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絆奈ちゃんへ、これは親愛です

 事件が起こったのは僕が雪城さんの舞台イベントのゲストとして呼ばれた日のことだった。夜公演が終わり、絆奈ちゃんを楽屋に呼んで夕飯を一緒に食べようと思っていたときのこと。

 雪城さんに挨拶をしてから出るつもりで、彼女の帰りを待っていることを伝えると絆奈ちゃんはお手洗いに出た。


 しかし、いくら待っても雪城さんも絆奈ちゃんも戻ってこない。どうしてだろうと思ったそのとき、楽屋の外が騒々しいことに気づく。

 どうしたのかと思い、楽屋から出ると舞台の方がざわついている様子だった。なんだか嫌な予感がして急いでその騒ぎへと向かうと雪城さんがスタッフ達に何かを訴えていた。


「私はいいから! 私を助けようと女の子が男に立ち向かって……お願い! 早く助けて!」

「雪城さん! どうしたのっ? 落ち着いて!」


 冷静を欠いた雪城さんが大声を上げて取り乱していたので肩を掴んで落ち着かせると同時に何があったのか聞き出す。こんな状態の彼女を見ることなんて今までなかったから余程のことがあると見た。

 そして彼女自身の服装の様子が違うことにも気づく。ブラウスを着ていたはずの彼女が今は上着を肩にかけられた状態だった。

 腕でしっかり隠してはいるけど、下着も僅かながら見えるので目のやり場に困ったが、この上着は見たことがある。先程会った絆奈ちゃんが羽織っていたものと同じように見えた。


「それどころじゃないの! 早くシャワー室に! きっとあなたのファンの子よ! このままじゃ男に襲われちゃうの!」

「えっ……!」


 詳しい話はわからない。ただわかるのは絆奈ちゃんに何かがあるかもしれないということ。僕は急いで雪城さんの言うシャワー室への向かった。


「絆奈ちゃん!」


 扉が破損したシャワー室へと駆け寄ると、足元にナイフが落ちていて思わず血の気が引く。

 ほんの少しではあるが、切っ先に赤い液体が付着していた。この血液は誰のものなのか。慌てて脱衣場に目を向けると、絆奈ちゃんがうつ伏せの男の上に跨ってその男の頭を床に力強く押し付けていた。

 一瞬、何が起こったのかわからず躊躇するも男性スタッフ達が男を取り押さえている間、ハッとした僕は絆奈ちゃんの手を引いて男から離す。


「くそっ! 離せ! 愛歌ちゃんと俺を引き離すな!! お前ら愛歌ちゃんの気持ちがわからないのか!?」

「どっちがわかってないのよ! 救いようのない馬鹿よ!」

「んだと!?」

「絆奈ちゃん! 刺激させないで!」


 雪城さんに乱暴を働こうとしたであろう男に近づいて挑発する絆奈ちゃんが危なっかしくて慌てて引き離した。

 その後、男は警察に引き渡すため別室へと連れて行かれたが、ナイフに血がついていたので絆奈ちゃんに怪我がないか確かめると、すぐにその傷痕らしいものが彼女の腕にあることに気がつく。


「絆奈ちゃん、怪我してるじゃないか!」

「えっ?」


 赤く線を引いたような切り傷。出血自体は大したことなさそうだが、少量とはいえ血は流れている。その事実に目眩を起こしてしまいそうだった。僕を観に来てくれた彼女がこんなことに巻き込まれて怪我をするなんて。

 僕の指摘にようやく絆奈ちゃんも気づいたらしく、怪我の痕を見るが特に驚く様子も気にする様子もなかった。


「あー。これくらいなら大丈夫です」

「そうじゃなくてっ」

「それより、雪城さんです。一人でもいいので女性スタッフの方に別室などで彼女のケアをお願いします」


 何を言ってるんだと反論しようとしたが、それより先に雪城さんが絆奈ちゃんと一緒にいたいと口にしたため、彼女と二人きりで楽屋に入ることになった。

 そのあとがまた大変で、二人は駆けつけた警察に話をしに行ったから心配だった僕は二人が戻ってくるのを待つと、夜も更けた頃、彼女達は帰ってきた。


「二人とも、お疲れ様。大丈夫だった?」

「えぇ……」

「寧山さん、ちょっと」


 雪城さんの顔色は優れないままだった。僕自身詳しい話はわからないけど、わざわざ本人から聞いてはいけないと判断して何も聞かずにいると、絆奈ちゃんが手で小さく手招きをするので、雪城さんから少し離れた彼女の元へ向かう。


「寧山さん。雪城さんを一人で帰らせるのは危ない気がしますので家まで送ってあげてください」


 彼女はどこまでも雪城さんを心配した。でも、被害者は雪城さんだけではないだろうになぜ絆奈ちゃんは自身の心配はしないのだろうか。


「えっ……でも絆奈ちゃんは?」

「私は一人で帰れますので。今は雪城さんを一人にする方が不安ですし」


 もちろん彼女の言い分もわかる。わかるんだけど、納得は出来なかった。なぜなら手当のされていない彼女の傷つけられた腕に目がいってしまうから。


「絆奈ちゃんは怪我だってしてるじゃないか」

「そんな深くないですので平気です」

「……君はどうしてあんな無茶を……。人を呼んだ方がこんなことにはならなかったでしょ?」

「寧山さん、あれは一刻を争う状況でした。何かあってからじゃ遅いんです。それにこの程度で雪城さんを助け出せたなら安いものですよ」


 彼女にしたらこの程度、なのかもしれない。しかし、万が一深手を負ってしまったら? そもそも事件に巻き込まれて軽傷とはいえ怪我をしたのにそんなに気にしないものなのだろうか?

 僕が気にしすぎ、と言われてしまえばそうなのかもしれないけど、絆奈ちゃんは女の子なんだから傷つけられたことは深刻なのでは?


「だからって危ないことには変わりないんだよ。絆奈ちゃんにだって何かあってからじゃ遅いんだから」

「寧山さんの言うこともよく分かります。でも、過ぎたことですから今は雪城さんをしっかり送ってください。ほら、彼女も待ってますから私は失礼します!」


 僕の背中を押した彼女はまるで逃げるように去っていく。確かに終わってしまったことをとやかく言っても仕方ないのだけど……もやもやしてしまう。

 本当にあれが最善だったのだろうか、せめて僕が雪城さんか絆奈ちゃんにしっかりついていてやれば怪我なんてなかったのかもしれない。

 大事なファンの子を守れなかったのが悔やまれる。


 絆奈ちゃんに頼まれた通り雪城さんを自宅まで送り届ける道中、彼女も絆奈ちゃんのことが気がかりだったようで気にしている様子だった。

 もちろん一番の被害者は雪城さんだから、僕は彼女だって心配である。スタッフから話も聞いたけど、雪城さんが男から受けたものは未遂とはいえ、心には酷い傷を受けただろう。


「ねぇ、寧山さん。お願いがあるの」

「お願い?」

「あの子と会わせてくれるかしら?」


 その言葉を聞いて少し返事に悩む。僕が決めることではないし……と、心のどこかで断る理由を探している自分がいた。いつもなら二つ返事でOKを出していたはずなのに、躊躇ってしまう。

 絆奈ちゃんは僕のファンなのに彼女に取られてしまうのでは、そんな不安がよぎってしまった。もちろん、この業界ではよくあることだし、乗り換える人だって少なくはない。ましてや雪城さんは歳下ではあるがこの業界では僕より先輩であり、人気アクトレス。そんな人に僕が勝てるわけもない。


「……」

「しっかりお礼したいの」

「……わかった、今度聞いてみるよ」


 とりあえず今度といってすぐには連絡しないとことにする。時間が経てば忘れてくれるかな、なんて思っていたが、相手はあの雪城さんだ。一度決めたら余程のことがない限り諦めることはない。




「ちょっと、いつになったらあの子に聞いてくれるのよ」


 数日後、オフの日だったんだけど、雪城さんにカフェへと呼び出された。「今日空いてる? 相談があるんだけど」と言われたので事件があったばかりだからその件に関してかなと思ったのだけど、実際に指定されたチェーン店のコーヒーショップで落ち合うと、彼女は開口一番にそう言ってきたため思わず固まってしまう。


「えーと……?」

「まさか忘れたなんて言わないわよね?」

「いや、覚えてるけど……相談があるんじゃ?」

「そう言わなきゃ適当に誤魔化して来なかった可能性があると思ってね」

「さすがにそんなことは……」

「いいから、今すぐ連絡取って」


 逃げられないな、そう観念した僕は絆奈ちゃんにメールを送る。雪城さんにもちゃんと送信したメールを見せたのですぐに解放されるかと思いきや、雪城さんがメールを読んでいる途中で絆奈ちゃんからの返信がきたとか報告があった。


『怪我は大丈夫ですし、病院にも行きましたので心配ご無用です。そして雪城さんからのお礼ですが、そこまでしていただくほどのことではないのでお気遣いなくとお伝えください。まだあれから日も浅いですし、心の傷を癒すことが先だと思いますので』


 それを見た雪城さんは眉を寄せて僕を睨んでくる。いやいや、僕は何も悪くないんだけど……。


「電話して」

「えっ?」

「電話で直接話して約束を取りつけるのよ」

「そ、そこまでするの?」

「当たり前でしょっ。ちんたらしてたら時間が過ぎるだけじゃないの」


 女性のたまに見受けられるこの圧力は一体なんだろうか。とにかく言われるがまま絆奈ちゃんに電話をかけることにする。

 願わくば電話に出ないでもらいたいところ。そうすれば一先ず今日のところは雪城さんも諦めてくれるだろうと考えるが、数コール目で絆奈ちゃんは電話に出た。どうやら今日は僕の思い通りにいかないらしい。


『も、もしもし?』

「あ、絆奈ちゃん。今大丈夫?」

『えっと、少しだけなら……』


 緊張した声色ではあったが、迷惑にならないよう手早くすませてあげようと早速本題に入る。


「ありがとう。あのね、実は今隣に雪城さんがいてね、どうしても絆奈ちゃんにお礼をしないと気がすまないって騒いでて……」

『えっ』

「早く約束を取りつけてって言うから直接電話したんだけど、絆奈ちゃんが迷惑じゃないなら彼女のワガママに付き合ってほしいんだ」

「ワガママって何よ! そんな言い方されたらあの子来ないでしょ!」


 電話してる横で雪城さんがぎゃいぎゃい言ってくる。その声、多分向こうに伝わるよ……と思いながらも片手でごめんね、とポーズをする。


『えー……と、雪城さんが大丈夫なら……』

「ほんと? それじゃあ、あとは二人でやり取りしてもらった方が早いから絆奈ちゃんの連絡先を教えてもいいかな?」

『あ、はい』

「ありがとう! 突然ごめんね、それじゃあまた連絡するよ。それじゃあね」

『お、お疲れ様です』


 そこで通話は終了した。ふぅ、と溜め息をこぼして椅子に凭れる。そういえば絆奈ちゃんにメールをしたことはよくあるけど、電話は初めてだったっけ。


「寧山さん、ありがとうっ! 早速だけどアドレス教えてもらうわよ」

「う、うん」


 早く教えろと言わんばかりにスマホを片手に催促する雪城さんにたじろぎながらも絆奈ちゃんの連絡先を彼女に伝える。……少し、気が進まないんだけどね。

 連絡先を入手した彼女は急いでメールを打ち込んで送信していた。あとは二人でやり取りをするはず。

 ……一応、用件は終わっただろうから帰ってもいいのだろうか? 冷めかけたコーヒーを飲みながら彼女の様子を見守るのだけど、相手はスマホを見続けるだけ。

 するとどこか落ち着かない雪城さんが鋭い目を僕に向けた。


「あの子からの返事がこないわよっ!」

「そんなすぐに返ってくるわけじゃないと思うんだけど……」

「あなたのメールや電話にはすぐ出たじゃない!」


 そう言われると悪い気はしない……が、絆奈ちゃんの場合だとメールを見たらすぐに返すような子だから恐らく見ていない可能性が高い。


「多分、用事が出来たか仕事に向かったんじゃないかな」

「……そう。それならいいけど」


 納得してくれたようで何より。改めて彼女に用件は以上か尋ねると「えぇ」と返事をしてくれたのでコーヒーを一気に飲み干して、帰る準備をする。


「ところで寧山さん。私があの子と接触するのが気乗りしなかったみたいだけど、嫉妬しちゃったの?」

「えっ、嫉妬だなんてそんな……」


 的確な言葉にドキリとした。確かに嫉妬という言葉が最適なのだろう。とはいえ、はいそうですなんて言えないので否定するものの、わかりやすかったのか彼女はお見通しだと言わんばかりに笑みを浮かべた。


「見え見えなのよ」

「……あはは、よくわかったね。確かにちょっと妬いてしまったかな。だって雪城さんと絆奈ちゃんが繋がったら、きっと絆奈ちゃんは雪城さんのファンになっちゃうだろうし、僕のファンを降りるかもと思ったらつい……」


 本人を前に照れくさくはあるものの本心を伝えたら、なぜか彼女の表情が変わった。まるで鳩が豆鉄砲を食ったような。


「……まさかの自覚なし?」

「えっ?」


 はぁ、と溜め息をつく彼女。先程の言葉からして僕は何かを勘違いしているらしい。


「寧山さん……よく考えてみて。あなたも私に負けないくらいファンの人が増えてるのよ。それこそ駆け出しの役者なら少ないファンに固執してもおかしくはないけど、今さら一人や二人が鞍替えしたって焦ることはある? ファンだって人間だもの一人の役者を応援する人もいればあちこちに応援する人だっているのよ。なのに寧山さんは一人のファンの子に強く執着してる。嫉妬しちゃうくらいに。それがどういうことかわかる?」


 執着、だなんてそのつもりはなかった。絆奈ちゃんはファンである前に親戚のような近い間柄の友人と思っているから確かに普通のファンの子と扱いは違うだろう。しかし、その言い方ではまるで……。


「僕が絆奈ちゃんに恋愛感情を抱いてるみたいに聞こえるんだけど」

「そのつもりで言ってるんだけど?」


 今度は僕が呆気にとられてしまった。そんなふうに見たことがないので考えもしないことだ。


「いやいや、さすがにそれはないよ……」

「一人からお金を搾り取るつもりでもないんでしょ」

「それはもちろん……っていうか、そんなことしないよ」

「そうよねぇ。じゃあ、なぜかしら?」

「なぜって、あの子は初めての僕のファンで、ずっと応援してくれたし、付き合いも長いからそう見えるだけじゃ?」

「ふーん? そうだったら付き合いが長くても元はファンの子。ファンに対する扱いにしては深く関わりすぎってことを少しは頭の隅にでも置いておきなさいよ」


 その言葉は忠告にしては彼女の表情は曇っていなくて、どこか面白がっている様子。そのまま雪城さんは先に帰って行ってしまった。

 一人で席に取り残された僕は改めて自分の行動を振り返る。確かにファンと役者の関係性で考えたら有り得ないほどの近しい距離だけど、友人として考えたら普通と思う。

 しかし、だ。僕は友人として接しているつもりだけど、絆奈ちゃんはあくまでもファンとして僕と接しているので、互いの関係性がいまいち一致しない。

 そこはいつも不満には思うんだけど、友人として対等でありたいし、親戚のように気軽な関係性でありたいだけでそこに恋情はない。そもそも絆奈ちゃんとは十五も歳の差があり、まだ相手は未成年。彼女が五歳だったら僕は二十歳……犯罪じゃないか。


「はぁ……」


 急に頭が痛くなってきた。彼女はまだ子どもなのに。……そりゃあ大人びているところはあったけど、それはそれ。

 仮に、仮にもだけど、僕が絆奈ちゃんに好意があったとして、それでどうする? 伝えたところで彼女のことだ「応援はしてますが私はそういう感情を持っていません」とか「役者がファンに恋愛感情を抱くなんてあってはならないことですよ!」と言ってくるだろう。後者の方が一番可能性がありそうだ。


「……」


 実際に言われたわけじゃないんだけど、考えるだけで心に傷を負う。いやいや、別にそういう感情はなくて、ただそう言われたら傷つくなぁって……なんで僕こんなに自分で言い訳がましいことを考えてるんだろ。

 そもそもどう考えても彼女が僕を受け入れることはないだろうし、彼女から見たらおじさん枠だしなぁ……。

 うん、もういいや。考えないようにしよう。結婚を気にする年齢になってきたから心のどこかで焦っているのかもしれないんだろうな。

 そう結論づけて僕もカフェをあとにした。


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