橋本さんへ、同じステージに立つ僕をどうか見てください
きっかけは些細なことだった。小学校高学年のゴールデンウィーク明けから橋本さんは毎年欠かさず応援している役者の舞台の話をするようになった。
最初はあまり気にしていなかったんだけど、何年も一途に同じ人を追いかけるのはなかなか出来ないことだと思うし、凄い熱量だと思った。
彼女の推してる役者である寧山 裕次郎の話をするときはいつも活き活きとしていて、そんなふうに見られる彼が酷く羨ましかったからいつしかこう思うようになる。
同じ場所に立てば橋本さんは僕も見てくれるだろうか。
子どもじみた考えだとは思った。でも、橋本さんはずっと寧山さんを追いかけて、舞台に足を運び、エターナルランドにも足を運ぶ。
橋本さんの視界に少しでも入ることが出来たら彼女は少しくらい僕の見る目が変わったりするんじゃないのか。ただの友達である水泥 恵介から、異性としての水泥 恵介に。
好きな子を振り向かせたいために、なんて不純な動機で僕は役者の世界に足を踏み入れた。
高校は演技に力を入れている学校に入学。その道に進むなら自分磨きをしなければならないと、視界を狭めていた髪を切って、体力作りをしたりもして、他人に見られても笑われないようなコミュニケーション能力を培った。
バイトもかつて寧山 裕次郎がやっていたエターナルランドのキャストを四年ほど勤めた。ここでのコミュニケーションスキルはかなり上がったと思う。
積極的に人に声をかけて、エターナルランドの住人という本来の自分とは違う人物として演じるのも楽しかった。さすがに橋本さんにはエターナルランドでキャストをしてるっていうのは恥ずかしくて言えないままだったけど。
そんなエターナルランドで勤務をすると、バックヤードに入ればごくまれに寧山 裕次郎を見かけることがあった。私服のときもあれば、パレード中のサラマンダーの衣装のときもある。
彼を見る度にあの人が羨ましくて仕方なかった。橋本さんが熱心になる人物。裏の顔でもあるんじゃないかと思うも、彼はバックヤードでも人の良さそうな様子だった。粗探ししようとしてる自分が惨めになる。
学校を卒業し、そこで得た演技で寧山 裕次郎が所属している事務所のオーディションを受けたが、落ちてしまった。
上手くいかないのはわかってはいたが、やはり自分にとっては壁が高かったのだろう。それでも諦めるわけにはいかなくて、その事務所が運営する養成所に入ることにする。
みっちりと叩き込まれた中で思いもよらない能力が発揮された。それがダンスだ。
そこまで重要とはしていないスキルだったが、あの寧山 裕次郎の苦手なものの一つなのだと橋本さんから聞いたことがあったので、それだったら僕が彼より上手くなれば彼女の目を惹き付けられるだろうと思って、徹底的にレッスンを受けた。
その成果があって、特技欄に書けるくらいには成長したと思う。
養成所に入って一年後。再度、事務所のオーディションを受けたらようやく合格をもらい、寧山 裕次郎と同じ事務所に入所するまでに至った。しかし、僕はまだスタート地点にすら立っていない。
事務所に入ったことにより寧山 裕次郎と直接知り合うことになったが、事務所の先輩にあたるので当然ではあるのだけど。
その間に上京して一年経つ橋本さんから会わないかという連絡をもらったけど、彼女にはもう少し待ってほしいと伝えた。
こんな中途半端な自分を橋本さんの前に出したくない。もちろん、僕も会いたいけど、彼女が驚くくらい成長したかった。そのためには見違えるような成果を出さなければ。
彼女が追いかけるあの人と同じステージに立つための願掛けとして橋本さんと会うのを我慢した。我慢したんだけど……数ヶ月後、予想外の出来事が起きた。
「あっ、すみません」
「っ……!」
夏の休日のある日だった。人の多い駅構内で肩がぶつかってしまい、謝罪をしようと相手の顔を見た瞬間、僕は驚きに声を失った。……彼女と出会ってしまったのだ。
思わず名前を呟きそうになったが、相手はまだ気づいていない様子なので、このままやり過ごそうと声は出さずに頭を下げてからその場を急いで立ち去る。
「……はぁ」
遠くまで離れた所で辺りを見回し、彼女がいないか確認してから大きく溜め息をついた。
心臓がうるさい。小走りしたからではない。橋本さんの顔を見たからだ。聞き覚えのある声だとは思っていたけど、まさか本人だとは思わなかった。
四年ぶりの橋本さんは顔立ちは変わらないとはいえ中学卒業後に見たようなあどけなさはなく、もう子どものようなあの頃の姿はない。
一瞬しか見てないけど、それでも橋本さんは綺麗になっていたし、贔屓目に見ているせいかさらに可愛くなっていた。
どうしよう。随分と会っていないせいで橋本さんに対する耐性が弱くなってしまった。その証拠に心臓の鼓動は増すし、顔も酷く熱い。
仮にも役者を目指している人間がこんなことで動揺してどうするのか。
その出来事もあったせいか、感情のコントロールもしっかりしなければならないと演技の技術に熱が入った。
そしていよいよ、チャンスは巡ってきた。エターナルランドにて春から始まる新しいパレードのアクターオーディションが開催されるのだ。
ダメかもしれないと思うも、ようやく目標が近づいたのだから挑戦せずにはいられなくて、その結果サラマンダーの役を射止めることが出来た。
それこそ最初は信じられなかったけど、やっと掴んだもの。事務所の先輩から妬む視線ももらったのだから恥じない演技をしなければならない。
そのあとは毎日のようにパレードの練習をした。ダンスがテーマだったから、恐らく自分の新たな特技が役を得る決め手になったのだろう。
あの寧山 裕次郎と共演もすることになったので、やっとライバル視している人と同じステージに立てる。
いつかこの人を超えるような存在になって橋本さんに一目おかれたい。そう思いながらアクターデビューに備えた。
デビュー前日に橋本さんに連絡をしてみた。新しいパレードを彼女はいつ見に来るのだろうかと探りを入れるため。出勤日に彼女と会えなければ意味がないし、頑張った僕の姿を見てほしい。
運が良いことに初日から橋本さんはパレードを見に行くと言っていた。ようやく、面と向かって彼女と会える。
デビュー初日。橋本さんと会えるかもしれないと思うと緊張して仕方なかった。それでも時間は待ってはくれないので褐色肌を含めたキャラメイクをして、ウィッグをしっかり頭に固定して準備万端にするそんな本番前のこと。
「いよいよ今日からだね」
ノームの身支度を終えた寧山さんが僕に声をかける。同じ事務所だからと何かと気にかけてくれて人柄としては本当にいい人だった。僕が敵対心を抱いているのが申し訳ないくらいに。
もちろん、彼が橋本さんを狙っているとは言えないので勝手に敵対心を向けるのはお門違いかもしれない。それでも僕は彼を超えたかった。
「はい」
「やっぱり緊張する?」
「そうですね。今日は見てほしい人が来てるみたいなので凄く緊張します」
「大丈夫だよ。水泥くんは沢山頑張ってたし、元サラマンダーの僕から見ても問題ないよ」
恐らく後輩の緊張をほぐそうとしているのだろう。本当にいい先輩だ。後輩の面倒見もいいし、本当に悪い人じゃないというのがよくわかった。敵は手強い。
そして本番を迎えた。フロートに乗り込んで先頭の寧山さんが出発する。
……きっと彼は修学旅行のときのように沢山いる観客の中から橋本さんを見つけ出して、アクションを起こすだろう。今回のようなゲストを選ぶ仕様でさらに彼女に届きそうな距離ならば絶対に橋本さんを選ぶはずだ。
はたして、僕は彼女を見つけ出すことが出来るだろうか。そう思いながらもウンディーネ、シルフ、と続き、最後にサラマンダーのフロートが出発する。
僕も役者としてのスイッチを入れて、粗暴ではあるが不器用であり、俺様の性格をしたサラマンダーとしてゲストの前にその姿を見せた。
パレードルートには沢山の観客が見に来ており、歓声が凄くて圧倒されそうであった。しかし、この中に橋本さんはいるはず。
一回目の停止ポジションまでの間には橋本さんはいなかったと思われる。もし、見逃していたらショックだな。
せめて僕の見せ場は見てほしい。叶うなら一目でも橋本さんを見ることが出来たらいい。
『待たせたな、お前ら! 主役は遅れて登場するもんだぜ!』
そろそろ二回目の停止ポジションに入る頃。思っていたよりもフロートの上からでもゲストの顔がよく見えることがわかった。
場所取りを頑張りたいと言っていた彼女のことだから恐らく前方にいると思って探し続けていると、それらしい人を最前列で見つけた。とはいえ、確証はない。見上げるようにスマホで撮影しているから顔がよく見えないのだ。
ゲストのほとんどはカメラやスマホで撮影をしている。フロートを撮ろうとすると見上げる形になるのでこちらからしてみたら顔が隠れてしまう。
でも、あの人は恐らく橋本さんだ。確かめよう。
フロートが停車し、その身を下ろす。最初から彼女の方を見てはいけない。あくまでも自然な演技で少しずつ近づく。
彼女の前で足を止め、そして確信する。あぁ、やっぱり橋本さんだ。僕の、大好きな人。会いたかった愛しい人。
『そこのお前。俺様のパートナーになれ』
ようやく面と向かって再会出来た。……フライングもあったけど、あれは故意ではない。
スマホの向こうにいる橋本さんはまだ僕には気づいていないみたいだし、周りの様子からして寧山さんにも選ばれていたようだ。予想していたとはいえ、二番手は悔しいけど、僕も譲れなかった。
それもあってか拒否を示す橋本さんを僕は無理やり連れ出す。全力で今の僕を見せた。少しでも君に見てもらえるように、少しでも君の記憶を残すように。
確かにこのとき、彼女は僕を見てくれていた。
ダンスが終わると、少しでも釘付けになってくれた橋本さんは僕に拍手をした。嬉しい、なんて一言じゃすまされない気持ちでいっぱいになり、彼女を見つめる。
「……久しぶり」
我慢出来ずマイクがオフになっているのをいいことに一瞬だけ素の自分に戻ってしまった。でも、橋本さんはそれで気づいてくれたようで感無量の面持ちから驚きに目を丸くするような表情へと変えていく。
「みっ……!」
彼女の唇が僕の名を発しようとしていたので、自身の口元に指を立てて、その言葉を飲み込んでもらうようにお願いする。
「俺様の名前はサラマンダー様だぜ」
役に戻ってキャラの口調で語れば、橋本さんは混乱してしまったのか、僕とサラマンダーが繋がらないといった表情で瞬きを繰り返す。現状が理解出来ないその姿がまた可愛いなと思ってしまった。
しかし、ダンスタイムは終了するので名残惜しいが彼女を元の場所へと帰さねばならない。手を取って橋本さんのいた席へ送ると「じゃあな」と声をかけてその場をあとにする。
その後、無事に初回のパレードを終えた僕はようやく楽屋に戻って一息ついた。
すぐに今も混乱しているであろう彼女に事情を話すため、仕事後に会えないかと橋本さんに連絡する。
返事はOKだったので待ち合わせ場所を指定して一旦やり取りを終えたのだが、実際に顔を合わせたことや手を引いたことを思い出すと、顔が一気に熱くなる。
あぁ、ダメだ。会えない期間があまりに長すぎたからだ。せっかく感情のコントロールが出来たと思ったのに……本番中じゃなくて良かった。
「水泥くん、お疲れ様ー」
「うわぁっ!?」
ぴとっ、と冷たい物が頬に当てられ、思わず飛び跳ねてしまった。誰かと思えば缶ジュースを持った寧山さんが後ろに立っていたようで、酷く驚いた僕に相手もまさかここまでとは、という表情をして申し訳なさそうに笑った。
「ごめんごめん、驚かせちゃったね。はい、あげる」
「あ、いえ……ありがとうございます」
差し出された缶ジュースを受け取った。わざわざ用意してくれたのかと思いながらも「いただきます」と一言述べてからプルタブをひねる。
……橋本さんのことを考えてドキドキしていたのに一気に冷めてしまった。
「本番どうだった?」
「えっと……なんとかやりきりました」
「それなら良かった。じゃあ、残りのパレードも頑張ろうね」
「はい」
寧山 裕次郎もどこかご機嫌な様子。いや、普段からよく笑いかける人だが、誰がどう見ても何かいいことがあったと思われるような笑顔だ。
「寧山さん、何だか嬉しそうですね」
「あはは、やっぱりわかっちゃう? この役が見たいって言ってた子に見せてあげることが出来て嬉しいんだ」
心がざわついた。そういうことを言いそうな人物に心当たりがあるからだ。もちろんそれは橋本さんのこと。彼女は何度か「推しのノームが早く見たい」と口にしていたことがある。……それはさぞかし彼女も喜んだことだろう。
なんだか橋本さんと会う前にブルーは気持ちになりそうだったが、今は残りのパレードを無事に終えることに集中しなければならないため、まずは貰ったばかりの缶ジュースを喉へ流し込んだ。
仕事を終え、メイクをしっかり落としてから急いで待ち合わせ場所へ向かう。
彼女は「混みそうだから先に席を取ってるね」と連絡をくれたため、僕が辿り着いたときにはすでに橋本さんはドリンクを頼んだ状態で僕を待っていた。
メイクオフなのでサラマンダーよりかは僕ということがわかるだろうと思っていたが、本人を見ると目を強く擦っていたため、夢ではないかと疑っているのがよくわかる。
あぁ、それにしても彼女はこんなにも小さかっただろうか。僕が伸びただけなのかもしれないが、昔に比べたらこんなに差が開いてしまうとは思いもしなかった。子どものときなんて今より小さな彼女に助けてもらってたのか、僕は。
それから橋本さんとは色々話をした。そしてお願いもした。僕の初めてのファンになってほしいと。
自分で言うのは酷く情けないけど、でも今言わなきゃもうチャンスはないのかもしれない。一番は橋本さんがいい。
そんな僕のワガママも彼女は快く頷いてくれた。恐らく彼女にしてみれば友達だから良しとしたのかもしれない。うん、今はそれでいい。
橋本さんは僕がこの道を選んだことに対しても好意的に受け取ってくれたし、応援してくれるとまで言ってくれた。それだけで凄く嬉しいことだし、頑張って良かったとも思う。まだまだ一歩を踏み出しただけなんだけど。
本番でも緊張したことを伝えたら当たり前だよと言わんばかりに彼女は微笑んだ。
「そりゃあ、誰だってそうだよ。沢山観客がいるんだしね」
「ううん、そうじゃないんだ。橋本さんに会えるから、だよ」
好きな人に成長した姿で会えるから。そういう意味で言ったけど恐らく彼女はそうとは受け取らないだろう。
「凄く、会いたかったから」
まだ異性として見られないだろうし、彼女の好みにかすりもしない。せめて格好いいと思えるような男にならなければ。
「私もだよ。まさかあんなにダンスもキレキレで俺様な演技も出来るとな思わなかったし、それより何より格好良くなった……って、水泥くんっ? いきなり顔を俯かせてどうしたのっ? 何か傷つくこと言っちゃった!?」
つい今しがた格好いいと思えるようになりたいと考えていたところで不意打ちを食らってしまった僕は慌てて顔を俯かせた。
まずい、心臓がどうにかなりそう。絶対顔も赤くなってるはず。たった一言、格好良くなったって言われただけなのに、こんなに嬉しくて悶えてる姿を彼女には見せられない。
「ち、違うんだっ……そのっ……嬉しくて……」
必死に声を出した。言葉は嘘ではない、本心だ。あぁ、もう、情けない。大人だというのにこれでは子どもじゃないか。というか、これは昔より酷いぞ。スマートになれないのがとても悔しい。
その後、僕が顔を上げるまで橋本さんは優しい言葉をかけてくれた。多分泣いてると思われたようだ。それはそれで情けない……。
その日、僕はまだ彼女に相応しくないと思い知った。




