推しへ、家に連れてくるのはやめましょう
上京して一年。家にも仕事にも推し通いの日々にも慣れたらあっという間にまた春が巡る。
順調に推し活をしている中、私は別のことで頭を悩ませていた。
それは水泥くんのことである。半年前くらいにも同じことで悩んだんだけど、私が上京したら会おうねって話をしていたはずなのに一向に彼と会う機会が得られない。
最初に水泥くんから大丈夫そうなら連絡すると言っていたのだけど、いくら待っても会ってくれる様子はなかった。
でも、互いの近況を話したりはするんだけど、まさか水泥くんに限って忘れるなんてことないだろうし、意図的に避けているのだろうか?
もしかして、私とは関わりたくなくなった? そう思ってしばらく連絡を控えてみたら、水泥くんから何かあった? と聞いてくる連絡があったりするので恐らく嫌われてはいないと思うのだけど不思議である。
「……もう一度、確認してみようか」
時間は夜の八時。たまには電話をかけて直接聞いてみよう。文字じゃ伝わらないだろうし、声色で水泥くんの気持ちが少しはわかるかもしれない。
本日は仕事も休みだし、このくらいの時間なら常識の範囲内だろうと、水泥くんに電話をかけてみる。
ベッドに腰掛けて、前世の技術に追いつき始めたスマホを耳に当てると、三コール目で電話が繋がった。
「あ、もしもし? 水泥くん?」
『橋本さん? こんばんは、電話は久しぶりだね』
「こんばんはー。そうだね、ちょっと久々に電話でお話しようかなぁって思って。時間は大丈夫?」
『うん、大丈夫だよ』
良かった。電話は大丈夫なようだ。一先ず世間話をしてから本題に入ろう。
最近の様子や体調などは大丈夫かとか色々話をした。水泥くんは推しの話も文句を言わずに聞いてくれるから有難い存在でもある。
まぁ、さすがに前に起こった雪城さんの事件に関しては「危ないことはしちゃダメだよ」と凄く心配されてしまった。
「引っ越して一年経ったけど、ようやく気持ち的にも落ち着いてきたかなーって思ったの」
『慣れてきたなら良かったよ』
「うん。それでね、そろそろ水泥くんとも久しぶりに会いたいなーって思ったんだけどどうかな?」
『あ……』
水泥くんの言葉が詰まってしまった。地雷だった? これ地雷な話だった!?
「あ、やっぱ忙しかった!? それだったらごめんねっ」
『えーと……いや、忙しいのは忙しいんだけど、ごめんね。僕の気持ちの問題があって』
「気持ちの問題?」
『まだ、橋本さんに会えるような人間じゃないんだ』
一体どういうことなのか。まだ、なんて言い方。未熟だと言いたいのかな。
『僕がやりたいことがあってここに来たのは覚えてるよね?』
「うん、もちろん」
何がやりたいのかまだ教えてはくれそうにないし、水泥くんの仕事についても何も知らない。いつかは教えてくれるそうだけど、いつの間に彼はこんなにミステリアスになってしまったのか。
『僕、まだ目標に届かないんだ。それに届くようになったら自信を持って橋本さんに会えるって思ってて。……なんて言うか、ちょっとした願掛け、かな』
彼の目標も何をしてるのかもわからないけど、恐らく彼なりに一生懸命頑張っているのだと思う。それこそ私の考えている以上に。
でも、それを聞いて安心してしまった。もしかしたら嫌われてるのかな、なんて思っていたのが申し訳ないくらい。
『ごめんね。橋本さんはせっかく時間を作ってくれようとしてるのに僕のワガママで……』
「ううん。水泥くんがそれだけ真剣になってるし、いいことだと思うよ。むしろこっちがごめんね。早く水泥くんに会いたいなって思って私が一方的に急かすようなことを言うから」
『う……い、いや、そう思ってくれて嬉しいよ……その、僕も橋本さんに会いたいって思ってるから……』
照れくさそうな水泥くんの声が聞こえて自然と笑顔になってしまう。まだ彼と会えないのは寂しいんだけど、声が聞けたり、メールで話も出来るから大丈夫。いつか水泥くんと会えるのを楽しみにしよう。
「水泥くんの言う目標に辿り着けたらお祝いしようね!」
『そうだね、僕も頑張るよ』
いつになるかわからないけど今年で二十歳になるわけだし、そうなったらお酒も飲み交わせるようになるからパーッと楽しめるだろうなぁと思いながら水泥くんと話に花を咲かせた。
『絆奈ちゃん、もうこっちに来て一年になるんだよ? せっかくだからお祝いしようよ』
後日、推しから一通のメールが届く。ついこの間、水泥くんにお祝いしようねと言ったばかりなのにまさか先に自分が上京一年のお祝いをされるなんて思ってもみなかった。しかも推しからである。
なんだかんだ上京したときもお祝いするねと言ってて、何度か仕事などの理由で避けてたんだけど、こうも何度もお誘いを受けてしまうと断るのが申し訳なくなる。
「……受ける、べきか」
舞台後のランチ以外で推しと二人になることを避けていたのだけど、あくまでもファンではなく友人として接してくる推しにはお手上げ状態である。
まぁ、舞台後のランチよりかは気が楽ではあるかな。同担に見つかる可能性はないだろうし。
腕を組んで悩みに悩んだ結果「奢りでなければ行きます」と返信した。きっとお祝いという名のご馳走になる可能性があると思ったための対策である。
推しにお金は落とせても、推しにお金を落とさせたくはない。あってはいけないのだ。
数時間後、推しからのメールでは私の提案を了承した内容が返ってきて、会う日程を決める。
翌月、地元である駅のロータリーで待ち合わせと言われたのだけど、なぜここでの待ち合わせなのだろうか。
一応、私見ではあるが、恐らくファンレターの住所で私の家から近い駅がここなのだと知った推しがこの周辺で何か食べようとしているのだろう。
でも、この辺りなんて辺鄙な所で大した飲食店はないから都心の方がもっといいお店もあるだろうに。わざわざ気遣って近場を選んでくれたのだろう。うう、推しにそこまでさせて申し訳ない。
改札口のすぐ目の前がロータリーとなっていて、推しがいつ改札から出てくるのか待っていたら、軽いクラクションが聞こえたので、ふいにそちらを見てみると黒の自家用車が停まっていた。
恐らく持ち主の待ち人へ向けてその存在を知らせたのだろうと、再び改札口へと視線を戻す。
「絆奈ちゃん」
すると後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。まさかと思って振り返れば推しの姿がある。うそ! いつの間に!?
「えっ、えっ? 寧山さん、いつから?」
「今、かな」
「いつ改札から出られたんですか?」
「あぁ、電車じゃなくて車なんだ」
「はいっ!?」
まさか今推しの後ろにある黒の自家用車がっ!? さっきクラクションを鳴らしたのも私に向けてっ?
「こっちの方が早いからね。それじゃあ、行こっか」
と、推しが車の助手席のドアを開けた。いやいやいや、待って待って! それってつまり推しの車に乗るってこと!? 嘘でしょお!?
「ええと……寧山さん、ファンを自分の車に乗せるのはいかがなものかと……」
「絆奈ちゃん、友人を車に乗せるのは普通のことだよ」
はい、出ましたいつもの! ですよね! 推し、いつもそう言うよね! あぁ、でも一緒にご飯食べたりしてる時点でファンの域を超えてるんだった……。うん、今さらだったね。もう、誘いに乗った時点で私は負けていた。
何度も推しの友人ポジを甘んじて受け入れようとするけど、やはり私の中でのファン魂が「この接触厨!」と叫んでいる。違う、違うの、接触厨になるつもりなんてなかったの! 百歩譲って認知は仕方ないけどプライベートまで過ごす仲になるつもりなんてなかった!
「……せめて、後ろの席で……」
「こっちの方が話しやすいよ?」
悪足掻きとして推しから離れた後部座席をお願いするが、相手は不思議そうに首を傾げて助手席を勧める。ええい、ままよ!
諦めて乗り込むことにした私はシートベルトを装着する。こうなったらしらねやの車内イチャイチャ漫画をいつか本にしよう。今のうちに推しの車を目に焼き付けておいて描くときの参考にしなければ。
座ってすぐ目に入ったのはエターナルランドの人気マスコットキャラクターであるケット・シーのケートとクー・シーのクーリュの小さなぬいぐるみ。
推し、こういうの好きなのか。さすがにここまでは知らなかったなぁ。
ジッと見つめていると運転席に座った推しがそれに気づいて照れくさそうに笑った。
「それ、ファンの子から貰ったやつなんだ」
「あ、そうだったんですね」
なるほど。確かにパーク勤めならばそれに関係するパークグッズを差し入れる人もいるんだよね。まぁ、過剰にパークグッズだけを送る人も少なくはないらしいんだけど、それはそれでパーク勤めを匂わせてるので私は控えてる派。
パークで働いていることは口外出来ないルールが向こうにはあるからね。ファンが仄めかすのは良くないだろう。
そうしているうちに車は出発した。車を運転する推しなんて見れる機会がないし、こっちもしっかり見なければ……って、思うのだけど、さすがに隣を見つめていたら推しもその視線が気になるだろう。盗み見程度に留めておこう。
「そういえばどこに向かうんですか?」
「うーん……それは着いてからのお楽しみ」
そう聞くと逆に不安でしかない。変に高級なレストランとか連れてかないことを祈るしかないし、すでに前に雪城さんに連れてってもらった上にご馳走になったから身構えてしまう。……まだどこに向かうかわからないから決めつけるのはあれだけど、予算とか伝えておけば良かったかな。
しかし、にっこり笑いながら焦らす推しの様子が可愛い。私が白樺だったら理性との戦いだったのかもしれないだろう。
「あ、そうだ。CDがあるんだけど、良かったら好きなの聞いていいよ」
「そうですか? 見てみます」
推しがCDをいくつか見せてくれたので手に取ってみると、男性グループバンドや女性シンガーなど比較的有名な人のアルバムの中に雪城さんのCDを見つけた。私がこの前雪城さんのイベントで気に入って買ったのと同じである。
しかし、推しも持っていると思うとやはり雪城さんに気があるのではないか? 婚姻する時期が半年もズレてしまったが、今年にはゴールインするのでは?
雪城さんのCDにしようかなと思っていると、残りの数枚がテーマパークのショーパレ音源CDだったため、思わずテンションが上がる。
「こ、これ聞いていいですかっ?」
「あはは、いいよ」
まるでこれを選ぶのがわかっていたような反応ではあるが気にせずにセットをすると、数年前の推しが出演していたパレードの音源が流れる。しかも、このときのサラマンダーの声は推しで収録されているため私もこのCDは持っているのだ。
流れる曲も歌もしっかり覚えているのでつい気分良く鼻歌交じりに聞いていると、推しが楽しそうに笑った。
「絆奈ちゃんが楽しそうで嬉しいよ」
「そりゃあ、寧山さんのサラマンダーの声が聞けるんですからね」
「……一応、本物がここにいるんだけどなぁ」
「サラマンダーの寧山さんとオフの寧山さんとは違うじゃないですか」
「あー……そうだね」
声のトーンが少し下がる。え、何か気に触りましたっ? しっかり演じきっているってことなのに!
「そういえば絆奈ちゃんはノームが好きだって言ってたよね?」
「そうです。なので寧山さんがノーム役を演じるのをいつまでも待っています」
思わずキリッとした顔で物申す。そう、私はあくまでもエターナルランドの推しはノームなので推しにはその推しの役をやってもらいたいわけで。
でも、ようやく来年にはそのノーム役を担うことが出来るから私は待てますとも。
「良かった。実は来年にはノームでいこうかなって。結構若い役者も増えてきたし、そろそろ落ち着いた役の方にしようと思って」
「本当ですかっ?」
知ってますとも! あと二年後には白樺がアクターデビューするから推しカプ共演も待ってます!!
しばらく車を走らせていると景色はどこか見覚えのあるものに変わっていた。てっきり都心に向かっているものかと思っていたのだが、少し遠くにエターナルランドが見えてくるではないか。
確かにこの辺りはエターナルランド付近の住宅街やホテル、大型商業施設などが立ち並ぶ町だ。テーマパークから近いのでこの辺りに住んでいるのは富裕層だろうし、パークオタも住んでいる人だって少なからずいる。まぁ、手の届かないオタクには憧れの町ではあった。
一体どこに向かうのかと思うと、車はとあるマンションの駐車場へと停車した。どうやら目的地に到着したらしい。
……って、マンションの駐車場に停めるってことはまさか推しの住んでいるマンションなのでは!? なぜ、ここで車を停めるのだろうか……あぁ、近場にオススメのお店があるのかな。
「さぁ、着いたよ」
先に降りた推しが助手席のドアを開けてくれた。それだけじゃなく推しの手が目の前に差し出される。……まさか、手を取れと? 推しの手を取れと!?
このまま無視して降りる……なんてことはさすがに出来ない。そんな傲慢なことが出来るわけもなく、恐る恐る推しの手へと伸ばし、手を取られながら下車した。
リアコなら大歓喜であろうこの行為はさすがに私も緊張で胸の鼓動が早くなる。息が止まりそうだった。
「あ、ありがとうございます……」
ちゃんとお礼も忘れずに伝えると、相変わらず爽やかに笑みを浮かべる推しは「行こっか」と案内する。
マンション近くのご飯屋さんかなと思っていた私だったが、どうもその足がマンション内部へと向かっていて、マンション入口のオートロックで鍵を開けた瞬間、それは確信となった。
「あ、あの、どちらへ?」
「ん? 僕の家」
その一言は落雷を受ける衝撃だった。聞き間違いなのかと思うも、どう聞いても「僕の家」としか言っていない。
「いやいやいや! 今日は私の上京一年を記念してご飯を食べるんですよねっ!?」
「うん。だからご飯食べに来たんだよ」
一体推しは何を言っているのか。まさか家で出前パーティーみたいなことをするとでも? え、凄く楽しそう。オフ会なら盛り上がること間違いなしなんだけども。
いや、それでも推しの家に足を踏み入れるなんておかしいでしょ!? さすがにアウト! ファンとしてアウト!!
「ファンを家に入れるのはダメですよ!」
「絆奈ちゃん。お友達を家に呼ぶのはダメじゃないよ」
「いや、私は寧山さんの友達では……」
「違うの?」
あーーっ!! あーーっ!! シュンとしないで! そんな顔されちゃはっきり言えないでしょーー!!
「ち、違くはないですけど、ファンでもある私に家の場所を教えるだけじゃなく部屋に入れるの良くないと思うんですよ。やはり悪用されたら大変じゃないですかっ」
「絆奈ちゃんは悪用するの?」
「しません!!」
「じゃあ、大丈夫だね」
大丈夫じゃないです! 大丈夫じゃないんですよ!? 家に呼ぶにしてもやはりもっと親密な関係である人とか彼女さんとか入れるべきじゃない!? 私そこまで親密度上げてたの!?
結局今さら帰るなんて酷いことは出来ないので推しの家に招かれることに。エレベーターに上がって、部屋の前へと辿り着くと推しは自宅の鍵を開けて、人生初の推しの家にお邪魔することになった。




