橋本さんへ、一瞬だけでも僕を君の王子に……
パレード中、突然土砂降りの雨に降られてパレードが中断になってしまった僕はバックヤードに戻って、メイクを落としてから早々にシャワー室へと向かった。
温かいシャワーを浴びながら思い出すのは雨に降られる直前のこと。
『いい女じゃねーか。もっと顔を見せてみろ』
と、好きな人に向けた言葉を思い出してはその恥ずかしさに深い溜め息をつく。なんでサラマンダーのときはあんなこと言えるのに僕だとああいう台詞を言えないのか。いや、僕が言ったら頭を打ったのかと思われるのが関の山だ。
橋本さんのあのちょっと焦って戸惑う表情がまた可愛かったのに、豪雨のせいで中断になってしまったのが少し残念ではあるが、頭を冷やされた気もしなくはない。
サラマンダーとして迫ってどうするんだ? と、誰かに言われそうだ。
でも、せっかく彼女がいたから何か少しでも心に残るような、格好いいと思ってもらえるようなことをしたかった。……言い訳だな、これ。それこそサラマンダーじゃなく僕でやるべきだろう。
「はぁ……」
何度目の溜め息だろうか。相変わらず橋本さんの前ではただの友人、水泥 恵介にしかなれない。
うだうだ考えながら着て来た服に着替えてシャワー室を出た。出演者用の楽屋に戻り、この後のパレードはどうするのか上の指示を待つと、すぐに結果は出た。
予報ではしばらく雨は降るらしく、例え止んでいても先程の豪雨が酷かったため、地面のコンディションが良くはならないから安全面を考慮して残りのパレードは中止と判断した。
とても残念ではあるが、仕方ない。梅雨の時期なんて一日雨の日もあったのだからそれに比べれば完走はしなかったものの、少しでも表舞台に立てて良かったと思うべきだろう。
それに橋本さんと接触するまで雨が持ってくれたと思うと有難いことではある。彼女と手が触れる前に雨が降らなくて良かった。
……そうだ。僕、橋本さんの手をギュッと握ったんだった。しかも、指を絡ませて。思い出しただけで恥ずかしい……。それにもっと触れたかったって考えてしまうからもうダメだ。あのときは仕事中だというのに何やってるんだ、僕は。
あ、そういえば橋本さんも凄く濡れたけど大丈夫かな? ちょっと聞いてみよう。
『橋本さん、結構濡れたよね? 大丈夫?』
そうメッセージを送って返事を待つ。本日のパレードもなくなってしまったし、いつでも帰ることが出来るのであわよくば橋本さんと一緒に帰れないだろうかと少し期待を込めて。すでに帰ってしまったらそれは運がなかったと諦めよう。
「あいつ宛のメッセージか。わっかりやす」
不意に後ろから声が聞こえて勢いよく振り向く。そこにはなぜここにいるのかわからないが、白樺 譲が立っていた。
「し、白樺さんっ! 勝手に人のスマホ覗かないでくれますかっ?」
「覗かれたくないもんでもやってんの? やらしー」
「違いますけど! そもそもなんで白樺さんがオフなのにここにいるんですか!?」
彼は僕と同じサラマンダー担当であるトリプルキャストの一人だ。僕が出勤なのだから白樺さんは本日オフなわけだけど、なぜ職場のバックヤードに彼はいるのか。
「パレードCD収録についての呼び出しだっての。秋の音源CDのサラマンダーの声は俺だってよ」
あぁ、そういうのもあったっけ。僕も何度かパレードのCD用に収録しに行ったなぁ。
「……って、その話を聞きに来たにしても楽屋にいる理由にならないですよね?」
「なんだよ、仲間の様子を見に来たらダメだってのか?」
「そんなことする人じゃないですよね?」
「そうだな、面倒」
ほら、やっぱり。この人は基本的に人に興味を持たない。自分の好きな人にしか絡まないんだ。まぁ、主に寧山さんだけど。
「じゃあ、なんで来たんですか」
「おもしれー動画を見つけてな」
そう言うと目の前の人はスマホをいじって僕にとある動画を見せてきた。
それは僕が橋本さんの手を握り、彼女に向けて言ったあの言葉のシーンである。撮影者は恐らく彼女の二、三人隣だろう。
僕中心で映っているため、橋本さんの顔は映されていないけど、手を握ってるのはばっちり残されている。それを見た瞬間、酷く顔が赤くなった。
「なっ……それっ!?」
「SNSで投下されてたんだけど、この相手はあいつだろ? 今しがたメッセージを送ったお前の友人とやら。お前でもこいつ相手ならあんな大胆なことすんだなぁ?」
白樺さんはにやりと笑う。嫌な相手に見られたなと奥歯を噛み締めた。
僕はこの人が、白樺 譲が嫌いだ。苦手とかのレベルを超えて大嫌いである。
どこか人を馬鹿にした態度もそうだけど、何より橋本さんをも馬鹿にした。彼女をパッとしない顔だなんて口にしたのだ。
そんなことで嫌うの? なんて問われたら、悪いけど僕は嫌いだと答える。そもそも後輩の友人に向けて言う言葉としてもどうかと思うけど、何より好きな子の容姿を馬鹿にされたことが腹立たしい。
そりゃあ、僕だって一度くらいなら許すつもりだし、実際に初詣のときには謝罪をしていた。そう、口だけの謝罪は。誠意は感じられなかったけど。
でも、その初詣でも明らかに橋本さんに向ける目が普通の人に向けるものとは違った。それは彼女に対する嫌悪なのかそれとも興味なのかはわからなかったけど。何かを気にしている様子なのは確かだ。
だから僕はこの人が嫌いである。
「あなたには関係ないですよ」
「そうだけど、お前をからかう材料だからな」
「性格悪いですよね?」
「おい、さっきから調子乗んなよ。こっちは先輩だろうが」
「たった一年じゃないですか。それにここでは僕の方が先輩ですけど」
「うわ、ムカつく。可愛げのねぇ奴」
眉をひそめて不機嫌をあらわにした白樺さんは舌打ちをして楽屋から出て行った。……本当にからかいに来ただけなのかあの人は。厄介な先輩だ。
溜め息ひとつこぼしてスマホを見れば橋本さんからの返事が届いた。どうやらタオルを買っているようだ。
あんな滝のような雨を浴びたからなぁ……タオルで事足りるのだろうか。いや、そもそも替えの服とかあるのかな。あるからタオルしか買ってないんだよね?
……さすがに着替えがあるから……いや……パレード見に来ただけなんだから着替えなんて持って来てない可能性が高い。
その後のやり取りで橋本さんと一緒に帰る約束を取りつけることが出来た。心の中でよしっとガッツポーズをする。
駅の改札で待ち合わせるとさすがに人の出入りが激しいので待ち合わせ場所には適さないため、駅近くのカフェの前で待ち合わせをした。
先に辿り着いた僕は彼女が来るのを静かに待つ。まだ雨はしとしと降っていて念のために傘を持って来て良かったなと雲の多い空を見つめる。
しかし、橋本さんから『私濡れ女な状態だけど大丈夫?』というメッセージには少し気掛かりだ。
一応大丈夫と返したのだけど、服を着替えてない可能性が濃くなってきた。いや、まだわからない。合流する前に着替えて来るのかも……。
「あ、水泥くんお疲れ様ー」
服びしょ濡れだった!! 恐らく買ったであろうタオルを頭に被せて、顔が隠れないように指先でタオルの端を摘んでいる状態。
「ちょっ、橋本さん! 服はっ!? 着替えないの!?」
「えっ? そのうち乾くかなーと。それに濡れ女って言ったでしょ?」
「いや、そうだけど髪だけとか……っていうか、そこまで濡れたらそうそう乾かないし、そんな格好じゃ風邪引いちゃうよ」
「そりゃあ、確かに着替えたいけど帰るだけならいいかなと」
まさかとは思っていたけど本当に着替えずに帰るつもりだったのかな。さすがにその格好で電車に乗るのはやめた方がいい。
「橋本さん、何か着替えよう」
「……やっぱり?」
うん、そう頷く。というか、本人も薄々その格好で帰るのは無理かもしれないと気づいたのだろう。まぁ、まだ透けるような服じゃないだけマシだ。もし、透けていたりしたらこっちだって目のやり場に困るし。
「急な出費になるから避けられるなら避けようと思ったのになぁ」
少し唇を尖らせるが服を買わない理由を聞いてなるほどと思った。それならばと思いついたことを口にする。
「僕が購入するから。それならいいでしょ?」
「いや、それは良くないよ」
きっぱりとそう言う彼女にやっぱりなぁと心の中で呟く。橋本さんはきっと申し訳ないと思うのだろうな。それなら理由をつけるしかない。もうすぐ八月三十日なんだし。
「もうすぐ橋本さんの誕生日だからそのプレゼントとして受け取ってよ」
「あ……誕生日プレゼント、かぁ」
「それとも誕生日プレゼントのリクエストある?」
「いや! リクエストなんてそんなのないよ!」
誕生日プレゼントと言われたら断りづらくなった彼女にさらに受け取らざるを得ない状況にする。
橋本さんの性格からしてリクエストを聞くというのは躊躇うだろうと思っていた。この人のことだ、なんでもいい。なんでも嬉しいと言うのだから。
「じゃあ、服買うよ。それなら橋本さんも着替えられるし、悪いことじゃないからね」
「……お願いします」
よし。なんとか説得出来たかな。一先ず早く着替えを買おうとエターナルランド近くのショッピングモールへと向かった。
しかし、橋本さんは濡れている自分が服売り場に入るのはさすがに店員さんに申し訳ないと言って、購入する服は僕の一存に委ねられることになってしまった。せめて橋本さんの好みを知りたいのでどんな服がいい? と尋ねたところ……。
「出来るだけ安いやつで! 安いやつでお願いね!」
と、言われてしまう。そういうことじゃないんだけど、彼女は頑なにそれしか言わないので結局自分のセンスに任せるしかなかった。
……だけど、僕にそこまでのセンスがあるとは思えない。せめて彼女がガッカリしないようなものを決めなければ。それだけじゃなく出来るだけ早く、だ。
ただでさえ長時間濡れた服を纏っている橋本さんがクーラーのかかったモールに入った瞬間に身体を震わせていたから、出来るだけ早く彼女の元へ届けねばならない。
じっくり考えたいところではあるけど、時間が惜しいのでマネキンが着ているコーディネートの服を購入させてもらった。
店員さんに頼んで試着室を借りさせてもらい、橋本さんにプレゼントとして購入した服を着てもらうことにした。
しばらくしてからカーテンを開け、試着室の中で姿を見せた彼女はベージュのシャツに白のカーディガン、ネイビーのロングのスカートにちゃんと着替えてくれた。
僕の見た感じだとマネキンが着ていたくらいなのでセンスは問題ない気がするが、あとは本人による評価だ。
「ありがとう、水泥くん! 凄くいいよっ。おかげで寒くなくなったし」
「それは良かった。靴も新しいのにしようか」
「あ、大丈夫大丈夫。サンダルだからそのままでも問題ないよ。そこは履き慣れたものじゃないと落ち着かなくて」
「そう……?」
彼女の言うことも一理ある。もし靴が合わなくて靴擦れをしてしまったら大変だろうし、怪我はしてほしくはない。
それでも少しだけ消化不良だなと思いながら僕はせめてものエスコートとして彼女の前に膝をつき、サンダルを手に取った。
「じゃあ、僕が履かせてあげるね」
「……水泥くん、なんだか王子様みたいだね」
少し照れながらそう口にした彼女の言葉を聞いて、思わず顔にボッと火がついてしまった。もしかして、格好つけすぎてしまったのか僕は。
「キザったらしかったかな……」
「そんなことないよ、格好いい格好いいっ!」
そう笑いかけるも彼女の言う格好いいはまだその心をときめかせるほどではない。
胸の奥で溜め息を吐いて橋本さんが躊躇いつつも「失礼します……」と呟いて足を僕の手の中にあるサンダルへと向けられる。
なんだか、あれみたいだ。おとぎ話の……。
「シンデレラみたいだね」
「サンダルだけどね。それに私はシンデレラって柄でもないし」
照れくさそうに笑う橋本さんに僕は何も考えずに「そんなことないよ」と言葉に出てしまっていた。
「……いつか、僕が橋本さんを素敵なシンデレラにしてあげるよ」
「えっ……」
「……ッ!」
ハッと気づいてしまった。僕は何を恥ずかしいことを口にしてしまったのか、慌てて真っ赤な顔を逸らして口元に手を当てる。
……口説き文句の一つや二つ言えるようにと恋愛小説を読んだ影響なのだろうか。
実際に口にすると恥ずかしさしかないし、もしかしたら彼女は引いてしまったのではないかと、ちらりと橋本さんに目を向けて見れば、彼女も僕と同じように顔を真っ赤にして「あ、う……」と言葉を探しているようだった。
「は、橋本さん……?」
「あっ、いや、ちょっとびっくりしちゃって……! 友人ながらちょっとドキッとしてしまったっていうか……えぇと……その、ありがとうっ」
「う、うん。ちょっと早いけどお誕生日おめでとう、橋本さん」
今までにないほど真っ赤な彼女を見て、ドキッとしたと聞いて、もう少し手を伸ばせば橋本さんに届くような気さえしてきた。
とはいえ、今はそれ以上の勇気が出せなくて、手は伸ばせないまま橋本さんとはお互い少し照れながら帰り道を共にした。




