絆奈ちゃんへ、自分の気持ちを認めました
朝、スマホのアラームで目が覚める。それでも寝起きはそんなに良くはない。何度かベッドの上でもぞもぞしながら五分くらいその状態を続けてから二度目のアラームでようやく身体を起こす。
ふらふらと洗面台に向かい、顔を洗ってさっぱりしてからようやく覚醒し始めた。
本日は主演舞台の最終日。今回は殺陣を凄く頑張ったし、派手なアクションも取り入れた。我ながらよくやったと思うし、それで感動してくれる人もいる。
一番に思い浮かべたのは初めて僕のファンになってくれた彼女。今日の二公演も観に来てくれるので自然と笑みがこぼれる。
昨夜は久しぶりに絆奈ちゃんと食事をした。今回は水泥くんも一緒だ。まさかあそこの二人が友人だとは思わなかったなぁ……。でも、知ってる子達が仲良しなのはいいことだ。
しかし、しかし、だ。僕は昨日になって当たり前のことに気がついた。
『大丈夫ですよ、寧山さん。僕が橋本さんを送りますので』
昨夜の帰り間際に水泥くんの言っていた言葉を思い出す。彼女をエスコートする水泥くんは僕とは違った目で絆奈ちゃんを見ているような気がした。
そう、絆奈ちゃんを一人の女性として見ている。いや、それは当たり前のことなのだろうけど、もちろん僕も彼女は女性だと認識しているつもりだ。
ただ、僕の場合は家族のような存在として見ているのもあるので、目から鱗だったりする。
別に絆奈ちゃんは本当の妹でもなく、勝手に自分がそう見てるだけだ。わかっていたようで、わかっていなかった。なんでそんな当たり前のことに気づかなかったのか。
そんな絆奈ちゃんを女性として扱っている水泥くんが彼女の前にしか見せないような顔を見せていたとき、そういうことに疎い自分でもなんとなく察した。
あぁ、なるほど。彼はきっと彼女のこと……。
「……僕、邪魔だったかな」
はぁ、と、ため息。でも、付き合ってるようには見えなかったから水泥くんの片想いだろうか。
しかし、まずい。これは非常にまずい。何がまずいって……絆奈ちゃんを渡したくないって気持ちでいっぱいなんだよ。
いや、僕のものでもないっていうか、そもそも絆奈ちゃんは所有物でもなくて、妹でもなくて、血も繋がっていない他人で……ううん、彼女は僕のファンであり、友人で……。
「ファン兼友人、かぁ……」
ちょっとだけへこんだ。改めて僕と絆奈ちゃんの関係について声に出してみるとなんだかよくわからない関係性である。
って、なんでへこんでるんだ僕はっ! ……これじゃあ僕は彼女に恋愛感情を抱いてるみたいじゃないか。いや、ない。あるわけがない。
遠い昔に恋愛をしていたときはもっとこう、酷く胸が高鳴って常に心臓が爆発するんじゃないかって思ってたんだ。
でも、絆奈ちゃんに対してはそんなことはない。心臓は落ち着いているし、掻き乱されることはないし、むしろ安心出来る存在だ。
「うん、違う。きっと娘を取られたくない父親の気持ちになってしまったんだ」
鏡の自分に言い聞かせるように言葉にする。人とは不思議なことに、口にすれば自然とそう思ってくるものだ。
よし、と気合を入れるように自分の両頬を軽く叩いてから身支度を始めた。
昼公演も無事に終わってカーテンコールが上がる。実はというと、このカーテンコールは少し得意ではない。こういうときって演じているキャラとして立てばいいのか、それとも素の自分として立てばいいのか悩んでしまう。
結局のところ喋らないのならキャラとして、喋るのなら素の自分として、と分けている。
カーテンコールのときに見えた客席に座る絆奈ちゃんは今日も満足そうに笑みを浮かべながら拍手をしてくれた。その姿を見てホッと一安心する。
彼女がいてくれるだけで安心感が違う。でも、いつかは違う人を応援するんだろうな。いつまでも僕のファンでいることはないかもしれない。
ずっと僕だけのファンでいてくれたらどれだけいいだろう……って、また僕は何を考えてるんだっ?
「お疲れ様です」
一般客が退出し、残ったのは出演者と直接繋がりのある人達。今日は雪城さんや事務所の後輩達が観に来てくれたので、頃合いを見て客席に顔を出した。
まずは近くにいた同じ事務所の後輩、白樺 譲。彼は少し人付き合いが苦手で取っつきにくいと誤解されやすい子。
なぜか僕には小生意気なことを言うのだけど、まぁ、それも愛嬌である。
話も合うし、辛辣な言葉を言うわりには先輩後輩関係はしっかりしているから根は真面目なんだと思う。チャームポイントは右唇下のホクロだろうか。
そんな彼と目が合った瞬間、ぺこりと軽く頭を下げて挨拶をしてくれる。
「ゆずくん、来てくれてありがとー!」
「めちゃくちゃ立ち回り良かったですよ」
「ほんと? 頑張ったかいがあったよ」
「でも気になる所あるんですよね」
「え? 嘘、どこ?」
台詞を詰まらせたり噛んだりした覚えはないはずなんだけど、一体どこだろうかと息を飲んで聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「カーテンコール。少しだけ一点集中して見てた所ありましたよね。彼女でもいたんです?」
「なっ……! いないよ、そういう人はっ!」
淡々と口にするものだから一瞬何を言っているのかわからなかった。しかし、内容が内容なだけに慌てて強く否定する。
「……それ、逆に悲しくないです?」
「一言多いよ……」
「まぁ、寧山さんだけになんで」
「嬉しいような悲しいような……」
「じゃあ、俺は帰りますね。最終公演頑張ってくださーい」
凄くからかわれた気がするけど、小憎たらしい笑みを浮かべて彼は帰って行った。相変わらず飄々とした様子だけど、それでも可愛い後輩の一人である。
そして次に僕の元へやって来たのは雪城さんだ。恐らく僕とゆずくんこと白樺くんの会話が終えるのを待ってくれていたのだろう。
「あら、随分と疲れ果ててるのね?」
「……後輩にちょっとからかわれちゃってね」
「何を今さら。寧山さんはからかわれやすいでしょ」
「えっ、僕そんなふうに見られてるのっ?」
「少なくとも私は」
いくら芸歴が先輩とはいえ、人生の先輩は僕なんだけどな。なぜこうも歳下にからかわれるのだろうか。いや、今はそんなことよりも……。
「……雪城さん。このあと時間ある? 話、というか相談があるんだけど」
「珍しいわね、寧山さんが相談だなんて。いいわよ」
自分の中のもやもやを晴らすためにも雪城さんに話をしようと決めて、最終公演前の空き時間に彼女をランチに誘うことにした。
まぁ、彼女には前に色々と鋭い所を突かれたから……何か解決策があるのかもしれない。いや、なんの解決策なんだろうな……。
「……へぇ、絆奈ちゃんと水泥くんがお友達ねぇ。それで彼に取られちゃうかもって焦ったわけ?」
「そういうわけじゃ……いや、そうなのかな……娘を取られたくないっていうか」
カフェに入って早々に昨夜の出来事を話す。すると早速核心を突いてくる雪城さんにさすがだと思ってしまった。
しかし、僕の答えに相手は白々しいと言わんばかりの視線を向けられる。
「いい加減認めなさいよ。あなた、絆奈ちゃんのことが好きなのよ。恋愛感情の意味で」
「いや、だって僕は三十六で向こうは二十一だから十五歳も離れてるし……」
「もっと離れてる人の年の差婚だってあるわよ」
「でも、特にときめいたりはしてないよ? ドキドキだってしないし」
「だけど安心はするんでしょ?」
「え? うん」
「それだけ素の自分を出せるし、自然に振る舞えるってことよ」
「それを言ったら同業者相手はみんなそうだよ」
「……じゃあ、絆奈ちゃん以外の私達も異性の影があれば渡したくないって気持ちになるわけ?」
「いや、それは……」
ないなぁ。と呟けば「でしょ?」と彼女は返す。でも、絆奈ちゃんは家族のような存在だからそう感じただけなんだよと自身に言い聞かせていた言葉を雪城さんに告げると、彼女は溜め息を吐き出した。
「あぁ、もう。鈍感なのか、女々しいのかは知らないけど、まずそうやって悩んでる時点であなたは絆奈ちゃんに気があるのよ! 胸のときめきがなきゃ恋愛じゃないなんてこともないわよ! 大人になったら恋愛に対する価値観も変わるし、ときめきより一緒にいて安心するかどうかで判断する場合もあるんだし! まぁ、自覚したらときめく人も中にはいるだろうけど、寧山さんはまず恋愛してるってことを認めるのが先よっ!」
矢継ぎ早に彼女の思いがぶつけられる。全て己の考えがひっくり返されたような気がした。
鈍感とか、女々しいとか言われるよりも、ドキドキしない恋なんてあるのかという驚きもある。
「ちなみに寧山さんは最後に恋愛したのはいつ?」
「えっ……と、学生の頃……」
「それじゃあ、自覚してないのも無理ないわね……随分と久しぶりのことなんだから」
「……僕が、あの子のことを、恋愛として好き……?」
思わず頭を抱える。それと同時に自分でもわかるくらいに顔面蒼白になった。
だって、絶対ダメでしょ? あの、絆奈ちゃんにその気持ちを向けたら何がなんでも拒むのは目に見えている。彼女はそういう子だ。僕と関わるのも躊躇っている子なんだから。
「なんでそんな真っ青になるのよ?」
「だって……絆奈ちゃんだよ? 役者とファンはこうあるべきだっていう強い意志を持った子だよ?」
「今さらでしょ。それを気にせずにガンガン接触してた人がよく言うわね」
「そう言われてしまったらそうなんだけど、それとこれとは別というか……さすがに嫌われるのは困るし……」
「自覚したらもっと積極的になるかと思ったけど、思ってた以上に臆病なのね」
はぁ……。何度目かの溜め息。雪城さんの言うことに間違いはない。自分でもここまで誰かに嫌われるかもしれないという恐怖を感じたことがないから。
「……友人や同業者が相手ならこんなに悩まなかったよ。でも、彼女は友人でもあるけどファンという肩書きも持ってるし、僕のことを異性というよりかは役者としか見ていない」
「確かにあそこまでガードが固いと大変よね」
「それに、いまいち実感がないんだ。僕が絆奈ちゃんのことを好きだなんて」
「そんなのそのうちわかるわよ。絆奈ちゃんを見てどう感じるか、それが本音なんだから」
「……」
そんな彼女の言葉を半信半疑で聞いて、舞台の最終公演に挑む。
雑念を払い、役に集中して極力客席を見ないように演技をし、幕を閉じた。
カーテンコールでは、千秋楽なので出演者全員に舞台への思いや感想を伝えてもらう。そして、主役だから僕が一番最後にマイクを渡された。
「今回、主演で出させてもらいましたが、一番稽古に時間をかけたのは殺陣です。結構本番ギリギリまで練習してようやく仕上がったものですけど、客席の皆さんに見てもらえて少しでも凄いなって思っていただければ幸いです」
ふと、見た客席の真ん中にある一番端の席に彼女が、絆奈ちゃんがいた。客席の方は暗いけど顔の表情くらいは見える。嬉しそうに僕の話を聞いてくれてるのがわかる程度には。
……あぁ、千秋楽も楽しんでもらえたようで安心した。その顔が見られるだけで頑張って良かったと思える。でも、もう公演が終わるので次に彼女といつ会えるのかはわからない。
もっと僕を見てほしいし、もっと君との時間を過ごしたい。寂しさ故にそう思ってしまうのはやはり絆奈ちゃんに恋をしてしまったからだろうか。いや、恋と呼ぶにはすでに想いが熟しているような。
恋しいよりも、愛しい気持ちの方が遥かに強い気がする。あぁ、もう。僕はいつから彼女に惹かれてしまったのか。
「それでは、最後に。本日は誠にありがとうございました!」
ごめんね、絆奈ちゃん。君は困るだろうけど僕は君が好きなんだ。だから心の中で認めたくなかったのかもしれない。拒絶する君の顔は見たくないから。
(今日の推しやたらとこっちの方見てたけど知り合いでもいたのかな……)




