絆奈さんへ、ほんの少しだけ自惚れてもいいですか?
幼い頃は兄のことが好きだった。幼少時には私のことを「ミツは本当に天使みたいに可愛いね」と何度もそう言われて、可愛がってくれたから。
小学校に入学すると、友達も出来て毎日が楽しかった。それから互いに生活スタイルが変わったこともあり、幼少時に比べて兄と話をする機会は減っていたが四年生頃だろうか、兄は突然当時私の好きだった漫画のキャラのコスプレを始めた。
妹の私が素直に認めるくらい兄は格好いい。そのため、コスプレをした兄はとても素敵だった。好きなキャラに化けられる兄に尊敬の念すら抱く。
そして私も憧れのキャラになってみたいという願望が芽生えた。
中学生の頃、テーマパークキャラであるノームにハマっていたこともあり、彼のコスプレをしたいと兄に相談してみると「……あれはミツがやるには地味すぎるんじゃないか?」と言われてしまう。
正直ショックだった。兄に好きなキャラを貶された気がして、その頃から兄に対して良い感情を持てなくなり始めた。
兄もどうやら私がコスプレに興味を持つことを良くは思っていなかったようだ。
それでも、初めてのイベントには同行してくれたけど、兄の出来と素人も同然の私の出来では雲泥の差があり、兄妹ということもあって、並ぶだけで見比べられる。
初めてのコスプレイベントは散々だった。兄の凄さを見せつけられて自信が持てなくなってしまったから。
それでもせっかく頑張って製作した衣装を楽しみたくて今度は一人で小さなイベントに出てみようと思ったのだけど、兄が直近日にある大阪のイベントに出ようと誘われてしまい、渋りながらも結局また兄と同行することになった。
でも、そこで運命の出会いがあった。
「写真、撮らせていただいてもよろしいですかっ!?」
人気者の兄の周りには沢山の人がいて、その様子を少し離れた所で眺めるだけの私に声をかける人が現れる。
私より少しだけ年上の女性、それが私と絆奈さんとの最初の出会いだった。
そのときの私はきっと兄の写真が撮りたいのだろうと思い、兄は他の方と写真を撮っていることを伝えると、彼女はきょとんとした顔をする。
「? いえ、ノームさんを撮らせてほしいんですが……」
その言葉に驚き、慌てふためいてしまった私は酷く取り乱しただろう。それだけでなく、ノームが好きだという話も聞いて凄く嬉しかった。
だからこそ、自分のお粗末なコスプレ姿が申し訳なく思う。それでも彼女は優しい言葉をかけてくれた上に、みすぼらしい私のようなコスプレでも嬉しいと言ってくれた。
兄が声をかけても、絆奈さんは兄には見向きもしないで私の写真を優先する。
自分を求めてくれたことが嬉しくて、もっと彼女と話をしたくて、思い切って絆奈さんにもっと話をしたいことを告げた。
彼女も同じ気持ちでいてくれて喜んだのも束の間、絆奈さんはお友達のお手伝いで来ていたらしく、そろそろ戻らないといけないことを知り、せめて連絡先だけでもと言葉にすると快く連絡先を交換してくれた。
思えばすでにこのとき、私は絆奈さんに夢中だったのだと思う。その後のアフターでは沢山話も出来たし、好きなキャラの話も出来てとても素晴らしく素敵な時間を過ごせた。
彼女のおかげでコスプレに対する意欲が出てきたので、私はその後も諦めずにイベントに出続けた。
元々住む場所が違っていたけど、絆奈さんが東京に一人暮らしをするというのを聞いて、またいつかイベントで会えるのを楽しみに私も趣味に磨きをかけるのを頑張ることにする。
しかし、兄がイベントのある度に一緒に来てとお願いをし、断ってもどうしてもと言われてしまい、結局いつも兄と一緒にイベント参加をするようになってしまう。
兄と一緒に行くと、彼を慕う人達に心ないこと言われたりして、気持ちのいいものではなかった。酷く憂鬱で、兄も気づいていながら見て見ぬふりをする。
学校の友達を誘って参加しても、兄は私の友人まで奪っていく。兄によっていつも一人にさせられた。
だから、兄の言葉を聞かない絆奈さんがなおのこと特別に思えてしまい、あの人がいないイベントはただの苦痛でしかなかった。
何度も同じことが続くと酷く憂鬱な気持ちになるからもうやめてしまおうかと思った矢先、夏のイベントで絆奈さんと会えることになった。
二年ぶりに会えるのが嬉しすぎて舞い上がっていたのだけど、私に対する兄の態度が許せなかったようで絆奈さんが兄に食ってかかった。
私が言えなかった言葉を彼女が次々に口にする。不穏な空気、兄を慕う人達による敵視する態度はとても恐ろしく感じてしまい、震える私を絆奈さんは大丈夫だと言い聞かせるように手を繋いでくれた。
その瞬間、不思議と震えは止まり、絆奈さんに触れているだけで不安だった心は落ち着き始める。
それに引き替え、兄は絆奈さんに謝罪を要求するが、彼女は先に兄が土下座で謝罪をすれば同様の謝罪をすることを申し出た。
どうしてそんなこと言ったのか、絆奈さんなりの譲歩なのかはわからなかったけど、私はこの約束をさせてしまったことをのちに酷く後悔することになる。
「この度は私の些細な言葉により、皆様を傷つけたことを申し訳なく思います。どうぞお許しください」
兄が炎天下の中、土下座をしたあと、約束は守らなきゃと言う絆奈さんも兄がしたように膝を折って正座をし、頭を深く下げた。
しかし、謝罪の言葉を述べたというのに兄は何も言わない。それどころか彼女に向ける兄の表情は今までに見たことがないほどの嫌悪感たっぷりの顔をしていた。
兄の反応がないので一度頭を上げようとした絆奈さんだったけど、兄がそうさせないようにあろうことか、彼女の頭を踏みつけてしまう。
「俺がまだいいと言っていないだろう。へばりつけ」
彼を中心にファンの人達も絆奈さんを嘲笑する。その瞬間、一気に頭の血が上った。
例え良い感情を持てなくなったとはいえ血の繋がった兄との関係は壊したくなくてずっと我慢していたのに、大切な人をここまで馬鹿にして虐げるなんてとてもじゃないが許せない。
気づいたときには兄の頬を思い切り叩いていた。兄に強く反抗したのは初めてだったと思う。
その後は絆奈さんに兄の非を詫びるも、彼女は私が謝ることじゃないと言ってくれた。
でも、絆奈さんは怪我まで負わされてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
私が馬鹿にされるようなコスプレイヤーじゃなければ、変な陰口も言われることないし、絆奈さんも私のために兄に突っかからなかったはず。
このときほど、もっと素敵なレイヤーさんになりたいと願ったことはなかった。
私のせいで怪我をした彼女のために絆創膏を探しに行っている間、絆奈さんは兄に絡まれてしまっていたので、さらに兄に対する評価が下がった。
そして彼に言った、もう兄でもなんでもないと。兄と認めないと。その勢いに乗じて絆奈さんへの想いも口にしてしまったのは今でも凄く恥ずかしい。
もちろん、彼女からごめんなさいと言われたくなくて返事はしないでと伝える。それでも、私はどうしても絆奈さんの特別な何かになりたくて、姉になって欲しいことをお願いしたら彼女はそれを受け入れてくれた。
友達では物足りなくて、恋人にもなれないのなら、たった一人の私だけの姉に……。今はそれで満足する。
兄については帰宅してから一方的に言葉をぶつけた。
「秋人さん。もう金輪際、私に干渉しないで。絆奈さんにしたこと、死んでも許さないんだから」
幻滅し、兄さんと呼ぶことさえも嫌になった私は名前で兄を呼ぶことにした。
「ミツ! お前はあの女に騙されてるんだ! 俺の話をしっかり聞けばわかる!」
「わかるわけないよ、一生話しかけてこないで」
淡々と冷たい言葉を告げて、兄と絶縁する。なんで今までこんな兄の言うことを聞いていたのかさえもわからない。それから兄とは最低限の会話しかしないようになった。
その後、例の事件の動画がSNSで流れ、兄のファンだった子の告発もあり、兄のコスプレアカウントやそのファンのアカウントは炎上し、みんな次々とアカウントを消していった。兄はそれがきっかけでコスプレをやめたらしい。
私と話をすることがなくなり、みるみるうちに元気もなくす兄を見ても罪悪感すら抱かなくなってしまった。
翌年、絆奈さんとエターナルランドに行ったときは兄もいなくて本当に楽しくて、気分も良かったから家族のお土産として兄の分も購入し、家に帰ってからそれを無言であげると兄は大層喜んでいた。
「やはりミツは可愛い俺の天使だ……」
そう呟く兄の言葉に嫌悪感を抱く。昔はそう言われるのは嬉しかったのに、今では兄の言葉全てが気持ち悪い。可愛いも、天使も、嫌いな言葉になりそう。
「深月ちゃん天使みたい……」
「可愛いよ、深月ちゃん!」
でも、好きな人に言われるのはとても幸せだった。私に良くしてくれるこの人のためにも、私は彼女に恥じないようなコスプレイヤーになりたいと日々努力と研究を重ねた。
何度か夢で見たことがある。理想の自分になれる姿を。夢の私を目標に、衣装製作、メイク、身体作りに努力を重ねた結果、ようやく夢の自分に近づけた。
「お久しぶりです、絆奈さんっ」
「は……?」
一昨年よりはマシになったと自負する私は自信を持って彼女の前に現れてはみたものの、絆奈さんはぽかんとしてしまっていて、まだ自分に至らない所があったのか気になってしまった。
絆奈さんに会うまでの間、一人でエリア内を散策しようとしたのだけど、沢山の人に声をかけられ写真も頼まれたりしたから少し有頂天になっていたのかもしれない。
色んな人に私のコスプレを認められたようでとても嬉しかったのだけど、たった一人の大切な人に認めてもらわなければ意味がない。
「絆奈さん?」
心ここに在らずな彼女の名前を呼んでみると、ハッとした表情をした絆奈さんは慌てふためいた。
「あっ、ご、ごめんねっ……! 深月ちゃんが凄く素敵になってたからびっくりして……」
その言葉を聞いて私に変な所があったわけじゃないんだと一先ず安心した。それに絆奈さんから素敵だと言われたことが凄く嬉しくてなって、頑張ったかいがあったと思えるようになる。
「ほんとっ? 絆奈さんに褒めてもらえて嬉しいっ! ところで先程言ってたレベルの高いノームレイヤーさんはどちらに?」
早速、本題に入る。つい先程、絆奈さんが電話にてコスプレのレベルが高いノームレイヤーさんがいらっしゃるという話を聞いて、危機感を覚えてしまった。
せっかく、ここまで自身を高めてきたのに絆奈さんが別の人に目を向けてしまう。電話越しの彼女は若干興奮していた様子だし、凄く魅力的な方なのかもしれない。
「それなんだけど、そのレイヤーさんは深月ちゃんだったの。全然気づかなくて勘違いしちゃって……ごめんね」
「私……?」
まさかの返答に今度は私がぽかんとしたと思う。だって、絆奈さんが私のコスプレのレベルが高いって言ってるんだから胸が大きく高鳴った。
「うん。レベルが高くて深月ちゃんと写真を撮れたらいいなーって思ったらまさかのご本人だったとは……別人だと思ってお恥ずかしい限りで……」
申し訳なさそうに謝罪する絆奈さんはいつもよりしおらしくて、昂った気持ちを吐き出すため思わず心の中で好きっ!! と叫んだ。
絆奈さんに今の自分も認めてくれた上に褒めてもらえて、気持ちが荒ぶってしまった私は絆奈さんと一緒に写真を撮ってもらうようにお願いをした。
「沢山撮ったねー」
いつもよりも沢山写真を撮ってくれたし、私も自身のスマホでも写真を撮ってもらった。
初めて会ったときは不相応だったから写真は一枚で限界だったのに、少しずつ絆奈さんの期待に応えようと思って前回は写真を撮る回数も増やした。
そして今では前回よりも自信を持てるようになって、絆奈さんの隣に立っても恥ずかしくない人間へと成長したと思う。
スマホの写真に写る絆奈さんと私はとても楽しそうで、ようやくコスプレイベントが心の底から楽しいと思えてきた。
……ううん、絆奈さんがいたイベントは全部楽しかった。もちろん嫌なこともあったけど、最初から最後まで嫌な思いもせずに楽しめたのは今回が初めてだ。
「でも、なんだか不思議だね。前のイベントだと深月ちゃんのノームは可愛くて癒されちゃうんだけど、今は綺麗で格好良くて緊張しちゃうなぁ」
「い、今の私では不満ですかっ?」
「違う違うっ! そうじゃなくて、いつもの深月ちゃんと雰囲気が違うから別人みたいに思えちゃって」
「絆奈さんは……前の私の方が良かったりする?」
今の私だと絆奈さんは敬遠してしまうのだろうか。彼女が望むなら前のような私に戻ろう……。
「深月ちゃんは深月ちゃんのままなんだから前がいいとか今がいいとかはないよ。ただ、今の深月ちゃんはまだ見慣れてないからちょっと照れちゃうだけで……」
絆奈さんが照れる……? 今までの絆奈さんの表情を思い返してみると照れる表情は比較的に少ない。つまり、私はそんな表情を引き出せる存在になれたということなのかな?
「前の深月ちゃんがよく知る深月ちゃんのノームコスだけど、今の深月ちゃんは色々努力した結晶でもあるし、前の深月ちゃんも今の深月ちゃんも素敵だよ。これから注目の的になって遠い存在にはなっちゃいそうだなぁとは思うけど」
「そんなことないよっ! 私はこれからも絆奈さん一筋だから! 絆奈さんを寂しい思いにはさせませんっ!」
私が遠い存在だなんて、そんなことない。絆奈さんの方が遠い存在になりそうなのに、私はあなたの傍にいたくて必死なのに。
「だから、これからも私と会ってください。いえ、会ってね、絶対! 私はいつだって絆奈さんを想ってるから!」
「え、あ、うんっ。ありがとう……」
恥ずかしげに目を逸らしながらお礼を言う絆奈さんの姿は愛らしくて胸がきゅーんとする。
……もしかして、今の私の方が絆奈さんを魅了させることが出来るんじゃないのかな。
今年のイベントでは恋愛方面の自信もついた気がした。




