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【歌ってみた】


 八月六日、午後十七時。


 帰宅してから、メロスは早速Wi-Fiで繋いだ新しい携帯端末に移動した。

 待ち受けは先ほどのチャペルでウェディングドレス姿になったメロスの画像に変わり、カメラの性能が上がったおかげで俺のヒゲの剃り残しまでわかると得意げである。


 気に入ってもらえたようなら、なによりだ。


 俺が画面の中のメロスを指先で突くと、「――ん」と負担よりも一オクターブ高い声を出した。


 つんつんとほぺったをつねると、ご丁寧にメロスのほっぺたが沈みこんだ。


「え、ちょっと待って? こんなところにまでボーン仕込んでるのか?」


 しかも、押す強さによって沈みこむ深さがちがう。

 最新の携帯端末にそういう高感度センサーが積みこまれているのは知っているが、メロスのモデルがそれに対応していることに驚きを禁じ得ない。


 ボーンとは、文字通り3Dモデルを動かす際の骨格的なもので、3Dモデルはそのボーンを仕込んである部分意外はアニメーションをすることができない。


 多くの3Dのヴァーチャルアイドルのモデルは、動画を見ればわかるように髪の毛やスカートにボーンを仕込んでいる。ケモミミ属性のあるモデルならば、ケモ耳や尻尾にボーンを仕込んでいるのもわりとよく見られるだろう。サムネでおっぱいをドーンってやってるアバターならば、おっぱいにも仕込む。


 しかし、ほっぺたにまでボーンを仕込んでるヴァーチャルアイドルはいただろうか。


 思わず俺は、メロスの肌の感触をたしかめるようにぷにぷにとほっぺたを突いたり引っ張ったりした。

 あ、やばいこれ……楽しい……。


「あの、ミミズクくん」


 メロスに名前を呼ばれて、俺は我に返った。

 一心不乱にメロスのほっぺたをもてあそんでしまったことを謝罪する。


「いえ。べつにそのために二年前のモデルをアップデートしたわけですから、ミミズクくんにもてあそんでいただくことに関しては全然かまわないのですけど――」


 気にするなと手を振るメロスの3Dモデルが、突然、不自然に停止する。


 時間にして、十秒ほどのことであったが、その、いかにもコンピューターがフリーズしたときのような間の取り方に、俺は焦った。


「メロス!?」


「――あぅ」


 とまっていた携帯端末の中の時間が再び進みだしたみたいに、固まっていたメロスの腕が動きだした。

 彼女はハタとこちらを見つめて、頭を下げる。


「すみません……たった今、感情の回路が、ショートしたようです」


「感情の回路が、ショートって……」


「人間の脳と同じく、メロスの意識は貴宮香奈美の思考パターンにより構築された巨大な電子ネットワークより生じたものです……そこには人間でいうところの大脳辺縁系にあたる情緒を司る部位もあって、そこに今、過剰な情報が流れこんで、大量のエラーを起こしてしまった次第で……」


「メロス……」


 目の前の少女の正体について努めて考えないようにしてきたツケだろう。

 伏し目がちに告げる彼女に対して、俺の心臓が高鳴った。


「今のメロスに触覚はないのに、ミミズクくんにいっぱい触ってもらっているという情報だけで、その……たぶん、喜びと、羞恥と、痕は分析不可能なぐちゃぐちゃで――」


 メロスは、再びとまった。


 俺はどうすればいいのかわからず、汗が滲む手で携帯電話を握りしめることしかできない。


「――すみません。また、フリーズしてしまいました」


「いや……メロスがなんともないんなら、いいんだけどさ……」


「メロス自身、こんなに自分を構築するシステムが脆弱とは思っていませんでした」


 少女の声音は普段の抑揚の少ないものに戻っていった。


「なるべくこれからは、触らないようにしよう」

「え?」

「えって――」


 なんだか、物欲しげな瞳をしているように見える。


「たぶん、慣れの問題だと思いますので、むしろこれからはちょっとずつ触ってもらったほうがいいんだと思います。人体も、無菌状態だと抵抗力がつかないではないですか」


 俺は細菌か。


「おそらく、あんなDOS攻撃みたいに連続して触られなければ大丈夫だと思いますので、むしろ気軽についていただければ善哉です」


 なるほど、さっきのはDOS攻撃だったのか……たしかにまぁ、調子に乗って連打ゲーでもやるかのごとくタップしてしまったことは認める。


「いやな汗を掻いたな……ちょっと早いけど、風呂に入るか」


 外から汗みずくで帰宅した段階で、考えていたことではあった。

 部屋は冷房が効いているとはいえ、肌はベタつき、シャツからも汗のにおいがただよう。


「それでしたら、すでにお風呂は沸かしてあります」


 メロスが淡々とした声で告げて、俺は彼女を見た。


「また準備がいいな……」


「せっかく防水機能のついた端末を手に入れたんですから、一緒に入りたいと思っていました」

 そういえば、そんなこといってたな……。

 ヴァーチャル・アイドルと一緒に風呂に入るという未知の領域に興味はあったが、先ほどのやり取りを考えるといささか心配になる。


「フリーズする心配はないんだよな?」


「実際に、一緒にお風呂に入るわけではありませんからね」


 そりゃまぁ、おっしゃる通りだ。

 風呂に浸かりながら電子書籍を読んだり、《リンクス》を見たり、ソシャゲのスタミナを消費するのと絵面的には変わらない。


 さきのウェディング写真然り、メロスは人間の女の子が恋人にするようなことに興味があるんだろう。

 そんな想像は、時差ボケ病で生活に制限があった香奈美が健康な女の子の生活に憧れていたであろうことにたやすくオーバーラップして、叶えてあげたい気持ちが湧いてくる。


 しょうがないな……。


 俺は一度メロスに見えないところで服を脱ぎ、腰布を巻いてから、携帯端末と一緒に風呂場に入った。


 湯気のたちこめる浴室で、俺は一番に湯船に浸かる。

 一人暮らしなのだ。湯船のお湯を汚したって、怒る人間はいない。

 その熱気で火照り、部屋の冷房で冷えた身体には三十八度のぬるめのお湯は心地よかった。

 足を伸ばして全身でお湯を楽しみながら、ビールを持ってくるのを忘れたと思う。たしか虎の子のプレモルさまが、冷蔵庫に冷えていたはずだ。


 今この中でビールを飲んだら、絶対に美味い。


「ちょっとビールとってくる」

「悪魔的な発想ですね」

「いやむしろ神に近づいてしまう行為だ」


 俺はメロスを風呂場に置いたまま、手早く身体を拭いて冷蔵庫まで一直線に走った。

 冷蔵庫の中でキンキンに冷えたビールをとりだし、すぐさま風呂場へUターンする。この間、約五秒。


 再び全身を伸ばすようにして浴槽に浸かり、持ってきた缶をあおった。

 お風呂のお湯でほどよく温まった身体にビールが流れこんでくる!


「――っ!」


 一口目は言葉にならない美味さだった。

 一人暮らしだと、家で酒を飲むことはあまりない。

 就活に疲れて飲むことはあれど、それは習慣化してはいなかった。

 そのおかげか、俺は知っている。

 ひさしぶりに飲むビールの、一杯目はむちゃくちゃ美味い。


「ミミズクくん、すごいだらしない顔になってますよ」

「いや、すまん……夏の夕暮れ前にピュア・ヴァーチャル・アイドルと一緒に風呂に入りながらビールを飲むという背徳感マシマシな行為に完全に酔ってる」


「メロスが一緒にいることでミミズクくんの幸せに寄与できているのでしたら、善哉です」

「そりゃあ、ひとりで酒飲んでたって話し相手がいないと急にむなしくなったりするから――」


 俺はもうひと口ビールを飲んで、画面の中のメロスを見て――。


「――ぶーっ!」


 盛大に、ビールを吹いた。


 バスタオルを一枚巻いただけの3Dモデルが、そこにいたのである。

 背景も風呂場である。


「――いくら防水機能があるとはいえ、お酒を吹きかけるのは感心しませんね」


「いやいやいや。その前になんか公、いうことあるだろう……その、えっと……」


 意外とでかい。

 でかいのだ。頼りないバスタオル一枚では谷間が見えてしまうくらいには、でかい。


 もともと風音メロスは女子人気も狙うために、標準衣装は露出をひかえめにひらひらマシマシのしっかりと着こんだものであった。せいぜいが、歌って踊ったときにスカートが翻って白い太ももがチラリする程度である。

 しかし、キャラクターデザインの葉賀奈々子先生は巨乳の女の子が好きだった。

 葉賀先生は二十代の女性だが、「名前がメロスなんだからおっぱいはメロンじゃないとな!」と真顔でほざく精神は大概オッサンである。

 可愛いランジェリーも好きで、絶対に見えないように動画公開時には入念なチェックが行われていたが、風音メロスのパンツもかなり気合いが入ったデザインだった。

 だが、風音メロスの一糸まとわぬ3Dモデルは拝見したことがない。

 葉賀先生が趣味で作っていた可能性は否定できないが、納品されたデータファイルになかったのは間違いない。


「まさか、ほっぺたにボーンが入ってるモデルに裸が用意されてないと思いましたか?」


 メロスの指摘はもっともで、俺は頭を抱えて改めてビールを飲む。


「バスタオルの下、みたいですか?」


 風呂場に反響する、メロスの声。

 普段と同じ淡白な声色が逆に飾らないエロさをかもしだしている。


 よくよく見るとバスタオルを巻いた胸の先端部分にはわずかにふくらみが確認でき、位置的に間違いなく乳首であり、すごい気になった。

 俺も男である。なぜかそこに潜む神秘を求めずにはいられない。


「もうちょっと酒がまわったら、見せてって、いうかもしれない……」


 とりあえず、保留にした。


「ミミズクくんに意識してもらえて、喜んでいるメロスを発見しました」

「それは、よかったな……ところで、その後ろのほうに置いてあるピンク色のマットと中央がへこんだ浴室椅子はなんなんだ?」


 風呂場の背景には、男の子が保健体育を勉強する動画によく登場する気になるアイテムが映っていた。


「あれは介護用です」

「なにを介護するんだ」

「持ってきましょうか? カメラの位置を下げると、よく見えるとは思いますが」

「持ってこなくていい。つか、なんでほっぺたをいっぱい触られただけでフリーズしてた女の子がそこまで大胆なことをいえるのか!?」


「メロスにとってこの身体は、人間の精神と肉体ほど不可分ではありませんから。その気になれば、まったく別の姿になることもできますので、この身体を見せることが恥ずかしいとはならないのかもしれません」


 断定しないあたり、メロスにも自身の感情の起伏を図りかねている部分があるようだ。


「そういうもんか……? そんな話を聞かされると、俺にむちゃくちゃ触られるのとむちゃくちゃ見られるの、そんな違いがないんじゃないかって気がするけどな」



「あ――」



 メロスが中途半端に口を開けて、フリーズした。

 画面が真っ暗になって、俺は思わず「おい!」と声をあげてしまう。


 なんだか端末そのものも異様な発熱をしているようで、俺は水道の蛇口をひねって冷水をかけた。


 ほどなくして、再び画面にメロスの姿が映る。

 すでにバスタオル姿ではなく、いつもの標準衣装である。


「さっきまでのは、忘れてください」


 俺はわりとまじめにスクショをとっておかなかったことと、生のおっぱいを見れなかったこと、そして生のおっぱいをさっきのほっぺたみたいに突っつかなかったことを後悔した。

 いやそもそも、ヴァーチャルアイドルのおっぱいを生おっぱいと呼んでいいのかどうかは有識者による議論が必要かもしれないが。


「せっかくDTSの悩みから解放されたと思ったら、こんな落ちやすい体質になっていたなんて……残念です」


 落ちやすい体質って、ちょっとエロいな……。


「まぁ、聞いた感じ、慣れれば克服できそうな話じゃないか?」


「メロスもそう考えていますが……まるで無自覚に痴女ムーヴでミミズクくんをかどわかそうとしていた自分自身にも恥ずかしくなってきました」


 たしかにリアルに必要に迫られたわけでもなくバスタオル一枚になったのは痴女ムーヴといえば痴女ムーヴになるのかもしれないが。


 いまいち俺にはメロスの沸点がわからない。


 メロスは頬に赤面エフェクトを貼りつけて、いまだ恥ずかしがっている様子だ。あえて説明させるのも可哀想なので黙っておくと、彼女は俺を見て、囁くような声で告げた。


「ええと、ミミズクくんに裸を見せるのがいやというわけではないんです。そうじゃなくて、なんていうか――」


 唇をむにむにさせて、言葉を途切れさせる。

 こんな動きもできるのかと感心しつつ、俺は「気を遣って、無理にいわなくてもいいぞ」と告げた。

 情報生命体なのか、向こうに生身の人間がいるのかどうかはともかく、メロス自身が生きているという点に関して、俺はもう疑ってはいない。

 彼女なりの考えを持って、今ここにいる。

 であれば、お互いにわかり合えないことがあるのも当然だ。

 もう受け入れると決めた以上、この程度のことでゆらぐつもりはない。


「ありがとうございます」


 メロスは、いつもの調子に戻って、頭を下げた。

 俺は缶に残っていたビールをすべて飲み干して、再びこの極楽を堪能する。


「せっかくだし、このまま明日投稿する【歌ってみた】動画の話をするか」


 ビール一缶で酔っ払うほど酒に弱いわけではない。

 提案すると、画面の中のピュア・ヴァーチャル・アイドルはうなずいた。


「そうですね。真面目な話をしていれば、メロスも先ほどの暴挙をリフレインしてフリーズすることもないと思います」


 アンドロイドは電気羊の夢を見るのか……?


「それで、なにかうたいたい歌とかはあるのか」


「いくつか候補は考えてはいますが、絞りきれていないんです。せっかくなので、戻ってきたことを意識してもらう曲がいいと思うのですが――」


【歌ってみた】動画でなにを歌うかというのは、意外と難しい問題だ。


 まずなによりも、著作権の問題がある。

【歌ってみた】の動画で収益を得る場合は、きちんと曲の使用料をJASRACに払う必要がある。曲の著作権の管理をJASRAC以外が持っている場合もあり、海外の歌をうたう場合が特に注意が必要だ。これについては事務的な話ですでにノウハウもあるので、気にする必要はない。

 また、今朝も話題に上がった通り、カラオケの音源をどこから持ってくるのかという問題もある。音楽の著作権は作詞、作曲の他に演奏と歌唱にも適用されるわけで、許可を得ずに誰かの演奏を勝手に使うわけにはいかない。多くの歌い手配信者がボカロ曲を歌うのは、かなりの確率でその曲を作ったボカロPがカラオケ音源を配布し、二次使用を許諾している文化に依るものである。

 二年前の俺たちはこの問題を虎落にカラオケ音源を作ってもらうことでクリアしており、風音メロスはネット上で人気のある往年のアニソンから香奈美が歌ってみたら面白そうなJ-POPなど、かなり幅広い楽曲を歌っている。

 今朝の話ではメロス自身がカラオケ音源を作れるというから、選曲の幅を狭める必要はなさそうだ。


 著作権という大前提の問題をクリアして、どの曲を選ぶかのヴァーチャル・アイドルの戦略の話になる。

【歌ってみた】の魅力は、その歌い手自身に興味がなくても、歌そのものに興味があって見にきてくれる人がいることだ。歌声を気に入ってもらえればリピーターになって再生数が伸びるし、他の動画も見てもらえる可能性が飛躍的に高まる。そこまでいけばチャンネル登録させるまであと一歩だ。

 だから検索にヒットするように流行りの曲を歌う必要があるし、その一方で周囲との被りも気になる。後者に関しては、メロスの登場時は今ほどヴァーチャル・アイドルの数も多くなかったのでそんな心配はしてなかったのだが……今やる場合は、念頭に置いておくべきではないだろうか。


 これらの条件を加味して、歌い手の希望や歌唱力や声質、どんなパフォーマンスを狙うかで【歌ってみた】の曲は決まる。

 宗哉や虎落などは、香奈美が歌って付加価値が生まれそうな曲をよく推薦していた。

 香奈美ほどの歌声の持ち主ならば、そんな戦略をとるのは当然のことだろう。本来は男性ヴォーカルの曲を女性が歌うだけでその曲は一変する。俺も宗哉も、円藤正明がカバーした『ショタ魔女カーニバル』は大好きだった。

 また、ここでもボカロ曲を選ぶメリットが出てくる。

 オリジナルが合成音声によるDTMな場合、それを人間が歌うだけでオリジナルにない表現が生まれるからだ。そうした理由で二年前にも『シャルルル』や『JUST LIKE FRIENDS』なんかをメロスはカバーしている。


 わりと、好評だった以前の曲をもう一度歌い直すというのも再来感があって悪くないような気もするが、それならオリジナル曲のほうがいいか。


 幸い、風音メロスのネームバリューは依然健在であることがわかった以上、人気のあるド王道の曲を愚直に選ぶ必要もない。

 一番重要なのは、メロスの希望だ。


「――『還ってきたウルトラマン』のボツ主題歌、『闘え! ウルトラマン』はいかがでしょうか?」


「予想の斜め上過ぎる!? つかボツ主題歌なんてあったのか!?」


 ライダーもウルトラマンもレジェンドと称して過去シリーズが出てきたりするので『還ってきたウルトラマン』の主題歌は知ってはいる。サビの歌詞がまんまで非常に印象的なので、一度聞いたら絶対に忘れない曲のひとつだ。


「全体的に暗い曲調で、まぁ聞いてみれば大人の事情を察せられる感じなのですが、聞いてみますか?」


 俺は首を縦にふると、メロスは公式の動画を見つけて流してくれる。



「……………………たしかに、全体的に、暗い曲調だな」


 こんな曲をなんの説明もなしにいきなり歌いだしたらコメント欄も一面焼け野原で草も生えるまい。


「却下だ。やめよう」


「だめですか。来年公開予定、庵乃監督の『真・ウルトラマン』の主題歌に使われる可能性もあってホットな曲なんですが」


「どこ情報だよ!? せめて正式採用版の主題歌に――いや、それもちょっと出落ち過ぎるな。ウルトラマンから離れよう」


「自我を持った情報生命体としては、人間に憑依しなければ地球にいられない光の戦士に自身を重ねるところもあるのですが」


「その情報に関しては公開しないことにしただろう。他の曲にしよう。他に歌いたい曲は?」


「では、満を持して『紅き流星SPTレイズナー』のOP主題歌『メロスのごとく』でどうでしょうか?」


「たしかに満を持して感はあるな……!」


 サビで「メロス」の名前が出てくることから、「歌ってみたら受けるんじゃないか」と二年前に俺が推薦した曲である。

 しかし、ネタ感が強すぎることと虎落が「秋元康史が好きじゃない」と反対して、結局歌われることはなかった。

 虎落がメンバーにいない今、歌ってみるのはありな気もするが……やっぱり、出落ち感が気になるな。

 楽曲そのものは俺は好きだし、ちょこちょこ名前に引っかけてリクエストに上がってもいたんだけど……。


「だめですか」


 俺の反応を見て、メロスは肩をすぼませた。


「まぁ、すでにオリジナル曲を発表してるからいいような気もするんだけど……ネタ感が強すぎないか?」


 風音メロスには純粋に歌唱力があって、歌声そのものに固定客がついているのだ。

 先に挙げた二曲でメロスの歌声が発揮されないわけではないだろうが、ウケを狙って滑るのはリスクが高いタイミングである。



「なら、劇場版マックロスの『愛をおぼえていますか?』も歌ってみたいなと思っていました」



「ああ――なるほど」


 テンポゆっくりめの曲調は今の流行りではない気がするけど、切なさと可憐な力強さが同居した名曲だ。

 香奈美の――いや、メロスの歌声で歌えば、確実に映える。

 そしてなによりも、二年前に突如活動を停止したメロスが「おぼえていますか?」とサビで問いかけるのは、涙腺にくるだろう。少なくとも俺は、想像しただけで胸が締めつけられた。


 メロスがこれまで歌ってきた恋愛系の曲は、すべて失恋ソングだった。

 香奈美の声のポテンシャルを引き出せるのが、どうしてもそっちの曲なので、そうなってしまったのだ。

『愛をおぼえていますか?』も失恋ソングだとは思うが、歌詞の情報量が少なくて、単体で聞くとそれっぽさがでないのもいい。


「アリだと思う。いや、激烈にアリだ。ベストな選曲だと、俺が保証する」


「ミミズクくんにそういってもらえると、善哉です」


「強いていうなら、さっきからリクエストが偏ってるところかな?」


 なんか、おっさんホイホイがすぎるような……もう少し最近の曲があってもよかったのでは?


「先の二曲がネタ性を重視してしまったゆえの結果ですので、お気になさらず」


 ああ、そう。


「ま、過程はともかく、いい動画になりそうだ。今すぐにでも、その動画を見てみたいよ」


「動画は用意できませんが、今ここで歌ってみることは可能です」


「お、マジで?」


「カラオケ音源の準備もまだなので、アカペラになりますが……歌いましょうか?」


「――頼む」


 窓から赤い夕陽の射しこむ夏の午後六時。

 アルコールの巡る身体をぬるめのお湯にたゆたわせたまま、俺は浴室を満たすメロスの歌声に心を預けた。


 ピュア・ヴァーチャル・アイドルが風呂場でカラオケをしてくれる幸福をかみしめられるのは世界広しといえど、俺ぐらいだろう。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 八月七日、午後十四時。


 俺が風音メロスのホームページに活動再開の挨拶を乗せたり、動画投稿を告知するためのツイッターを更新したりしているうちに、メロスは十九時に公開する予定の動画をほぼひとりで完成させていた。



 【歌ってみた】愛をおぼえていますか? Covered by 風音メロス



「まだ手直しをする余裕もありますし、まずは見てみてください」


 完成したmp4ファイルをクリックしてパソコンの画面に動画を映す。


 星空のステージをバックに、メロスは敬礼のポーズをとってから歌いだす。

 動画は、マックロスの劇場版でこの曲が流れたシーンをイメージしてメロスが身体を左右に揺らしながら歌うのを、カメラアングルを駆使して上手く誤魔化している。メロスのモデルがよりアップグレードをしたことを除いては、二年前に投稿していた風音メロスの【歌ってみた】動画とだいたい同じクオリティだ。背景で火線が走り光景が、宇宙艦隊が戦争をしているのを彷彿とさせるのがよい。ところどころ大きな爆発が起こって目ソルの横顔を照らしたりするところのコンポジットもいい感じである。

 また、音階をオリジナルよりもひとつ下げているようだ。

 いつも風音メロスのカラオケ音源をつくっていた虎落いわく、香奈美は音域が広いので大概の曲は危なげなく歌いきってしまうのだが、豊かな声量の真価を引きだすなら、少し低めに設定したほうがいいという。

 作曲の片手間に虎落がこだわりを持ってやっていた音源制作を、メロスはしっかりと吸収しているのだ。


 俺が冒頭の敬礼ポーズのところでコンテに口を出したとはいえ、この動画制作を、カラオケの音源から、歌の収録まで一日かからずにやってのけるなんて、人間業ではない。

 いや、本人いわく人間ではないそうなんだが。


「もう、メロスひとりでいいんじゃないかな?」


「セルフプロデュースはヴァーチャル・アイドルの基本ですから」


 普段と同じ抑揚のない声音は、心なしか誇らしげに響いた気がした。


「とはいえ、メロスひとりでは確実にどこかで行き詰まりますから、ミミズクくんがそばにいてくれなければダメです」


「そういってもらえるのはありがたいけどな……」


 俺は肩をすくめながら再び動画に集中し、風音メロスがうたう『愛をおぼえていますか?』の世界に引き込まれていく。

 サビの部分はやはり、グッとくる。

 この歌を聞いたとき、視聴者は液晶画面を通して風音メロスと視線を重ねているだろう。

 アップデートされたメロスのモデルの、指先や唇のやわらかさと想像せずにはいられないはずだ。


 従来からのファンは、パソコンの前で「おぼえているよ!」と叫び、「もう絶対に一人ぼっちにしないから! ずっとそばにいるから!」と号泣するのではないか。


 俺は、しそうになったよ。


 二年前、見つめ合った香奈美の涼やかな瞳を思い出し、眠ってしまった香奈美が肩により掛かってきたときの感触を思い出した。


 ひとりで逝ってしまった彼女の孤独を想い、長すぎる夜に電話を交わした記憶が蘇る。


 どうして、あのとき俺は、いつも電話で済ませてしまっていたんだろう?

 彼女が寂しいなら、家にまでいって抱きしめてあげるべきだった。

 数日間におも及ぶ暗闇の中で、「そばにいる」と囁き続けてあげたかった。


「ミミズクくん……」


 曲が終わり、目頭を熱くする俺に、メロスが声をかける。


「どうで、しょうか?」

「見ればわかるだろう? 歌と音楽の強さを、ひさしぶりに涙腺で味わったよ」

「それは、善哉です」

「ケチのつけようもない。この曲のポテンシャルを百二十パーセント引きだしたと思うよ。少なくとも俺には、刺さりまくった」

「それは、とてもとても善哉です」

「他になんかないのかよ」


 淡々とした口調に、俺は苦笑を浮かべながら突っこんだ


「メロスも、歌っていて感情の回路がざわざわしていました。録音の最中に二度ほどフリーズしています。想定外の事態でした」


 パソコンの画面に大映しになったメロスが、胸に手を当てて告げる。


「ミミズクくんに惚れてしまったことがうれしくて、いくらか感情を抑制していないと、またフリーズしてしまう可能性があります」

「そっか……意外に、バグが多いことが明らかになっていくな」

「これをバグと呼ぶのなら、ミミズクくんたち人間は五割をバグで構成された生物だと思います」


 それは間違いない。


「より正直な気持ちを申しあげるなら、メロスは今、この歌をよかったといってくれたミミズクくんに抱きついてキスをしたいです」


 俺はとっさに喉が詰まって、返す言葉を失った。


「けれど、それはできません。メロスには、ミミズクくんと触れあえる手がありません。メロスの眼は、今は中国の工場でつくられた大量生産品です」

「メロス……」


 俺は、なんて声をかければいいのかわからなかった。

 俺だって、もう一度彼女と触れあえるのであれば、触れあいたい。

 けれど、そうするには……。


「メロスは、この『愛をおぼえていますか?』という曲を、失恋ソングであると定義します」

「ああ……俺もそう思うよ」


 そもそも、この曲は劇中歌で、異星人との決戦を目前にしてこの曲を歌うことになるアイドルは失恋する。


「けれど、最後の歌詞ではあなたがいるからひとりぼっちではないと、歌っています。おそらく、あなたはいないのに」


 そういうことを考えながら、メロスは歌ったのだろう。

 香奈美もよく、歌詞の意味を考えて、彼女なりの世界観やストーリーを持って歌っていた。


「メロスはミミズクくんを観測できますが、決して手に触れることはできません。この状況が、とてもオーバーラップをして、よく歌えたのだと思います」


「間違いない。メロスだからこそ、うたえた『愛をおぼえていますか?』だ」


 こめられたものは、決して本家にだって引けを取らないと、俺は胸を張っていおう。


 画面の中のヴァーチャル・アイドルは、はにかむように赤面した。



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