の中で成長する。まだ肉体を持っている人間は、どんな老人であろうとも、あちらにとっては赤子同然。
そして稀に、生きたままあちらに迷い込む人間が居る。人はそれを神隠しやら何やら言うが、俺達が魔女の力を得たのも……その現象のせいだ。俺達のご先祖様は、あちらの世界で魔法を学び戻ってきたというわけだ。
俺はそんなあちらの世界へと生きたまま赴ける、特殊な魔法を操る事が出来る。何気に凄い才能だが、こんな才能よりイラストを美麗に描ける才能が欲しかった……。
「なら今すぐ行くぞ、あの野郎、ボッコボコにして剥製にしてやる」
「わーいっ! 行きましょう! お手柔らかにお願いしますね、お兄様っ」
墓の裏側へと回り込む。するとそこには、日本語で「怒ってないよね?」と書かれていた。
「おじ……お兄様? なんて書いてあるんですか? 日本語は読めません……」
「ぶっ殺してくれって書いてあるんだ。望み通りにしてやろう」
「あの、絶対違いますよね、その満面の笑み、滅茶苦茶怖いです……」
※
墓からゲートを作り、アチラの世界へとやってくる。こちらの世界に決められた名前は無いが、アチラコチラでは紛らわしい為、今後は肉酒地林と呼称する。
「怖いです! もっと可愛い名前つけて下さい……! えーっと……ルナ! ルナで!」
「ルナ? まあ、太陽光で焼き尽くすという意味ではあってるな」
「もう、物騒な発想は止めて下さい。というか私初めて来たんですけど……お兄様は何度か来た事あるんですよね?」
「子供の頃に数回な。でもまあ、ここは来る度に地形も変わるから……」
周りは森。しかし木々はワサワサと動いており、まるで生き物のように会話している。
「アニータ、木の会話を聞くな。馬鹿を見るぞ」
「は、はい。幻惑されるとかそういうのですかね?」
「そんな感じだ」
しかし耳がある以上、嫌でも会話は聞こえてくる。
まあ、ろくな話はしていないだろうが……
『ねえ、見て。人間の娘とオッサンがきたよ。いやらしー』
『あぁ、きっとこれから〇〇して、〇〇〇ー〇みたいな事を〇〇〇〇……』
よし決めた。とりあえずこの森焼いてから行こう。
「お、お兄様! 落ち着いて下さい! 数行前の自分の台詞を思い出して!」
「あぁ、すまん、俺最近物忘れが激しいんだ。大丈夫、塵も残さん」
「どこが大丈夫なんですか! ほら、木の皆さんがドン引きして行きますよ!」
「ッチ、道が開けて良い事だ。行くぞ、アニータ」
そのまま木がドンびいた際に出来た道を歩く。ひたすらまっすぐに。
※
デカいキノコの上を椅子とテーブル代わりにしてお茶会を楽しむ……熊とウサギ。
先程からとても仲睦まじく……いや、どっちが叔父だ。どっちが今日の夕飯だ。
「失礼しまーす。わざわざ日本から呼び出された者ですが」
「お! 来たな! わざわざすまんね!」
そのままクマの頭を鷲掴みにし、ギリギリと締め付ける俺。
「ちょ、痛い! とても痛い! 泣いてしまうぞ!」
「黙れクマ。わざわざこんな所に呼び出しやがって……一体なんのつもりだ。クマ鍋をご馳走してくれるなら喜んでやろう。さあ、鍋は何処だ」
「ぎゃぁぁぁぁ! そういうんじゃない! た、たすけてうさぎさん!」
しかしうさぎは我関せず、と餅を突き始めた。アニータは喜んでうさぎの手伝いを。
「で? 本題を話せクマ。俺を呼び出した理由はなんだ」
「と、とりあえず手離して! 話すから!」
クマを解放し、先程までウサギが座っていたキノコに俺は着席する。
クマは自分の頭を撫でつつ
「実は……お前にアニータの事を頼みたいんだ」
「……大方予想はしていたが……随分無責任だな。自分だけファンシーな世界に逃げやがって」
「魔女としての定めだ、お前だってわかってるだろ。んで、アニータを日本で育てて欲しいんだ」
「断る」
「そうか、やってくれるか、たすか……って、ええええええ!」
何故そんな驚くんだ。
「あんな可愛いアニータだぞ! 挿絵見たのかお前!」
「メタ発言はよせ。あの子はもう今年で17だろ。今更日本で住めるわけないだろ」
「なんで! 日本の方が色々便利でしょ!」
「便利だが狭い。色々な意味でな。たまの観光ならまだしも、定住するとなると……」
叔父も半分分かってはいたのか、クマの姿でしょんぼりする。
「ところで……あのウサギは何だ。お前の食料か?」
「ハチミツをつけて……って、ちっがーう! あのウサギさんは……あの子の実の母親だ」
あぁ、成程。
叔父がこちらの世界に来た本音は……
「って、なにぃぃぃぃ! あ、あのウサギが?!」
「声がデカい! まだアニータには……話せないんだ。今回は、ウサギさんがどうしても会いたいって言うから……お前に無理いって連れてきてもらったんだ」
「なんで……話せないんだ。親子だろ」
「今アニータがそれを知ると……魔女として力を引き継ごうとするだろう。だがまだ早い。アニータの心はそこまで育っていない。だからお前に日本で鍛えてもらおうと……」
「日本でそれが鍛えられるとは思えんが……。精々、人間不信になって逃げだすのがオチだ」
「日本って……そんな人間関係難しいのか?」
「難しくは無いが……ノルウェーで育った子供にとっては、理解できない部分の方が多いだろ。パンケーキを食うために何時間も並べるか? あの子なら自分で作った方がいいと考える筈だ」
この例えはちょっと違うかもしれないが……。
「……そうか、まあ……分かった。だが、お前に少しアニータの面倒を見て欲しい、それは引き受けてくれるか?」
「了解した。色々と不安だしな。そういえば今もサバトには参加してるのか?」
「いやぁ、他の魔女共も近代化に対応しとるよ。サバトもオンライン化が進んで、今はオンラインゲームの中で定期的に……」
「そうか、もういい。じゃあ俺達は帰るからな」
つきたての餅に、きな粉をまぶしているアニータへと声を掛ける。
ウサギの方はあんこを餅の中に入れていた。するとウサギが、俺の方へと餅を持ってくる。
「どうぞ、……むふふ、大きくなったねぇ」
「どうも。叔母様もお元気そうで……」
アニータに聞こえないように小声で挨拶。
餅を受け取り、一口。ふむ、柔らかく暖かい餅。中の餡子も絶品だ。ノルウェー出身の叔母が、何故こんな餅を作っているのかはツッコミ不要でお願いしたい。
「アニータ、いくぞ」
「ぁ、まってください、おじ……おにいさま!」
去り際、アニータは叔父へと小さく手を振る。
クマとウサギは再び席へと付き、こちらへと小さく手を振ってきた。
俺が帰宅のためのゲートを広げると、クマとウサギの姿は霧に包まれるかのように薄く、白くなっていく。そして完全に白いミルクの中へと包まれたかと思えば、もうすでに現実世界へと戻っていた。目の前にはアニータの実家の扉が。
「おじ……お兄様、ありがとうございました」
「ろくに話せなかっただろ。また今度連れてってやるよ。それより腹が減ったな……」
あぁ、もっと餅貰っておけば良かった。
するとアニータは笑いながら、実家の扉を開く。
「すぐに準備しますから。お兄様は、しばらくこっちに居るんでしょう?」
「あぁ。世間知らずな魔女を教育しないといけないからな……」
その日のメニューはクリームシチュー。
暖かい料理と共に、俺達は仲良く団欒するクマとウサギについて語り合いながら食を進める。
仲睦まじい、あの夫婦のように。