推しへ、料理デビューしました
それから暫くは水泥くんへのイジメは落ち着き、すぐに夏休みに入った。
推しの初舞台までまだ二年もあるから退屈で仕方ないので、夏休みも変わらず母の手伝いや料理の勉強をしたり、図書館で本を借りて読むことで時間を潰していく。
夏休みの宿題も今のレベルならすぐに終わるし、更に時間が有り余る。
まだスマホ……いや、ガラケーすら手に出来ないし、パソコンも家にはないのでネットサーフィンすらも出来ない。
前世では漫画やゲームをしまくってたから時間が過ぎるのは早かった。
さすがに今やりきったゲームをするつもりはないし、誕生日プレゼントで強請ることもしない。暇ではあるけど。
今年の誕生日だって腕時計をリクエストした。恐らく三年生の欲しがるものではない。
あと十数年もしたら子ども用の玩具でも心奪われるものがあるんだけどなぁ、子ども用キッズカメラとか前世で見たときは驚いたものだ。
デジカメとか携帯電話を強請るのはもう少し先でも問題ないかな。機能性も今の時代は少なくて値段も高いし。
あぁ、来年の誕生日プレゼントは何しよう。いらないなんて言うとお父さんはショック受けちゃうし。
そもそも欲しいものがまだ時代に追いついていないのだから技術の発展は驚くほど早いんだなとしみじみ思う。
「絆奈、包丁の扱い方が上手くなったわね」
「ほんと!?」
その日も夕飯の手伝いとして肉じゃがで使う人参を切っていた。もちろん皮はピーラーを使って、だけど。
前世では全く手伝いなんてしなかったし、料理も素人だったので手付きは子どもレベルだっただろう。
それでも一年生の頃から毎日母の手料理を見て、手伝える所は手伝っているので基本的な手順は理解しているつもりだ。
「将来はシェフでも目指すのかしら?」
「え~どうしようかなぁ?」
それはないな。推しを追いかけるので。一人暮らししても生きていけるために時間のある内に母から習っているのだ。
「そういえば小さい頃から大きくなったら何になりたいって質問にいつも悩んでたわね。今もなの?」
ぎく。その質問嫌いなんだよなぁ。下手に答えると協力的になりそうで……。
仮にケーキ屋さんなんて言ったらケーキの味を覚えなきゃいけないなって父がケーキを沢山買って来られたりするかもしれないのでデブまっしぐらである。
しかし、将来なりたいものがない夢のない子どもだと思われるのもあれだし、何かいい返答はないものか。
「うーん……あ。お嫁さん、かな?」
「あら! 絆奈、好きな人が出来たのっ?」
「ううん。いないからいつか好きな人が出来て、綺麗なドレスを着て結婚出来たらなぁって」
まぁ、する予定はないんだけど。でも、100%有り得ないけど、結婚するときは推しに司会をしてもらいたい。
お仕事依頼をしたら司会業も引き受けてくれるらしいし。
誰か推しを司会に呼んで結婚式を挙げてくれないだろうか。御祝儀はいくらでも包むから。最悪偽装結婚でも何でもしていいから。
「ふふっ。結婚式が楽しみねぇ。お父さんは娘が取られる~って泣いちゃうかも」
「えー? かっこいいお父さんが見たいな~」
申し訳ないんだけど独身を貫くから泣くことはないよ、安心してお父さん。
「お父さんが泣いても絆奈のことが可愛くて大好きってことは覚えておくのよ」
「はーい」
「でも花嫁ねぇ……それじゃあ、これは花嫁修業になるわね。未来の旦那さんも大喜びするわよ」
「ほんとだね!」
いえ、自分のためです!
とりあえず今は花嫁と言い訳出来たが、職業ではないのでまた別の言い訳を考えないと。
そもそも就職する気はない。だって舞台とか自由に休みが取れないし、自由に休みが取れる就職先なんてそんなにないでしょ? それなら自由気ままのフリーターがいい。前世でもそうだったから。
高校に入ったらすぐにバイト探ししなきゃなぁ。前世は学校に慣れるため半年は落ち着かなかったし。……って、まだ三年生だから先の先なんだけど。我ながら気が早い。
「お母さん、いつか私一人で夕飯作ってみたい」
「ほんとー? それなら今度任せてみようかしら」
「上手く出来るようになってお母さんに楽させるんだ」
「絆奈は良い子ね~! ありがとう!」
ギュッと抱き締められる。めちゃくちゃ感謝してくれてるけど、それは私も同じ。
だって私にとっては二度もお世話になってるわけだし。恩返しくらい今の内させてもらいたい。
そして約束の日。買い物から一人で任されるようになった。母からの課題料理は定番のカレーライス。
まぁ、カレーなら前世でも作ったことがあるので甘い課題ではあるが、初めての一人料理なら仕方ないのかもしれない。
「さて、早速買い物開始ね」
近くのスーパーでの買い物に来たわけだけど、ここで全ての材料は買わず、他のスーパーや八百屋をはしごする。
もちろん安く手に入れるため。お母さんはそこまで指定しなかったけど、これも一人で暮らすための練習である。
しっかりとチラシで安い物はチェックしたのであとは予定通りの品物を買って行くだけ。
カレールー、人参、じゃがいも、玉ねぎ、牛肉。三軒くらいお店を回ってスタンダードな材料を買った。
時間はかかるけど二百円くらい安く買えたので満足しながら帰宅する途中、見覚えのある子を見つけた。
「あれ?」
水泥くんである。どうやら彼も母と一緒に買い物に行っていたらしく、スーパーの袋を二人で分担して持っていた。
「!」
向こうも気づいたらしく、驚きながらも焦り始めている。何を焦っているのかはわからないが、とりあえず、微笑みながら手を振っておいた。
彼は戸惑いながらぺこりと会釈をし、言葉を交わすことなく互いにそれぞれの家へと向かう。
「今の子、知り合い?」
後ろで母親と思われる話し声が聞こえた。水泥くんの答えは聞こえなかったけど、頷いたらしく「そうなのね」と優しい声が耳に入る。
家族の前でも口数が少ない子なのか。
それ以上気に留めることなく、急いで家に戻り、初めてのカレーを作るのことにした。
母の監視もなく、本当に一人での料理になる。何かあったら呼んでねと言われたがここはビシッと決めて見せよう。
しかし、やはり身体は子どもなので手の大きさや身長の関係でなかなか思うようなスピードでは作れなかったが、具材の大きさが疎らの子どもらしさを残したカレーの出来上がりである。
匂いからして既に美味しそうなのでこれは美味しいと言われること間違いなし。
「へぇ! 今日は絆奈が一人でカレーを作ったのか?」
「うんっ! 絶対に美味しく出来てるから早く食べて!」
仕事から帰って来た父に大盛りにしたカレーを置くと、嬉しそうな表情でスプーンを手に取り、大きな一口を頬張る。
しかし、出来立てなので熱かったのだろう。口をはふはふさせながら水を一杯飲んだ。
「もう、あなた。子どもじゃないんだから」
「はは、ごめんごめん。思ったより熱かったんだけど、めちゃくちゃ美味しいぞ! 絆奈は料理の才能があるなー!」
「本当っ!?」
なんと娘に甘いことか。知っていたけど。でも嬉しそうに食べる父が見れたのはこちらも嬉しくある。
「それじゃあ、私達も食べましょうね」
「うんっ! いただきまーす!」
父の反応に満足し、私と母もカレーを食べ始めた。中辛の少しだけピリッとした刺激がたまらない。
我ながら上手く出来たのが嬉しくてお代わりしそうになったが、そこはグッと我慢した。